魔法学院の落ちこぼれ
「おい、“無能”……またミスったぞ」
その声が聞こえた時、リオはすでに詠唱をやめていた。
学院の演習場。魔法基礎術式Ⅰの授業で、今日の課題は初級の火球発生――いわゆる【火種】。
クラスメイトたちは順に呪文を唱え、小さな火球を作り出していた。
彼らの多くは、入学以前から家庭教師や私塾で魔法教育を受けてきたエリートたち。
それでも、最初の実技課題には緊張した面持ちで取り組んでいた。
リオだけが違った。
彼はただ、術式を唱え、何も起きないのを確認し、立ち尽くす。
「まーた無反応。ほんとに魔力量ゼロなんじゃねぇの」
「てか、そもそも何のためにここ来てんの? 時間の無駄じゃね?」
「“無能くん”がいると緊張感が削がれるんだよな~」
リオは何も言い返さなかった。
言葉は、彼にとって意味を持たない。
すべては、膜の向こう側で起きている――そんな感覚。
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「リオくん、今日は呪文、ちょっと変えてみた?」
授業後、セリアが声をかけてきた。
リオはかすかに首を横に振る。
「前と同じ……“火種”の詠唱。文法も順序も」
「そっか。うーん……やっぱり魔力が“循環してない”んだと思う」
セリアは手帳をめくり、今日の演習で観測した魔力の流れを記録していた。
彼女の記録魔法は、術式展開時の魔力挙動を視覚化する特殊能力だった。
「普通、詠唱を始めると魔力が内側から反応して、核が形成されて……」
「俺は、核がない?」
「……というより、空洞みたいに見えるの。魔力を流し込むはずの経路が、君には最初から存在しない」
セリアはそう言って、興味深そうにリオの右目を覗き込んだ。
「変なこと言うけどさ――“拒絶されてる”みたいな感覚、ない?」
「……ある。昔から」
「やっぱり」
その言葉に、リオのまぶたがわずかに動いた。
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昼食時の食堂。
リオは、隅の席でパンとスープを静かに口に運んでいた。
セリアもまた、隣に座って食事をしていたが、無理に話しかけてはこない。
「変わってるよね、君」
「そうかな」
「だって普通、魔法が使えないってだけで、ここまで堂々としていられないよ。みんな、なんとかして認められようと焦ってる」
リオはスプーンを止めた。
「俺は、たぶん……魔法が好きじゃない」
「……ああ、そういうこと」
セリアは何かに納得したように笑う。
「じゃあ、リオくんにとって“魔法がない自分”って、劣ってるわけじゃないんだ」
「優れてもないけどね」
二人は、そのまましばらく無言で食事を続けた。
周囲の生徒たちは、その距離感を不可解そうに眺めていた。
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放課後の図書室。
リオは魔法理論の入門書を開いていたが、ページの文字は頭に入ってこなかった。
「──珍しいな。君がここにいるとは」
高圧的な声が背後から降ってきた。
振り返ると、白銀の髪に赤い瞳を持つ少年が立っていた。
貴族の制服に身を包み、立ち姿だけで“自信と誇り”を纏っている。
ゼクス・ヴァルグレア。
特待生として入学し、成績も実技もトップクラス。
誰もが認める学院の“本命”。
「君が“Eランク”のリオか。少し、話をしてもいいか?」
図書室は静寂に包まれたまま。
リオは本を閉じ、無言でゼクスを見た。
「率直に言う。君のような者がこの学院にいることに、納得していない」
リオは眉一つ動かさず答えた。
「俺も、自分がいる理由はよくわからない」
「なら辞めるべきだ。才能も適性もない者が、この場に立つべきではない」
ゼクスの目は真剣だった。
だが、リオはその言葉にすら傷つかなかった。
なぜなら、彼は最初からこの世界に“歓迎されていない”と知っていたからだ。
「……君は、魔法を誇りにしてる?」
「当然だ。魔法は才能であり、努力の結晶だ。選ばれた者だけが、それを操る資格を持つ」
「そう。じゃあ――」
リオは言葉を切った。
「それが、奪われたら?」
ゼクスの表情がわずかに揺れた。
「何?」
「魔法が、君から消えるとしたら。君の誇りは、どこへ行く?」
沈黙。
ゼクスはその問いに答えず、背を向けて図書室を去った。
リオは再び本を開いたが、もう読む気にはなれなかった。
•
寮の部屋。
夜、ベッドの上でリオは天井を見つめていた。
魔法が使えないことは、痛みではない。
ただ、世界との距離感が、どうしようもなく自分を“浮かせて”いた。
(……届かない)
誰の声も、誰の想いも。
全部が、どこか遠いところで響いているだけ。
だが――
ほんの一部だけ、少しだけ届く声がある。
屋上で笑う少女の声。問いかけてくる瞳。
(セリア……)
リオは、瞳を閉じた。
その奥で、何かがわずかに、震えていた。