文豪達が筆を置いて箸をとる
夕暮れ時、「ジリリリリリ」とオンボロ学生アパートから呼び鈴の音が響いた。
こういうベルの音もまた古臭さを増長させるなと、鳴らした男、夏川 治はそんなことを考えつつ、扉の前で返答を待つ。
だが、いくら待っても返事は無い。
治は「はぁ」と溜息をつくと、ドアノブを回す。
案の定、鍵は閉まってなかった。
「おーい、生きとるかー?」
と、そんな言葉を言った後に、まるでサスペンスドラマのようだなと気づく。
この流れだと、亡くなった住人を見るハメになるのだが。
「………生きてます。なんとか」
しかして、声が返ってきた。
綺麗なハスキーボイス、女性の声であった。
その部屋を訪れた者が思う言葉は、何であろうか。
治は『閉館した図書館』を連想した。
部屋の中は質素を通り越して、寂しい。
目覚まし時計にベットと机、それだけ。
備え付けの冷蔵庫がよほどお洒落な芸術品に見えてしまうほど、その部屋には無かった。
いや、正確にはそれ以外がある、というかそれしか無いからこの有様なのか。
ベットを囲んで覆い尽くすように建てられた本棚に、その中にギッシリと整えられた蔵書の数々。
ここが二階であれば、床が抜けていたであろうことは容易にイメージできる。
「これがよ。いのち短し恋せにゃいけない女子大生の部屋だってんだから、泣けてくるぜ」
知ってはいたが、荒野のような部屋を見せられれば、心の声が溢れてしまうのも致し方ない。
ただ、ここの住人は荒野ではなく理想郷にラリって見えているらしい。
「心外です、夏川さん。この空間の良さが分からないなんて」
「これが分かった時には侘しい生活しなきゃいけんなら、俺は分からんでいいよ。本の妖精さま」
軽くからかってやると当の本人はムスリとご立腹。
なんだ、図星か。
「誰が本の妖精ですか。私には奥ノ町 冬子という名前があるんです」
雪のような白い肌に黒髪の美人。
彼女は奥ノ町 冬子。
いわゆるお隣さんである。
オンボロアパートに暮らす2人。
まあ多少の縁があり、お隣さん、かつ、同じ大学という事もあり、交流がある。
少なくとも、頼み事をお互いにし合う知人枠には入る。
そもそも何故俺ら2人がこんなオンボロアパートに住んでいるのか。
ちなみに月6,800円。ここまで安いと逆に怖い。
唐突ではあるが、俺こと治は田舎出身である。
俺は田舎が嫌であり、父親の反対を押し切って大学は東京に進出。
そのせいあって仕送りが少ない。
そんな訳で部屋数8部屋に対して、住居人が俺を含め3人しか居ないアパートに住み着いているのだ。
では、何故どこぞのお嬢様みたいなベッピンさんが、こんな辺鄙なとこに暮らしているのか。
端的に行こう。
その理由は何かと聞かれれば、この本のせいである。
「いいです。誰が何と言おうと、私にはこの天国さえあれば────」
「で、その理想郷とやらは飯の恵みも無いほどに財政難とは。世知辛いデストピアですこと」
「うっ………………」
足元を見れば買ったばかりで、袋から出していない本達が。
治は適当に選んだ一冊を手に取り、後ろの値札を確認。
……………桁がおかしい。一桁ずれてませんかね、コレ。
すぐさま本を慎重に元の場所に戻す。
「本買うの抑えたらどうだ?ただでさえ仕送り少ねえんだろ」
「私は悪くありません。……こっちを魅了する本が悪いんです」
断言しよう。
このお嬢様は本中毒者だ。
家賃を切り詰めるだけでなく、食費まで切り詰めてしまう重症患者。
こんな言い訳を素でしてしまうほどに。
「はいはい、そーですか。そりゃ困りもんですわー」
「む、馬鹿にしてますね」
「哀れんでるだよ。とりあえず何か食わんと餓死するぞ」
見るからに餓死寸前と言わんばかりの冬子さん。
無理にでも食わせようと冷蔵庫を開けるが、
「食べる物が無いです」
「………ホントだ。空っぽでやんの」
唯一あるのが、奥の備長炭というのが何ともまあ悲しみを誘う。
まあ、言ってしまえばだが、俺はこれを予想してたから来たわけである。
冬子に一応の確認を取る。
「という事はいつも通りでいいのか?」
「………止むを得ないですが、はい」
「おし。じゃあ、何が食いたいよ?」
俺と冬子の間で取り決めた約束。
それは課題のレポートの代わりに、飯をおごるというもの。
俺はバイト三昧と学力が乏しい為に、正直レポートの作成作業はヘドが出る。
ほぼ全ての大学生はそうだと思うが。
対して冬子はオツムは足りてるが、食うもんが無い。
そこで築かれたWin-Winの関係が今に至る。
少なくとも月に一度の恒例行事と化した。
で、飯を作るのは俺だ。
作るからには食い手を喜ばしたいのだが、
「何でも良いです」
希望を聞くと、冬子の返事は決まってこれ。
「またか。そういうのが一番困る返しなんだが」
「いけないですか?」
「『コレだ』と言ってくれりゃ、楽なんだが………なんだよ。何か食べたい物無いのかよ?」
冬子はしばし黙考。
すると、ある本を見てポロリと一言溢れた。
「………………トチメンボー」
「は?何だって?」
「トチメンボーが食べたいです」
と、とちめんぼう?日本料理か?
いや、トチメンボーだとするなら、外国の、ドイツ料理やイタリア料理あたりか?
「トチメンボーです。聴いたことは?」
「いいや、初めてだ。どんな料理だ?」
そう聞き返すと、冬子はクスクスと笑った。
その憎たらしいほど絵になる姿を見て、からかわれたのだと察する。
美人だから何気な一挙一動でも惹かれてしまうものがある。
「何だ?もしかしてテキトーな言葉だったのか?」
「いえ、ふふ………まるで作中みたいだと思ってしまって」
「作中って、また小説のか」
そう聞くと、彼女は流れるように、その小さな口から川のせせらぎのようにつらつらと言葉が語られた。
────それからボイにおいトチメンボーを二人前持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目な貌でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました────
「『吾輩は猫である』での一節ですけど、分かります?」
恥ずかしながら、全く。
「夏目漱石が書いた小説、ということぐらいしか分からん」
で、結局のところトチメンボーは何なのだ。
そう聞くと冬子はとても楽しそうに解説し始めた。
「トチメンボーとは、つまりは栃麺棒です」
実際に文字で書き、見せながらも説明を続ける。
「栃の実の粉を米や麦のコナと一緒にこねて薄くのばして栃麺を作る際に、棒で早くのばさないと固まってしまうところから、慌てる人を栃麺棒とからかっていたそうですよ」
「それを頼んでたってことは」
「先生はボーイが見栄を張るボーイの反応を面白がってたんです」
なるほど、つまりは。
「その先生とやらは、無い料理注文してボーイのことからかってたのか。ずいぶん面倒くさい客だな」
「ま、まあ、そうなんですが……身も蓋も無いですね、そう言われてしまうと」
吾輩は猫であるを読んだことはないが、どうやら作中の先生とやらは意地が悪そうだ。
ま、飼い猫に名前をつけない人だ。偏屈なのはお察しですな。
「まあ、トチメンボーは分かった。しかし、その前の店員が言ってた『メンチボー』が分からん」
これも架空の料理か?
クラムボンは笑ったよ的な、謎枠。
そんなことを思案してると、冬子が補足してくれた。
「メンチボーはメンチボール。つまりは肉団子です。ミートボールスパゲッティという解釈もありますね」
そう言うとグルルルルルルと腹の虫が鳴いた。
そう言えば、何か食べたいのか聞いてたのだったな。
脱線してた。
しかし、随分調子とタイミングがいいことで。
主張が強い腹の虫の飼い主を見ると、恥ずかしかったのか顔を赤らめている。
「確かに本は頭の糧にはなってるだろうけど、腹の糧になんなきゃ意味は無いよな」
「う、うるさいです」
けせらせらと笑ってみれば、より一層睨み具合が増す。
ま、赤らめた綺麗な顔じゃ、効果なし。むしろ、見ていたくなる様だ。
だが、これ以上からかうと、ヘソを曲げてしまうのでここで話題を変える。
「話が長くなっちまったし。そうさな……取り敢えずミートボールスパゲッティでいいか?」
「え、あ、はい。よろしくお願いします」
「冬子の部屋のコンロも使わせて貰うぞ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
まずはソース作り。
微塵切りにした玉ねぎ、セロリをバターで炒める。
飴色になったら、トマト缶と一緒にミキサーに入れ混ぜる。
フライパンにオリーブオイル、ニンニク、鷹の爪を入れ弱火で加熱。
ニンニクの香りが立ってきたらミキサーで混ぜたトマトペーストをコンソメキューブと共にフライパンへ。
ふつふつと煮立ってきたら、砂糖と塩を加え、弱火で軽く水分を飛ばす。
煮詰まったらバジルをふってソースは完成。
次は肉団子。
豚と牛の合挽き肉を、塩、胡椒とボウルに入れて捏ねる。
粘り気が出たらパルメザンチーズと砕いたお麩を入れて、更に混ぜる。
お麩を入れることで、麩が肉汁を吸いジューシーな肉団子へとなる。
混ざったら、団子状に千切って捏ね、片栗粉を軽くまぶし、オリーブオイルを多めに入れたフライパンでこんがり焼く。
これで肉団子は出来上がり。
一旦作業を止め、鍋と塩、パスタを冬子の部屋へ持っていく。
このアパート、コンロは一つしかないので冬子の部屋のガスコンロを拝借し同時進行。
鍋にたっぷりの水を入れ、沸騰するまで沸かす。
沸騰したら塩をいれ、7分タイマーをセットした後パスタを300g投入。
「冬子、流石に茹でるくらいなら出来るよな?」
「ば、馬鹿にしないで下さい!湯煎とかなら何回も」
うむ、経験値0に等しいか。
「OK。すぐに戻ってくるから、火だけ見とけ」
鍋は冬子に任せて、俺は部屋に戻る。
出来上がった肉団子をトマトソースにIN。
弱火で熱しながら軽く混ぜる。
「そろそろ時間か」
俺は熱々のフライパンごと冬子の部屋へ向かう。
すると冬子が鍋とタイマーをジッと睨んでいる姿が目に入った。
その光景が、初めて料理をしている子供みたいで笑みが浮かぶ。
「おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
大丈夫じゃない答えだ。
とりあえずフライパンを鍋敷きをひいた机に一旦置く。
「見張りありがとさん。後はゆっくりくつろいでな」
「え、はい」
ちょうど良くタイマーが鳴り、麺を鍋からザルへと移す。
そして軽く湯切りした後、皿に盛り付ける。
最後にソースをかけ、パセリを散らして、
「完成。メンチボー、ならぬミートボールスパゲッティだ。タバスコ、チーズはお好みで」
「わあっ」
完成したミートボールスパゲッティを見て、冬子が歓声を漏らす。
作り手としては有難い反応だ。
俺も冬子の前に座り、ご同伴。
両手を合わせて、
「「いただきます」」
フォークを皿へと刺し、くるりくるり。
いつも冬子は上品に食事をする。
麺は面白いようにフォークへと集まっていき、それを口へパクリ。
お、笑顔になった。
相変わらずいい表情で美味しそうに食べてくれる。
「ん、美味しいです!トマトの酸味が空腹に効きますね。それと鷹の爪でしょうか?ピリッとした辛さのせいでフォークが止まらないですよ」
目をキラッキラにさせて、料理への賛辞。
作った甲斐があるというもので、思わず笑みが浮かぶ。
「そうかそうか。そいつはよかったが肉団子も忘れるなよ」
「はい。では」
そう言うと、肉団子を一口で頬張り。
空腹だっからしょうがないだろうが、肉汁が熱いだろうに。
……あ、やっぱり。
「はは、すまんすまん。先に注意しときゃ
よかったな」
「は、はふっはふっ!…………肉汁が、凄いですね!ジュワーって」
俺も冬子を見習ってスパゲッティを肉団子ごと一口。
……うーむ、我ながら旨い。良い出来だ。
次はパルメザンチーズとタバスコをチョイと振って、パクリと。
うん。うん。うん!
グレイト!
やっぱりトマトとチーズのタッグチームは最強。
しかもタバスコの酸味的な辛さが2人のセコンドとなり、チームを支えるどころか勝利へ導いている。
これはフォークが止まらない。
2人は黙々と、満面の笑みで食事に集中。
みるみる内にミートボールスパゲッティは無くなり、見事に完食。
「「ご馳走さまでした」」
ふぅーとしばしの間、スパゲッティの幸福感にひたる2人。
そして、俺はこんな事を考えた。
「小説じゃ、『トチメンボーだ、トチメンボーをよこせ』と注文して笑っていたらしいが」
ミートボールスパゲッティの味を思い出しながら、一笑して言い捨てた。
「俺から言わせりゃ、こんな美味いメンチボーを頼まん方が笑い者だよ」
「ふふふ。確かにそうかもしれませんね」
不思議な優越感に2人して笑うのだった。
参照文庫
『吾輩は猫である』
著者:夏目漱石




