魔法が歪む場所
午後の実技授業。
今日の課題は【拘束魔法】の演習。
指定の標的に対して、魔力の鎖を展開する基本術式。
対象の動きを封じる、警備隊などでも頻用される応用呪文の初歩だ。
講師が号令をかけると、生徒たちは魔力を循環させながら順に詠唱に入っていった。
「『束縛せよ、我が意に応じし鎖よ――拘束魔法!』」
淡い光とともに、練習用の木人に鎖が巻きつく。
次々と魔法が発動していく中――リオの番になった。
「……」
彼は静かに構え、詠唱した。
が、その空間には――何も起こらなかった。
「……またか」
「もう何回失敗してんの? 記録更新じゃね?」
「てか、そろそろ“魔法障害”って診断出るんじゃない?」
クラスの空気が冷たく揺れる。
だがリオは一歩も動かず、ただ一点を見つめていた。
「…………?」
セリアは、別の異変に気づいていた。
彼の詠唱中、周囲の魔力がわずかに“沈んだ”のだ。
まるで水中に石を落としたように、空間が一瞬だけ“凹んだ”。
(……また“空白”が広がった?)
彼の周囲だけ、魔力の流れが凍ったように停止する。
記録魔法の視点では、それは“結界”にすら見えた。
(いや……違う。結界じゃない、“圧縮”……?)
セリアの眉が僅かに寄る。
•
演習後、セリアはリオの元に寄ってきた。
「ねえ、今日の【バインド】……君、何か感じなかった?」
「感じた。……周囲の空気が、重かった」
「だよね。私の魔力視点でも、君の周りだけ、魔力が沈んでた。……まるで、引き込んでるみたいに」
リオは少しだけ視線を上げた。
「魔力が……近寄ってきた、ってこと?」
「違う。“避けてる”わけでもない。“消えてる”わけでもない。“沈んでる”の。物理的な質量が発生したように、周囲の流れが歪んでた」
セリアはスケッチ帳を取り出して、リオの詠唱中に記録した“視界”を見せる。
そこには、リオの立ち位置を中心に、魔力の流れが螺旋を描くように巻き込まれていた。
「……これって、何かの“影響”じゃないかな。君の体質なのか、それとも」
「……俺自身が、“魔法を壊してる”んだとしたら?」
ぽつりと、リオが言った。
セリアはその言葉に目を瞬かせた。
「それ、本気で言ってる?」
「わからない。けど……昔からずっと、“壊れてる”感じはしてた」
「……」
セリアは、何かを言いかけて口をつぐむ。
(やっぱり、普通じゃない。リオくんの中には、“何か”がいる)
彼が何もしていないのに、魔法がうまく機能しない。
それは“適性がない”だけでは説明できない現象。
そして――もうひとり、それを見ていた者がいた。
•
その夜、ゼクス・ヴァルグレアは学院の記録室にいた。
学院の演習記録を閲覧するための許可を取り、リオの演習ログを調べていた。
「……やはり、魔力波形に異常がある」
映像水晶に映る演習の記録。
他の生徒と比較すると、リオの詠唱中のみ、演習場の魔力量が急激に下降している。
「これは……魔力の消失ではない。“崩壊”に近い」
ゼクスは、学術論文の一節を思い出す。
──“虚魔干渉”──
かつて存在したとされる、魔法を“侵食する”力。
理論上は否定されていたが、古代遺跡から類似する痕跡が発見されたこともある。
(まさか、奴がその“適合者”……?)
ゼクスの目が鋭く細められる。
「このまま放置しておくべきではない」
•
リオは、寮の屋上にいた。
夜の風が、制服の裾を揺らす。
「……」
ふと、胸の奥がかすかに熱を帯びる。
呼吸が浅くなる。
耳の奥で、何かが蠢く音がした気がする。
(……まただ)
それは時々感じる、“何かが近づいてくる”感覚。
目には見えない。音もない。けれど確かに、“内側”にいる何か。
(俺の中に、何かが……)
遠く、鐘の音が響いた。
夜の学院が、深い静けさに包まれていく。
•
一方その頃――学院の地下、封鎖された禁書庫の最奥。
誰も立ち入ることのない場所。
その奥深くの石碑に刻まれた一文が、淡く光を帯び始めていた。
『魔喰――Devoural』
“世界法則を喰らう異端の存在”
かすかに、光が揺れた。
その震えは、まだ誰にも知られていない。
だが確かに――物語は、動き出していた。