第88話 トネットの末路
それは竜郎がロジャーの執務室の扉を吹き飛ばすより、少し前のこと。
竜郎たちはその数日前には、ロジャーの執務室に訪れていた。
「また字がぶれてますね。やり直しです。主様、治療をしてもらえますか?」
「はいよ」
「……………………」「……………………」
そこには一心不乱に紙に向かってペンを走らせるロジャー。
新しい紙をロジャーに渡したり、インクを運んだり補充したり、書き終えインクが乾いた紙をまとめたりと雑用を機械のようにこなす宰相リアム。
その机の前には、カフェにでもあるような丸い一本足のテーブルが3つ並べられていて──。
先ほどから字を書きすぎて腱鞘炎になったロジャーの手を生魔法で癒しつつ、優雅に紅茶を飲みながら彼がやってきた所業が書かれた紙を流し読みする竜郎。
ちゃんと書けているか《領域完全把握+5》という、領域内ならばどんなことも見通せるスキルでロジャーの文字がぶれてないか、ちゃんと書けているか確認しつつ、竜郎と同じものを同じように読み込んでいるミネルヴァ──が一組。
愛衣、カルディナ、フレイヤ、楓と菖蒲の5人で、直方体の木片を組んだものから、順番に一本だけ上手く引き抜いていくという──いわゆるジェンガをして遊んでいるのが一組。
おつまみが置かれた皿に手を伸ばしつつ、酒を飲みながら今後の酒造りについて熱く語り合っているガウェインとノワールが一組。
──の計3組がテーブルごとに分かれて、他人の執務室で好き勝手に振る舞っていた。
さて、今のロジャーはどういう状況かといえば、フレイヤの《至上命令》で洗いざらい全ての思惑や計画をぶちまけさせ、念のためスマホでそれを動画で保存。
また彼自身ですら忘れていたようなできごとまで魂経由で詳細に思い出させ、それを竜郎たち用、ギルド長たち用、ロピュイ用、ワウテド用の計4組を全て手書きで用意させていた。1枚1枚、国璽を押印させるのも忘れずに。
小さなものまで含めれば、よくもまあ、こんなにという感想が漏れるほどその内容は多岐にわたり、それに比例してロジャーの手が痛みを発する回数も増えていった。
そうして大量の紙とインクを消費して全てを書き記した文書を用意し終わると、でっち上げられた証拠品と告白文を交換し、ギルド長たちに渡すそのときまでは、それを証拠品だと思い込むように、それまでに感じる違和感も全ていいように解釈するようにフレイヤが宰相のリアムともども命令してロジャーの居城から去っていく。
残り3組の告白文を各王たちの元へ、でっち上げた証拠品と共に匿名希望扱いで確実に手に届くよう転移で配送。
とはいえ、誰がこれを用意したのかはおおよそ予想はついただろう。
それから竜郎たちは捕まえた実行犯たちとジョンの身柄を拘束した状態で、告白文を持ってロピュイとワウテドに密かに接触。
ジョンは、ワウテドの地下牢にて朝から晩までずっと監視付で捕らわれることに。
襲撃者たちや兵たちも、事が終わるまではとそれぞれの国の牢屋に入れられている。
そして何日の何時にギルド長を呼び出すのかも告白文の中に紛れていたので、そのときに皆で糾弾しに行くことを約束し今に至る。
「お、落とし前……? なんのことだ! 私は知らない!」
「知らないと? ここに書かれたことは全部嘘偽りだと?」
暗殺者でギルド長たちを殺害しようとしたうえで、竜郎の落とし前を──という発言を聞いてなお、しらばっくれようとするロジャーにロピュイ宰相──ヒューバートが目をギンギンに見開きながら睨み付ける。
彼はロピュイの王以上に……というよりも、この場の誰よりもブチ切れていた。自分からあの食材を奪おうとは、万死に値する──と。
そのあまりの迫力に、ロジャーは小さく悲鳴をあげながら座ったまま椅子を引きずり後ろに下がる。
だがそれでも往生際悪く、足掻きはじめる。
「──そ、そうだ! ああああ、あいつだ! ジョンというやつがいるのだが、そいつが私に化けて勝手にやっていたのだ。そうに違いない!
そやつをすぐにここに連れてきて、証言させよう」
「その男なら俺の城の地下牢に繋がれているぞ? そしてその前は、タツロウ殿たちに身柄を拘束されていたそうだ。
その状態でどうやって、こんなものを書く余裕があったというのだ?
それくらい俺でもわかるぞ。さてはお前…………馬鹿だったのか。賢い奴だと思っていたんだがなぁ」
「きっ、貴様なんぞに──」
嫌味一つなく心の底から馬鹿だなぁという目を、今まで馬鹿だと見下してきたワウテドの王──セブリアンから向けられ、ロジャーのちっぽけなプライドに亀裂が走る。
「それに潔白だというのなら、そこでアイ殿たちの前に倒れている者たちはどう説明をするのですか?
どう見ても私には、ギルド長たちを殺そうとしたようにしか思えないのですがね?」
「そ、それは……」
ロピュイの王──ベイジルが、暗器を持ったまま倒れている仮面に黒ずくめの者たちを指差し問い詰めれば、すぐに何も言えなくなる。
「ワウテド内で、この告白文を元に密かに内部調査を行ったところ、すでにいくつかトネット側からの不正行為の跡が見つかっています。
あの時のアレはそうだったのかと、目から鱗が落ちた気分でしたよ。いい勉強になりました。これからはそちらにも、より力を注いでいこうと思います。
あなたの国と違って、これからワウテドはいろいろと余裕が出てくるでしょうからね」
「──あ」
猫獣人──サカリアスの言葉を耳にし、そこでロジャーは竜郎たちに目を向けた。ようやく食の利権のことを思い出したようだ。
そこで竜郎は手に持っていた紙の束を床に下ろし、改めてロジャーに現実を突きつける。
「まあ、いろいろとごちゃごちゃ言ってくれやがってますがね。うちとしては、そちらとの取引は全面取りやめとさせていただきます。契約も全て破棄です」
「な、なにが破棄だ! 私は認めないぞ!
そっちだって、私たちに嘘をついていたことを知っているんだからな!!」
「嘘?」
「とぉぼけるなっ! あの地に巨大な星天鏡石が埋まっていることを隠したまま、我々に契約を結ばせただろ! なにが水神の御使いだ! この詐欺師め!」
星天鏡石という言葉に、竜郎たち以外の面々が「えっ?」という顔でこちらを見てきた。
別に今回の契約内容は、食の利権と秘宝級の装備品で、未開拓地域の一部の開拓権の永久的な放棄と不干渉を約束させるもの。
そこで何が採れようと、文句を言われる筋合いはない。
なのでいちいち反論する必要もないのだが、こちらが詐欺師呼ばわりされるのは心外だ。
またあそこで星天鏡石を採るために、あんな作り話をしたとロジャー以外の人たちに思われるのもしゃくである。
というよりも、それについて触れてくるだろうなとも思っていたので既に準備はしてあった。
「……はぁ。まずその発言で、うちに干渉したということを、自供しているようなものなんですがね。
まあ、いいでしょう。その星天鏡石とやらが見間違いだというのを、証明しましょうか」
竜郎は執務室の大きな窓の方へと歩いていき、カーテンと窓を開く。そこから顔を出し、「テスカー!」と空に向かって叫んだ。
事前にこの辺りの空高い場所に待機してもらっていたので、一瞬でゴーレム骸骨竜──テスカトリポカが窓のすぐそばまで落下するように飛んできた。
その美しい骨の外殻に、その威圧感に、テスカを知らない者たちは絶句する。
「この子は、僕らの仲間でもあるテスカトリポカです。テスカ、皆に挨拶してくれるか?」
「────」
空に浮かんだまま、ぺこりとその星天鏡石に酷似した美しい骸骨竜の体でお辞儀した。
明らかに竜郎の指示に従っていること、普通の魔物よりも賢いこと、そして竜郎たちのような圧倒的強者だと見ただけで感じ取れた。
「この子の体は見ての通り星天鏡石みたいですが、別に星天鏡石というわけではありません。似ていますが微妙に違うそうです。
そして見て、お分かりかと思いますが──」
竜郎が手を伸ばせば、その意図を察して手の平に頭蓋骨を擦り付けるように甘えた素振りを見せた。
甘えるということがまだいまいち分かっていないので、ただ他の竜郎の眷属たちがやっていた行動を真似ているだけなのだが。
「──この地に来る前から僕の竜でもあります。なのでこの子とあの地とは、まるで関係ありませんのであしからず」
セブリアンだけは竜を従えてるなんてすげぇ! と子供のように目を輝かせているが、他の面々はその竜に圧倒されて感情すら湧いて出ない。
その様子に竜郎は「刺激が強すぎたか」と呟くと、ネロアのいるところへ戻っていいよと眷属のパスを通して伝えれば、コクリと頷き高い空へとまた消えていった。
「実は何か嫌な予感がしたので、あの子を待機させていたんですよね」
「──う」
少しだけ威圧しながら視線を送れば、ロジャーは全身が恐怖で震えるのを感じた。
「もういいわけもなにもけっこうだ。あなたの国とは今後一切、僕らは関わらない。
それにそちらの意見は関係ない。裏付けも、こちらのほうではしっかり取りましたしね。
……ということで、トネットの商会ギルド長の……あーアニエスさん? 契約はなかったことでいいですよね?」
「………………はい」
アニエスにはなんの非もないので申し訳なくも思ったが、このトネットという国と関わるつもりはもう竜郎たちにはない。
けれどポロポロポロポロと涙を流す彼女を見て、愛衣はとても悲しげな表情をしていた。
竜郎もその愛衣の表情に大きく胸を痛めたが、このまま話を進めていくことにする。
「ということで、僕らの話は以上です。あとでお渡しした槍についても、返してもらいます。
──さて、これでこちらとは縁が切れたので、次はお国の難しい話をしましょうか」
「ええ、そうですね」
ここまでは竜郎たちへの落とし前である。ただ縁を切ったというだけだが、その損失は計り知れない。
けれどそれよりも大きな落とし前を、今度はロピュイとワウテドに対して払わなければならない。
気合を入れてロピュイの王が竜郎の言葉に頷いた。
それからロピュイとワウテド、トネット間で話し合った結論としては、事前に竜郎たちが聞いていた通り、これまでしてきた事への払えるわけがない巨額の賠償金を二国にすぐさま支払うか、属国になるかの二択を迫られ、トネットはロピュイとワウテドの属国となった。
本当ならここで叩き潰したいところであるが、これは温情ではない。
二国がまだ小さく、三国という体を取らなければ他国から領土を守れないからだ。
属国になるくらいなら戦争だとロジャーは息巻いたが、そうなったら商会ギルドは経済制裁を、戦争に直接かかわらないが冒険者ギルドも情報収集などで二国の肩を持つと公言した。
巨大な組織のバックアップを全力で受ける二国に挟まれ、なんの支援も何処からも受けられないトネット。
そうなればもはや戦争にすらならず、トネットは滅びるだけ。もはや属国を受け入れるしかなかった。
ただ属国になったことで、トネットの国内では王をさばく法はなかったが、二国の裁量で王家全てに対して刑を執行できるようになった。
トネットの王ロジャーは責任をとって王を辞し蟄居──という体で内々に処刑。残りの王族も思想が似通っていること、二国侵略計画にも関わっていることも分かっているので、そのほぼ全ても処刑が決まる。
ロジャーは、この時点で完全に心が折れた。
さらに裏側に所属する組織は、とにかく洗脳教育が酷く、二国に従うことはないと判断され、そちらも処刑が決まった。
ジョンもその能力の有用さは誰もが理解できたが、やってきたことは暗部の中でも随一で、思想もロジャーや国家の信奉者であり、非常に危険という判断の元、彼もまた処刑が決まる。
そして次代のトネット王になるのは、処刑対象から外れている王家になんの情も抱いていない、かなり遠縁の少年。
つまり形だけ取り繕った王が置かれるということ。
実際の内政や軍部は全てロピュイとワウテドの元で取り決められ、二国の傀儡国家として一時的に生存させる。
そして二国が力を蓄え、自分たちだけで他国から守り抜く力を得た暁には、トネットという属国は二国に割譲され完全に消滅する。
これがロピュイとワウテドが出した、落としどころである。
トネットにそれを拒否する力はなく、ロジャーは自分の死を受け入れながら全てに了承した。
こうして竜郎たちの頭を悩ませていた問題は解決し、ロジャーやリアム、暗部の5人は二国の兵に連れられこの場から去っていった。
そして主を失った執務室にいるのは、二国の王とその宰相2人と兵が数人。ギルド長6人だけ。
これからアニエスにトネットに渡した装備品を返してもらうための手続きを──という流れなのだが、彼女のあまりの落ち込みように誰も声をかけられない。
『凄い落ち込んでるね……。やっぱり、偉い人に怒られたりとかしちゃうのかな?』
『アニエスさんに非はないとは思いますが、大きな商機を掴めていたはずなのに掴み損ねた──というのは、今後のキャリアに大きな傷を残すのかもしれませんね。
それに彼女自身も商会ギルド長としてトネットの商人たちをまとめる役割を持っていますが、この滅びゆくトネットでは一番の商家の一族らしいですからね。自家も少なくない被害を被るかもしれません』
などと愛衣が全体に念話で話しかけ、それにミネルヴァが返事をしていると、突然アニエスが吼えた。
「たまになら美味しい物が食べられるかもって思ってたのにぃいいいー」
「分かりますぞぉ! その気持ち!!」
『そっちかい!』『そっちですか……』
キャリアだのなんだのと言って心配していた愛衣とミネルヴァは、ガクッと肩を落とした。
だがそれは、いつでも食べられる場所にいるから抱く感想である。
あの美味しさを味わってからというもの、アニエスはこれまでの人生が変わったかのような衝撃と共に、立場上一年に何度かは購入できる機会が巡って来るかもしれないと、毎日ルンルン気分で他二国の商会ギルド長と販売計画を練っていたのだ。
だというのに、今やトネットという国は滅亡がほぼ確定した負け組国家な上に、その食材とは最も縁遠い国になってしまった。
そしてあれだけの食材は、その国で直接取り仕切ることができる商会ギルド長などでもない限り、競合相手が多すぎてなかなか手に入れられないだろう。
あまりにむごい仕打ち。いっそロジャーをぶち殺して私も──と一瞬でも考えてしまうくらい、彼女にとっては大きな心の穴が開いてしまった。
それを他のギルド長たちは、食材ごときでなにを馬鹿なと笑うことはできない。
そしてここでようやく自分も二度とあの味を味わえないかもしれないのだと、トネットの冒険者ギルド長も気づき絶望から膝を床について真っ白に燃え尽きた。
ヒューバートは一歩間違えば、自分もそうだったのだろうと本気で二人を憐れみ、ロジャーに「どうしてくれようかぁ」と心の中で殺意を抱く。
『おいおい、なんか空気がやべーぞ。装備品の話なんか、後日とかでいいんじゃねーか?』
『確かに、今はそっとしておいたほうがいいのかもしれない……』
ガウェインの念話に従おうと、竜郎が一時解散を口にしようとしたそのとき、愛衣から待ったがかかった。
『ねえ、たつろー。いっそのことさ、アニエスさんと、えっと……だれだっけ? ベーダさん?』
『ペープさん、だな』
愛衣に名を忘れられたトネットの冒険者ギルド長の名前を、竜郎は口にする。
『そうそう、アニエスさんとペープさんをね。私たちの町にできる予定の商会ギルドや、冒険者ギルドに推薦してあげることはできないかな?
あそこなら、美味しい物も沢山食べられるようになっていくだろーしさ』
『確かに、いい案かも知れませんわ。
ギルド長はさすがに難しいかもしれませんが、職員としてならば、ご主人様たちが言えば枠は作ってもらえそうですの』
『ペープさんは身軽そうですし、それでもいいかもしれませんが、アニエスさんはお家の事情などもあって難しいのでは?
この国よりも、稼げるチャンスも将来性もあるでしょうが』
『まあ、聞いてみるだけ聞いてみるか』
そこで竜郎は、近い将来できるであろうダンジョンの町、というよりも食の町でもあるという部分を軽く説明してみれば──。
『『行きたいですっ!』』『行きたいですぞっ!』
──と何故か誘ってもいない、どこぞの宰相閣下まで返事をしてきた。
ベイジルは、「今お前に出ていかれたら本気で困る!」と泣きながらヒューバートを掴んで説得していた。
そちらは見なかったことにして、ならアニエスとペープに関しては話を通してみると約束を交わした。
この大陸に残される4人のギルド長たちは、そっちのほうがいいんじゃ……と、先ほどとは打って変わって羨望の眼差しとともに、替わってくれないかなという視線も投げかけるが、全て無視して2人は呑気に喜びに打ち震える。
だが、このときの2人はまだ知らなかった。
その町の商会ギルドと冒険者ギルドには、想像以上の激務が待っているということを……。
次回は金曜更新です。