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8.森に遊ぶ

 森へと続く小道の前で降ろしてもらい、私たちはそこから歩いて森に向かった。


「森の奥に『扉』と呼ばれる場所がある。特殊な鉱石を組み込んだ魔法円で、神官が霧を呼ぶと発動するものだ」


 蜂蜜色の髪をなびかせ、ファーリースが説明する。


「君たちはそこから来た」


 来た、とは。


 私の心のわななきを感じ取ったのか、ファーリースは渋い顔でもそもそと弁解した。


「いや、この言い方は適切ではないが……。つまり、そこが君の元いた世界とつながっていて、君はそこから帰ることが出来るということだ」

「霧はどうするの?」


 今の話だと『扉』とやらは、あの忌まわしい霧がなければ発動しないらしい。霧は神官が呼ぶというが、神官と聞いて私の脳裏に浮かぶのは、私を祭壇に押さえつけ、呪いを刻んだあの漆黒の衣の男だった。


「問題ない。僕が呼ぶ」

「えっ? あなた神官だったの?」

「ではないが。王の息子で、霧を呼ぶことが出来る者は皆、いずれ神官となる定めだ。ただ一人を除いて」

「その一人って?」

「次の王だ」

「まあ……。じゃああなた、王になるかもしれない人なの?」

「それはない。王になるのは生母の身分の高い順で、その中でも生まれ順と決まっている。もし正妃の子の中に霧を呼ぶことが出来る者がいなければ、今度は第二妃の子の中から、やはり生まれ順で選ばれる。ここにもいなければ、今度は第三妃の子だ。さすがにここまでくると誰かは霧を呼べる」

「厳密に決まっているのね」


 ではファーリースは上の兄の誰かが霧を呼べるか、序列が下位の妃の子なのだろう。


 私はふと気になったことを尋ねた。


「妃って、一体何人いるの?」

「六人、だったかな……。君たちの国では一人らしいな。その方がいい。面倒な諍いなど無縁だろうし、妃や子供がおかしな死に方をすることも、この国ほどなさそうだ」


 女や子供の不審死が、この国の宮廷ではままあるということだろうか。私は驚いて尋ねた。


「ファーリース、あなたは大丈夫だったの? 今まで……」

「他人のことより自分の心配だな。ちゃんと帰れるか? 魔法円の中に飛び込むだけだが」

「出来るに決まっているわ」

「それは良かった」


 ファーリースがにんまりと笑った。はぐらかされた気がしないでもないが、私の問いもいささか立ち入り過ぎていた。子供時代に命からがら生き延びた話など、今日出会ったばかりの他人に打ち明けたいことでもないだろう。


 こんな話をしているうち、私たちは森の手前まで来ていた。


「ここが……」


 風に遊ばれ、枝の先に連なる緑がさざなみのように揺れている。


「綺麗ね」

「……ふぅん?」


 木の葉の騒めき。細く長く差し込む木漏れ日。


 目の前に広がっているのは、いたって普通の静かな森だった。


 その奥に異界へとつながるいびつな扉を据え付けられ、私のような娘がそこから幾度も落ちてきたことなど微塵も感じさせない。


 森はただ森であるのみで、おぞましさも醜さも、すべては人の業だった。


 いざ、と足を踏み出そうとした時、私はふと、幅広の裾の中の、無防備な足が気になった。長らく人でなかったから今まで失念していたのだ。


「ねえ、私たち、森歩きをするには軽装過ぎない?」

「森歩き……そんな呑気なことをしにきた覚えはないが」

「混ぜっ返さないでよ。私は刺されるのもかぶれるのも嫌」


 私は簡素な室内着の上にぶかぶかのマントを羽織っただけの、心許ない出で立ちだった。ファーリースも似たようなもので、美しい刺繍が施されてはいるが、やはり室内着といった趣きのゆったりとした上下と、先ほど私にねだらせたマントである。足元は二人とも細い革紐のサンダルで、つま先は剥き出しだった。


「心配ない。僕たちは森のあるじだ」


 その説明で一体何を安心しろと言うのだろう。


 さあ、と手を取られ、私は観念して森へ入った。


 彼が心配ないと言うからには心配ない――いつの間にか、そう思うようになっていた自分に気づきもせずに。


 私はファーリースに手を引かれ、一歩、また一歩と森の奥に入っていった。


 そこは緑(したた)る自然の広間だった。


 濃淡の異なる幻想的な緑の下、驚くほど軽装で歩く私とファーリースの存在もまた非現実的で、私たちはまるで、お伽話に出てくる森の小鬼のようだった。


 二人で奥へと進むうち、私はファーリースの言葉を肌で理解していった。


 すぐそばを低い翅音がかすめようと、足元でいばらが渦を巻こうと、針や棘の方で勝手に私を避ける。


 倒れて湾曲した大木をよじ登り、向こう側に下りた時も、私は木のささくれに引っ掻かれることもなく、まったくの無傷だった。


 ファーリースは私の手を取ったり、私を後ろから押し上げたりしながら黙々と進んだ。


 そう。ひたすら黙々と。


「……まだ遠いの?」

「もう少し先だ。疲れたのか」

「それほどでもないけど」


 私は言い訳がましく言った。


「最初に連れてこられた時は、こんなに遠くなかったような気がして」


 思い出したくもない記憶だが、あの時、有無を言わさず抱え上げられた場所から神殿らしき建物まで、これほどの距離はなかった気がする。


 ファーリースは軽く首を傾げて呟いた。


「転移魔法を使ったんだろう……。神官が十人がかりで術を編めば、出来ないこともない」

「楽をしたければ、あと九人あなたが要るのね」

「一人では君を満足させられず、すまないな」


 何という言い方を。


 声を失う私を尻目に、ファーリースはさっさと進行方向を変えた。


「この先に泉がある。そこで少し休もう」

「いいの?」


 私は正直ほっとした。重みのある人の体に戻ったのも、こんなに長い距離を歩いたのも、どちらも私にとっては久々のことで、実は少々くたびれていたのだ。


「でも……追手が来たらどうするの?」


 思えばここまで随分時間を取っている。これ以上の道草はまずいような気もしていた。


「君の不在はしばらく気づかれることはないだろう。君はどこかに行きっこないと皆思い込んでいる」

「ああ……まあ、そうね」


 彼の言葉には説得力があった。


 高い塔の上に閉じ込められた、布でぐるぐる巻きの化け物、それが私である。こんなに目立つなりで、この国に一人の知己もいない私が、人知れず塔から脱出出来る訳がない。


「それに、たとえ気づかれたところで、君の捜索はなりふり構わない大掛かりなものになるだろうから、必ずライルの耳に入る。彼が薄情でないことを期待しよう」


 そういうことか、と私はようやく合点がいった。ファーリースは最初からどうも急いでいるように見えなかったから、こんなに悠長なことで大丈夫なのかと実はひっそりと不安に思っていたのだ。


 先を行くファーリースがふと気づいたというように振り返り、私に手を差し出した。


「あ、ありがとう……」


 私はありがたく彼の手を取った。


 心なしか彼の歩く速さもゆっくりになっている。彼に気遣われていることを急に意識してしまい、何故か鼓動が速くなった。


 どうしてだろう。今まで何ともなかったのに。


 私は心音を誤魔化すように尋ねた。


「森にはしょっちゅう来ているの?」

「いや、今日が初めてだ」

「嘘でしょう⁉」

「『扉』の位置は感覚で分かる。でも、どこに行けば何があるか、こんなにはっきりと感じ取れるのは……多分、君が一緒だからだ」


 ファーリースが感心したように私を見た。


「磁石みたいなものか」

「便利な道具みたいに言わないでちょうだい」


 木々が途切れ、その先に宝石のような青が現れた。

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