魔喰の兆し
昼下がりの演習場。空気は湿り気を帯び、何かが起きる予感だけが漂っていた。
「これより特殊演習を行う」
担当教官の宣言に、生徒たちの表情が引き締まる。
今回は“制御困難魔法”の模擬訓練。学院の上級生が意図的に魔力を暴走させ、下級生が対応訓練を行う形式だ。
リオたち初等科一年は、見学を兼ねた簡易防衛演習の形で参加することになっていた。
「暴走魔法って……制御外れたらどうなるの?」
リオの隣で、セリアが不安げに問いかける。
「魔力の流れが逸れて、周囲の術式に干渉するの。術者本人も危険になるから、本来は禁止された技術だけど……研究用途で一部再現されてる」
「……なるほど」
リオは頷きながらも、別のことを考えていた。
(あのときの、“沈み”……また、あれが起きる気がする)
魔法を使おうとした時、空間が凹んだあの感覚。
魔力の流れが止まり、静かに世界が歪む“あの感じ”。
(自分の中にいる“何か”が、また目を覚ましそうだ)
•
演習は順調に進んでいた。
暴走魔法の再現は制御下にあり、上級生の力量にも支えられている。
だが――それは、突然だった。
「……制御不能!? 魔力が逸れたぞッ!」
演習場の中央、魔力制御装置が爆ぜ、炎属性の術式が暴走を始めた。
空間が焼け付き、床が割れる。火柱が予期せぬ方向へ跳ねた。
「避難を──!」
教官の叫びもむなしく、爆ぜた火線がリオの班の方角に走った。
セリアが瞬時に防御魔法を展開する。
しかし、それを追い越すようにリオの体が勝手に動いた。
(来る――!)
心の奥で、何かが応えた。
瞬間、リオの周囲の空気が変わった。
火柱が彼の目前に迫った瞬間――
ズン――と重い音が、空間全体に響いた。
リオの眼前で、魔法が“掻き消えた”。
「…………え?」
火は消えた。煙も、焦げ跡も、何も残っていなかった。
まるで最初から、存在していなかったかのように。
•
「今の……見た? 何が起こったの?」
「魔法が消えた……? いや、“飲み込まれた”ような……」
騒然とする演習場。だがリオ自身は、ただ静かに立ち尽くしていた。
「リオくん、大丈夫!? あれ……どうやって止めたの!?」
セリアが駆け寄るも、リオは答えられなかった。
体の奥――いや、“それ”はもう、自分の体とは別物のように感じた。
(俺がやったのか? ……いや、“やらされた”)
彼の中で、確かに何かが“食らった”。
迫る魔法の力を、まるで空腹を満たすように“呑み込んだ”。
(まさか……本当に、“喰った”のか)
•
数時間後――学院の医療棟。リオは簡易検査を受けていた。
「……魔力暴走の直撃を受けたはずなのに、身体には全く異常がありません」
医師の困惑をよそに、学院上層部では密かに記録が回されていた。
【魔法消失現象】
【対象:リオ・アルヴェイン】
【影響範囲:不明。魔力吸収による術式消滅の可能性あり】
その報告書を手にしていたのは、ゼクス・ヴァルグレアだった。
「……ついに動き出したか、“異端の魔喰者”」
彼は低く呟く。
(ならば、いずれ俺の魔法も“喰われる”ことになる……か)
だが、ゼクスの表情は恐怖ではなかった。
むしろどこか、戦士としての歓喜が浮かんでいた。
「面白い。ならばいずれ、全力で戦う価値がある」
•
その夜、リオはひとり、寮の屋上にいた。
風が肌を撫でる。
「……また、来るのか」
あの感覚が、再び訪れる気がしてならない。
腹の奥で、得体の知れない空白が疼いていた。
自分の意思ではない。けれど確かに“自分”の中にある。
魔法を喰らう“何か”。
その名も、まだ知らぬまま。
だが、世界はもう、静かには留まっていない。