《☆~ 家を出たアデライード ~》
アデライードは、狭い領地を巡って小賢しい駆け引きをしている兄、そして亡霊になってまで説教をしに現れる父親のように、古い土地や古い考え方に縛られている男どもを軽蔑した。彼らにすっかり愛想を尽かし、それに加えて、退屈な日々にうんざりしているので、もう遠くへ旅立ってしまおうと思う。
夜が明け、威勢よくノルマンディー家を出たアデライードは、深く考えもせずに港を目指した。
船の停泊場に辿り着き、目前に広がる海に語り掛ける。
「ノルマン人は、まだノルマン人に統治されていない土地に侵攻して、自分たちの新しい国を作ってこそ、本当のノルマン人だわ。移動しなくなったノルマン人は、ただの人に過ぎない。あたしにもノルマン人の血が流れているのだから、もっと広い大地に足を踏み出すべきなのよ。ねえ、そうでしょ?」
「そうだよ」
「わあぁ、びっくりしたぁ!!」
人の気配がまったく感じられなかった背後からの声だったので、アデライードが驚愕するのも無理はない。咄嗟に振り返ると、見飽きた馬面がある。
「アンゲラン、どうしてこんな場所にいるの??」
「いや別に」
「さてはあなた、あたしをこっそり追い掛けてきたのでしょ!」
「……」
「図星ね。だってアンゲラン、思惑を見破られると、いつも決まって鼻の下を伸ばすのだから。もう馬面にそっくりどころか、お馬を凌ぐ勢いの鼻の下伸ばし馬面と呼ぶに値する顔面だわ」
「アデライードは、昨日から別人のようだよ。一体どうしちゃったの?」
「どうしたもこうしたもないわ。あたしは、退屈な日々にうんざりして、お家を出てきたの。こうなったからには意を決し、新天地へ向けて船出する!」
アデライードは、背筋を伸ばして海を指差す。
「僕もついてゆくよ」
「えっ、鼻の下伸ばし馬面なのに?」
「酷い。でも好きだ」
「馬鹿な馬面だわ。あなた、婚約破棄されたのよ?」
「そんなの関係ない。僕は、アデライードの身体にいつも密着している小判鮫という魚類のような存在でいたいのだから」
「キモっ!」
「アデライードが僕の顔面を、鼻の下伸ばし馬面と呼んでも構わない。いや、むしろ大歓迎だよ。僕はキミの白馬になって、背中の吸盤をいつもキミの臀部に密着させてあげる」
「うわ、四倍キモっ!!」
「お願いだから、同行を許諾してよ。ずっとキミに密着していたいから」
「キモいのお断り!」
「そんなあ……」
アンゲランは落胆するけれど、次の瞬間、落ち着いた口調で問う。
「船出するにしても、アデライードは船を持っているの?」
「えっ」
「船だけでなく、水夫たち、食料と水、武装なんかも必要でしょ。僕だったら、すべて揃えられるよ。キミ一人で船出できる訳がない」
「確かにその通りね。あたしとしたことが、なに一つ準備していないわ。冷静に考えれば、簡単に分かるはずなのに……」
勢いに任せて行動したので、頭がまったく回っていなかった。
他の手段を思いつかないアデライードは、とても小さな声で答える。
「同行を許諾します」
多少のキモさには目を瞑るしかないと覚悟を決めた。