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塔には美しいものが住んでいる  作者: 初春餅


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18/18

番外編・僕も君と(後)

 侍女が腰掛を寝台の正面に移し、王妃がたおやかに座る。


「この度はアイシャが世話になりました」

「いえ、何ほどのことも」


 僕はアイシャに倣い、恭しく礼をとった。


「――この国には、時折、霧の向こうに落ちる娘がいる」


 王妃がぽつりと言った。彼らの理解の範疇では、そうとしか言いようがないのだろう。だが実際のところはそうではなく、おぞましい僕らが引きずり込んでいる。


「皆、貴国へと落ちていたのでしょうか。落ちた後は皆、アイシャのような扱いを受けていたのでしょうか」


 アイシャが何と説明したのかは知らないが、彼女はすべてを語った訳ではないようだった。王妃の態度は真相を知らされた者のそれではない。


「はい」


 アイシャが言わないと決めたのなら、僕もそれに倣うだけだった。罪悪感から逃れたいなら、真実を告げることの方がよほど楽だろう。そのせいで死を与えられても、それはやむなし。だが真実の代償として、深い傷を負うのは僕よりもよほど彼らの方だろうから。


 僕は僕の国が犯した罪と、それを秘匿するという罪を、一生抱えて生きていく。


「僕はライルと宮廷で出会い、無二の知己となりました。最初は、彼が語るアイシャ姫のお人柄に心惹かれ、実際にお会いしてからは」


 僕が語るのは僕に語り得る真実だけ。ならばそれは、アイシャへの正直な思い以外に何があるだろう。


「彼女の為なら、命すら惜しくないと――」

「分かった分かった」


 王妃は鷹揚に笑った。


「まだ結論を出すのは早計ですが……貴殿のお気持ちはよく分かりました」


 呼吸が一瞬乱れた。王妃はたった今、僕がアイシャを任せるに足る男かどうか、見定めにきたと告げたのだ。ひとまずは及第点、だがまだ認めた訳ではないと。長居はしないと言った通り、王妃は美しい所作ですっと立ち上がった。


「また今度、ライルの話をゆっくりと聞かせてください」


 しずしずと出ていく王妃を見送り、ほっと息を吐く。アイシャも成長したらきっとあんな風になるだろう。その片鱗を見せつつも、今はまだ可愛いアイシャがこっそりと戸口から顔を覗かせた。


「水を……飲ませてくれないか」


 弱々しくねだると、アイシャは急いでやってきてくれた。そうだろうとも。弱っている相手に冷たくすることなど彼女には出来ない。卓上の果実水を杯に注ぎ、手で支えて持たせてくれる。柑橘で風味付けした、爽やかな果実水をゆっくりと一口飲むと、アイシャが内緒話でもするように言った。


「母は怖いでしょ。嘘なんてすぐに見破るし」

「素晴らしい人だ。君に似ている。……君の美しさは母譲りか」


 僕がしみじみそう言うと、アイシャは変な顔をした。


「調子が狂うわね……。以前のあなたはどこへ行ったのよ」

「以前の僕?」


 はて、何のことやら。


「僕は最初からこうだったが」

「嘘おっしゃい。あなたはまったく友好的ではなかったし、私たちの間にはずっと壁があったわ。明らかにあなたが作った」


 まだ言いたいことはありそうだったが、アイシャはそこで一旦、僕の出方を窺うように口をつぐんだ。


「壁……? ああ、そうか」

「何が可笑しいのよ」


 そうだった。欲望のまま彼女に無体を働いてしまわぬよう、あの時は随分と自制していたのだった。


 アイシャは知らなかっただろうが、僕は彼女に恋い焦がれていて、その上、自分の命がもうすぐ尽きることを知っている一人の男だった。


 初めて会ったアイシャは、ライルによく似た美しい子で、最初のうちこそライルが少々ちらついたが、ライルよりも華奢で柔らかそうな体や、毎晩うっとりと聞いた甘い声、驚いたり怒ったりとよく変わる表情が、早々にライルの残像を消し去った。


「君から距離を取る必要がもうない。君を置いてどこかにいかなくていい」


 僕はアイシャの頬に指を滑らせ、しっとりとしたその感触を楽しんだ。


「僕たちはもう、相思相愛の恋人だろう……?」


 そのままアイシャを引き寄せようとした時、戸口から声がかかった。


「豆粥をお持ちしました」


 アイシャはこれ幸いとばかりに僕の腕からすり抜け、粥の椀を受け取りにいった。


 王女様自ら、再びだ。


「ほら、温かいうちに……」

「食べさせてくれ」


 アイシャに粥を手渡される前に、弱々しく、だが素早くねだる。アイシャは一瞬渋い顔をしたが、根負けしたように匙を口に運んでくれた。


「あなたの国の豆粥とは、ちょっと味付けが違うと思うけど……」

「美味い」


 香辛料をあまり使わない、シンプルで素朴な粥だった。美味いと言ったのは本心である。もっとも、彼女に食べさせてもらえるなら、きっと毒でも甘いだろう。ふ、ふ、と冷ましてくれる唇が無防備だった。差し出してほしいのは匙ではなくそっちだと言ったら、やっぱり怒るだろうか。


「これを食べ終えたら、君はもう行く?」

「行かないわ」


 僕は安心して粥を食べ終え、アイシャは約束通りそばにいてくれた。


 ――姉様、今日はそばにいて。

 ――今日だけじゃなく、ずっとそばにいるわ。


 かつてそれは僕ではなく、ライルに与えられた約束だったが、今の僕は僕のまま、アイシャにそばにいてもらえるのだ。


 しみじみと感慨に耽っていると、アイシャがふぅ……とため息をついた。


「ファーリース、真面目な話をするわ」

「何だ」

「あなたはもう、ここで生きていかなくてはならないと思うのよ」

「うん」


 そうだろうなと思う。だが彼女は何故、こんなに思い詰めた顔をしているのだろう。確かにこの状況は、彼女にとっても想定外だっただろうが。


「そのうちライルが何とかするかもしれないけど、それがいつのことになるか分からないし……」


 何だ……。そんなことか……。


 思わず笑みがこぼれた。


 僕の帰郷の目途が立たないことを、彼女は純粋に気の毒がってくれているのだった。


 僕にはあの国に未練などなく、君のそばにいられさえすればいいのに。


「君と一緒ならどこででも」

「本当に調子が狂うわね」


 アイシャが実にむず痒そうな顔で目を逸らした。あまりよくなかったという僕の最初の印象が、今も尾を引いているのだろう。別にそれで構わない。今の僕には最初からやり直す時間がたっぷりとあるのだから。


「君も僕を好きだろう?」

「す、す……何を……」


 僕はアイシャを引き寄せ、わざと声を落として囁いた。


「君は知らないだろうが……あれ(・・)は相手への思いがなければ効力を発揮しないんだ」

「……!」


 アイシャが声を失った。


 あれ(・・)とは勿論、解呪のこと。


 赤く染まった耳のそばで、僕は笑みを噛み殺す。


 ごめん、アイシャ……。


 実は真っ赤な嘘だった。普通に考えてそんな訳がない。


 だが、僕は彼女の反応から、知りたかったことを知り、アイシャは観念したようだった。


 大人しくなったアイシャの体をゆっくりと囲い込む。真面目な話はもう終わり。相思相愛の恋人ならば、二人きりの時間はもっと甘くてしかるべきだ。


 指に絡めた蜂蜜のように。


 壁越しに語り合う夜のように。


 アイシャ、いつか君に伝える日が来るだろうか。


 あの日々が僕をどれほど甘く癒したか。


 ――姉様、今日はそばにいて。

 ――今日だけじゃなく、ずっとそばにいるわ。


 思わずさらけ出した弱さ。ライルにはそれを当たり前のように受け止めてくれる人がいた。そして、その人は今、僕の恋人となって僕の腕の中にいる。


「ライルに張り合うつもりはないが……君がライルとした楽しいことを、僕も君としたい」

「え? ええ、そうね……例えば、何を……」

「一緒にヤブイチゴを採りにいったり」


 アイシャがくすりと笑う。


「ええ、いいわ。丁度、今の季節……」

「それから――大きな寝台で、二人並んで眠ったり」


 ライルから聞かされていたことといえば、まずはこの二つである。


 アイシャがぴたりと動きを止める。


 聞こえていなかったかもしれないから、僕は繰り返した。


「大きな寝台で、君と二人、並んで眠りたい」


 赤みがかった美しい褐色の髪に指を挿し入れる。


 僕の望みが正しく伝わるよう、親密な触れ方で。


「そういうことを、君としたい」


 至近距離で囁いて、僕はアイシャの頬に頬をすり寄せた。

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― 新着の感想 ―
すごーい!! なにがすごいって、ぜんっぜん愛してるとかなんとか直接的に描かれていないのに、すっごい愛してるって言ってる!  でも、ファーリースの余裕がムカつくよね?アイシャさま! めっちゃ面白かった…
[良い点] より一層、落としにかかるファーリース様。……でも仕方ないですよね、アイシャ様の方が先に、上げ底突き抜けてさらに下まで、ファーリース様を落としてしまってますからね! [気になる点] こっち…
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