どうぞ、お好きになさって
「マリエッタ!お前との婚約を破棄する」
突然の宣言に、マリエッタは固まった。
宣言そのものにではない。どうしてこの場所でそんなことを言い出すのか、という呆れのせいだ。
「……」
先程まで賑やかだったパーティー会場が一気に静まり返り、好奇心が剥き出しの視線が刺さる。
(困りましたね)
マリエッタは、自他共に認める地味な容姿と性格をしている。人々の注目を集めるのは、辛い。そもそも、パーティーという場が嫌いだ。
だが、公爵令嬢という立場に加え、このパーティーは王立学園の卒業を祝う場だ。卒業生として、欠席は許されない。
「おい、聞いているのか?」
婚約者……いいや、元婚約者であるバーテン侯爵令息ヘンリーの声ばかりが、ホールに響き渡り、何故かマリエッタが恥ずかしくなってきた。
「ヘンリー様、お姉様は驚いてらっしゃるのよ」
すっ、とヘンリーに寄り添うのは、卒業生以上に派手なドレスを身につけた妹のユーミアだ。厳密にいえば、腹違いの異母妹だが。
「ああ、ユーミアは優しいな」
自然な様子でユーミアの腰を抱き寄せるヘンリー。その拍子に、揺れたネックレスには、ヘンリーの瞳と同じ緑の宝石が揺れている。
「どうぞ、お好きになさって」
呆れて物も言えないところだが、さっさと終わらせたい気持ちの方が優った。
「一応、理由くらいはお聞かせ願えますか?婚約破棄となると、書面への記載が必要になりますから」
貴族同士の婚姻は、王家への届出が必要になる。神聖な契約故に、一度結ばれてからの解消や破棄も同様だ。
「ふん、その偉そうな物言いはなんだ!婚約者への敬意の欠片もないではないか」
「お言葉ですが、バーテン侯爵令息様は、わたくしへの敬意はございますの?」
放たれた矢をそのまま打ち返せば、押し黙る。
周囲からは失笑が漏れた。視線には軽蔑が混ざりつつある。
当然だろう。まだ見えられていないとはいえ、国王陛下をはじめとした王族方も列席をご予定されている場で、こんな馬鹿みたいなことを言い出すのだから。
「婚約破棄の理由は、『敬意がない』でよろしいですか」
理由にすらなっていないが、本人の語彙力が残念なら致し方なしだ。
「な……!そもそもだ、お前は地味過ぎる。それに、その格好。国王陛下もお見えになるご予定の席に、そんな古びたドレスを身につけるなど、常識がない。貴族として当たり前のことすら出来ぬ相手との婚姻など、考えられない」
マリエッタは、黒髪に、茶色の瞳。顔立ちは凡庸そのものな上に、眼鏡をかけている。おまけに服装も、年嵩の女性官吏が身につけるような服を好んで身につけている。公爵令嬢と知る者がいなければ、市井に溶け込んでしまうという自覚はある。
「あら、婚約者様からドレスや装飾品をいただけませんでしたから、手持ちのドレスで間に合わせただけですわ」
そのドレスが古いのも仕方がない。亡くなった母の唯一の形見なのだから。母は、まだ幼い頃に病でこの世を去った。その後で、後妻に入ったのがユーミアの母親のドロシーだ。
ドロシーは、徹底的にマリエッタを嫌っていた。地味な上に、趣味は読書。亡くなった母親似の平凡な容姿も相まって、邪険にされ続けた。マリエッタの持ち物はほとんど取り上げられ、古くて地味なドレスと本だけが残された。
父は、派手な美貌を持つドロシーに夢中で、娘には無関心だった。積極的に除け者はしないが、助けることもない。マリエッタが屋根裏部屋に追いやられ、ドロシーによって入れ替わった使用人たちに嫌がらせをされても何も言わない。
そんな両親を見て育ったユーミアは、マリエッタを見下していいと思うようになった。ドロシーに似て見事な黄金の髪と輝くような美貌を持つユーミアを、父も溺愛していた。
「お姉様、ごめんなさいね。私が、ヘンリー様からドレスや装飾品をいただきましたの。新しい婚約者として」
勝ち誇ったように笑うユーミアだが、ヘンリーの顔色が変わった。
(あら、一応頭に使える部分は残ってらしたのね)
正式な婚約破棄前に、新しい婚約者を迎えることなど出来ないし、非常識過ぎる。
「何の騒ぎだい?」
のんびりとした口調だが、聞いた瞬間に、マリエッタや名だたる貴族の令息令嬢は慌てて頭を下げた。
「ユ……ユリアス殿下」
侯爵令息たるヘンリーは慌てて礼を取ったが、ユーミアは半ば強引にヘンリーに頭を下げさせられるまで立ち尽くしていた。
「やめてくれよ。まだ私は、この学園の生徒だ。生徒の間は、身分は関係ない」
屈託なく笑うユリアス殿下だが、その目は鋭くヘンリーとユーミアを見つめている。
「ブレイマン公爵令嬢、発言を許す。何があったか申してみよ」
「はい。お騒がせをして、申し訳ございません。わたくしがバーテン侯爵令息から婚約破棄を申しつかりましたので、理由をお尋ねいたしました。書面への記載が必要となりますので……」
「なるほど。バーテン侯爵令息、婚約破棄はご自由だが、場所を考えるべきだったね。ここは、国王陛下が学長を務める学園の卒業パーティーだ。騒ぎはよろしくないよ」
優しく諭すような口調だが、この第二王子は見た目のおっとり具合からは想像も出来ないくらいに冷たいところがある。
「も……申し訳ございません」
「うん。だが、まあ……そこまでして婚約破棄をしたいなら、ちょうど国王陛下もいらしているし、この場で婚約破棄の書面を取り交わそう」
にっこり笑ってとんでもないことを言いだすユリアス殿下に、マリエッタはただただ恐縮した。
かくして、一個人の契約破棄が、前代未聞の婚約破棄劇へと発展したのである。
婚約破棄から1ヶ月後。
マリエッタは王宮から久しぶりに家に帰った。公爵家の屋敷にも部屋はあるが、狭い屋根裏部屋だ。薄暗い部屋では、本もろくに読めない。
王妃殿下が、母の従姉妹にあたる縁があり、マリエッタは「行儀見習い」の名目で王宮に上がる日があった。学園を卒業してからはその頻度が上がったが、家族は気づいてもいないだろう。
「お姉様ばかりずるいわ」
と、王宮に上がりたがるユーミアと、応援するドロシーだが、流石の父もこればかりはどうしようも出来ない。王妃殿下からのお招きなのだから。
「マリエッタ、どういうことだ!」
玄関に入るなり腕を掴まれ、マリエッタは眉を顰めた。
「バーテン侯爵令息、何の御用でしょう?」
「何の御用じゃない!何故、ユーミアが公爵家を継がないのだ?」
血相を変えているバーテン侯爵令息ヘンリーだが、むしろ、なんでそんなことも知らないのか、そちらの方が不思議だ。8歳の時から10年も婚約していたというのに。
「あら、当然のことですわ。ブレイマン公爵家の嫡子は、わたくしですもの」
「だが、婚約破棄をした。それなら、婿がいるユーミアが嫡子になるべきだろう」
思わず失笑がこぼれた。
(あら、ご存知なかったのね)
最初に会った瞬間に、地味な容姿を貶された。それ以降、ろくに会話もなかった。「地味過ぎる」「勉強ばかりで頭でっかち」と会う度に言われれば、マリエッタも会話をする気もなくなる。それでも婚約が続いたのは、親同士の意向に過ぎない。
だからこそ、ヘンリーはユーミアに乗り換えたのだろう。同じ公爵家の娘ならば、と。
(その認識が違うんですけれども……)
さて、どうしようかと考えたところで、父が駆け寄ってきた。
「ヘンリー、何故馬鹿なことをした!」
「公爵!ユーミアを嫡子にしてください」
「お前は、どこまで愚かなのだ」
父が青くなっているのは、実家の本家筋であるバーテン侯爵家への体面と、今後の自分の生活がかかっているからに他ならない。
「ユーミアだって、あなたの娘でしょう?」
「確かにユーミアは私の娘だが、公爵家の血を引いていないのだから、嫡子には出来ない」
「え?」
ぽかんと口を開くヘンリーに、マリエッタは笑いかけた。
「先代公爵は、私のお祖父様ですの。お母様のお父様ですわね。……父は、バーテン伯爵家から婿に入りましたから、ブレイマン公爵家の血統ではございませんわ」
婿や嫁として家に入っても、その家は継げない。それは、その子孫も同様だ。そんなことが罷り通れば、乗っ取りが出来てしまう。
「な……なんだと?」
「父は、ブレイマン公爵代理ですわ。明日、わたくしが18の誕生日を迎えるまでは」
爵位を正式に継げるのは18になってからだ。それ故に、跡継ぎが幼少の間は、婿や嫁に入った者が「代理」となることが出来る。
「そんな……。では、ユーミアは?」
「父の後妻の御子様ですわね。扱いとしては、バーテン伯爵の姪、となりますかしら」
父はバーテン侯爵家の分家であるバーテン伯爵家の次男だった。現在はマリエッタの伯父にあたる兄が継いでいるから、バーテン伯爵の弟だ。ならば、その娘は、バーテン伯爵の姪となる。
「嘘でしょう?私は公爵の娘よ!」
金切り声と共に割り込んできたユーミア。その後ろには憤慨しているドロシーもいる。
「いいえ。ブレイマン公爵家は、わたくしのお母様の家です。あなた方は、バーテン伯爵家の身内です」
きっぱりと言い切れば、父は肩を落とした。
(あら、見栄をお張りになったのね)
それなりの貴族なら、たいていは知っている事情だが、ドロシーは知らなかったらしい。おそらく、父が「代理」の二文字を伝えていなかったのだろう。
「お父様、明日になったら、わたくしがブレイマン公爵になりますわ。一日早く、国王陛下からは叙爵されましたの」
そっと胸の紋章を見せれば、深いため息だけが父から漏れた。明日からの身の置き場を考えたのだろう。
「お父様は、お母様を裏切ってはいらっしゃらなかったけれど、何もしてくださらなかった。ですから、それなりの暮らしは保証いたしますわ」
つましく暮らす程度の年金は差し上げるつもりだ。公爵代理としての仕事はきちんとこなしていたから。
(お祖父様のご慧眼のおかげね)
祖父は、父がやがて後妻を入れる可能性を考えて、公爵家とマリエッタのために、爵位と領地を王家に預けた。マリエッタが18になる時に返してもらえるようにして、父は代理として一部の業務のみにあたるようにした。
マリエッタが不遇を託つことも予測し、王妃殿下に頼んで、貴族としての教育や、領地経営のための学びの機会も設けてもらった。費用はもちろん、預けてある公爵家の資産で賄った。おかげで、マリエッタは高度な教育と、王族方との交友関係も得たのだ。
「ふざけるな!俺が次期公爵になるんだ!」
首元に伸びてきたヘンリーの手を、別の手が押さえた。
「それは、立派な公爵家乗っ取りだね」
あくまで穏やかなその声に、マリエッタは安堵した。このまま葬り去られる可能性もあったが、味方が来てくれた。
「ユリアス殿下」
驚く父に、王子は微笑んだ。
「ブレイマン公爵代理、あなたはご自分のお仕事をきちんとこなされた。そのことは評価するが、父親としては最低だね。ご実家の意向で、娘の婚約者を決めるなんて」
言外に、バーテン一族によるブレイマン公爵家の合法的な乗っ取りを示唆すれば、父は固まった。小心者の父が絵図を描いたとは思えないが、反対も出来ぬ不甲斐ない父親だ。
「マリエッタ、いいね?」
「ご随意に」
その言葉を合図に、王族直属の騎士たちと、古くからブレイマン公爵家に仕えていた元使用人たちが入ってきた。ドロシーが馘にした使用人たちは、王宮に召し上げてもらっていたのだ。マリエッタの王宮での世話役として。
「わ、私たちは何も知らなかったのよ」
ドロシーの叫びに、父は悲しそうな顔で肩を叩いた。
「すまなかった」
「あなたは公爵で、ユーミアは公爵令嬢でしょう?」
「すまない……」
「う、嘘よ!!」
泣き崩れるユーミアと、喚くドロシーに、父はただ俯いていた。
騎士たちにヘンリーは連れていかれた。暴行未遂と、公爵家乗っ取り未遂だ。貴族籍剥奪の上に追放の可能性が高い。
妻子に責められて放心している父に、マリエッタは近づいた。
「お父様、ご安心なさって。王都の別宅に移っていただいて、家族水入らずでお過ごしになれるわ」
わたくしはとっくに家族じゃなかったけれども、とマリエッタは悲しく微笑んだ。
もし、彼らが少しでもマリエッタを大事にしてくれたら、この家に住まわせ、ユーミアにはそれなりの縁談を世話するつもりだった。だが、彼らは、マリエッタを嫌い、侮り、無視をした。そんな元家族に、別宅を与えるのは温情だ。食べるに困らない程度のお金も渡す予定だから、贅沢をしなければ、不自由ない暮らしが出来るはずだ。
「お前は、どうするのだ?」
「わたくしは、ブレイマン公爵となり、ユリアス殿下と婚姻いたします」
既に王宮にいる間に、婚約は整っている。
元々、ヘンリーとの婚約前から、同い年であり、母親同士が従姉妹でもあるユリアスとの婚約話は出ていた。だが、ヘンリーとの婚約により、立ち消えとなっていた。
それを、先日の婚約破棄成立後に、再度進めたのだ。
後妻が入ってから王宮で過ごす時間の長かったマリエッタとユリアスは、一緒に勉学に励むことも多く、ごく自然に友人となった。
婚約者がいるから恋愛感情はなかったが、その重石が取れてからの1ヶ月で堰を切るように仲を深めたのだ。
「ユリアス殿下、わたくしでよろしいのですか?わたくしは、地味ですよ」
「それがどうかしたの?マリエッタは誰よりも努力家で優しい。それ以上に大事なことはないよ。……それに、僕も目が悪いから、お揃いだよ」
優しく微笑むユリアス殿下は、ポケットから取り出した眼鏡をかけた。分厚い眼鏡が、王子の整った容貌を、凡庸にする。だが、それこそがマリエッタの見慣れたユリアスだ。
どちらともなく笑い合う二人は、実に幸せそうであった。
後の歴史家は語る。
学問に長けたブレイマン女公爵マリエッタと、その夫である元第二王子ユリアスは、堅実な領地経営のかたわら、学問の門戸を広げる施策に尽力した。
その功績から、後の世では学問の聖人として夫婦を祀るようになった、と。
そして、眼鏡は学問の御守りとして広く普及した。




