7、呪われし一族
マレーテの中にふと、ある疑問が浮かぶ。
「ちょっと待ってください。じゃあゼト大公家は? アルテナ王女の子孫ということになっていますよね」
「はい、間違いなく私はアルテナ王女の直系子孫です。王女が魔王の元へ送られた二十年余り後、彼女の息子がバルア国王を訪ね、《常闇の森》とその周囲を大公国領とする正式な誓約を結び、初代ゼト大公となったと伝えられています」
「ではアルテナ王女には、魔王の元へ向かう以前に子供がいたということですか? そもそもアルテナ王女とその息子の初代ゼト大公は有名ですけど、王女の夫に当たる方については聞いたことが……」
少し考えてから、マレーテは恐ろしい想像にたどり着く。
「まさか……」
「その通り。アルテナ王女は魔王に命は取られませんでした。代わりに魔王の慰み者となり、異形の子を産むことになった……。つまりそれがゼト家の呪いです。私は人でありながら、この身に魔王の血を引いているのです」
感情のこもらぬ声で語られたとんでもない告白に、恐怖するよりも信じ難さで、マレーテは目の前の男を見つめていた。
アトランはメイドのルネが誇らしげに語っていたように、まあ美丈夫ではあろうが、取り立て目立った特徴のない人だ。せいぜい暗緑色の瞳が珍しいくらいだろう。彼が魔王の末裔などと言われても、ピンとこなかった。
「この姿では信じがたいかもしれませんね。私も物心ついてからは人間の姿を保てるようになりましたが、ゼト家の長男は必ず異形の化け物として生まれてきます。私を産み落とした時、母は泣き叫び錯乱したそうです。……そしてその生涯で、ただの一度も私に触れることはありませんでした」
アトランの言葉で、彼の母親はもうこの世にいないことを察する。
「どうか、これから目にする物を怖がらないでください。……無理な相談かもしれませんが、けっしてあなたを傷つけることはないとお約束します」
言って、アトランは右手に付けられた黒い手袋を引き抜く。そういえばアトランは外でも屋内でもずっと手袋をしていて、素肌をさらしたことはなかった。
現れたのは真っ黒な肌――いや、漆黒の毛足に覆われた手だった。節くれだってはいるが、長い指は人間の形状とそう変わらない。ただし明らかに人間のものとは違う、固く厚みのある黒い爪が生えていた。その形は鋭いかぎ針のようであり――。
そこでマレーテは「あっ」と、息を飲んで頬を押さえた。
その形には見覚えがあった。自分は確かにあの爪に頬を撫でられている。頬にまざまざと冷たい無機質な感触が蘇る。そして人間にも普通の獣にも在らざる、あの禍々しい巨大な影の記憶も。
「……あれが、あなただったのですね」
「この手を除き、普段は人の姿を取ることができます。でもどちらが真実の姿かといえば、あの異形の方が本性なのかもしれません」
ようやく納得がいって、マレーテはほぅっと息をついた。
「そうか……そういうことだったんですね……」
「怖くはないのですか?」
視線を上げれば、アトランは裁きを待つ罪人のような表情でこちらをうかがっていた。アトランの方がよほど怯えているように見える。
「それはまぁ……怖がらないでと言われたので」
そんなことよりも、ゼト家にまつわる話が気になった。
「それで話の続きは?」
「あっ、はい……」
促すと、わずかに虚を突かれた様子でアトランは話を続けた。
「――それで今朝は森の中であなたが魔獣に襲われたり、追われて断崖から落ちたりでもしたらと焦るあまり、後のことを考えていませんでした。移動するには、騎乗するよりあの姿が一番早いので。……結果的に何よりも怖い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
本気で後悔しているのか、アトランは肩を落としている。
「いいえ。むしろ好意をふいにしたあげくに、ご迷惑までかけてしまい、こちらこそ申し訳ありませんでした」
アトランの暗緑色の瞳が大きく見開かれ、なぜか感嘆するような表情を自分に向けてくる。
「……あの、本当に怖くないのですか?」
「もちろん、最初にあのお姿を見た時は怖かったですよ」
「え? あっ……」
正直に答えると、見張られた瞳が驚きにたじろぐのがわかり、思わずマレーテは小さく笑う。
「ただ今は事情がわかって安心したので、怖くはありません」
あの姿になると正気を失うならともかく、今も、そして森で遭遇した時も、彼が理性の下で行動していたことはもう知っている。そう答えても、アトランの表情は晴れなかった。
「ですが真の姿を見た女性たちは、誰もが恐怖し私を拒みました。……母のように」
「ああ、それで……」
アトランの婚約者候補だったご令嬢たちは、あの姿を見せられて恐怖で泣き叫んでいたのだ。深窓のお嬢様たちに対し少々やり口は手荒だが、不利な条件を隠さない辺り、いかにも誠実なアトランらしいとも思った。
「でも大公様は普段人間の姿でお過ごしですよね? そこまで大きな問題とも思えませんけど……」
「花嫁の資格を持つ女性たちは、アルテナ王女の身に起こった真実を教えられています。王女に無理やり子を産ませた魔王の子孫を前にすれば、嫌悪をもよおすのも無理もありません」
アトランがずっと沈痛な面持ちをしていた理由を、マレーテはようやく理解した。
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