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第二十一話 追憶[終焉の過日]

息が上がる。心臓の鼓動が早鐘のように止まらない。一体今日だけで何人を殺したのだろうか。

真嗣がこの希市に配されて四か月余りの日。

季節が夏に移ろおうとしていた、ある夜のことだった。

この希市に来て、そして、いきなり『鬼籍院』の筆頭と言う一番高い場所に据えられた。

まだ、人を殺す事にも慣れていない。だから、命の重さなんてのも良く理解はしていない。

それでも、やらなければいけない仕事は次々にあった。

そのどれもが一日に一人程度の暗殺。

だが、この日は違った。芋づる式に釣り上げられた、組織に反逆の意を抱く七人。

その者達が連携して動く隙を一切与えない為に、全てをこの一晩で終わらせなければならなかった。

そして、榎本真嗣は見事にその命を遂行して見せたのだ。

口から息が漏れた。

殴られたかのように、頭に鈍痛が残り続けている。

意識には白い靄のようなものがかかっている。

だから、この不透明な視界と思考のお陰で、今は先程まで体中を走り抜けていた快楽とも、辛苦とも言える感覚を出来るだけクリアな状態にしておける。

手には、命をえぐり取った感触が。

知らず知らずの内に体が壁に寄りかかり、そして、ずり落ちる。

少しずつ体に毒が回って、力が奪われていく。そういう風な表現が当てはまるように虚脱感の波が周期的に襲ってくる。

意識すら手放しかけたその時、声が聞こえた。

「どうしたのよ、大丈夫?」

見られた、今の俺を。

殺さなければ。

最初に思ったのはそれだった。

体が倒れきることはない。誰かが支えているのだ。

ぼんやりと見上げたそこには最近見知った顔が。

「大丈夫?」

もう一度声がした。

普段の彼女からは想像がつかないぐらい、落ち付いていて、その声はとても優しかった。

「あ、すか」

覚えていたその少女の名を呟く。

まだ、体は血に塗れていたのだろうか。良く覚えていない。

彼女はじっと真嗣を見つめ、騒ぐ事も、怖がる事もなかった。

だから、きっと自分の体は返り血に濡れている事もないのだと真嗣は悟った。

相手が一人や二人の時は、返り血など浴びた事もなかったから、今日だってそれが少し増えた程度じゃないか。

安心して、だが、その考えは心に浮かぶ。

でも、見られたんだから、殺さなきゃ。

思った通りに、手の届くところにいる彼女に掌を伸ばす。

「大丈夫だから」

微笑みが真嗣の心に触れる。

先程まで覚えていた意識の痺れは何時の間にか消えていた。

代わりに、微かな温もりだけが心に残る。

その感情を何と呼ぶのか、彼はまだ知らなかった。

そして、徐々に消えていく意識。その過程は少しだけ穏やかだった気がする。

あまりにも少年だった真嗣はまだ中学二年生だった。

その背中に復讐への道と引き換えに背負う名も知らない命達は、とても重かった。










今はあの頃とは違う。

自分は成長していた、心も体も。

だから、いくら憔悴しているからと言ってもこんなところで倒れる訳にはいかない。

体を引き摺り、壁に寄り掛かりながらも前進する。

部屋まで、そうすれば、意識を放りだせる。

そうやって、大して距離もない廊下を少しずつ少しずつ奥へと進んでいく。

そして、辿り着いた自分の家の扉の前。

オートロック完備のマンションなので、扉脇にある電子ロックへパスワードを入力して鍵を開けると言う仕組みである。

思考は全く巡らないが、指がパスワードを覚えている。

甲高い音が鍵の解錠を告げた。

ドアを開け、中に足を踏み入れた瞬間に真嗣は意識を手放していた。

倒れていく時間が可笑しな位にスローに感じる。

ドアが閉まる音が虚しく響いた。

これ以上意識を保ち続ければ、その衝動を完全に解き放ってしまうかもしれない。

真嗣はそれを無意識の内に悟っていた。

今は、眠る事だ。

起きれば、ただ、仕事を片付けたと言う感慨が残るのみ。

そして、それが正しいのだ。






今、思えば。

自分の家族が何を生業としていたか、今なら分かる。

だから、例え自分に優しく、惜しみない愛情を注いでくれた彼らでも、真っ当な死に様を迎えられる訳がなかったんだ。

俺が、ある組織に良いように道具として使われているのと同じように、彼等もまた。

血は争えないって事か。

此処は夢の中だから。何も無い真っ白な空間だから、こんな考えさえも思い浮かべることが出来るし、そうやって自嘲も出来る。

いつもこんな、取り留めの無い夢ばかりだ。

起きれば、全て虚空の何処かへ忘れ去っていると言うのに。

そうやって今日もまた、眠りの世界から覚醒していく。ハズだった。

ぢかぢかする。目が、頭が、壊れそうだ。

生きろ、と父親はそう彼に向って言ったのか。

膝が血溜まりへと落ちる。

目の前の父親が既に生きていない事など、幾ら幼い自分にも判別できる。

声を、上げる。喉が潰れるぐらいの勢いで叫べば少しは自我を取り戻せそうだったから。けれど、それは所詮、自己防衛行為に過ぎない。

感情は臨界点を突破する。

無数の刃が突如として空間に溢れ、煌めき、舞おうとした。

「駄目だよ、これ以上死者を辱めては」

誰だ、と言う声すら出ない。

何時の間にか父親だった物に向かって突き出していた腕に、やはり何時の間にか隣に居た人物の手が優しく触れる。

「君はこの惨劇の中で生き残るべくして生き残った」

声は響く。

「違う、ただ、その時に、居なかった、だけ」

掠れた声を喉の奥から振り絞る。

「そうだね。ただの偶然かもしれない。けど、君は生き残った。拾った命を再び捨てる事も出来るだろう。それは君自身が決める事だ」

肩に置かれた手はどこまでも優しい。

少年はそう感じた自分自身を遠くから見つめているような感覚に襲われた。

「何で、何で、こんな事に…」

ふっと恨み事とも、純粋な疑問とも取れる呟きを漏らす。

今なら分かる。けど、その時の少年には理解出来ない事。

「今日の真実を望むのかい?」

少年は顔を振り上げていた。初めて、自分に触れていた者の顔を認識する。

「君には何故こんな事になったのか、失った者として知る権利がある、と僕は思うけどね」

今なら、分かる、ハズなんだ…!

何時もよりも随分と長い夢は、遂に終局へと向かい始めた。

目に映る光景に白い靄がかかり始めている。

俺は、結局気付かないふりをしているだけなのか。

一人、生き残ってしまった事から逃げるために、無様に生にしがみつく為だけに、理由をつけているだけなのか…!

教えて、と懇願するのは幼き日の自分。

「そうかい、知りたいかい?」

違う、違う、違う!本当は、俺は最初から。

続く言葉を遮るように、彼はその名を告げる。

「僕の名前は両莽士月。君の味方だよ」

夢は誰かの名乗りと共に終わりを告げる。







とあるビルの屋上、惨殺の劇から何日かの時を真嗣は無為に過ごした。

その間、士月から特に連絡が来る事も無かった。

『闇』と言う組織との騙し合いはどうなったのだろうか。

疑問に思わなった訳では無かったが、自分から士月に接触する事が出来ないのだと、今更ながらに知るだけだった。

いつも必要な時はあいつからやってきたし、連絡があった。

今はそれが無い。

何も連絡するような事は無いと言う事なのか。

それとも…。

不意に浮かんだ考えを、首を振って否定する。

自分ならまだしも、あの男がそんなヘマをやる訳がない。

士月なら上手く立ち回り、己の身を危険にさらす事など無いだろう。

結局、『闇』の現本部に彼の作戦で乗り込んだ真嗣自身も何事もなくこうして此処にいるのだ。彼の読みは正しかったと言う事だ。

それにしても、北条との会話では、奴は『闇』との繋がりを匂わせるような事を言ってはいたが、確たる言葉は無かった。

殺さずに捕らえたのだから、何かしらの情報を士月が掴んでいると思うしかない。

そういう点は基本的に彼に一任して、今まで動いてきたのだ。

そう思いなおすと考える事を放棄して手足を投げだす。

ぼんやりとソファに腰掛けどんよりと曇った空を窓越しに眺める。

マンションと言う事で、地上から見上げるよりも空に近いここからの眺めではあったが、この空模様では心は晴れなどしない。

快晴なら、な。

精一杯の強がりのような気がして一人で笑う。

台風が近づいて来ている、と点けっぱなしのテレビが喚いている。

熱い夏は、未だ終わらない。


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