第89話 二柱からのお礼
トネットに渡した槍は既に別の場所に保管されているらしく、すぐに返却は不可能とのこと。
後日受け取る約束を交わし別れると、竜郎たちはネロアのいる地上のほうのログハウスを建てた湖に転移した。
するとどうだろうか。そこには、水だけで構成された大男──ネロアが、おいおいと湖の縁に手を突いて涙を流し、テスカやりっ太たちに慰められている姿が目に飛び込んできた。
「「う~? じっじ、あうあぅうー?」」
「どういう状況ですの? これは」
「わけが分からないねぇ」
とは楓と菖蒲、フレイヤ、ノワールの言葉。しかしそれを言いたいのは、竜郎たちも同じことである。
恐る恐る近づいていくと、グルンと下を向いて泣いていたネロアの首が真横を向き、竜郎を視線の先に捉えた。
竜郎は一歩後ろに下がるが、ネロアはかまわずガバッと頭を地につけた。
「ぬぉおおおっ──すまぬっ、すまぬ、兄弟!」
そしていきなりの全力の謝罪に、ますます竜郎たちは困惑する。
「あー……、どうしたんだ? いきなり謝られても、何が何だか俺には分からないんだが」
「いなくなってしまったのだ!」
「いなくなった? いったい、誰が?」
「あの水の魔物だ! すまない、全部食べてしまった……」
「おいいいいぃぃっ!? 全部食べちゃったのかよ! 1日1個って言っておいただろっ」
「ネロアさん、見た目に反して案外こらえ性がなかったんだね……」
愛衣も少し笑ってしまいながらも呆れ顔だ。それにネロアは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いや、最近嬉しいことばかりで、テンションが上がってしまってな。辛抱堪らず抓んでいたら、なぜか全部消えていたのだ」
「なぜかって、食べたから全滅させちゃっただけだろうが……」
水の魔物とはもちろん、メディクのことだ。
あれから竜郎のところでネロアに渡す用にと、とりあえず何体か分裂してもらったメディクをあの地底湖に放流しておいた。
あまり急かしてしまうと味にも影響してしまうので、そうならないギリギリの範囲で分裂していけば、ネロアが1日1個ずつ食べていっても十分持つように数をちゃんと計算して。
そしてそのままネロアが1日1個を守り続け、数がもっと増えていけば、1日1個が2個に3個にと増えていく見込みだったのだ。
だというのにネロアは我慢できず、どこぞの10秒でチャージできるゼリーが如く、ちゅうちゅう吸いまくり、せっかく放ったメディクを完全に食べつくしてしまったらしい。
そして全部食べてしまってから、ようやくいなくなってしまったことに気が付き、食べられなくなってしまったことや、竜郎への申し訳なさやなんやらで、思わず男泣きしてしまったというわけである。
「はぁ……。また今度、持ってくるから。次は気を付けてくれよ」
「おおっ、恩に着る! 兄弟! 次こそは、絶対に約束を守って見せよう」
「ああ、そうしてくれると助かるよ。けどペナルティってわけじゃないんだが、ちょっと時間は置かせてもらうぞ。
意外にあれ需要が高いから、こっちでももっともっと数を増やしておきたいからな」
「ぬぅ……、元々は我の不徳の致すところ。二度と食べられないというわけでないのなら、いつまでも待っていよう」
あのメディクという魔物。料理はもちろん、酒造りや農業でも効果を現しており、非常に汎用性が高い。
さらにまだ需要はあり、実は竜郎や愛衣の母親たちも大注目していた。
あの高温の水で煮詰めて倒したときに得られる『甘い水』。
リアが調べたところによれば、あれには糖分の類が一切含まれておらず、味は甘いのに成分は水という摩訶不思議な物質だった。
ということはだ。あれは甘いのに、いくら飲んでも太らないのだ。
2人ともプロポーションはそれなりに維持しているが、最近美味しい物ばかり食べ過ぎて少し体重が気になりだしていた。
そんなときに彗星の如く現れたメディク。
甘い物が欲しい。けど体重が──そんなあなたにメディクの甘い水! といった具合に、今や奥様方はダイエット食材の研究に乗り出している。
あの外側のブニブニも乾燥させればゼラチンのように使えるので、可能性は無限だと絶賛していた。
故に今やある意味では、ララネストやチキーモよりも竜郎界隈では需要が高い貴重な魔物となっている。
「ダイエット食品ねぇ。んなもんより、体を動かして食べた分を消費しちまえばいいだろうに」
「ガウェインさん。皆が皆、運動する時間を十分に取れるわけではないんですよ? そもそも運動が嫌いという人もいますしね。
着眼点としては、とてもいいものだと私は思います。
将来的に見て、必ず大きな需要が見込める事業になるはずですから」
「まあ、私には関係のないことですけれど、確かにご主人様方のお母上を見る限りでは、需要は高そうですの」
竜郎たち陣営では種族柄太りにくい者たちばかりなので、ダイエットという分野にはそれほど注目されていなかった。
なにせ竜郎や愛衣も元は普通の人だったが、今やとある称号のおかげで不老な上に、常にベストな状態を保ち続けるので、いくら食べても絶対に太らない。
けれど今後竜郎たちは、この世界を美味しいもので侵略していく。世界中の胃袋を握ってやるくらいの勢いである。
だがそれと同時に、美味しすぎるがゆえに過食を助長することになるだろう。
そうなれば肥満体型の人で世界が溢れる──なんて可能性もゼロではない。
だからこそ、竜郎は母親たちのダイエット食材開発には大いに賛成していた。
「私たちのせいでポッチャリさんが、この世界のスタンダードになったら嫌だしね。
将来生まれてくるだろう、たつろーと私の子供が太っちゃっても、なんだかなぁって感じがするし」
竜郎たちが太らなくても、その子は孫は玄孫はと考えれば、竜郎や愛衣にとっても無駄にはならないだろう。
そんなわけでネロアには、また数が確保できたらと約束を交わし、竜郎たちはカルディナ城へと帰還した。
カルディナ城に戻ると、すぐに水神と命神から竜郎へ連絡が入った。
『ありがとねぇ、タツロウくん。これで依頼達成よ』
『フレイヤを連れ回してくれたこと、感謝する。今回フレイヤは、大活躍だったようで我も嬉しい』
(ですね。今回はフレイヤのおかげで、かなりスムーズに事を運ぶことができました)
『のようだな。ということで我からは、今回の礼として《偽身偽魂》というスキルを──』
『私からは《適解水調整》ってスキルを、取れるようにしておくわね』
(《偽身偽魂》に《適解水調整》……ですか? どんなスキルなんですか?)
『我からのものは、偽の体と魂を神力から生成し、己の劣化分身体を生成するというものだ』
(分身体……ですか?)
こちらは気力や魔力、竜力ではなく神力限定スキルのようで、それにより偽の体と偽の魂を生成。
このスキルで作られた分身体は、使用者の最大レベル100相当の力を有することができる上に、スキルも《レベルイーター》や創造系のスキルなど、いくつか使用できないように指定されているものもあるが、それ以外ならばそのまま分身体も使用できる。
『分身体と言っても、所詮人形。言われたことしかできないうえに、放っておけば自然消滅してしまうのだがな。
だがこれから魔物の養殖やらなんやらには、タツロウ自身の能力が必要になってくることも多いだろう。
そんなときに、その分身体に仕事を任せておくこともできるというわけだ』
(ああ! それは確かに便利そうですね。ありがとうございます。是非、使わせてもらいます)
声しか聞こえないのだが、なんとなく竜郎には命神が頷いてくれたのが分かった。
『それじゃあ、次は私が説明する番ね。私が取得できるようにしてあげたスキルは、魔物も含む生物にとって最も自分が望む形に適した水質が分かる上に、自動調整してくれるお得スキルなの』
(ようは水質調整スキルってことか。でも自分が望む形っていうのは?)
『ふふふ。少し話は変わるけど、今タツロウくんたちはメディクっていう魔物の養殖をはじめたでしょ?』
(え? ああ、そうだが……それが?)
『あのね。このまま、今みたいに適当に出した水で育てていくと、確実にネロアのいた湖で育ったメディクよりも味が落ちてしまうわよ?』
(な、なんだってー!?)
味が落ちる。それは竜郎にとっては大問題である。
水神が言うには、ネロアには自分のいる水場を浄化する《大清浄水》というスキルがあるのだとか。
これによりあの湖の水質は、他のどの水よりも清浄な水質を保っている。
それはただ魔道具や魔法で出した水とは、比べ物にならないほどに。
メディクという魔物は、そのほぼ全てが水分で構成されている魔物。住んでいる水に、とにかく影響されやすい。
なので水質が変われば、その体に蓄えている水も当然変化してしまう。
『メディクの場合はね。とにかく清浄なる水で育てることが、最大級にその味を引き出すポイントになっているのよ。
今はまだネロアの水場で育ったメディクたちが、今の水場に完全に染まらずに分化しているから味を保てているけど、もう何週間もすれば味覚で感じ取れるくらい変わってきてしまうわ』
(まじか……。水は魔道具とかで普通に出しておけばいいと思ってたよ)
『それは甘い考えよ、タツロウくん。生物にとって、水ってとっても大事なものなの。
ララネストだって、今の海に生簀を作って養殖するものよりも、今回のスキルで調整した海水で育てたほうが、より上質なものになるはずよ。まあ、メディクほど影響はないでしょうけど。
他にもチキーモだって飲ます水に気を使うことで、よりその肉質を高めることだってできるはず。
とくに魔物っていうのは、環境に敏感に反応していくものなんだから』
(そうだったのか。じゃあその《適解水調整》を使えるようにすれば、その魔物ごとに適した水になると)
『ええ。それでね。ここで"自分が望む形とは?"に繋がるんだけど、このスキルは、どうその存在に適した水がいいのかを意識して調整できるの。
味を優先するのか、強さを優先するのか、見た目の美しさを優先するのか、みたいにね。
例えばここでも例にメディクをだすけど、あの魔物の場合は特に分かりやすくてね。
清浄な水であればあるほど美味しい水になり、汚い水であるほど強い個体になるの』
他にも、これは別に魔物限定というスキルではない。
風邪などで体調を崩した人にだす水に使えば、その体調に合わせた水に調整。
肌の潤いを欲するのなら、個人レベルまで調整された化粧水のようなものまで調整可能。
──と、その汎用性は高いようだ。
これもなかなかにいいスキルだと、竜郎はお礼を言って神様との通信を切った。
それからすぐに、その場にいた皆にも説明しながら、自分のシステムのスキル取得一覧から、《偽身偽魂》と《適解水調整》を探し出す。
《偽身偽魂》は消費SP500。《適解水調整》はSP200と、どちらもかなり高かったが、今の竜郎は大量にポイントを有しているので気にせず取得した。
その夜。ようやくメディクからはじまった、今回の三国のいざこざを終えた竜郎たちは、イシュタルやエーゲリアも呼んで、さっそく仲間内で試飲会をはじめた。
今回のイシュタルのお付は、群青色の飛竜──ルブルール。
エーゲリアのお付は、酒が飲めると聞いてやってきた全長15メートル級の茶色いトカゲのような、額から2本の角を生やした地竜──ジギルゾフ。
メディク製のお酒はまだ量が少ないので、竜の体格的にかなり少量しか出せなかったが、舐めるように飲んだその味に全員がとろけるような顔をしていた。
エーゲリアなどはニーナが「お酌してあげるね、お姉ちゃん!」といって、注いでいる様をデレデレと見ていたので、他の要因もあったのかもしれない。
メディクを使っていない酒竜の酒も出し、アルコールの香りがそこらじゅうに漂い出した頃。
竜郎と愛衣は、人化しているイシュタルと話をしていた。
「この肉から造ったという酒。度数は高いが意外にマイルドで、ほのかに燻製肉のような香りもするし面白いな。
聞いたときはどうなるかと思ったが、これはこれで不思議だが美味い」
「らしいね。私も、たつろーもまだ飲んだことないけど」
「もったいないな。酒でどうにかなる、軟な体でもないだろうに」
「まあ、そこは、清く正しくいこうかなってな。どうせこっちにいた期間も入れれば大した年数でもないし、父さんやガウェインたちが成人までに最高の酒を作ってくれるって言ってるから、最初はその酒を飲みたいんだ」
「そういう考え方もあるか。だが最初の酒が最高の酒だと、他の酒が飲めなくなりそうだな」
冗談交じりにイシュタルは、肉酒が入ったグラスを揺らす。
「それならそれでいいんじゃない? なんかうち、次々とお酒ができてるし、困ることはないと思う。
たまに酒屋さんになるんだっけ? って勘違いしそうになっちゃうくらいだし」
「はははっ、ジンたちも気合を入れすぎだな。……ところで、いつもタツロウに引っ付いていたカエデとアヤメはどうした?」
唐突に振られた話題に、愛衣が少し離れたところを指差した。
「その2人なら、あっちでフレイヤちゃんと一緒にいるよ。今回の旅でフレイヤちゃんにも懐いたみたい」
「けどまあ、まだ俺が見えないところに行こうとすると、ダッシュでついてくるんだけどな。
離れられるようになったら、それはそれで寂しくなりそうだが……」
愛衣とイシュタルが苦笑する。それに竜郎も同じような表情で返すと、小さな楓たちを見てあることを思い出した。
「イシュタルの子供を生むって話は、今どうなってるんだ?
あれから一切、話題に出てこないが」
「ん? ああ、その話か。最近は世界力の大きな循環にも大分なれてきたこともあって、そろそろ考えてもいい時期かなとは思っているんだがな。
その前に私の側近眷属ももう少し増やしておきたい気持ちもあって、今迷っているのだ。母上やタツロウのように、聖竜と邪竜も揃えたい」
「子供と両方一緒にはできないの?」
「どちらも私に大きな負担がかかるからな。さすがに両方は無理だ。
これがただの眷属であったのなら、それほど問題はないのだが」
側近眷属を創造するには、自身の体の一部を核として据える必要がある。
その捧げた部位は完全に創造し終わるまで再生させることもできず、常に体に大きな負荷がかかるようなので、真竜にとっても大変なこと。
真竜の子を創造するほうも自分の心臓の一部が必要など、かなり代償がエグイ上に他の部位も生贄に要求される。
そちらはすぐに再生可能になるが、長い間、地味に体に負荷がかかり続けると、なかなかの苦痛を味わうことになる。
その点、ただの眷属ならば竜力だけで創造することだってできてしまう。
ただ側近眷属は負担が大きい分、優秀な竜であり、自分で思い描いた好きな竜を創造できるので、やるだけの価値はある。
竜郎の場合は神力などの影響で亜種化することはあるが元となるベースがあり、完全オリジナルを生みだすことはできないので、そこが真竜との《竜族創造》の違いなのだろう。
「まあ、こっちはいつでもいいから、イシュタルの思うようにやってくれていいからな」
「ああ、ありがとう。タツロウ、そしてアイも」
少し気になっていた話も聞け、僅かな沈黙が生まれる。そこでちょうどいいからと、今回の旅の思い出話をイシュタルがせがんできた。
ネロアの件もふくめて、イシュタルなら問題ないだろうと全てを語って聞かせた。
そして最後まで聞いて、最初に出てきた言葉はと言えば──。
「その王は……なんというかその…………アホだな。私の帝国の竜王たちは、皆まともなのだと改めて実感したぞ」
ロジャーは最大勢力を持つ帝国の女帝から、アホ認定された。
「あの人とイシュタルちゃんの国の王様たちを比べるのは、格が違いすぎるよ」
「ふっ、まあ、そんなアホがいたら、親か母上にブッ飛ばされるのが落ちだからな。
だが一国が将来的に失われるくらいで済んだのは、大陸住民にとっては幸いだな」
「下手をしたら大陸全土を巻き込んだ殺戮劇が、繰り広げられていたかもしれないんだからなぁ。
そういう意味では、今回あれぐらいで終わってハッピーだったということか」
「だねー」「だな」
竜郎と愛衣はジュースの入ったグラスを、イシュタルは酒の入ったグラスをかかげ、何事もなく終わったことを祝して、カーンと3つのグラスで乾杯を挙げたのであった。
『あ、いたいた。芸能神。ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど、いいかしらー』
『おや、水神さんじゃないですか。どうされましたか?』
『ちょっと、やってほしいことがあるんだけど』
『はあ、私にですか?』
『ええ、ちょっと。とある男の願いを叶えてあげようと思ってね。実は──』
『それならちょうど、少しだけ私が目をかけていた人間が──』
竜郎たちが三国の件を終え、イシュタルと乾杯を交わしてから数十年後のこと。
トネットは完全に消え、その地はロピュイとワウテドのものとなっていた。
そしてそんな旧トネット領に、とある初老の男が住んでいた。
その男は、売れない舞台作家。
一昔に一度だけ大きな成功をし脚光を浴びたものの、それからの作品は鳴かず飛ばずで人々に忘れ去られた男。
男はその日もいい話を書くことができず、されど諦めることもできず、失意のままに眠りについた。
けれどその晩、男は夢を見た。それは今は亡き国の王の物語。
はっと飛び起き男は何かに憑りつかれたかのように、紙に文字をつづった。
題名──『偉大なロジャー王』。それが、その男が書いた作品のタイトル。
それはロジャーという王が舞台の上で、ピエロのように終始馬鹿なことをして観衆を笑わせ、最後に報いを受けて国を失うという『喜劇』。
知り合いの劇団にその台本を見せると、昨日までの反応とは打って変わって大絶賛。すぐに演じられることが決まった。
そしてそれは、男の過去の成功など消し飛ばすほど人気を博す。
さらに舞台は書籍化し、世界中を巻き込んだベストセラー作家に躍進する。
そのことがきっかけで、ロジャーという実在のモデルがいたことが取りざたされ、なんと愚かな王がいたものかと世界中の人々に馬鹿にされた。
またこれは子供たちの教育にも生かそうと、分かりやすく簡略化された絵本も出版。それも大ヒット。
世界中の多くの子供が、『そんなことしてたら、ロジャー王みたいになっちゃうわよ!』と母に言われれば、『い゛や゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!』と叫ぶようになったとか。
こうしてロジャーは伝説となった。愚かで間抜けな王として──。
これにて第五章『プティシオル大陸編』は終了です。ここまでお読み頂きありがとうございます。
そして第六章、第90話は、少し休みを貰いまして8月9日(金)から再開予定です。