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第五話「市ヶ谷さんは、入部試験したい?」

 自室。

「……さて、どうしたものかしらね」

 入部試験って、何をしたらいいのかしら。

「……そもそも部に入れたくないのよね、あの男」

 私を試すだなんて、失礼にも程があるわ。ここは、かなり厳しい試験を課す必要があるかしらね。

「……いきなり、下の名前で呼んでくるし」

 あの男と私との間に、信頼関係なんて無いのに。

「……幸人(ゆきひと)にだって下の名前で呼ばれてないわよ」

 なんで、あの男に下の名前で呼ばれないといけないわけ?

「……理由つけて、入部拒否してやるわ」

 許せないわ、あの男。

「……私らしくない、か」

 聖陽(せいよう)の言う通り、こんなことを考える私は陰湿だと思う。こんな自分が嫌になってくる。

「……もう、どうしたらいいの?」

 あの男のことは許せない。部員の皆のことも、信じられない。

「……もう、嫌」

 

プルルルルル……プルルルルル……


「……誰?」

 今は誰とも話したくない。

「……ゆきひと」

 全く、なんでこんな時に連絡してくるのよ、あいつ。

「……出ないわよ」

 今電話に出てしまえば、最も見られたくない私の姿を露呈してしまう。


プルルルルル……


「……だから……出ないわよ」

 全く、時と場合を弁えなさいよ、本当。


プルルルルル……



「……仕方、ないわね」

 断固として、私が話したいわけじゃない。だけど無視するのは常識に反するから……

「……もしもし」

「よう、市ヶ谷(いちがや)

「……なによ」

「落ち込み、治ったかなあって」

「……そんな簡単に治るわけないでしょ」

「偉く落ち込んでるみたいだな、今回は」

「別に、落ち込んでなんか……」

「全く、どっちだよ」

「……うるさいわね、連絡なんてしてくるんじゃないわよ」

「はいはい」

「……なんで、また連絡してくるのよ」

「そんな深い意味ねえよ」

「……だったら、連絡してくるんじゃないわよ」

「分かったよ、心配して損したわ……」

「……え?」

「連絡して悪かったよ」

 このままでは、電話が切られてしまう。差し伸べてくれた手が、遠ざかってしまう。

「……待って」

「ん?」

「……少しくらいなら、いいわよ」

「……」

「……小村井(おむらい)?」

「分かったよ」

「……それでいいのよ」

 ……良かった、本当に良かった。

「さっきはすまなかったな」

「……え?」

「友達と遊んでいる最中だったから、ちゃんと話聞けなくてな」

「……そう」

「ああ、今は大丈夫だから、話してみろよ」

「……別に、ない」

「無いんだったら、こんな落ち込んじゃいないだろ」

「……だから、落ち込んでない」

「じゃあ落ち込んでなくても良いから、話してみろよ」

「……なによ、それ」

「いいから、話せよ」

「……強引よ」

「ははっ」

「……なによ」

「いつものお前に比べたら、強引の内に入らねえよ」

「……うるさいわね」

「本当、マジで話してみろって」

「……だから」

「お前が減らず口叩かないなんて、絶対に普通じゃないぞ?」

「……どうして、そこまで構うのよ」

「え?」

「……理不尽な幼なじみ、なんでしょ?」

「ああ、もう……」

「……私なんて、見捨てなさいよ」

「お前がそんな様子だと、気が気じゃねえんだよ」

「……え?」

「奥歯に挟まった魚の小骨みたいなものだよ、気になって仕方が無いんだ」

「……こんな私に、優しくしないで」

「どこが優しくしてるんだよ?」

「……だって、そうでしょ」

「ああ、もう……」

「……」

「そうだよ、優しくしてるんだよ」

「……私が言わせたみたいになってるじゃない」

「いやいや、明らかにそうだろ?」

「……まあ、そうだけど」

「ああ、本当にもう、良い加減にしろよ……」

「……え?」

「いや、なんでもねえよ……」

「……でも」

「とにかく、早く話せよ」

「……仕方……ないわね」

「それはこっちのセリフだ」

「……」

「おい、(つよく)!」

「……えっ……」

「いや、市ヶ谷……」

「……何よ」

「えっと、急に黙り込むから……」

「……小村井の考え過ぎよ」

「それなら、いいんだけど……」

「……それに、許可してないわよ」

「え?」

「……下の名前で呼んでいいなんて、言ってない」

「それは……言葉の弾みというか……別に呼びたくて呼んだわけじゃねえよ……」

「いや……呼んだわよ」

「……ああ、もう」

「そうだよ、その通りだ」

「……え?」

「確かに……下の名前で呼んだよ……」

「……そう」

「ああ……」

 ……ゆきひとはやっぱり、ゆきひとなんだね。

「……話すわ、全部」

「分かったよ……」


       ※ ※ ※


「……小村井?」

「いやあ、それはなあ……」

「……何よ」

「流石に想定外だったというか、いや、今までがおかしかったのか……」

「……要領の得ない独り言はやめて」

「えっと、その、なんというかな……」

「……どうせ、私が悪いと思ってるんでしょ?」

「いやあ、それがそうでもないんだよなあ……」

「……どういうことよ?」

「……市ヶ谷は、悪くないんじゃねえかな?」

「あんた、どうしたの?」

「……何がだよ」

「つまらない冗談はやめなさいよ」

「……いや、冗談じゃねえよ」

「絶対に冗談よ」

「……いやまあ、確かに市ヶ谷の因果応報であるんだけどな」

「ほら、やっぱりそう……」

 そう、あれは結局、いつもの私に対する意趣返し。不満を述べる資格なんて、本来は私には無い。

「……いや、そうなんだが、そうじゃない」

「ハッキリ言いなさいよ」

「……部員の子に関しては、悪くないと思う」

「ほら、結局そうなのよ……」

「……ただ、その原因については話が別だ」

「……原因って、私のこと?」

「いや、違う……」

「……だから、なんなのよ?」

「いや、その……」

「……あの男のこと?」

「いや、えっとな……」

「……違うわけ?」

「違わない……」

「……なんで、そう思ったのよ?」

「え?」

「……どうして、あの男は問題だと思ったの?」

「それはだな……」

「……それは、なんなのよ」

「……いきなり下の名前とか、無いだろ」

「……あんたも、そう思うのね」

 そっか……そうなんだ。

「ああ、初対面の一年坊主が、いきなりそれはねえよ……」

「……そう」

「あっ!」

「……?」

「深い意味は、無いからな!」

「……私、何も言ってないんだけど?」

「いや、それならいいんだが……」

 ……良くないわよ、バカ。

「……単純に、一般的な話として、無礼だって話だよ」

「……そう……よね」

「ああ……その試すって真似も、普通じゃねえよ」

「……そう思うのね」

「そう思うよ」

「……」

「……なんだよ?」

「……だから、何も言ってないでしょ?」

「いや、そうなんだが……」

「……あの男が悪いとしても、打つ手が分からないわ」

「断れば、いいだろうよ」

「……頭から断るのも、おかしいでしょ」

「だったら、その入部試験とやらで因縁をつけて……」

「……私は、そんな陰湿な手段を選びたくないの」

「いや、でもなあ……」

「……そもそも、私の都合で部員の皆に迷惑掛けるわけにはいかないの」

「え?」

「……あの娘たちの為に、後輩部員を集めなきゃいけない。私の勝手な都合なんかで、それンに反することなんてできない」

「だからって、市ヶ谷が犠牲になることなんて無いだろ?」

「……犠牲だなんて、思わない」

「いや、でもよ……」

「……学校に残るあの娘たちの為にも、入部志望者を恣意的に遮断することはできない」

「なんで、ここに限って拘るのかなあ……」

「……え?」

「いや、なんでもねえよ……」

 ……まさにそう、私の行動基準は支離滅裂。全く以て、一貫性が無い。

「……でも、我慢できるのかよ?」

「我慢?」

「……そんな奴の入部、許容できるのかよ」

「そんなの……」

「……ああ」

「……できるわけ、無いでしょ」

「だったら……」

「それでも、やらなきゃいけないのよ……」

「……いや、だがな」

「私は、やるだけよ……」

 そう、私は部長として、それくらいの責任は負わないといけない。

「……しゃあねえか」

「そう、仕方が無いのよ」

 ……止められたとしても、やるけどね。

「そういう意味じゃねえよ」

「……どういうことよ?」

「よし、決めた!」

「……いきなり、大声出さないでよ」

「その入部試験、俺も受けることにするよ」

「……何を言っているの?」

「だから、俺も入部試験受けるって……」

「……どこがどうなれば、そんな破天荒な理屈になるのよ」

 これまでずっと、部活動に入る素振りなんて無かったのに。

「入部希望者は、誰も拒まないんだろ?」

「……そうは言ってないわよ」

「え?」

「……あの娘たちの為に、後輩部員が必要だって話よ」

「どう違うんだよ?」

「……あんたは三年、後輩じゃないでしょ?」

「ああ、そういうことか……」

「……小村井も今年に卒業なんだから、それじゃあ意味ないでしょ?」

「まあ、良いじゃないか」

「……え?」

「この際、細かいことは気にするなよ」

「……大体、意味が分からないわよ」

「俺が入る理由ってことか?」

「……そうよ、なんで三年の今更、入部するという話になるのよ」

「うーん」

「……就活あるんだから、大して部活動できないでしょ」

「え?」

「……あんた大学行かないんだから、就活あるんでしょ?」

「いや、俺は就活はねえよ」

「……あんた、もしかして」

「大学や専門学校行くわけでもねえぞ?」

「……じゃあ、どういうことよ」

「夢を追うために、アルバイト生活だよ」

「……夢?」

「あれ、言ってなかったか?」

「……そんなものがあったなんて、初耳よ」

「お笑い芸人になりたいんだ、俺は」

「……なにそれ、バカじゃないの」

「なっ!」

「……そんなの、絶対に上手くいくわけないわ」

「そっ……そうとは限らないだろ!」

「毎日遊び惚けてるあんたが、そんな夢叶えられるわけないでしょ?」

「いや、別に遊び惚けてるわけじゃ……」

「……帰宅部で、毎日どこかに遊びに行って、そんなので上手くいくわけないわ」

「まあ、そうかもしんねえ……」

「……認めるのね」

「まあ、完璧にできてるわけではねえよ……」

「……だったら」

「でも、俺は曲げる気が無い」

「……どうして、そこまで」

「実は言うと、俺も半分冗談だったんだよ」

「……だったら、どうして?」

神楽坂(かぐらざか)さんのおかげだ、全部」

「……神楽坂さん?」

「そうだ」

「……神楽坂さんが、どう関係してくるのよ?」

「神楽坂さんは、笑うことは無かった」

「……え?」

「神楽坂さんは真っすぐに、俺の夢は凄いと言ってくれた」

「……そんなの、お世辞に決まってるでしょ」

「本当にそう思うか?」

「……何がよ」

「神楽坂さんが、そういう人間だと思うか?」

「……いや」

「ん?」

「……思わない、けど」

 神楽坂さんに限って、嘲笑のような真似をするわけがない。

「だったら……」

「……それだけで、本気になったわけ?」

「それだけじゃねえ」

「……他には、何があるのよ」

「結論すれば、全部新聞部のおかげだ」

「……新聞部?」

「そうだ、新聞部のおかげだ」

「……どういうこと?」

「王子先輩は、俺自身の価値観の大切さを教えてくれたんだ」

「……そうなのね」

「ああ、そうだ……」

 王子先輩の新聞部、私は入部して一日で辞めてしまったけれど、今とは違う未来もあったのかしら。

「……他には?」

「え?」

「新聞部と言うからには、新聞部の他のメンバーからも何かあったんじゃないの?」

「いや……」

「?」

「今の二人だけ、だな……」

「じゃあ、新聞部じゃないでしょ……」

「まあ、確かに高明(こうめい)からは何も貰ってないが……」

「……そうなのね」

「ああ、あいつの目は泳いでいた気がする」

「……そう」

 ……西ヶ原(にしがはら)君の挙動の怪しさは、私の考えすぎじゃないのかしら?

「まあともあれ、俺はお笑い芸人を目指す」

「……収入、安定しないと思うわよ?」

「覚悟の上だ」

「……職歴、空白期間になるだけよ?」

「結構なことだ」

「……そこまでの覚悟なのね」

「ああ、もう決めたんだよ」

「……そんな夢追い人と、付き合う女もいないと思うわよ?」

「そっ……そんなの、知らん……」

「明らかに動揺したわね……」

「……そっ……そんなこと、ねえよ」

 ……いつの間にか、幸人はこんなにも立派に成長している。

「まあ、最悪私が拾ってあげるわよ」

「そんなのは願い下げだ!」

「あんた、生意気!」

「なんだと!」

 ……それなのに私は、いつまでも子供のまま。

「……」

「市ヶ谷?」

 私も、強くならないといけないわよね。

「……入部試験、受けるんでしょ?」

「ああ……そうだな」

「……ちゃんと公平に、試験を課すからね?」

「……良いのか?」

「だって、受けるんでしょ?」

「いや、そうなんだが……」

「だったら、不満は無いでしょ?」

「ああ……ねえよ」

「それじゃあ、申請は受け止めたわ」

「……そうか」

「ええ、詳細が決まり次第、再度連絡するわ」

「……ああ、分かった」

「それじゃあ、電話切るからね」

「……解決、してないだろ?」

「解決?」

「……あの、一年坊主の件についてだよ」

「ああ、それね」

「ああ……」

「もう、問題が無くなったわよ」

「……そうか」

「ええ、そうよ」

 そう……問題はもう、解決した。

「じゃあ、本当に切るからね?」

「……最後に、一つだけ」

「何よ、早くしなさい」

「えっとな……」

 これって、まさか……

「市ヶ谷は、どうするつもりなんだ?」

「……何が?」

「進路だよ、進路」

 ……期待した私がバカだったわ。

「夢を追ったりは、しないわよ」

「……え?」

「無難に、事務職にでも就職するわよ」

「それ、夢ねえなあ……」

「夢追い人のプータローにだけは言われたくないわ」

「プータローじゃねえよ!」

 ……プータローでもなんでも、私は構わない。

「それじゃあね、幸人」

「いや……えっ?」

「ごめんなさい。間違えたわ、小村井」

「あ、ああ……」

 でもここはまだ、お預けよ。

「じゃあ、切るわね」

「……ああ、それじゃあな」

「……うん」


プー……プー……プー……プー……


「さて、試験内容考えないとね……」


       ※ ※ ※


 後日、放課後。

「あなた、なんなんですか?」

「なんなんですかって、言われてもね……」

 どうして、こういう状況になっているわけ?

「あなた、(つかさ)とどういう関係なんですか?」

「……司?」

 このままじゃ、新入部員の合同面接、間に合わないんだけど……

「とぼけないで下さい!」

「いや、別にとぼけていないんだけど……」

 何が起きているのよ、全く……

「司に気があるんですか?」

「いや、そもそも司ってのが誰だか知らないわよ……」

「嘘をつかないでください!」

「嘘なんかついてないわよ……」

 もう、キリがないわ……

「市ヶ谷、こんなところで何してるんだよ。みんなが部室で待ってるぞ?」

「……小村井?」

 私が到着が遅いから、探しに来たわけね……

「誰ですか、この男の人は?」

「いや、小村井だけど……」

「二股してるんですか!」

「……はっ?」

「許せません!」

「……あの、話を」

 私はこいつに一筋……いや、なんでもないわ。

「この娘なんなんだよ、市ヶ谷」

「私が聞きたいくらいよ……」

「ああ! ああ!」

「誰だか知らないけど、落ち着いたらどうだ?」

「こんな状況で落ち着けますか!」

「いや、そう言われてもな……」

「許せない! 許せない!」

「これから用事があるんだよ、俺たち」

「……用事?」

「ああ、面接があるんだよ」

「……就活でもしてるんですか?」

「まあ、学年的にはそうだけど、それとは違う」

「……じゃあ、なんなんですか?」

「書道部の入部面接だよ」

「……書道部?」

「ああ、入部したいから面接受けるんだよ」

「誰が?」

「俺が」

「……この人も面接受けるんですか?」

「いいや、こいつは面接官の側だ」

「この人は書道部員の方ということですか?」

「書道部の部長だよ」

「そうなんですね……」

「ああ……」

「……行っても、いいかしら?」

 ……全く、部長が遅刻じゃ世話無いわよ。

「ダメです!」

「……だから、どうして?」

「昼休み、なんで司と会っていたんですか?」

「そんな人、知らないわよ」

「そんなわけありません!」

「いや、そう言われてもね……」

「仮に、その司って奴と市ヶ谷が会っていたとして、何が問題なんだよ?」

「そっ……それは!」

「ん?」

「好きだからに決まっているじゃないですか!」

「……お前が?」

「彼氏でもないのに、お前呼ばわりしないでください!」

「ああ、悪い……」

 ……全く、ゆきひとのバカ。

「あたしは司が好きです。だから、司と会っていた女子である貴女に追及をする権利があります」

「その司って人、男ってこと?」

「そうですよ!」

 昼休みに私が会っていた男なんて……

「……もしかして」

「なんですか?」

「……その人、百草園(もぐさえん)って名前なんじゃないの?」

「最初からそう言ってるじゃないですか!」

「いや、下の名前しか話してなかったでしょ……」

「そんなことはどうでもいいんです!」

「いや、あのね……」

 疲れてきたわ、本当。

「市ヶ谷、下の名前知らなかったのか?」

「……頭から消し去りたい出来事だったからね」

「ああ、そういうことか」

「……ええ」

「何のために、司と会っていたんですか!」

「今日の面接の説明よ」

「え?」

「その百草園さんも書道部に入部志望だから、その試験として面接をやることを伝えに行ったのよ」

「……それ、本当ですか?」

「嘘ついて、何の利益があるのよ」

「事情は、分かりました……」

「ええ……」

 やっと、面接に行けるかしら。

「司は、書道部に入りたがっているんですね?」

「まあ、そういうことになるわね……」

「それではあたしも、入部を志望します」

「いや、ええっとね……」

「司が部室に入るということであれば、あたしも入ります」

「……本気?」

「本気に決まっているじゃないですか」

「……入部したい人は、面接を受けることになっているのよ」

「ではあたしも、その面接会とやらに参加します」

「いや、でもね……」

「市ヶ谷、それなら構わないんじゃないか?」

「……どうして?」

「ちょっとこっち来い」


グイッ……


「……手を引っ張るんじゃないわよ」

「いいからいいから」

「……全く」

 こいつからしたら、なんてことないんだろうけど……

「ほら、その百草園って奴の抑えになると思うぞ?」

「……抑え?」

「こいつ、その百草園が好きなんだろ?」

「……ええ」

「だったら、こいつに任せたら凌げるだろ?」

「あんたが、いるでしょ?」

「……え?」

「あんたが、守ってくれるんでしょ?」

「……いや、そんなこと言ってねえよ」

「じゃあ、なんで入部するのよ?」

「……いや、それはだな」

 これくらいで、許してあげるわ。

「考えは分かったわ」

「……え?」

「確かにこの娘がいれば、私から百草園を遠ざけることは可能だと思うわ」

「……ああ、そうだよな」

「この娘も、連れて行くとしましょう」

「……そうだな」

「手、放しなさいよ」

「……ああ、悪い」

 小村井は、私の手を開放する。

「いいわよ、そういうことならあなたも付いてきなさい」

「よろしいんですね?」

「ええ、構わないわ」

「司はあたしのものですけど、良いんですね?」

「……何を言っているの?」

「あたしが入部すれば、あなたを司から遠ざけますよ?」

「……どうぞ?」

「何を企んでるんですか?」

「いや、本心から言っているんだけど……」

 どうしてあんな奴……

「怪しいですね……」

「いや、むしろ好都合なんだけど……」

「好都合?」

「あなたが百草園を遠ざけてくれるなら、ありがたいくらいよ」

「何を言っているんですか?」

「いや、だからね……」

「市ヶ谷は、その百草園って奴を自分から遠ざけたいんだよ」

「……そうなんですか?」

「ああ、そもそも俺が入部を志望したのも、そのためだ」

「……どういうことですか?」

「……俺が、守るってことだよ」

 ……全く、格好つけるんじゃないわよ。

「ごめんなさい、よく聞こえなかったです」

「こいつは私のボディーガードよ。百草園を私に近づけないために、入部をするってことよ」

「そうなんですね……」

「ええ、だからむしろ、遠ざけてくれた方が都合が良いの。この小村井とあなたの二重の守りになるからね」

「……そうですか」

「ええ、だから付いてきなさい」

「……この人とは、どういう関係なんですか?」

「……はい?」

「もしかして、付き合っているんですか?」

「……何を言っているわけ?」

「付き合ってるわけないだろ!」

「……そんな大声で言わなくてもいいでしょ」

「市ヶ谷、なんか言ったか?」

「……全く、なんでもないわよ」

「そうか」

 全く、こいつは全く……

「ただの幼なじみよ、こいつとは」

「幼なじみ?」

「ええ、幼なじみの誼で、お願いしただけの話よ」

「そうですか……」

「ええ……」

 やっと、この不毛なやり取りから脱出できるかしら?

「あなたは、司のことを好きではないんですね?」

「好きどころか、遠ざけたいくらいだって言ってるでしょ?」

「では、利害が一致するというわけですね?」

「利害?」

「あたしは司に近づきたい、あなたは司を遠ざけたい」

「そういうことになるわね……」

「どうも、すみませんでした」

「……え?」

「初対面なのに、無作法を働いてしまいました」

「まあ、別に構わないわよ……」

「あたしは平和主義がモットーなんです」

「……平和主義?」

「はい、友愛の精神を大事にしたいと思っています」

「……そうは思えないけどね」

「何か言いましたか?」

「いいえ、なんでも……」

 口だけなんじゃないの、その友愛精神ってやつ。

「では、部室に参りましょうか」

「そうね……」

「……ただの幼なじみ、なあ」

「小村井、行くわよ?」

「え、ああ……」

「何ボーっとしているのよ」

「……別に、なんでもねえよ」

「そう、じゃあ行きましょう」

「ああ……」

 全く、変な小村井ね。

「あ、自己紹介が遅れました」

「え?」

鳩ノ巣(はとのす)一羽(いちは)、一年生です」

「一年生だったのね……」

「ええ、そうですよ」

「……全く、最近の一年は礼儀がなってないわね」

「何か仰いましたか?」

「いいえ、なんでも……」

「あなたは?」

「え?」

「あなたの自己紹介がまだです」

「……市ヶ谷翼、三年生。書道部長よ」

「三年生だったんですね」

「……そうよ」

「あなたは?」

「……俺か?」

「他に誰もいませんよね?」

「……小村井幸人、三年生」

「市ヶ谷さんと小村井さんですね、これからよろしくお願いします」

「まだ、入部は確定していないのよ?」

「多分大丈夫ですよ」

「……どうして?」

「利害が一致する以上は、市ヶ谷さんは断りようがありません」

「……そうとは限らないわよ?」

「さあ、どうですかねえ?」

 扱いにくい女ね、全く。


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