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塔には美しいものが住んでいる  作者: 初春餅


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11.追手

 私は何も知らない。


 どこへ向かえば元いた世界へ戻れる扉にたどり着くのか。


 騒めき揺れる森の中で、追手が今どれほど近くまで迫っているのか。


 私の手を取って走るのは、この国へ落ちてきて初めて、私を私に戻した変わり者の王子様。


 私はただこの手を信じて走るだけだった。


「絶対に、帰してやる」


 私は彼の手をぎゅっと握った。


 握り返してくる彼の手は縁が仄かに輝き、少しずつ溶けてこぼれていた。


 これでもまだ光の加減だと言い張るつもりだろうか。


「ファーリース、答えるつもりはないでしょうげど」

「分かっているなら何故訊く」


 息を切らせながらのお喋りは、背後から響いた蹄の音と馬のいななきによって中断された。


 馬鹿な。


 これほど木々がひしめく中を、一頭や二頭ではない馬が群れをなして駆けてくるなどあり得ない。


 ファーリースが険しい顔をした。


「第一王子が来ている」

「手強いの?」

「次の王だ」


 成程。生まれに申し分ない上、霧を呼ぶ力も持っている。名実ともにこの国の次の支配者たるお方が、自らお出ましになったということか。


「地面を落とす。下を見るなよ」


 そう言って、ファーリースが口の中で何か唱えた。


 地面を落とす……?


 私の疑問はすぐに氷解した。


 私たちが蹴った地面が、その瞬間から地響きを立てて下へとずり落ちていく。


「キャアア!」


 まるで波が引くように、足元の地面が垂直に引いていく様は恐怖以外の何ものでもなく、私は身も蓋もなくファーリースの腕に取り縋った。


 ファーリースは私にしがみつかれながら、再び口の中で何か唱えた。


 地面の落下がぴたりと止む。


 私は彼をしっかりとつかんだまま、その場にへたり込んだ。


 私に付き合って屈む恰好となったファーリースが、やれやれと言いたげに私を見た。


「見るなと言ったのに」

「無理よ! 何言ってるの⁉」


 私は涙目で彼に抗議した。


 恐る恐る後ろを振り返ると、ファーリースが落とした地面が歪にうねる階段となり、巨大な裂け目を形成している。


 ファーリースが作った断崖の向こうで、壮麗な鎧をまとった男が馬上から私たちを見下ろしていた。


 同じように軍馬に跨る屈強な騎兵を十数名、その背後に従えている。


 冷たい翠玉の瞳。蜂蜜色の髪。


 顔立ちというより佇まいが、どことなくファーリースと重なった。


 第一王子だ。


 彼は目の前の断崖を何とも思っていないようだった。


「一応言っておくと、こんな子供騙しは時間稼ぎにしかならない」

「ありがとう、心の準備が出来たわ」

「だが、もうすぐだ。急げ」


 私たちが彼に背を向け、走り出そうとした時だった。


 地震のような、眩暈のような――ぐらりと地面が横滑りする感覚に襲われる。何事かとファーリースを見上げると、彼が抑揚のない声で呟いた。


「挟まれた」


 そんな――。


 だが、ファーリースはそう言いながらも、前に進むことを止めなかった。


 乱立する木々の間を抜けると、岩で囲まれた広間のような場所に出る。他とは違う空気をまとった、聖域のような場所だった。そこにはすでに人影がある。


「ライル……」


 そこに立っていたのは、私と同じ、赤みを帯びた褐色の髪と、青灰の目をした若い男だった。


 先程の第一王子たちとは対の駒であるかのように、漆黒の衣の男たちを十人ほど後ろに従えている。


 二年ぶりに見る彼はすっかり雰囲気が変わっていた。


 顔立ちは精悍になり、背は私より高くなっている。この国の装束であろう、美麗な刺繍を施した豪奢な衣をまとっていた。


 彼は私の方を見ようともせず、ファーリースに冷たい視線を向けた。


「ファーリース、手を焼かせてくれる」


 ぞっとするほど冷酷な声音だった。


 ライル……?


 私は心臓が凍ったように動けなくなった。


 今のは……私の聞き間違いよね……?


 いいえ、そもそもこれは本当にライルだろうか。彼の顔をした別人ではないか。そう思ってしまうほど、ファーリースから聞いていた彼と、目の前の彼の様子はかけ離れている。


 ファーリースもまた、蜂蜜色の髪を無造作に掻き上げ、素っ気なく言った。


「どいてくれ。君の後ろの魔法円に用があるんだ」


 転移魔法で現れたのであろう、ライルと神官たちの後ろには、鉱石がはめ込まれた地面が見える。あれが『扉』なのだろう。彼らは私たちの行く手を阻むように立っている。


 背後で地が軋む音がした。


 振り返ると、私たちと第一王子を隔てていたまやかしの断崖がぐんぐん埋まり、元に戻っていくのが見えた。


 第一王子は指一本動かすことなく大地をならし終えると、その上を悠々と渡ってくる。


「第一王子殿下。この程度のこと、私にお命じくださればよろしかったのに」

「黙れ、魔物」


 恭しく腰を折るライルを歯牙にもかけず、彼はファーリースと同じ色の瞳で、さげすむようにファーリースを見た。


「兄殺しのファーリース。お前の顔などもう見ることもないと思っていたが」


 ファーリースは私を緩く引き寄せ、第一王子からもライルからも距離を取った。


「お前……」


 第一王子は不快げに眉をひそめた。


 ファーリースの体からこぼれる光が、仄かに彼を包んでいる。ファーリースの体はもはや、誰の目から見ても明らかな異変があった。


「愚かなファーリース。禁呪を使ったか」


 ――禁呪?


 穏やかならぬ言葉を放ち、第一王子が冷たい翠玉の瞳で私を捉える。私のつま先が宙に浮き、くい、と体が引っ張られた。

 

 だが、次の瞬間、見えない糸が断ち切られたように解放され、後ろから伸びたファーリースの腕が私を引き寄せる。


 ファーリースの表情は見えなかったが、第一王子は傷でも負ったように顔を歪めた。


 何があったのか知る由もないが、第一王子が仕掛け、ファーリースが跳ね返したというところだろう。


 だが、窮地に立っているのは依然として私たちの方だった。魔法円の前にはライルが、元来た道には第一王子がいる。私たちの背後には、ファーリースが先程作り出したものの比ではない、切り立った崖があった。


 先の尖った岩の奥には霧が立ち込め、底が見えない。


 第一王子が馬首を巡らせ、再び私に狙いを定めた時、ライルが低く言い放った。


「穢らわしい魔物め!」

「ライル……?」

「どこへ逃げようとした? お前は我らに身を捧げ、我らの礎となる為に遣わされた贄であろう!」


 それが真理だと言わんばかりのライルの糾弾に、第一王子の背後で彼の騎兵たちがそうだそうだと拳を突き上げる。ライルの一言で騎兵たちが雪崩を打つように高揚し、「静まれ! 静まれと言うに!」と彼らを叱りつける第一王子の声を掻き消す。


 目の前の混乱も、彼らの発する騒めきも、私はどこか遠くの出来事のように感じていた。


 ――ライル、一体どうしたの? これはあなたの本心ではないでしょう……?


 そう思いたいが、分からなかった。彼の私を見る目はあまりにも暗く冷ややかで、この国で純粋培養された王族――あるいは、私に呪いを刻んだあの漆黒の衣の男のようだ。


「ファーリース、身の振り方を教えてやろう」


 ライルがいっそ優しいとすら思える声で囁いた。


「霧()づる深き谷底こそお前に似合い。魔物蠢く地の底を永久とこしえにさまようがいい!」


 その瞬間、ファーリースがふっと笑った。


 こんな時に? と驚いて振り返ろうとする私を、彼が背後から素早く抱き寄せる。


「――その時が来て君を帰すまで、君の話し相手になってくれと言われた。君に寂しい思いをさせぬよう」


 ファーリースがじりじりと後ろに下がりながら、口早に囁く。彼の吐息がかかる距離で、互いの頬が触れそうな近さで。


「ライルのふりをしたのは悪かった」


 唐突に何を。


 この状況についていけず、私は混乱した。大体、それは今言うことなのか。言い返したいが、何も言葉が出てこない。彼は彼で、今しかないと言わんばかりに一方的に喋り続ける。


「彼が魅了し、いつか掌握する。夜明けとともに滅ぼすだろう、腐敗した悪しき王国を」


 まるで神官のようにファーリースが告げ、すっと頬をすり寄せた。


「君の帰還は、その時の予定だった。だけど――君を見た瞬間、思った。今すぐ連れ出してやらなければ駄目だと」


 何のつもりだ。これではまるで、死を前にした人間の告白のようではないか。こんな時でもファーリースは身勝手で、言いたいことしか言わない。


 ファーリースが私を彼の方に向かせ、私の後頭部を手のひらで覆った。


「好きだ、アイシャ」


 突然告げられた言葉に、息が止まりそうになる。


 第一王子が遠くで何か叫んでいる。ファーリースは私のこめかみに口づけし、身を捻って崖から谷底に飛び込んだ。


 私を抱き寄せたまま。

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