観察対象
翌朝、学院は妙な静けさに包まれていた。
暴走魔法事件の後処理で、訓練区域の立ち入りは禁止。
それに伴い、午前の授業はすべて座学に切り替わっていた。
リオは教室の片隅、窓際の席に座っていた。
いつもと変わらぬ風景──のはずだった。
だが、空気は明らかに違った。
「……アルヴェインってさ、あの時なんかやった?」
「いや、火が“消えた”らしいけど……魔力ゼロって診断されてたよな?」
「まさか、魔喰いの一族とか……いや、そんな伝説ないか」
囁き声が、斜め後ろから漏れる。
昨日までは“無魔適性の雑魚”としか見られていなかった自分が、今は違う意味で注目を集めていた。
「リオ、大丈夫?」
セリアが隣から小声で話しかける。
「平気だよ」
「……嘘。あの時、何が起きたのか全然説明してくれないし。自分でも分かってないの?」
「……うん、たぶん」
嘘ではない。リオ自身もまだ何が起きたのか理解できていなかった。
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放課後、学院の研究棟の一角。
ゼクス・ヴァルグレアは、ある映像記録を見つめていた。
昨日の演習場を遠隔観測していた魔術観測眼のログだ。
映像では、リオの周囲の魔力が不自然に“消えている”。
正確には、“引きずり込まれた”ような形跡。
周囲の魔力線が、リオの一点に向かって吸い込まれ、術式そのものが空中で分解されていた。
「……魔法に対する捕食現象、か。予兆はあった」
ゼクスはひとりごちる。
(今はまだ無自覚……だが、あの力は必ず成長する)
それが制御不能な存在であれば、排除対象になるかもしれない。
だが同時に、ある種の“期待”も彼の胸をかすめていた。
(俺と対等に戦えるやつが現れるなら、それもまた悪くない)
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寮に戻ったリオは、日課の読書も手につかず、窓の外を見ていた。
世界は今日も平穏に回っている。
だが、自分だけが置いていかれているような感覚。
何かを知ってしまった者の孤独が、胸の奥に沈殿していた。
(昨日の感覚……あれは本当に俺の中にある力なのか?)
静かに目を閉じると、奥底で“空腹”のような感覚が疼いた。
それは不気味で、けれどどこか懐かしくさえあった。
(……喰った。確かに、あの火を“喰った”んだ)
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その夜、学院の中枢ではひとつの命令が下されていた。
【観察対象指定:リオ・アルヴェイン】
【監視レベル:中】
【要経過観察/無自覚特殊適性の可能性】
表向きは“才能開花の兆候”という名目。
だが裏ではすでに、魔法理論研究局と管理局が動き始めていた。
学院という場所は、才能を育てる場であると同時に、危険を見抜く場所でもある。
異端は育てば希望となる。だが、歪めば脅威にもなる。
それを誰よりも知っているのは、他でもない学院自身だった。
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翌朝。
リオは、まだ薄暗い校庭を歩いていた。
誰もいない、人気のない芝の上。
まだ太陽も昇りきっていない静けさの中で、彼は立ち止まる。
ゆっくりと、掌をひらく。
何も起きない。
だが、自分の内側にある“それ”は、確かに存在している。
「……もう、隠せないのかもな」
彼の呟きは、誰にも届かない。
ただ、風だけがその言葉をさらっていった。