16.吟遊詩人の歌・六番目か七番目の王子 (後)
美しい踊り子がいた。
舞台の上でたった一人、皆の視線をほしいままにして踊る時も、群舞の中、同じ衣装、同じ動きに紛れて踊る時も、彼女は別格だった。
ある夜――王宮で舞ったが運の尽き。
彼女は王に見初められ、ただの踊り子から、王に召し抱えられた特別な踊り子となった。
その言葉の意味は言わずもがな。
だが、どれほど王の寵愛を受けようと、彼女が妃になることはない。
王には既に六人の妃がいた。
王には守るべきしきたりがあり、これ以上妻を増やせなかった。
踊り子はやがて王の子を産んだ。
蜂蜜色の髪と、澄んだ翠玉の目をした男の子。
母に似て美しい子だった。
美し過ぎて不吉だと言われた。
さて、母が王の妃でなくとも、王の血を引く息子はすべて王子である。
望むと望まざるとにかかわらず、彼は王子であるがゆえに、王の家族が過ごす私的な場所への出入りが許された。
と言っても、そこで余所者のように扱われ、冷ややかなもてなしを受けるよりは、母と二人、ひっそりと離宮で過ごす方を好んだが。
彼はおぼろげながらも王には六人の妃がいることと、母の違う兄や姉たちが沢山いることを理解した。
美し過ぎて不吉な王子はある日、王の家族とその縁戚たちが集った宴で過ちを犯した。
酒に酔った客人が問う――王子様、あなたは何番目の王子様でしたかな?
息子の数は多ければ多いほど良い。王には多くの息子がいて、その数はとても数え切れぬほどだという、それは問いの形をしたおべっかだった。
追従の問いに王子は答えた――六番目か七番目。
正しくは七番目だった。
宴の場に流れる気まずい沈黙。
王は幼い末息子の失言を咎めることなく、お前は七番目なのだよと笑いながら教えてやった。
だがこの数日後、六番目の王子が落馬して亡くなった。
興奮した馬から振り落とされて、呆気なく。
七番目の王子は六番目となり、恐ろしい予言が成就された。
――六番目か七番目。
よい香りの風と、不確かな噂を運ぶ薄い香木の扇子の陰で、あるいは邪気を払うとされる赤い実がなる魔除けの木の下で、人々が囁く。
恐ろしいことだ。美し過ぎて不吉な王子が、すぐ上の兄を――。
死んだ六番目の王子の母は、不吉な王子を深く恨んだ。
だが、王の息子に手を出すことは出来ない。
それが霧を呼べる息子であればなおのこと。
だから彼女は、代わりに彼の母を殺した。
彼の目の前で。
「何てことを……」
私が声を上げたせいで、物語が止まった。
だが、言わずにはいられなかった。
子供の言うことではないか。
そもそも、自分が六番目か七番目かもよく知らぬほど、普段から彼ら母子は遠ざけられていたのだろうに。
第六王子の死は事故だ。
たとえそうでなかったとしても、少なくともファーリースには何の罪もないだろう。
だが、閉ざされた宮廷では、誰もそうは思わなかった。
――兄殺しのファーリース。
第一王子はファーリースをそう呼んだ。
彼がやったと頭から信じて疑わない声で。
「こんなの、あんまりだわ……」
誰にともなく、なじる私の声は涙で震えた。
子供だったファーリースの耳にも、彼を責める声はきっと届いていただろう。
そのせいで母を殺された時、彼はどれほどの絶望を味わったのだろう。
止まらない私の涙に共鳴するように、ぽろりぽろりと楽の音が響いた。
――だが、王子は出会った。こんな風に、彼の為に大粒の涙を流してくれる人に。
吟遊詩人がリュートをつま弾き、そう歌った。
――彼女の為なら、溶けてなくなってもいいと思うほど。
歌声に続きリュートが再び優しい音を奏で、物語の先を聞けと促した。
――さあ、涙を拭いて。王子の物語はまだこれから。旅人の話は憶えている?
外れ者同士、王子と旅人は最初から馬が合った。
と言っても、警戒心の強い二人のこと。
最初は腹の探り合い、少し相手のことが分かってくると、互いに利用してやろうと思うようになった。
王子はこんなにも朗らかで人当たりの良い旅人が、実は王家を滅ぼすつもりでいることを見抜いたから。
旅人はいかにも自堕落な冷めた王子が、実は王家を滅ぼす為なら死をも厭わぬことに気づいたから。
二人の目的は同じだった。
だが、とある暖かな夜、旅人は打ち解けて語った。
愛する花との思い出を。
ヤブイチゴで真っ赤に染まった指先を。広い寝台で仲良く寝転び、柔らかな温もりに満たされて眠った夜を。
旅人が心から花を愛し、信頼していることに王子は驚いた。
花が旅人を慈しみ、無償の愛を捧げていることに、彼の胸は何故だか温かく満たされた。
不吉で孤独な王子にとって、それは穢れなく眩しい、守るべきものに見えた。
王子は旅人に告げた。
花にかけられた呪いを自分なら解くことが出来る、と。
解呪の代償は告げられなかった。
花を助けて――分かった。
さて、そこから先はあなたの方が知っている。
王子は約束通り花を助けた。
彼にとって誤算だったのは――花が彼を引き留め、消えるのを許さなかったこと。
リュートが物語の終わりを告げ、私たちは再び現実の世界に戻ってきた。
語り終えたウターリドはしばらく甥の寝顔を眺めていたが、やがて唐突に笑い出した。
「何だ。ちっとも目を覚まさないと思ったら――そういうことか」
「何? 何なの?」
訳知り顔で首を振る彼に、私は縋るような目を向けた。
「彼は自分が消えたと思っている」
「どういうこと?」
「言っている通りですよ。彼はあなたに引き戻されたことを知らないのです。だから自分が生きていることにも気づいていない」
「そんな。どうしたらいいの」
「簡単なことです」
ウターリドは悪戯っぽく私の顔を覗き込んだ。
「毎日呼びかけておやりなさい。手を握って、優しく見つめ、『愛するあなた、戻っていらっしゃい』と」
「……」
――さっさと起きなさいよ。この怠け者。
「そ、そういう風にではないけれど、毎日呼びかけているわ……」
「ああ、そんなんじゃ駄目駄目。彼はあなたに愛されてなどいないと思い込んでいるから、こんなことになっているのです。もっとはっきり、分かりやすく愛を伝えてやらないと」
ウターリドはよしよしとリュートを撫でた。これは何の当てつけだろうか。
「可哀相に、未だ目を覚まさないとは、随分つれない態度を取られているんでしょうねぇ……」
「ウターリド、私とファーリースの関係について、何か誤解があるようだわ……」
――アイシャ、好きだ。
谷に飛び込む直前、そう言われたといえば言われたのだが、相手はあのファーリースである。考えれば考えるほど、聞き間違いのような気がしていた。
そうでなければ、死ぬ直前の人間が、混乱してあらぬことを口走っただけ、とか。
「何の誤解があるものですか。あなたが今ここにこうしているのは、誰が身を挺して連れてきたからだとお思いです」
「それは……彼は単に、ライルとの約束を」
「ライルとの約束では、もう少し後の予定だったはず。自分が消えると分かっていて、その時を前倒しにしたのは何故だと思います?」
ウターリドは尋ねておいて自分で答えた。
「気になっている可愛い子がいきなり目の前に現れて――どうしても助けてやりたくなったからですよ」
ひどい誤解だった。いたたまれない。ウターリドは知らないのだ。ファーリースと初めて出会った時の私がどんな姿だったか。しかも、彼に何をしたか。
ウターリドは自信たっぷりに言い切った。
「壁越しに思いを募らせていた、愛しの君と出会ったのです。彼の頭からはもう、ライルとの約束なんてどこかに吹き飛んでいたでしょうね」
「ウターリド、それはないわ……。彼と初めて会った時の私は、それは恐ろしい化け物だったの。だから――」
「――叔父君が合ってる」
寝台から笑みを含んだ声がした。
驚いて振り返ると、たった今、午睡から覚めたような顔をして、ファーリースがこちらを向いている。
一体いつから目覚めていたのか、ぱっちりと開かれた翠玉の瞳が、ゆらゆらと私を映していた。
泣いていたか? と尋ねるように。
「ファ……」
私は彼に駆け寄り、上から抱きついた。涙で喉がつかえ、彼の名を呼べない。
――ファーリース。愛しい私の。
「叔父君が、合ってる」
震える私の背に腕を回し、彼が繰り返した。
(完)
「僕の体が消えずに残っているということは……君が?」
「えっ、ええ、まあ」
「ふうん……そうか。君が」
「そのにやにや笑いを止めなさいよ!」
という会話がこの後あったかどうかは定かではない。




