野球愛好会を作ろう
若人のすなる遊びはさにあれど ベースボールに如くものはあらじ 正岡子規
「あのお、お食事中にすみませんー。」
妙に間延びしているが嫌な感じはしない柔らかな女子の声が、真後ろからした。どうも私に声をかけているようだ。私は囓っていたオニギリと読んでいた雑誌を机に置いて、声の方に顔を向けた。
ヤクルトの真中監督(元監督というべきなのか)を最大限に可愛くしたようなメガネの女子が、ものすごく人徳のありそうな笑顔を浮かべて立っていた。彼女は私が机に置いた「週刊ベースボール」を輝く瞳で一瞥すると、すうっと一呼吸してから最上級の(それこそドラフト1位指名権を引き当てでもしたような)ニコニコ顔で訊ねた。
「野球ー、お好きなんですかあ?」
「ええ、まあ……。」
私は小さな低い声で曖昧な返事をしつつ、改めて真中女史をザザッと観察する。制服のリボンの色は青色…つまり1年生か。1年生がどうして2年の教室までやってきて、わざわざ私のような目立たず騒がずを信条に生きている地味な人間に声を掛けたりするのか?私は自分の臙脂色のリボンを弄びつつ真中女史の表情をチラチラと窺った。
私の内心を知ってか知らずか、真中女史は言葉を続けた。
「今朝、コンビニで週刊ベースボールを買ってるのを見かけて……。それでぇ、本当に失礼で申し訳ないとは思ったんですけどー、やっぱり同じ学校に野球好きな女の方を発見できたのが、ものすごーく嬉しくって……、あのー、つい尾行して、下駄箱でクラスとお名前チェックしてしまったんです!ごめんなさいっ!!」
「え、ああ、はあ。」
やたらめったら前のめりな真中女史に気圧されて、私は内角厳しめのボールを避けるように仰け反りながら、なんとも間が抜けた相槌を打つばかりだ。
「そ、れ、で、ですね。本当に突然で申し訳ないないんですけどー。」
更に一歩前に出てくる真中女史の眼鏡の奥が、真中というよりノムさんの如く鋭く光った。(ような気がした)
「野球愛好会のメンバーに、なってくださいませんか?」
「は?」
「だ、か、ら、野球愛好会です。」
虚をつかれる、というのはこういうことなのか。私は「やきゅうあいこうかい」という単語を咄嗟に上手く漢字変換出来ず、ロージンバッグさながらに齧り掛けのオニギリを左手でモジモジと触って間合いを取ろうとした。そして、探り探りボールを投じる。
「野球部なら、もうあると思うんだけど……。女子が入部できるかどうかは知らないけど。それに私、運動はからっきし駄目だし……。」
「違うんですよー。野球をプレイするんじゃなくてえ、観戦というかー、応援する会を作りたいんですよー!!」
ははあん、成程。だから愛好会なわけか。
でも、それってわざわざ学校で活動する意味あるのかな。……もしかして、部費とか学校から貰えたりすんのかな。だったらレプリカユニフォームとか買いたいな。夏休みにどこか遠くの球場に遠征とかできるのかな。あわよくばなんとか沖縄キャンプに……。
私が脳内のオーロラビジョンに甘い夢をガンガン垂れ流しているのを、真中女史の声が中断させた。
「それでぇ、愛好会を作るのには3人以上のメンバーが必要なんですけどー、先輩ー、誰か心当たり、ありません?」
なんてこった。メチャクチャ行動力ありそうなのに、まだ私ひとりにしか声を掛けていなかったのか!
「えーと、取り敢えずあの辺でプロスピとかやってる男子とかに声掛けてみたら?」
「ダメですよ!!!あの辺の男子はみんな讀賣のファンばっかりでしたもん!!」
いきなり真中女史の顔が険しくなった。こわい。
「もしかして……ジャイアンツのファンは、駄目なの?」
「そうですよ!先輩はさっき週刊ベースボールお読みになっているとき、菅野と戸郷のページ飛ばしてたんで、これは絶対に巨人ファンじゃないなって思って声を掛けたんです!!」
おおう、アンチ巨人こわい。真中女史はキリリと凛々しく宣言した。
「私は!阪神タイガースの応援をする会を作りたいんです!!」
「それ、野球愛好会じゃなくて、阪神タイガース私設応援団じゃないの。……ていうか、あなたヤクルトファンじゃなかったの?!」
しまった。真中に似てると思って、こいつは完全にヤクルトファンだと思い込んでいた。しかし阪神ファンだときくと不思議なもので、真中というより藪に似ているように見えてきた。
「え?先輩はヤクルトのファンなんですか?!」
真中改め藪は、目を真ん丸に見開いて驚愕の表情を作った。
「あ、いや……。私は、ドラゴンズファンなんだけど……。」
「そんな……。そういえば先輩、よく見ると吉見に似てますもんね。」
なんかこいつ、絶妙に腹立つところにボール球放ってきやがるな。藪は私の苛立ちをよそに捲したてる。
「それはそうと先輩!なんとか阪神ファンになってくださいよ!!矢野監督も井上コーチはじめコーチ陣の大半が中日出身だし、山本昌さんだって臨時コーチして藤浪を見てくださったし、もうこの際、阪神の応援してくださいよ!!」
……私はもう限界だ。ここはもうハッキリ言わせてもらおう。
「だったら、お前が中日ファンになれよ!!」
九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり 正岡子規