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第二十二話 開幕[終曲]

久々の命令は士月を介してでは無かった。

鬼籍院本来の命令伝達方法として専門の人間がそれを伝えにきた。

彼等は決してその命令内容を漏らさないそうだ。

何故なのかは真嗣も知らない。

何かあれば、喋る前に自害でもするのだろう。

想像など容易く出来る。

そう言う風に人間にプログラムする事など何ら難しいことではないからだ。

「…以上です」

伝えられた命令に頷く。

何故士月が来ないのか、とは考えなかった。

この命令が罠ではないのか、とも考えなかった。

いや、考えなかったと言えば嘘になるだろう。

考えても仕方が無いし、この現在の状況下で真嗣に出来る事もない。

そして、今。

「時間だ」

夜の闇に向かって、呟く。

実際には、夜の闇、などと大袈裟に言う時間では無かった。

時計の針は未だ、十二の時の内、四分の三を回っただけに過ぎない。

日を跨ぐのはまだ、先。

それでも、この時間であれば標的を処刑場へと上手く誘導する事が出来ると伝えられている。

ならば、自分が考える事は一つのみ。そこに現れた者を速やかに排除するだけだ。

真嗣は朝方に命令を受け、一度外出した。

正午を僅かに過ぎた頃。気が向いたから、ただ、真夏の炎天下の下を気の赴くままに歩いた。

冷えた心でも、体は汗を掻くんだなと思って思わず苦笑いが零れた。

顎から汗が滴り落ちる感覚は不思議と新鮮だった。

学校で野球をやっている時はいつもこんな感じだったのかな。

ほんの僅か前の、その出来事がまるで遠く手の届かない彼方にある過去のように感じられたのも苦笑いに混ぜていた。

いつかはこうなると確信していて、その時は本当に唐突にやってきたと言う感じである。

嘘っぱちの平穏が崩壊していく音が聞こえると思った。

そんな訳がないとも分かっていても、聞こえると思ってしまう。

堕ちていく精神とは裏腹に体には気力が漲ってくるのを真嗣は感じた。

舞台に赴く役者として、血が騒ぐ。

ベランダに出た彼の眼前には、まだ音が溢れ続ける街が映る。

その先にあるステージへと、右足をベランダの手すりにかけていた。

軽い跳躍、身は深淵の闇へと躍り出て、頬を風が撫ぜる。

血が、全身を駆け巡る。血が欲しいと体が叫ぶ。

「はっ、はは」

手には顕現した凶器が握られる。

高層ビルから次のビルへと次々と足をかけ、蹴り、また足をかける。

人間にはこんな事は出来ない。即ち、自分は人間では無いと言う事の証明を、今、己自身で行っている。

何時ものように漆黒を身に纏い、闇に踊る暗殺者と言う名の化物は、宙を切り裂いてゆく。

暗殺者は上がる、最高の舞台へと。




「おうおう、あんなに真っ黒な殺気を撒き散らして」

視界の彼方を過ぎていく異常な人型を三国幸利はビルの屋上から見ていた。

ビルの屋上のさらに頂に胡坐をかいて座る。

右手で三十センチ程の鉄パイプの切れ端を弄びながら言う。

「この間とは随分と雰囲気が違ううみてぇだが、あれが本性って事かぁ?」

腕を組んで考える。

「血に呑まれたのか。けど、困ったな」

舌打ち共に顔を歪める。

「俺が殺し合いたいのは『銀翼』であって、あんな狂気じみた殺人鬼じゃねぇし」

幸利はすっと立ち上がる。

すらりとした長身とスタイルの良さが相まってどこかのスポーツ選手のようだ。

今風のジーンズを引き摺り、手の中の鉄パイプを宙で一回転させる。

「まぁ、狂気ってのは決して嫌いじゃないけどなぁ」

自分も狂っているみたいな物だ。

そう独りごち、彼もまた舞台へと向かう。

「あー、早く殺し合いてぇのに、ったく、面倒くせぇ!」

捨て台詞を吐き、跳んだ。










振るう、剣閃は血糊を纏いながら。

結局、今の俺にはこれしか出来ないのだから。

息が、やはり上がる。

整えようとして失敗したかのように、再び乱れた。

屋上ってのはよくあるシチュエーションだと思った。

目の前には死体が。この手で生を奪った者が。

簡単な仕事だった。

物足りない、物足りない、血の量が圧倒的に不足している。

浴びたシャワーが少ないから、興奮が治まらないんだ!

士月はおそらくこの場には現れないのだろう。

止める者は居ない、か。

振り返った。

カランと、やけに乾いた音が木霊した。

足元から何でそんな音がしたのかは分かっている。だって、自分で手に握っていた物を落としてしまったのだから。

目が合った。

それは、闇の中でも不思議なほどに確信できた。

屋上の端に現れた人物を、見ている。

此処に居る筈の無い、いや、この世界にあり得ない彼女。

本当に唐突だ。

今日二度目の呟きが心中に広がって、消えた。

次に拡散した波紋は思考を黒い色に染めていった。

殺さなければ。

見られた事自体が不覚。

だから、ちゃんと後始末をしなければ。

何故彼女が今、ここにいるのかと言う考えは意味を為さない。

そんな物を知ったとしても、彼女を殺さなければいけない事実だけは揺らぎようがなかった。

血の滾りがまるで、凍り付いたように止まっている事に気付く。

手に得物は顕現させていない。

だが、一歩、足を進めていた。






何の事もない偶然。

このビルで週一のピアノレッスンを受けていた。

普段はレッスンが終わり次第、帰宅している。

だが、屋上へと続く階段から物音が聞こえた。

好奇心旺盛な自分の性格を自覚していた飛鳥はほんの軽い気持ちで足を、気の向くままに進めた。

そして、その場に遭遇していた。榎本真嗣が、人を殺す瞬間に。


覚悟はとうの昔に決めていた。

いつかこんな日が来る予感は確かにあった。

あの日、血塗れの彼の倒れ伏した姿を目にした時、直感は告げていたのだ。

関わってはいけないと。

これは世界が違うと。

だけど、私は真嗣に触れていた。

気付いた時はその近くに居た。

今までは。

けれど、一歩、後ずさる。

あの日、この先、例えどんな光景をこの目にしようとも逃げないって決めたのに。

まだ覚悟が足りないって言うの?

迫ってくる真嗣に表情は無い。

彼に今浮かんでいる物は無としか言いようが無いのか。

何時も見てきた、彼の呆れた顔もやけにガキっぽい表情も存在しない。

では、今見ているのは誰なのか。

自分に迫って来ているからか。

飛鳥には分からない事だらけだ。

ただ、暑さに歪む月光だけが、彼女と彼を照らしている。

飛鳥を見据える真嗣に言葉は無い。

死んでくれ、とも。お前を殺す、とも。消えろ、とも。


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