イヌが『ニャン』と鳴いたなら
空想部、部員2名。僕と先輩の2人だけ。学校に認められている部活ではなく、帰宅部の僕が勝手に作った空想の部活だ。放課後の三十分間だけ、僕は先輩の教室でおしゃべりしたり、隠し持ってきたお菓子を食べたり、テスト勉強している先輩の横で眠ったりしている。でも、先輩は僕のことを鬱陶しく思っている。一度、先輩の周りをうろつき回っていた僕は「近寄るな」と言われたことがある。「絶対に嫌だ」と僕が言うと、放課後のこの時間だけ近づくことを許された。他の時間ときに近づかないのならと、先輩も渋々折れてくれた。本当は先輩は早く家に帰って勉強したいって思っている。先輩も帰宅部。帰宅部が学校に残る理由はない。“僕のためにだけに”残ってくれていると思うと嬉しくてたまらない。もっと僕のために・・・なんて思ったら罰当たりかもしれない。
5時になると、先輩の教室には先輩しか居ない。
今日も僕は先輩の三十分間を独り占めする。
「先輩、今日はなんのお話しますか?」
「改まってなんだ?いつも勝手に話し始めるじゃないか」
「僕の話ばかりだったから、先輩の話も聞きたいです」
「そうか……、じゃあ、これ見て」
「かわいいいいい!!」
先輩が見せてくれたのは、真っ黒な毛のトイプードルだった。
「先輩、イヌ飼っていたんですか?」
「妹がどうしても飼いたいって言い続けて、最近飼い始めたんだ」
「へえ……」
先輩に妹がいたことも初めて知ったが、イヌを抱いて写る先輩が可愛かった。
きっと、このトイプーは先輩によく懐いているんだろうな。
「先輩、イヌってなんで『ワン』としか鳴かないんでしょうか…」
「それはイヌだからだよー。ネコだって『ニャン』としか鳴かないし、」
「じゃあ、イヌが『ニャン』と鳴けない理由を知りたいです」
「知ってどうするの?」
「『ニャン』と鳴けない理由が解れば、『ニャン』と鳴かせる方法が見つかるかもしれないじゃないですか」
「『ニャン』と鳴けない理由がハッキリと解った上で『ニャン』と鳴かす方法が見つかるか?」
「……むっ」
「墓穴ほった?笑」
「そもそも、イヌに『ワン』以外を言わせてどうする?」
「僕の代わりに先輩の傍にいてもらおうかと……」
「別にイヌが人の言葉を喋れなくても、傍にいられると思うけど……?」
「喋れないと意味がないです」
数分の沈黙。貴重な三十分が無駄に削られてしまう。
「変なこと言いました。すみません」
「いや、いいんだよ。イヌが『ワン』以外に鳴けたなら面白そうだ」
「ですよね…」
「研究してみればいいんじゃない?ほら、課題研究あるでしょ?」
「イヌの声帯調べるってどうするんですか?」
「それも研究するんだよー」
「あーあ、せっかく先輩の時間貰ってるのに難しい話になっちゃったー」
「始めたのはお前だけどなー笑」
「じゃあ、簡単な話にします」
「……僕は先輩のことが好きですよ?」
「……」
「もっと難しい話だなー」
このくだり、もう何回目だろうか。
僕は必ず先輩に告白めいたことを言うのに、真面目に聞いてくれない。三十分間、僕のために、本当に僕の為なら僕の話を真剣に聞いてくれよ。ここまでしてくれる先輩に言えるようなことじゃないけれど。
もうすぐ5時半。
「……先輩?」
「なんだ?」
「やっぱり、僕はイヌに『ワン』以外言わせたいです」
「じゃあ、研究頑張るんだな!笑」
「はい、笑」
……あと1分。
「イヌが『ニャン』と鳴けるようになったら、世界は変わるでしょうか?」
「うーん、変わらないといけないな」
先輩が言うと同時にスマホのタイマーも鳴った。
「じゃあまたな」と先輩はいつも通りに言う。僕もいつもと同じく荷物を整理して、リュックを背負う。
ドアを開ける前に「絶対に諦めませんよ!!」と言い残し、僕は教室をあとにした。
もし、イヌが『ニャン』と鳴いたなら、僕は変わるだろうか。いや、僕はきっと変わらない。世界が変わったとしても、僕だけはずっと変わらない。