第十九話 崩壊[狂喜]
「来いよ、全員纏めて、殺してやる」
物語の台詞に意味を。
そして、この手に命を切り裂く鼓動と意義を。
「ふふっ、その余裕がいつまで続くかな」
白衣の男は未だに分かっていなかった。
今、自分が対峙している存在がどれだけ危険なのかを。
否、危険と言う言葉が如何に生温いのか、理解していなかった。
音も無く真嗣に忍び寄ってくる影達。
頬を打った風に微笑みを浮かべる。
片手の刃を振るう。
「さぁ」
始まりだ、とそう言う代わりに真嗣も走り出す。
正面に疾駆。
迷いなく、駆け寄る。
暗視スコープより放たれた赤い線が闇に尾を引いて迫る。
首を巡らせ、最小限の動きでかわした時は既に影が一体、目前に迫っていた。
周りの数体はまだ、真嗣に手が届く位置までは追い切れていない。
右手を体毎思いっきり下げると、そのまま振り上げた。
銀色の閃光が奔るのと、胴を下から袈裟掛けに切り上げるのは全くの同時と言っていい。
反応など出来るはずもなく、無言のまま崩れかける。
だが、そのままの敗北を許しはしない。
閃かせた刃を既に体の後ろへと引かれている。
弓なりに反らせた勢いそのままに投げるように、胸の上へと突き立てた。
短く息を漏らすその標的に真嗣は興味を失う。
次の獲物はいくらでも居るのだ。
失った刃は右手にあった、一振り。
そして、今度は両の手に引き出した短刀を握りしめる。
宙に飛びあがり、ある一体の背後に降り立つ。
音が無い訳ではない。気配を絶った訳でもない。
だから、背後に立たれたそれは当然のように気付く。
反応して、そして振り向いたとき。
背中から入った熱さは腹へと突き抜けていた。
「血は赤いのか?」
口内より液体が溢れたが、その色は判別できない。
倒れゆく物に最後の言葉を掛ける。
「感覚があるのか知らないけど、熱いだろ」
口の端が快感で歪む。
拳が飛んでくる。
常人なら反応も出来ない速度の一撃を最初から、その場に顔が無かったかのようによける。
逆に拳の主の額には刃がめり込む。
呻きに、そのあるかも分からない痛みと言う感覚を訴える声に、呼応してバックステップ。右手を左の脇越しに後部へ突き出す。
どん、と言う鈍い衝撃音。
体と体がぶつかる音の後に残されたのは、飛沫。
ずるりと倒れ伏す。
「悪いな。今日は数を数えられるほど、冷静じゃないんだ」
闇の中でもはっきりと浮かび上がる表情は、果たして恍惚なのか。
それとも、苦悶に満ちた微笑なのか。
「な、何が起こった…」
一分という時間は、六十秒だ。
今、北条が余裕で吐いた言葉から経過した時間など、精々その位だろう。
だが、たったそれだけの時間で何人が殺されたと言うのか。
真嗣がぶらりと、プロダクトタイプの一体に歩み寄る。
もちろん、プロダクトタイプも黙って立っているだけではなく真嗣を倒そうと攻撃を仕掛ける。
次の瞬間には当たり前の様に、腕が、首が、血飛沫が宙を舞う。
そして、倒れる。
また一体が戦闘不能になる。
絶句だった。
あり得ない光景でもあった。
「何故だ、何故、こうも簡単に、何故…」う
ショックからか、うわ言のように繰り返す北条。
彼の計算からすれば確かにあり得ない事態だった。
量産型と言う事で、最終調整まで完璧に済んでいるプロダクトタイプはプロトタイプとは格段の性能の差があると言っていい。
確かにプロトタイプは真嗣に敗れたが、それでもそこに圧倒的な実力差は無かった筈だ。
故に、プロトタイプよりも遥かに優れたこのプロダクトタイプで、しかも、この一対多数の状況で何故こうなるのか、北条には皆目見当も付かない。
「く、何をしている一斉にかかれ!その男は、危険だ、あまりにも危険すぎる!」
まだ、自分の身の危機と言うものには気付いていない。
今はただ意味も分からずに焦りと悪寒を抑えて叫ぶ事だけに腐心する。
「良い反応だよ、研究者。さて、質問なんだが…」
いつもよりも昂る感情を何とか飲み込み、真嗣は喋った。
片手で顔を覆いながら言葉を発さないと、狂乱者のように叫びだしてしまいそうになる自分をどうにか抑えながら。
「どうした?何も反論してこないところを見ると、俺が質問出来る立場になったみたいだな」
「ほざけ、まだ何人残っていると思っているのだ!」
叫ぶ男を、心底愉しむように眺める。
「そうか。なら、お前一人になった後にもう一度聞くとするか」
言い終わる瞬間に真嗣が立つ位置から一つ短刀を放り、後に走り出す。
不意に飛んできた短刀を咄嗟に腕で弾いた一体は、次の瞬間に己の腹にえぐり差し込まれる感覚を味わった。
拳を振り下ろそうとして、瞬く間に何度も熱さが体の中へと入ってくる。
真嗣は交差する形で飛んできた紅線をしゃがみ、十センチのバックステップで共に無に帰す。
再び放られた短刀を追いかける形で、今しがた光を放った片方に接近する。
やはり、前に倒れたプロダクトタイプと同じように弾こうとする。
が、真嗣はその頭上をくるりと前転で舞う。
踵を渾身の力で斧の如く振るう。
背中を強かに蹴られたそれは、バランスを崩し前方より飛んできた短刀を防ぐ事は叶わず。
背中に突き抜けた切っ先が僅か光る。
さらに、真嗣は後ろを振り向きもせずに二本、今度は背中より突き入れる。
風の唸る音を真嗣の耳が捕捉する。
直後、目前に迫った拳撃の嵐を全て紙一重でかわしながら、どこからともなく飛んでくる赤い閃光は、目にも止まらない銀色の閃光を振るう事で相殺する。
欠けては、手に現れる無限の刃。
そして、その行動を取りながら、訳も無く目の前の相手を短刀でもってして切り伏せる。
近くにいる敵を倒せば、次の近くにいる敵へ。
「何だ、あれは」
北条には最早戦闘を断片的に捉える事しか出来なくなっていた。
自分が投げた物よりも早く動く人間など見た事がない。
そんな事は物理的に不可能だ。
だが、目の前で起こった結果だけを見れば、そうとしか考えられない。
そう。物理的に不可能なそれに対応出来る性能は、プロダクトタイプには無い。
それでも、数の利がある。サシでは無理でも、同時に攻めれば。そう思っていた。
その認識も、今、眼前でリアルタイムに崩されていく。
刻一刻とタイムリミットは近付いてくる。
感覚が麻痺したように目前での戦闘を、いや、既に一方的な殺戮ショーと化した舞台を見続けることしか出来ない。
とん、と地を蹴り、瞬きすら許さない間で踏み込み、切り込んだ。
「くく、最後の一匹だ。死ね」
言葉と切り上げるという行為を実に愉快そうに行う。
いつかのように交差した閃光で切り裂く。
真正面からの返り血を浴びて、スーツの黒で塗りつぶされているのか、闇夜に馴染んだ赤黒い鮮血なのか。
黒に異様に浮かび上がる、ただ黒い暗殺者。
ぺろりと出した舌の赤味が漆黒の中に不意に浮かびがったような錯覚すら覚えるほどだ。
「さぁ、後はお前一人だぜ」
北条は既に理解している。
生ある生物なら、その瞬間に至るまでは決して理解しようのない死の感覚。
それを、今はっきりと感じた。
恐怖しても、逃亡しても無駄だと言う事を。
僅かに思いを巡らせる。
利用されている事は分かっていたが、別にそれでも構わなかった。
逆に委員会の連中を利用する事が可能だ。そして、自分の研究はまた一歩前進する。
ならば、何の不都合があろうか。
己の研究に絶対の自信があった。思う通りに動く戦闘人形。それを従えて委員会の思惑すら破綻させてやるつもりであった。
だが、委員会云々の話どころではない。
結局、自分はこのヒトでは無い存在を計り間違えたのか。
違うな。こんなものを計る事など出来ないのだ。
「言う事は?」
一歩、また一歩。
死が、近づいてくる。
今更口にする事など無い。
何を口にしたところで生を失う時間が僅かばかり先送りにされるだけだ。
それでも、最後の研究者たる好奇心は、恐怖を凌駕して言葉を零した。
「あは、君をバラバラにしてみたかったな」
計測不能な物を自分の手で解剖する楽しみに思いを飛ばして。
あっさりと死を受け入れた。
二人の距離はもう何メートルもない。
残酷でもなく、殺人の快感でもなく、人間の感情でもなく。
真嗣は笑った。
口の端に浮いたもの酷薄な微笑でもなく。
純粋な笑み。
その手で脆弱な命を刈り取る、本物の喜びに満たされていた。