いずれ国を背負う闇皇子の継母らしいので捨て置いてくださいませⅡ
『いずれ国を背負う闇皇子の継母らしいので捨て置いてくださいませ』の続編になります。
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煌々とシャンデリアが輝く会場。
真紅のカーペットも、壁にかけられた絵画も、並べられた料理たちも何もかもが一級品で揃えられた、まさに絢爛豪華と評するに相応しいものばかり。
夜会で悪目立ちしないように着飾ったご婦人やご令嬢たちの姿が散見される中、好奇な目に晒されているのがルーミィだった。
「誰かと思えば、お姉様ではありませんの。まさか、エスコートを伴わないで参加されていますの? 伯爵家から公爵家に嫁いだと言っても、お相手があのラルフレッド公爵ですものね」
会場の隅っこで、閉ざされた扉と柱時計の間で視線を行ったり来たりさせるルーミィの前にふんぞり返ったのは家族から愛される妹だった。
ついさっきまでその華奢な腕を彼女の夫に絡めていたが、わざわざ嫌味を言うために近づいてきた。
「お父様の命令で嫁入り前から社交界への参加を禁じられていましたものね。公爵夫人になった記念に恥をかきにいらしたの?」
両親や夫には決して見せない表情。
今も夫には背を向け、姉であるルーミィを嘲笑し罵倒している。
「ここに居たのか」
威圧感さえ覚える重低音が耳に届く。
いつも通り、ルーミィが目を伏せて「ごめんなさい」と言うものだとばかり思っていた妹は硬直させた体でぎこちなく振り向いた。
この世界で忌避される黒髪。切れ長で、どこまでも冷淡な黒い瞳。
顔が整っているからこそ、より一層の冷たさを感じさせる。
他の男性よりも頭ひとつ分、抜きん出る長身のラルフレッドに見下ろされれば、肝も冷えるというものだ。
しかし、その悪魔のような人間味を感じさせない表情が崩れた。
「ルーミィ」
「ラル様!」
ぱぁっとルーミィの表情も晴れ、陽だまりのような笑顔が咲く。
差し出された大きな手を取ったルーミィは他の誰にも見せたことのない柔らかい微笑みで愛する夫の名前を呼んだ。
「せっかくの夜会なのに遅れてすまない。エスコート役が居なくて不安だっただろう」
「平気です。ラル様を信じていますから」
「埋め合わせは必ずしよう。さぁ、手を離さないで」
「はいっ」
ほんの数分前まで周囲の者たちは一人きりで参加しているルーミィを笑いものにしていたが、氷の宰相――ラルフレッド公爵の登場で局面は一変した。
「王命で結婚しただけの夫人にシュバルナ卿が謝罪した⁉︎」
「氷の宰相が無表情を崩すなど⁉︎」
王命で結婚したというのは間違った噂だが、手を取り合い、見つめ合う2人にはどうでもいいことだった。
「俺が贈ったドレスを着てくれて嬉しいよ」
ルーミィはディープブルーのドレスに身を包み、胸元にはこれまたラルフレッドから贈られたピンクゴールドのネックレスも装飾している。
地味な色味のドレスであることに変わりはないが、背筋を伸ばし、優雅にラルフレッドの手を取る所作は公爵夫人と呼ぶに相応しいものだった。
「……さっきまで縮こまっていたくせに」
妹が親指の爪を噛む。
昔から気に入らないことがある時に出る悪癖だ。
「妹君との時間を邪魔してしまったかな?」
意地悪な妹でもラルフレッドにとっては義理の家族にあたる。
相応の対応をとるラルフレッドにたじろぐ妹は姉の体のどこかに貶す場所はないかと目を血走らせた。
「あっ。お姉様、随分と手が荒れているようですわね。せっかくの夜会なのに、お手入れが行き届いていないとお見受けしますわ」
「これね! 昨日、アウルと花壇の手入れをしたの!」
待っていました、と言わんばかりの勢いで話し始めたルーミィに妹が一歩後ずさる。
「アウルったら、男の子なのにお花の教養があるのよ。わたしのために薔薇園を作りたいって言ってくれてね。あ、アウルっていうのはラル様とわたしの子で、とっても可愛くて、賢くて、優しい子なの。それでね――」
誰も彼もこんなにも活き活きとして饒舌に語るルーミィを見たことがない。
しかし、ルーミィの親バカっぷりよりも周囲を驚かせたのはラルフレッドの態度だった。
「……??」
じーっと見下ろされていることに気づいたルーミィがラルフレッドを見上げて小首を傾げる。
「ルーミィ。今夜はアウルの話はしないと約束しただろう」
「あっ。そうでした。ごめんなさい」
その「ごめんなさい」は妹の知るものと雲泥の差があった。
かつてはもっと辛気臭く、消え入りそうな声で、謝ってばかりだったというのに今は快活ささえ感じる。
「今宵は俺と2人きりなんだから俺だけを見て、俺のことだけを考えてくれ。アウルとは明日も会えるだろう」
「つい熱くなってしまって。気をつけます」
「どうすれば、きみの頭の中を俺で満たせるのか。大賢者にでも聞いてみたいよ」
「まぁ。今でも十分、満たされていますよ」
まるでこの世界に自分たち2人しかいないような。
他者を寄せ付けない、2人だけの空間を作り上げてしまったルーミィとラルフレッドに周囲は息を呑んだ。
「シュバルナ卿と夫人の仲は良くなったのではないのか⁉︎」
「お飾りの妻を伴って社交界に参加するのを嫌がっているというのは嘘だったのではないか。あんなお顔は見たことがないぞ」
ラルフレッドの意外な一面を見せつけられた参列者たちの驚きの声が聞こえる中、ラルフレッドはルーミィの手を引き、颯爽とダンスホールへ赴いた。
「聞こえただろう。俺たちの不仲説がまことしやかに囁かれている。払拭するには良い機会だと思わないか?」
「少し恥ずかしいですが、ラル様がお望みとあれば」
婚姻に至るまでまともな教育を受けてこなかったルーミィだが、公爵家に嫁いでからは理想的な淑女となるべく教育に励んだ。
一人では辛く、くじけそうになっていたかもしれないが、義息であるアウルも頑張っていると思えば、なんてことはなかった。
今のルーミィは誰が見ても完璧に踊れている。
優雅な曲に合わせたダンスを終えると割れんばかりの拍手で迎えられ、ラルフレッドはルーミィを自慢の妻だと紹介をしてくれた。
ルーミィは以前のように自分を卑下することも、反対に傲ることもなく、公爵夫人に相応しいたたずまいで位の低い貴族たちへの挨拶をこなす。
気づけば、妹夫婦の姿はなく、ルーミィは別れの挨拶ができなかったことを残念がった。
◇◆◇◆◇◆
ルーミィが公爵夫人、そしてアウルの継母になって半年が経とうかという頃。
義息が実は今は亡き先代国王の忘れ形見であり、ラルフレッドにとって甥にあたる続柄ということはずっと本人に隠して日々を過ごしている。
つまり、アウルはルーミィともラルフレッドとも血の繋がらない子だ。しかし、彼ら3人の仲の良さは領民にとって常識だった。
ある日、ルーミィは深刻そうな顔で過ごすアウルを呼びつけた。
「何か悩みごと?」
ラルフレッドとは似ても似つかないサラサラの銀髪はいつも通りだが、翡翠の瞳には力がない。
「……はい。実は……重くて」
はて、と小首を傾げる。
たまに主語のない話し方をする癖は父親にそっくりだとほくそ笑んでしまった。
「重いとは体のこと?」
「体といえばそうですが、中身といいますか。どこからか湧いてくる魔力が重くて」
魔力を持たないルーミィには想像もつかない話だ。
「ボクの闇属性の魔力が体を突き破って、世界を飲み込んでしまうような。そんな怖い夢を見るんです」
「世界……スケールの大きな話ね」
「でも、ボクは世界よりもお母様に危害を加えることが怖い。お母様に万が一のことがあれば、ボクは……ボクは自分を許せません」
アウルの感情が揺れることで、ボコボコと魔力が沸騰するように溢れ出す。
いつ漏れ出してもおかしくない状況にルーミィ専属の護衛騎士が身構えた。
「下がって構いません。害はありません」
「奥様、お気持ちは分かりますが、この魔力量ではいずれ勘づかれます」
ルーミィは夫が特務騎士団から引き抜いてきた信頼のおける騎士を振り向き、唇を結んだ。
アウルの魔力量は前王譲りだとラルフレッドから聞いている。ただ魔法の属性だけは隔世遺伝で、歴史の闇に葬られたご先祖のものだった。
この事実が明るみになれば、アウルの生活は一変して、決して穏やかとは言えないものになるだろう。
「……ボクを閉じ込めてください」
「お外に行きましょう」
「お、奥様⁉︎」
「お母様⁉︎」
この短時間で熟考し、最善の選択だと思える行動をしたつもりだ。
ルーミィはかつて初めての魔法に怖がるアウルを中庭に連れ出した時と同じように、彼の手を引き、部屋を出た。
「風が気持ちいいわね」
なびく髪を押さえながら、アウルと作った薔薇園へ歩みを進めた。
そして花壇の土を掴み、パラパラと地面へ落とす。
侍女たちが「奥様、手が汚れます!」と言わなくなったのは随分と昔のことのように感じる。
今では一風変わっているが、誰にも分け隔てなく接してくれて、いつもニコニコしている公爵夫人として領民に認知されていた。
「……お母様?」
「魔法を土へ流し込むことはできる?」
「で、できると思います」
「花たちに雨が降り注ぎすぎないように防ぐこともできる?」
「やってみます」
ルーミィに言われた通りに魔法を発動させる。
呪文も唱えず、指先を動かしただけで土と空間に作用したアウルの魔法はルーミィの理想を叶えた。
土の中には微生物といえなくもない人害のない魔物が発生し、薔薇たちの頭上には見えない屋根ができた。
「どうでしょうか」
「うん。いいと思う」
多分ね、と心の中だけで付け加える。実際には見ることも、感じることもできないが、アウルを信じて肯定するのがルーミィのやり方だった。
「では、他もお願いね。それぞれの花に適した環境にできるかしら」
シュバルナ公爵家では中庭以外にも裏庭や外苑でも草花が育てられている。
それら全ての花々が育ちやすい環境作りをアウルに命じたのだ。
それも手を使わず、魔法の力のみで。
「お、奥様⁉︎ 広大な土地を区画別に環境調整するというのは簡単なことではありません。坊ちゃまの魔力が耐えられるはずがありません」
「それはアウルにしか分かりませんよ」
アウルに向けられるのはいつもの笑みだ。決して、否定せずにチャレンジを促す。
結果がどうであれ、試みたことを最大限に褒めてくれることを知っているアウルは迷わずに実行した。
そして、数日間をかけてやり遂げた。
「お母様! 体がすっきりしました!」
「まぁ。それはよかった」
護衛騎士に目配せすれば、半ば呆れたように頷かれた。
アウルは常に庭園の栽培環境に作用する魔法を発動させ続けることで、魔力が体内に溜まる現象を防ぐことができている。
ルーミィには魔力を察知することはできないから自分の考えたプランが成功したのか判断がつかない。
しかし、元王族直轄の特務騎士団所属であったジエスが頷くのなら理論通りにできているということだ。
ルーミィは安堵し、人懐っこい笑みで抱きつくアウルの頭を撫でた。
それから数日後、辺境伯領の視察を終えたラルフレッドが帰宅した。
公爵領に入ってから感じていた違和感は屋敷に近づくにつれて増していく。
そして、屋敷の敷地に足を踏み入れて驚愕した。
「ルーミィ、これはどういうことかな?」
「はい、ラル様。ご説明させていただきます」
アウルが苦しがっていたから魔力を放出し続けられるように工夫した、と事細かく説明してくれるルーミィと共に中庭、裏庭、外苑を散歩する。
ラルフレッドが出発する直前よりも瑞々しい花を咲かせる庭園よりもルーミィの発想に感心した。
「……一つ、俺からも相談がある」
ごくりとルーミィの喉が鳴った。
場所を執務室に移した2人はテーブルを挟んで腰掛けた。
「ここ数年で聖女殿の力の衰退が著しい。このままでは我が国を守護する聖なる防御壁が破られ、魔物が押し寄せてくる」
普通なら慌てて、自分たちだけでも安全な場所へ逃げようと言い出してもおかしくない状況だ。
しかし、ルーミィが瞳を動かすことはなかった。
「守ってくださるのですよね?」
そう信じてやまない瞳に頷き返すのがラルフレッドの役目だ。
「俺の力ではルーミィやアウル、公爵領に住む人々を守るのが精一杯だ。だが、アウルなら」
ピンッとルーミィの神経が研ぎ澄ませられたのは明らかだった。
室内を静寂が包み込む。
壁際に控える侍女や執事も息を止めてしまうほどに、ルーミィとラルフレッドは視線を一切動かさなかった。
「アウルの魔法で王国に壁を作りたい」
静寂を破ったのはラルフレッド。
「ダメです」
しかし、ルーミィは一蹴した。
決して否定しない公爵夫人が公爵を否定したのだ。
「あの子を危険な目を遭わせることに反対いたします」
「危険は及ばない……とは言い切れないが、最善を尽くす。ルーミィとの勉強のおかげで、アウルの魔力コントロールは完璧だ。公爵領に居ながらでも魔法壁を張れると確信している」
ルーミィがチラッとジエスに目を向ける。
「王族に勘づかれる可能性は? 先日、ジエスから指摘されました。アウルの魔力はあまりにも膨大で特異だと」
「分かっているさ。もちろん俺がカモフラージュする。それに、これは悪い話ではないんだ」
指を組んでいたラルフレッドが姿勢を正した。
「アウルの魔法で魔物の襲撃を防ぐことができれば、聖女は不要だと立証できる。ルーミィを脅した無礼な小娘を排除する確かな理由になる」
「……プリムラ嬢ですね」
プリムラ・ゴルディーロ男爵令嬢。
次期聖女候補として、ゴルディーロ男爵家の養女となった転生者だ。
過去には単独で公爵家を訪れ、ルーミィと対面し、「ラルフレッドと離縁しろ」と迫ってきたことがある。
「問答無用で男爵家ごと潰すことも可能だが、教会の後ろ盾があって下手に動けないんだ。今日まで立派に役目を果たしてくれた聖女殿に早く楽をさせたい気持ちもある。分かってくれ、ルーミィ」
「どうしてアウルなのですか。他にも沢山、魔法使いはいらっしゃるはずです。まだ成人もしてない子を利用するなんて、あんまりです」
ルーミィは意見を曲げない。
他でもない愛息子のためなら氷の宰相が相手でも食い下がる所存だった。
「仮にアウルの正体と闇魔法の使い手だという事実が明るみになったとしても、国を守っていたのがアウルだと理解すれば、おのずと見方は変わる」
「……それが逆にアウルを闇落ちさせるきっかけとなる可能性はありませんか? 過程は違えど、結果は同じになってしまいます!」
ルーミィは過去にプリムラから、自らの手で夫を殺めると告げられている。また、義息は家庭環境の複雑さと不遇な扱いにより闇落ちしてしまい、継母を処刑するとも予言されていた。
同じ転生者でも乙女ゲームの世界である今世を知り尽くしているプリムラと違い、全く知識がなく未来を見通せないルーミィの不安は計り知れない。
一寸先は闇。
自分の言動で、選択一つで、アウルの未来が変わってしまうと思うと怖くて仕方がなかった。
膝の上に置いたルーミィの拳が震えていることにラルフレッドが気づかないはすがない。
おもむろに立ち上がったラルフレッドはルーミィの隣に座り直し、きつく握り締める拳を包み込んだ。
「ルーミィの育て方は間違っていない。俺が断言するよ。だけど、いつも最善とは限らない」
「………………っ」
「この屋敷はアウルにとって狭すぎる。今はいいが、あと2年もすれば魔力は更に膨れ上がるだろう。そうなった時、高確率で暴走する」
「ではっ、どうすれば……っ」
奥歯を噛み締め、唸るような声で告げるルーミィの頭を抱き寄せた。
「我が国の国土は随一だ。この規模を守護するとなれば、よほどの猛者でなければ不可能。だから、聖女とは貴重で人々から尊敬され、畏怖されるのだよ」
「その役目をアウルに任せるなんて。あの子はまだ7歳なのに」
「ルーミィが魔法の基礎を一緒に学んでくれたから、こんな無茶な提案ができるんだ。俺がしっかりと魔法の応用を教えて道を外さないようにする。俺にも父親らしいことをさせてくれないか」
「……そんな言い方、ずるいです」
ラルフレッドの服の袖をぎゅっと握り締めた。
アウルを心配するルーミィの気持ちは痛いほどラルフレッドに伝わっている。それでもアウルにとってこの手段が最善だと判断したからこそ、意見を曲げるつもりはなかった。
「アウルは闇皇子にはならないよ」
「どうして、そう言い切れるのですか……?」
「俺たちの子だよ。ルーミィがこんなにも深く愛してくれているのに心が闇に浸食されるなんて。そんなことになったら俺がぶん殴ってでも連れ戻すさ」
ラルフレッドがルーミィの額にキスを落とす。
いつもなら暖かい気持ちになって、心が満たされて、もっと触れて欲しいと思えるのに、今日は気持ちがざわついて落ち着かなかった。
「愛してる。信じ切れない気持ちも分かるが――」
「わたしもお慕いしています。信じていないわけではないのです。……ただ怖くて」
「ルーミィが俺を殺めるかもしれないことが? それとも、アウルが闇皇子になることが? あるいはアウルに処刑されることが?」
「あの子に嫌われることが、です」
ラルフレッドは意表を突かれた。
ルーミィの中でラルフレッドとアウルの存在はとてつもなく大きい。
これまで実家の伯爵家で蔑ろにされ、孤独を感じていたルーミィにとって本当の家族は彼ら2人と、公爵家に仕える使用人たちだけだ。
プリムラによって最愛の夫を殺し、愛息子に処刑される未来を示されている身ではあるが、その未来を迎える前に2人に嫌われ、捨てられることが怖かった。
そう思ってしまうほど、ルーミィにとって今の生活は充実していて、幸せを噛み締めながら生きていた。
「今だってラル様に反論して、嫌われるんじゃないかって……っ」
「本当にきみは」
ラルフレッドの肩に頭を乗せた姿勢で声を振るわせているルーミィが吸い込まれる。
分厚い胸板の奥ではラルフレッドの心臓が力強くルーミィの頬を押し返していた。
「俺がルーミィを嫌いになるはずがないだろ。むしろ、何の意見をされず、『はい。分かりました。どうぞ、ご自由にしてください』って言われる方が辛い」
「……ラル様」
ラルフレッドの背中に手を回す。
離さないように、離されないように――
「アウルもルーミィを嫌いになるなんてことは絶対にない。知っているかい? 最近は俺の部屋に来て、ルーミィと過ごす日々を事細かく教えてくれるんだ。俺はそれを聞くのが細やかな楽しみでね。ついつい長話してしまう」
「そ、そうなのですか? 知りませんでした」
「これは秘密にしてくれよ。男同士、レディには知られたくないことの一つや二つある」
「まぁ。わたしの知らない所で語り合っていただなんて。なんだかジェラシーです」
「それは、どっちに?」
「……どっちにも、です」
どちらともなく瞳を寄せ合い、やがて視線は一つに絡まり合った。
◇◆◇◆◇◆
ラルフレッドの指南を受けたアウルは手始めに一番堅固な土地に魔法壁を張った。
現聖女――グランマにも実際に会って、手解きを受けた。
聖女のやり方とは違っても、コツを掴むには十分な指導を受け、闇の魔法使いでありながら聖なる力にも匹敵する魔法壁を作り上げることができた。
まだ成人もしておらず、魔導士でも、騎士でもないアウルが国の防衛を一手に引き受けている事実を知るのは極々少数で、現国王ですら知らされていない。
全ての情報操作はラルフレッドが行い、徹底的に守秘するつもりだったが思いがけない誤算があった。
歴代で最も長く聖女を務めたグランマは教会に自由に出入りできる稀有な存在で、アウルの正体を隠すためにも一役買ってくれたのだ。
加えて、ルーミィから聖女候補の行いと目的を聞いたグランマがプリムラを優遇するはずがなく、教会内でのプリムラの立場は危ぶまれることとなった。
元来、光魔法を扱う聖女と闇の魔法使いは反発し合う者とされているが、グランマはアウルを実の孫のように可愛がってくれた。
アウルが闇属性の魔力を持つと聞いた時こそ動揺を隠しきれずにいたが、差別することも忌避することもなく、むしろ積極的に関わってくれた。
家族ではない聖女が平等に接してくれるからこそ、アウルはありのままの自分を受け入れることができて、以前のように塞ぎ込むことはなくなった。
聖女として生涯独身を貫いたグランマにとってルーミィとラルフレッド夫妻は若き頃に憧れていた姿そのもので、アウルは王国の未来を担う希望だ。
だからこそ、アウルに聖女の役目を押し付けることが心苦しく、命が事切れる寸前まで謝罪していた。
「安心してよ。グランマが守ってきた国はボクが守るから。重荷だなんて思ってないよ」
アウルのその一言でグランマは安らかに息を引き取り、アウルは初めて他人を想って涙を流した。
初めての別れを経験し、グランマの意思を継ぐと固く誓ったのはアウルが8歳になったばかりの出来事だった。
◇◆◇◆◇◆
懐妊に伴い、ルーミィが屋敷の中に篭りがちになった頃、一通の手紙が届いた。
上等な羊皮紙にブルーのインクで書かれた手紙の送り主は王立魔法学園の学園長。
アウルへの入学許可証が早くも届いてしまったのだ。
「……まだ8歳なのに」
苦々しく呟くルーミィに侍女たちも眉を下げた。
今のところアウルが闇落ちする気配はない。しかし、王立魔法学園に入学すれば、プリムラと出会い、深い仲になってしまうかもしれない。
だが、万が一にもアウルがプリムラに惹かれ、恋仲になるのなら親として反対はしたくなかった。
そんな葛藤を繰り返すルーミィに告げられた言葉は衝撃的なものだった。
「ボクは魔法学園には行きません。騎士になります」
「…………ふわぁ……っ」
「お、奥様⁉︎」
めまいを起こし、ふらつくルーミィを必死の形相で支える侍女たち。
ルーミィのお腹の中にいるのはラルフレッドとの子で公爵家の正当継承者だ。ルーミィの体は何よりも優先されるべきである。
「き、騎士⁉︎ 魔法使いで騎士⁉︎」
「ジエスだって魔導騎士です。実際にすでに師事しています」
「なっ⁉︎」
魔導騎士とは、魔法と剣技の両方を兼ね備える特別な騎士の名称だ。
ルーミィが勢いよく振り向くとジエスは悪びれも無く「聞かれませんでしたので」と一礼した。
「ボクはお母様の居るこの屋敷で全てを学びます。どこにも行きません」
「……そ、そんなこと。本当に良いの? 学園の方が同年代のお友達もできると思うけど」
「必要ありません」
ぴしゃりと言われてしまっては反論の余地がない。
体を案じる侍女たちによってルーミィが私室に連れ戻されてから、アウルは勝手に入学辞退の返信を送ってしまい、王立魔法学園への入学は白紙になった。
ルーミィの懐妊によって一番大きく変化したのはラルフレッドだ。
これまで仕事一筋だったラルフレッドは部下を頼るようになり、少しでも早く帰路につけるようにスケジュール管理するようになった。
また、ルーミィの食べられるものが限られた際には隣国まで出向き、口当たりの良いフルーツを買ってきたり、体を冷やさないようにストールを自作したりもした。
それから1年と経たずにルーミィは立派な女の子を生んだ。
名前はルナマリア・シュバルナ。アウルにとって義妹となる子だ。
産後、ルーミィは実子を心から愛したが、決して義息を蔑ろにすることはなく、寂しさを感じさせることなく子育てを続けた。
そして、遂にプリムラに予言された日から10年後。
ラルフレッドは健在で、アウルは闇皇子にならず、幸せな家庭を築いた。
同時期に何故か最も危険とされる辺境伯領の防衛が魔物によって破られたのだが、国内有数の魔導騎士となったアウルが過去に作成した魔法壁の上から重ねがけしたことで魔物の侵攻を完璧に防ぐことに成功した。
「ルーミィの耳に入れておきたいことがある」
「なんでしょう」
「プリムラ・ゴルディーロのことだ」
ラルフレッドから出た人名に心臓が跳ねる。
この10年、忘れたくても忘れられず、ずっと頭の片隅に居座り続けた少女の名前だ。
「あの者はアウルが王立魔法学園に入学しなかったことで発狂し、講堂で騒ぎを起こした」
呆れて言葉が出てこなかった。
他の高位貴族もいる中で乱心するなんて、とルーミィ。
「それに、こんなことも叫んでいたらしい。『アウル様の辺境伯領防衛イベントだけはなんとしても』と」
「……はぁ。一体、何のことでしょう」
「先日の魔物侵攻の首謀者こそがプリムラ・ゴルディーロだ」
「えっ⁉︎」
ラルフレッドと今は亡きグランマによって行動を制限されていたプリムラは、シュバルナ公爵家に近づくことはできず、アウルに関しても他言できないように箝口魔法も施されていた。
そんなプリムラが、アウルが闇皇子にならず、学園にも入学せず、闇魔法を極めているという情報を得る手段はなかった。
だからこそ、最後の望みをかけて強制的にイベントを発生させるべく、辺境伯領の防衛ラインを破壊した。本来、人々を守るべき聖女の力を私利私欲のために行使したのだ。
結果的に甚大な被害は出なかったが、国家反逆の罪人としてプリムラは拘束され、処遇は目下検討中となっている。
彼女の実家であるゴルディーロ男爵家においても、義娘の名を使って私欲を肥やしていたことが発覚し、廃爵が確定していた。
「そんなことが起こっていたなんて」
「ルーミィが気に病む必要はない。アウルの正体を隠し通し、あの子の自尊心を満たし続けてくれたからこそ、あんなにも立派な息子に成長してくれたんだ。俺の誇りだよ」
そう言って手の甲にキスを落とすラルフレッドにルーミィは頬を染めた。
出会って、結婚してすでに10年が経過しているのに、未だに一挙一動にドキドキさせられる。
「あとはアウルが公爵家次期当主として領地経営と宰相補佐の仕事に励んでくれれば良いんだが……」
目下の悩みに眉間をほぐすラルフレッドの姿にルーミィは笑ってしまった。
「アウルは魔導騎士団の団長を目指すのではありませんか? 王立魔法学園への入学を辞退してでも目指した道です。ジエスの推薦もあれば、いずれは抜擢されるでしょう」
「少し自由に育て過ぎたかもしれないな」
「ふふっ。好きなことに一生懸命になれるのは何よりも素敵なことだと存じます」
しかし、ルーミィの思惑通りにはいかなかった。
それは家族全員が揃っての夕食時だ。
「お母様は勘違いされているようですが、ボクは騎士団には属していませんよ」
今では立派な美丈夫となったアウルが熱い視線を送りながら告げる。
「そうなの?」
「はい。父上には申し訳ありませんが、公爵領を治めるつもりも宰相補佐の職に就くつもりもありません。あと、魔法壁も撤去するつもりです」
ルーミィはフォークを落とし、ラルフレッドはあごが外れそうなくらい口を開けて硬直している。
ただ唯一、アウルの義妹であるルナマリアだけがクスクス笑っていた。
「ボクが魔導騎士を志したのはお母様をお守りするためです。学園に入学しなかったのはお母様と過ごす時間が惜しかったからです」
「そんな理由で……?」
「ボクにとっては死活問題ですから。これから先も婚約者は不要です。周囲にどんな目で見られようとも構いません」
ラルフレッドとしても兄――前王の子であるアウルに結婚を強要するつもりはなかった。万が一にもアウルの正体が露見し、更にその子供がいるとなれば国家を揺るがす問題に発展しかねないからだ。
これが公爵家の息子であるアウルに婚約者がいない理由だった。
「魔法壁はどうするつもりだ⁉︎ そんな勝手が許されると思うなよ。新しい聖女候補を探すのにも時間が――」
「ここにいます」
さも当然のように言うアウルの視線の先ではルナマリアがちぎったパンを口に運んでいた。
「ルナマリアが?」
「まだ微弱ですが、グランマと同じ力を感じます。ルナはいずれ聖女として大成するでしょう」
「……うそ」
驚愕するルーミィとラルフレッドのことなど気にする風もなく、ルナマリアは黙々とパンを食べ続ける。
「これでボクはお母様の護衛だけに心血を注ぐことができます」
「さっきから聞いていれば、ルーミィは俺の妻だぞ」
凍てつく視線がアウルを刺す。
だが、アウルは怯むことなく、不敵に微笑を浮かべた。
「えぇ。そしてボクの母です。血の繋がらない、敬愛すべき女性です」
パンッ! とルーミィの手を打つ音にラルフレッドもアウルも意識を持って行かれた。
このままでは決闘でも始めてしまいそうな勢いの2人を止められるのは、この場でルーミィしかいない。
ルナマリアでは2人を煽ってしまい、逆効果だということを十分理解しているからこその行動だった。
「2人共、お食事の時間ですよ。ルナマリア、スープは音を立てないようになさい」
「はーい、お母様」
間延びしたルナマリアの返事はラルフレッドとアウルの耳に届かなかった。
夕食後、あとは寝るだけとなった時刻。
夫婦の寝室にてラルフレッドはルーミィの前で俯いた。
「ルーミィはアウルのことをどう思っているんだ」
あら、これは重症ですわ。とルーミィが僅かに口角を上げる。
「大切な愛息子です。それ以上でも以下でもありません」
「では、俺のことは?」
「心から尊敬し、死ぬまでお慕いしている、大切な旦那様です」
「ルーミィ。俺も死ぬまで、いいや、死んでも愛している。絶対に来世でも一緒になる」
だから――とラルフレッドがルーミィの耳元で囁く。
「俺を捨てないでくれ」
目を丸くしたのは一瞬。
ルーミィは柔らかく微笑んだ。
かつてラルフレッドとの関係を契約結婚と勘違いしていたルーミィが言ったセリフを今はラルフレッドに告げられている。
そんなに不安にさせてしまっていたのかと気づいたルーミィはラルフレッドを抱き締め、あの時、ラルフレッドが言ってくれた心強い言葉を返した。
「もちろんです」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※前編は↓のリンクから飛べます↓
読者様の応援のおかげで続編を執筆することができました。
自分の書きたいものと寄せられた感想を参考にしたつもりですが、いかがだったでしょうか。
まだまだ別のキャラクター視点でも書けそうなくらい楽しい作品にしていただき感謝申し上げます。
「楽しかった」、「面白かった」と思っていただけたら、ブックマークや、↓の☆☆☆☆☆から評価をいただけるとモチベーションが上がります。
よろしくお願いします。