第二十八話 殺シ[逢う]
真嗣がビルに降り立った瞬間に殺し合いは始まったのだ。役者が舞台に立てば、演劇が始まるのと同じように。
曲がりくねり襲いくる銀線を捌く。体が悲鳴を上げようとするが、今更そんな物に耳を貸すほど、温くはない。
一旦引き戻った、より威力の高い一撃をこれまた力を籠めた剣閃で弾き返す。
そして、間髪入れずに距離を置いた。
「へぇえ、今日は前に前に出てこねぇんだなぁ」
舌舐めずりをして挑発する幸利。
体中を走り抜けるのは軋みと、衝動。
だが、その衝動に身を委ねる気は更々無い。
前回はそれで敗北したのだ。
「ふんっ、今日はなかなか良い面構えじゃねえか、覚悟は決めてきたみたいだな、あぁ?」
「お前は、理由はいらないと言ったな」
幸利の無駄口に付き合う気はないのだろう。単刀直入に問いを投げる。先ほど、幸利が口にした事への問い。
「いらねえ、俺は俺だから強くなりてぇえ。くく、本能ってやつなんじゃねぇの」
満足げに笑うその瞳には一切の迷いはない。
思う、ただ思った。
真嗣は何故かその瞳に敬意を抱く自分に気付いた。殺すべき相手なのに、こいつを殺さなければ本当に全てを失うと言うのに。
ああ、そうか。
「全てを失う、か」
心中で呟き、口から零れる。
迷いの無いと言う事の何と難しくて、そして尊い事か。
「てめぇは理由がいるのかぁあ?その刃を振るい続けるのによぉ?」
真嗣の顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
それを若干驚きながら、だが、少し嬉しそうに幸利は見ていた。
「いるさ。全てを失ったと思っていたけど、俺には」
「いい。それ以上は喋る必要ねぇよ。てめぇがいるってんならそれで構わねえ」
姿勢を低く、構える。
徐々に伸ばす武器の先を槍兵がそうするように穂先を地に向けて低く、斜に構える。
さながら、獲物を狙い澄ます肉食獣のように。
力を跳躍の為に足に、そして貫くために凶器を操る両腕に込める。
それを見た真嗣の周囲には一本、二本と短刀が浮かび始める。
それはあっと言う間に空間を埋め尽くしていく。
「おもしれぇ。防げるか、俺の必殺の一撃を」
言い終わった瞬間だったのだろう。
瞬間、真嗣の視界の中で幸利の姿が消えた。
「もらったぜ、てぇめの命をっ」
声が遅れて聞こえてくる錯覚。だが、姿が消える前に発しただろう言葉が耳に届くよりも、幸利が消えるよりも早く、真嗣は動いていた。
右腕を全力で撥ね上げる。心臓を狙った直線の一撃は上方へと逸れる。
この男が必殺と言うからにはまさしく、必ず殺す為に狙う場所は読めた。
遅れるようにして、甲高い金属のぶつかり合う音が聞こえた。
幸利の姿は依然視界に無い。
だが、どこにいるのか真嗣は感じようとする。まだ、奴の一撃は終わっていない。
右腕は振るったまま横に流れている。
上だ。
左腕を振るう。体を横へと跳ばせながら上から襲い来るであろうその軌道を迎え撃つ。
やはりまた金属音と共に銀線の先端が体の跳ぶ方向とは逆の方へと離れてゆく。
それでも、幸利を視界に捉える事が出来ない。
上にはもう居ない。銀線が夜空を背景に煌めいた。
その線がするすると縮んでいく。
手離して…!
「必殺の一撃ってのは」
声はすぐ前から。
いつの間にっ!
上でも横でも、銀線の先でも無く。奴は、今、目の前にいる。
振り切った両腕では間に合わない。
だ、今の真嗣には三撃目の手がある。
意識だけを集中して周りに浮かぶ短刀を幸利目がけて飛ばす。
それよりも早く衝撃が胸を襲った。
蹴りで真嗣を吹き飛ばすのと同時に自らも反動で短刀の嵐から後方へと逃れる。
「一連の流れの中の最終章で完結するんだぜぇえええ!」
目標を失い、互いに接触しあい音を立てて落ちていく刃の群れの向こうから声が響く。
真嗣が見たのは何かを自分の方へと手招く様な仕草の幸利。
紐、細い紐…だと。
それを手繰り寄せ、己の武器を再び手の内に呼び戻す幸利の姿、そして、それを認識した時、銀線は唸りを上げて牙を向いた。
獲物を貫かんと。