しりとりの終わりは
K
2件目に選んだ居酒屋では個室でなく、隣りの席のグループとほとんど肩を並べるような窮屈な席に案内された。その安居酒屋を選んだのは誰でもない自分だったし、その点全く文句はない。ツレのシホも全く気にしていない様子だった。ラーメン屋やら焼き鳥屋に足しげく通う俺たちにとってはむしろ居心地がいい空間だった。
シホとは新卒で入社した会社で出会った。同い年の彼女とは同期で、営業成績を競うライバル関係だったが、日頃の愚痴をぶつけ合ううちに飲み友になり社会人二年目に付き合い始めて、今年で6年が経つ。
華奢だがメリハリのある体で、綺麗なストレートの長い黒髪、整った顔立ちの彼女。「どうしてカンタなんだ」と妬み半分の陰口を叩かれるほど彼女は会社で人気だった。シホは何より明るく、誰に対しても歳の差を感じさせない接し方ができる。だから彼女は営業先でも人気で、新規も多いし、得意客を離さない。毎月トップを争う営業成績だし、誠実な仕事をするので上司からの信頼も厚かった。
隣りの席は大学生のグループだった。男二人と女2人。いやでも聞こえてくる会話から女2人が1つ年下の後輩で、バスケサークルの集まりであることが分かった。
シホは隣の席が1人の男のくだらない(少なくとも俺にはそう聞こえた)冗談でドッと沸いた隙を見て俺に耳打ちしてきた。
「ムダイケとムートンとミスキャン。あとそうだなあ、キンギョかな」
これは彼女の特技で、初対面の人物に第一印象でニックネームをつける。今回のは間違いなくそれだ。シホはイタズラっぽくニヤッと笑った。ネーミングが自分の中で合格点だったみたいだ。
確かにネーミングはけっこう的確で、さっき寒いジョークを飛ばしたイケメンがおそらくグループのまとめ役「ムダイケ(無駄にイケメン)」で、さっきからつまらなそうにしているマッチョが「ムートン(無頓着)」、茶髪の巻髪お嬢様が「ミスキャン(ミスキャンパス)」、もう1人のおとなしそうな子が「キンギョ(金魚の糞)」だろう。ほんと失礼なやつ。シホはふだん毒を吐かないから職場の人が聞いたらさぞびっくりするだろう。
俺たちは1軒目の焼肉屋ですでに満腹ほろ酔いで、ハイボールと少しのつまみで淡々と時間を潰していた。
一方、となりの席はしりとりを始めていた。
「しりとりって。場が持たなくて苦し紛れね」とシホが苦笑しながら耳打ちしてくる。
確かに彼らのしりとりはこれ以上盛り上がらない場に最低限の会話を生ませるための苦肉の策のようだった。もっとも、他の席の様子を盗み見て話題にしている俺らは全く彼らのことをバカにできないと思う。もちろん、今日はそんな正論は言いっこなしだ。
ムダイケが始めたしりとりに、とりあえず乗っかったミスキャンとキンギョも、30分もしたら「そろそろ終わりにしない? 」「はやく『ん』で終わろうよ」とうんざりした態度を隠さなくなった。それは察しているだろうに、ムダイケは不毛なしりとりを続けている。ムートンはもはや参加すらしていない。
ミスキャンは途中で席を立ち、長い間席に帰ってこなかった。その間キンギョはムダイケと二人でしりとりを続ける羽目になっていた。キンギョの顔から表情が消えている。
「あるでしょ『め』! まだまだあるよほら考えてっ」
キンギョの顔がムダイケには見えていないのか。ムートンは遠くのスーツを着た社会人集団を眺めていた。シホは俺に口パクで「メバル、メグスリ、メーキング」と「め」で始まる言葉を提案してくる。シホのことだから本当に彼らのしりとりに参加し始めるんじゃないかと嫌な想像をしてしまった。頼むから常識人であってくれよ。
ミスキャンがようやく花摘みから帰ってくると、即座にキンギョとムートンが席を立った。どうやらお開きのようだ。
割り勘の勘定で久々に盛り上がる四人を見てシホが「若いね」と囁いた。少し声が大きかったので彼らに聞こえやしないかとハラハラした。シホはそんな俺の内心にきっと気づいていない。
彼らがいなくなると途端にあたりが静かになったように感じた。
「カンタ、しりとり」
「え」
「しりとり」
シホの大きな瞳が真っ直ぐ俺を見つめていた。イタズラっぽく笑ってみせてくる。確かに俺らの間にも会話は少なかった。別に居心地が悪くなるような沈黙ではないけれど。
「しりとり」もう一度シホが言った。
「しりとり」はいつだってしりとりゲームの始まりの言葉。
リンゴ
ゴリラ
ラッパ
パイナップル
ルーレット
トンボ
ボウシ
一体これまでの人生でこのしりとりの流れをどれだけ繰り返したか、俺は想像をめぐらした。それはこのしりとりと同じくらい意味のないことだと思うけど。
タヌキ
キツネ
ネコ
コネコ(ずるい、とシホからヤジが飛んできた)
シホが「そろそろ出ようか」と言うまで、ぽつぽつとしりとりは続いた。
10月の夜は底冷えする寒さで、コート一枚を羽織らないと風邪をひきそうだった。酒で温まった体に寒暖差が気持ち良かったのは駅へ向かういつもの道のりの最初の5分だけだった。
「リコーダー」
それが居酒屋を出てから彼女が最初に発した言葉だった。
「それ、まだ続けるの」
「やるよ。駅まで」
そうか、続けるのか。
打楽器
桐生
上野
乗鞍岳
乗鞍岳。何年か前、デートで行ったことを思い出した。一年中雪が消えない綺麗な湖があったっけ。
気仙沼
なんとなく二人で出かけた場所で縛ってみた。
前橋
彼女は無反応で縛りに乗った。
静岡
加賀
巌流島
松ヶ崎
金閣寺
「き」が咄嗟に出ずにさらっと地名以外を言ってみた。ちらっとシホを見るが彼女はこちらを見ずに黙々と歩いている。
デートの時、シホは俺のすこし先を歩いた。
「私はね、テレビのリポーターになりたかったの。会社員じゃなくてね。自分で景色を見て、誰かに伝えたいの。私があなたより先に歩けばいち早くあなたに先のことを伝えられるでしょ? 」
もちろんそれは彼女なりのジョークだろう。少しせっかちな性格だからなのか、長女だから引っ張っていきたい性格だからなのか、とにかく彼女は滅多に俺と並んで歩いてくれなかった。
駅はもう直ぐだった。
「あいかわらずこの辺は街灯がないな」
長野県小諸市。俺らの生活する街はドがつく田舎だった。夜は街灯がなく真っ暗に近い道もざらにある。
「こんなとこ、女1人で歩くんじゃないぞ」
「うん。気をつける」
シホは振り向いて少し微笑んだ。ストンッと心が落ち着いた。シホのどこが好きと聞かれたら、月並みだがやっぱり彼女の笑顔と答える。「ニッコリ」というより「ニカッ」と表現する方が近い、屈託のない少女のような笑顔は、会社では見れない。限られた人にしか見せない特別な表情だった。
上越
駅が見えてきても、彼女はまだしりとりを続けた。上越。海が見たい彼女と山を登りたい俺。海に行くか山に行くかを決めるじゃんけんでシホが勝ち、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでたのを思い出した。
「ツンベアー」
俺の変化球に、シホが 驚きの表情で振り向いた。
「ツンベアー?」
「そう、ツンベアー。今やってるゲームの中のキャラクター」
そんなのなし! と抗議されるかと思った。いつものようにむくれっつらで二の腕を小さい拳でパンチしてくるかも。
「そっか」
でもシホはそれだけ言って俺に背を向けてしりとりを続けた。
会津大塩
渋い。福島の駅名。あそこはここに負けず劣らず田舎だった。どうしてあそこに行ったんだっけ? 思い出せない。とにかく試合は続くようだった。
「お」がなかなか思いつかないまま、駅に着いてしまった。いつもより意識してゆっくり歩いたのに、もう着いたのか。古びた駅舎を見上げて、ふとこの駅名を思い出した。
乙女
言ってしまってからハッとした。でも遅かった。彼女の意図がなんとなく分かってから、俺は意識して「め」で彼女に返すのを避けていた。反射的に言ってしまったことを後悔する。
彼女は駅舎を背に俺と正面から向き合っていた。今日の風は本当に冷たくて、少しいつもより強い。彼女が羽織るロングコートがパタパタとはためいている。彼女の高い鼻の先は真っ赤。それでも彼女は俺をまっすぐに見て、時が止まったように 微動だにしなかった。
彼女が次に言う地名が俺にはわかった。わかってしまった。
「なあ、シ–––」
メルボルン
俺の言葉を遮って彼女は静かに言った。
「メルボルン」
俺は反復した。
「うん、メルボルン」
メルボルンか。
「終わったね」
シホは言った。
「終わったな」
「ん」で、終わった。
今日が2人きりで会う最後の約束だった。
実に俺たちらしかった。
「しりとり」で始まるいつもの流れは、いつかは「ん」で終わる。
「じゃあ、また会社で」
「ああ、また」
月曜の朝はいつも通り「おはよう」と彼女に挨拶をする。お互い当たり障りのない会話をする「ただの同僚」に戻るだけ。
シホは躊躇いなく改札に向かって歩いて行き、いつも通りさっとこちらを振り返って俺に手を振った。どうしてだろう、あれほど覚悟していたのに、こんなに苦しい。今までのデートで、この改札で、彼女にあの表情で手を振られた回数を無意識に考えた。もちろん、回数なんて覚えていない。
「そこまでいつも通りじゃなくていいのに」
今日いくつも皮肉を言った彼女への、今日唯一の俺の皮肉だった。
S
2件目に選んだ居酒屋では個室じゃなくて、隣りの席のグループとほとんど肩を並べるような窮屈な席に案内された。その安居酒屋を選んだのはカンタだけど、私もその点全く文句はなかった。ラーメン屋やら焼き鳥屋にしょっちゅう通った私たちにとってはむしろ居心地がいい空間だった。
カンタとは新卒で入社した会社で出会った。同い年の彼とは同期で、営業成績を競うライバル関係だったけど、カンタは毎月大体営業成績1位で私の少し上をいく。あるとき「どうしていつも『少し』私の上なのよ」とおもわず愚痴をぶつけると、真面目な彼は色々と相談に乗ってくれるようになり、飲み友になった。アドバイスのような上から目線じゃないのが、彼の好成績の秘訣だと勝手に思っている。社会人2年目に付き合い始めて、あっという間に6年が経った。
決して高身長じゃないけど、すらっとして無駄のない筋肉質な彼。「どうしてカンタなんだ」と妬み半分の陰口を叩いていたのはほとんど男子だった。ほんと分かってない。本人は自覚していないみたいだけど、彼は密かに会社の女子の中では人気だった。たしかに顔は平凡だけど、そんなことどうでもいいくらい彼には魅力がいっぱいあるのだ。彼と付き合っていることが私にとっては自慢だった。
隣りの席は大学生のグループだった。男2人と女2人。聞こえてくる会話から女2人が1つ年下の後輩で、バスケサークルの集まりであることが分かった。
無駄にイケメンな男子の冗談でドッと沸いた隙を見てカンタに「ムダイケとムートンとミスキャンと、あとそうだなあ、キンギョかな」と耳打ちした。
彼らになんとなくこの場を土足で荒らされたような気がしてイライラしていたから、いつもより悪意あるニックネームになったけど、ネーミングは合格点だ。よしよし。
カンタにはなんでも言えるし、気の置けない仲だけど、職場では私は「いい子」だった。誰からも嫌われまいと猫を被っている。本当の私は几帳面でもなければ社交的でもない。機嫌が悪い時には誰とも話したくないし、パワハラ上司の悪口だって言いたい。そんな一面を誰にも打ち明けられない自分が嫌いだった。
「ほんとは『いい子』じゃないな、シホさんは」
入社半年後、どうしてもカンタに勝てず「どうしてあんたが新規取れるのよ」と思わず本人に文句を言った時にそう言われてドキッとした。でもカラッとした笑顔だったからなんとなくこの人は大丈夫と思ってしまった。
カンタは一軒目の焼肉屋ですでに満腹ほろ酔いだった。彼は私よりお酒に弱い。私は彼と同じペースでお酒を頼んで酔わないようにしていた。ここでもカンタと同じハイボールをちびちびと飲んで時間を過ごした。
一方、となりの席はしりとりを始めていた。
「しりとりって。場が持たなくて苦し紛れね」とカンタに苦笑して耳打ちする。
でも、私たちは彼らより先に話題が途切れているから、今のはちょっと皮肉だった。
ムダイケが始めたしりとりに、とりあえず乗っかったミスキャンとキンギョも、30分もしたら「そろそろ終わりにしない? 」「はやく『ん』で終わろうよ」とうんざりした態度を隠さなくなった。
それを察しているだろうに、ムダイケは不毛なしりとりを続けている。よっぽど女子2人と話すのが楽しいのだろう。いや違うな、ムダイケが本当に狙っているのは間違いなくキンギョの方。さっきからキンギョに向けた声のトーンの方が微妙に高いし、顔を向ける回数も多い。ムートンはムダイケが数合わせに連れてきたか、それともムダイケがミスキャンと共謀してお互いに意中の相手を連れてきたか。こそこそ観察しているとなんとなく後者だろうと思った。ミスキャンがちらちらムートンの反応を気にしている。
ムートンがそっぽを向き続けていると諦めたのか、ミスキャンは途中で席を立ち、長い間席に帰ってこなかった。その間キンギョはムダイケと二人でしりとりを続ける羽目になっていた。キンギョの顔から表情が消えている。
「あるでしょ『め』! まだまだあるよほら考えてっ」
あーこれは脈なしだなあ。会話がしりとりというのもダサいけど、1番はムダイケの勘のなさが問題かな。
私はカンタに口パクで「メバル、メグスリ、メーキング」と「め」で始まる言葉を提案した。それとなくキンギョたちに伝えてみようかと意地悪なことも考えたけどやめた。流石にちょっと大人気ない。
ミスキャンがようやく花摘みから帰ってくると、即座にキンギョとムートンが席を立った。割り勘の勘定で久々に盛り上がる四人を見て少し呆れた。ここはムダイケ、君が多めに出すべきだろう!
「若いね」と彼らの盛り上がりに負けないような少しボリュームの大きい声で耳打ちする。「私たちはベテラン」感を出しちゃったかとほんの少し恥ずかしくなった。でも、カンタは彼らに聞こえてるか気にしているだけだったので一安心した。
彼らがいなくなると私たちの席に会話がほとんどないことが浮き彫りになった。
でも、いい。今日はそれで。
「カンタ、しりとり」
「え」
「しりとり」
彼は困惑している。
「しりとり」もう一度繰り返す。
「しりとり」はいつだってしりとりゲームの始まりの言葉。
リンゴ
ゴリラ
ラッパ
パイナップル
ルーレット
トンボ
ボウシ
カンタとしりとりをやったことあったっけ。誰とかはわからないけど、知ってる流れだった。しりとりって誰とやっても大して変わらないのかな。
タヌキ
キツネ
ネコ
コネコ(ずるい、と抗議してみた)
「そろそろ出ようか」
何がきっかけとかじゃなく、切り出した。時計は見ていないけど、いつも解散している時間になったことを感覚が教えていた。
ああ、あともう少し–-–。
10月の夜は底冷えする寒さで、コート一枚を羽織らないと風邪をひきそうだった。酒で温まった体に寒暖差が気持ち良かったのは駅へ向かういつもの道のりの最初の5分だけだった。
「リコーダー」
なんとなく私からしりとりを再開してしまった。ほんとはもっと、話すべきことがある気がする。・・・「話すべきこと」ってなんだろう?
「まだ続けるの」
「やるよ。駅まで」
そうか、自分でもわからないんだ。
打楽器
桐生
上野
乗鞍岳
乗鞍岳。何年か前、デートで行ったことを思い出して切り出してみる。
気仙沼
カンタが2人で出かけた場所で縛ってきてちょっと胸がフワッとした。分かってるじゃん。
前橋
そんなふうに思ってるのを悟られないように感情を隠しながら縛りに乗った。
静岡
加賀
巌流島
松ヶ崎
金閣寺
ふふふ。相変わらず地名に弱いな。半年前くらいに行った「木更津」があるじゃないか。とっても大きいアウトレットで一日中歩いてくたくたになったのを忘れたか!
やばい、ちょっと楽しいかも。
カンタは、私が指摘しないか気にしてちらっと見てくるが、私は気づかないふりをした。私たちが向かわなくちゃいけない方向から逸れるわけにはいかない。どうしても。
デートの時、私はカンタのすこし先を歩くのが好きだった。
「私はね、リポーターになりたかったの。会社員じゃなくてね。自分で景色を見て、誰かに伝えたいの。私があなたより先に歩けばいち早くあなたに先のことを伝えられるでしょ? 」
なんて以前カンタに言ったことがあるけど、それは半分冗談で、半分本気だった。私は学生のころ本当にテレビで世界各地を飛び回るリポーターになりたかった。画面ごしの誰かに、その人が言ったことのない世界の感動を届けたかった。カンタの先を歩くのは、どうしてか彼と並んで歩いていることにソワソワしちゃうからだけど。
駅はもう直ぐだった。
「あいかわらずこの辺は街灯がないな」
カンタが呟いた。長野県小諸市。私たちの地元はドがつく田舎だった。会社が大した住宅手当と通勤手当を出してくれないのでこの街から出られない。特に不自由はないし、私は都会より田舎が好きだからいいけれど、カンタは都会暮らしがいいと常々言っている。列に並ぶの、すごく嫌いなくせに。
「こんなとこ、女1人で歩くんじゃないぞ」
なに言ってるんだ、と思った。
俺が一緒じゃなくなったら、って意味でしょ?
「うん。気をつける」
振り向いて少し微笑んでみせる。いつも通りの素直な私に見えるように。
上越
駅が見えてきても、私はムダイケみたくしつこくしりとりを続けた。
上越。海が見たい私と山を登りたい彼。海に行くか山に行くかを決めるじゃんけんで私が勝って、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだのを思い出した。
「ツンベアー」
カンタがなんて言ったのか分からなくて、思わず振り向いてしまった。
「ツンベアー?」
「そう、ツンベアー。今やってるゲームの中のキャラクター」
なんだそりゃ、と呆れた。いつものようにパンチしてやろうか。でも、やめた。彼の意図がわかったからだ。その手には乗るかっ。
「そっか」
私はそれだけ言ってカンタに背を向けて続けた。
会津大塩
渋いだろ。近くの鶴ヶ城をぶらぶらしてとても楽しかった。私はアウトレットとか、テーマパークよりお城とか神社とか、静かな観光地が好きだった。温泉宿でのんびりするのが最高! 楽しかったなあ。
カンタがしばらく黙っている。私の狙いに気づいたか。いや、本当に悩んでいるのかもしれない。
「やめよう」、って言ってくれないかな。
乙女
そんな祈りは虚しく、彼は言った。思わずって感じだった。あーあ。
私は駅舎を背にしてカンタと正面から向き合った。
今日の風は本当に冷たくて、少しいつもより強い。私が羽織るロングコートがパタパタとはためいた。鼻がとっても冷たい。カンタの鼻も真っ赤になっている。でもそれよりも目が真っ赤。私が大好きな彼のクリっとした青年のような澄んだ目に吸い込まれそうになる。
時が止まったような気がした。
もう止まれないな。
「なあ、シ–––」
彼は止めようとした。
メルボルン
カンタの言葉を遮って、私は宣言した。
「メルボルン」
カンタが反復した。私の意志を確認するように。
「うん、メルボルン」
私ははっきりと繰り返した。
それは私たちにとって初めての海外旅行先だった。
ずっと前からオーストラリアに行ってみたかった私は、付き合った頃からカンタにオーストラリア旅行をせがんでいた。カンタは都会のシドニーに行きたがっていたけど、私はオーストラリアの文化が色濃く残るメルボルンに行きたいと駄々をこねた。二人して連休を取れるタイミングはほとんどなくて、やっと夢が叶ったのはつい1年前だった。
夜のクイーンビクトリアマーケットの人混みで、私はこの関係が続かないんだろうなと思った。本当に突然で、天からの声が聞こえてきたような感覚。でも、私はその時「ああそうか」と納得してしまった。あとで彼にそのことを話したら、同じ場所で同じことを思っていたことが分かった。彼はびっくりしていた。私はそのあと独りでめそめそ泣いた。
「終わったね」
「終わったな」
私とカンタは確認し合った。
2人きりで会うのは今日で最後にしようと言ったのはカンタだった。
だらだらと関係を続けてちゃいけない。カンタはそうは言わなかったけど、そう思っていることは手に取るようにわかった。彼はそれほど長くとなりに居たんだな。
3日前、彼に別れを切り出されても、ああそうかと納得した。
やっぱり私たちはあのメルボルンで終わっていたんだ。
「しりとり」で始まるいつもの流れは、いつかは「ん」で終わる。
しりとりのように始まった私たちの「ん」は今日だった。
「じゃあ、また会社で」
改札の手前で、私は会社の同僚シホとして挨拶した。もうカンタの彼女シホじゃない。サバサバじゃなくて、誰にでもする愛想のいい口調。
「ああ、また」
そんな私に彼は気づいただろうか。
私はカンタの視線を振り切るように改札に向かって歩いていた。絶対振り返らないと決めていたのに思わず振り返ってしまう。そこには悲痛な面持ちのカンタがいた。
そんな顔しないでよ。別れを切り出したのはあなたじゃない。ほんとにいつも勝手ばっか言って。
---でも、会社では全く愚痴や周囲を困らせるようなことを言わないあなたが私にだけわがままを言うのがちょっと嬉しかったんだ。
じゃあね。
私たち以外誰もいない改札で良かった。今の顔は誰にも見られたくない。これまで彼にだけ見せてきた私の顔を、最後にもう一度だけ彼に向ける。
「そこまでいつも通りじゃなくていいのに」
と彼は思うだろうか。
はじめまして、ろくまると申します。
社会人になり気付けばもう10年が経過しようとしています。
大学で文芸サークルに入り、仲間同士で拙い小説を講評し合った時間を思い出しながら、ずいぶん久々に筆を取ってみました。
「あの時からずいぶん周りが変わったのに自分はほとんど変われていないんじゃないか」という不安が書き上げた文章を読み返して余計に大きくなりました笑
変わったのは、文章力が衰えたことぐらいでしょうか。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます。
ずいぶん久々の執筆だったので、学生時代にもよく書いていた一人称視点で男女の別れの一場面を表現してみました。本当に拙い文章ですみません。
今後もぽつぽつと書いていきたいと思っています。もしよろしければ、またページを開いていただければ幸いです。