第82話 癒しの空間
大きな湖の真ん中に、巨大な蒼く透き通った竜水晶でできた蓮の花が浮かんでいる。
その中央には、ごつごつとした岩のような、形に統一性のない煌めく赤金色の鉱物の塊が丁寧に並べられていた。
そしてまるでそれを守るかのように、異様に透明度の高いドーム型の竜水晶が被せられている。
またその周りにも、中央の物よりも小ぶりな竜水晶の蓮の花が等間隔ではなく、自然にそこにあるように見えるよう8つ浮かんでいた。
そちらの竜水晶の花の中央にも、煌めく赤金色の鉱物の塊が安置されており、また半球状の透明な竜水晶を被せ守られていた。
湖の畔からそちらを眺めれば、周りの景観を損ねることはなく、それでいて軽々に触れてはいけないモノのような、そんな神聖さすら感じられる情景になっていた。
「どうだ? ネロア。気になる所があったら、遠慮なく言ってくれ」
「あぁ……」
ネロアの口からこぼれたのは、泣きそうなほどの感動と感嘆の入り混じった声。
「こんなにも素晴らしい物を作ってくれるとは思わなかった……。ありがとう」
「どういたしまして。でもそれを言うなら、これをデザインしてくれた、うちの妹にも言ってほしいかな」
「おお、そうだった!」
大きな体が竜郎たちと同じくらいのサイズに縮むと、ネロアは竜郎の後ろにいた小さな少女──リアの正面に立ち、彼女の手をそっと握った。
「ありがとう、ありがとうっ。あれならば、我が友たちも安らかに、穏やかに、あそこで眠ってくれることだろう。本当に、ありがとう……」
「作ったのは兄さんですからっ」
ポロポロと水の目から涙を流しながら感謝するネロアに、リアはどうしたらいいのかと視線をキョロキョロ漂わせた。
そう、あの蓮の花が今回ネロアの友人たちのために作った、竜水晶の棺である。
当初竜郎は四角いケースのようなものを、たくさん作ればいいだろうと思っていたし、ネロアもそういったものを想像していた。
だがある目的のためにリアをカルディナ城から呼んできたのだが、そんな話をしているのを彼女が聞いたとき「それでは寂しいし、物をただ置くわけではないのだから」と苦笑されてしまった。
そこでいろいろとネロアの話を聞き、彼らはもともと自然を愛し、自然と共に生きる種族だったようなので、植物の形をしていた方がいいかもしれないということになった。
さらにそこから「仏様も乗っているし、蓮の花って縁起が良さそうだよね」という愛衣の意見を取り入れ、リアが周りの風景なども加味しデザインを。
そしてそれをできるだけ再現するように、竜郎と月読が頑張った結果こそが、あの蓮の花の棺というわけである。
ちなみに真ん中の大きなものは細長い竜水晶の棒で湖底に固定されているので、風で流されることも沈むこともない。
まわりの小ぶりなほうも、中央の棒から枝のように伸びた竜水晶で下から固定されているので問題ない。
「それに私も、これを作らせてもらいましたし。ほんとに、そんなに気にしないでください」
そう言ってリアが小さな手の平の上に《アイテムボックス》から出したのは、大人の男の握り拳ほどの大きさの煌めく赤金色の鉱物。
これは今は亡き、融鉱人たちの亡骸と同じものでもある。
ただしこれは直接貰ったわけでも、複製させてもらったわけでもない。
そして、これこそが竜郎がネロアに頼みたかったこと。
リアはクラスが物質神の系譜に至ったとき、《物質具現化》というスキルを同時に習得した。
これは彼女が完全に理解した物質なら、どんなものでも無から創造することができる。
ただしそれが一時的な物ならばまだいいが、完全にこの世界に定着──固定させるには莫大なエネルギーを必要とされる。
今回はリアの持つ《万象解識眼》で、ネロアの持っていた亡骸を観せてもらい完全に理解。
それから今保有する全てのエネルギーを動員して、この世界に無から創造したというわけだ。
完全な固定には想像以上のエネルギーが必要だったため、この程度の大きさを創るだけでリアの全エネルギーを持っていかれてしまった。
だがそれでも世界にもう新たに生まれることはないであろう種からしか入手できない、非常に稀少な鉱物を手に入れられたとあって、彼女の顔は疲れの色を濃く残してはいるが、それでも後悔の色はなかった。
さらにこのスキルで創造することで得られる鉱物は、墓地に眠る鉱物よりもずっと小さいながらも大きな利点がある。
それは質。やはり生物が元になっていただけあって、亡骸の鉱物には一つ一つ個体差があった。
それは良い面も悪い面も両方持ち合わせていて、あちらが立てばこちらは立たずといったように、どんなに良質なものであっても、少なからず悪い──とまでは言わないが、癖のようなものがあった。
けれどリアの創ったこれは、全ての亡骸を観て理解した情報をもとに、その全ての個体のいいとこ取りをしたものを創造した。
それにより、その質は本物よりもより理想的な鉱物となっている。
「これは面白い素材ですよ。なにせ天装などの元となっている生きた金属──には及びませんが、それでも似た性質を持っているんですから。早くこれを使って、いろいろ実験してみたいです。
ということで兄さん、これを沢山複製してもらってもいいですか? さすがに自力で何個も創るのは厳しいですし」
「ああ、任せといてくれ」
《物質具現化》で作られた自然物は、普通の自然物と同様に《無限アイテムフィールド》の複製でも増やすことができるとあって、リアは竜郎にその鉱物を手渡した。
さてこれでやることは終わったと周囲を見渡せば、裸足になって水に足をつけ寝転がり、お腹に楓と菖蒲の頭を乗せて、3人で仲良くお昼寝しているフレイヤの姿が目に映る。
さらによく見ればフレイヤの右足にピラニアのような大きな魚がガブリと齧りついているが、彼女の耐久力を破れるわけもなく、魚の形をした変な靴を履いているかのようになっていた。
「あれでも起きないって凄いよね、フレイヤちゃんって」
「ねー。ニーナでもさすがに、お魚さんが足にくっついてきたら起きちゃうよ」
愛衣とニーナの会話を耳に流しながら竜郎が別の方向に視線を向ければ、ガウェインとノワールが森に囲まれた湖という景色を肴に、酒瓶を陽気に転がしていた。
「なんだか落ち着くいい場所ですね、ここは」
リアの言葉に、竜郎と愛衣とニーナが静かに頷いた。ネロアは自慢げにニヤリと笑う。
耳を澄ませば風や木の葉がこすれる音。鳥のさえずり、たまに魔物らしき生物の雄たけびが聞こえるが、それは御愛嬌。
気温もカルディナ城のある場所のように年中肌寒いわけでもなく、からっとして今は時期的にも温かく過ごしやすい気候。
それでいて景観もよく、夜になれば満天の星空を一望できるとネロアが自慢してくる。
「なあ、ネロア。この辺に小さいのでいいから、家みたいのを建ててもいいか?
凄くいいところだし、仲間たちや俺や愛衣の両親も、ここに来れば癒されると思うんだ」
「もちろん構わないとも。兄弟の家族や仲間なら大歓迎だ。いつでも来てくれ。
ただ……誰が兄弟の家族や仲間なのか見ただけでは判断がつかないから、先に来る者は紹介しておいてもらえると助かる」
「それはもちろんだ。混乱させちゃ悪いしな」
ということでさっそく家づくりをはじめ、ネロアに許可を取った場所の森の一角を少しだけ切り開き、リアの手も借り、ちょっとしたペンションのようなログハウスができあがった。
魔法と鍛冶術を使ったので本当にあっさりと。それでいて保護膜のように透明な竜水晶を纏っているので、やたらと頑丈だ。ネロアが本気で攻撃しても、壊せないだろう。
地下は景観を気にする必要もないので竜水晶だけで一室作り、転移用の魔道具を設置。もう一つの片割れをカルディナ城に設置し起動すれば、竜郎がいなくても自由にこのログハウスとカルディナ城を行き来できるようになる。
「おー! なんか小粋な別荘みたい! いいね、これ」
「だろ。ちょっと自然を楽しみたいなと思ったら、ここに来よう」
「うん。こういう所でデートってのも、のんびりできそう」
愛衣がピタッと竜郎にくっ付いてきたので、腰を抱き寄せより密着させる。リアは、またやってるよと肩をすくめる。
「ニーナさん、ネロアさん。私たちは湖でも見ながら、お話ししましょうか」
「リアちゃん。ニーナと、お話ししたいの?」
「我ともか?」
「ええ、是非」
「なら、お話ししよ!」「妹御がそれを望むなら、もちろんだとも」
リアが、ニーナやネロアを連れて湖の方へと去っていく。
そんなことにも気が付かず、お互いにべったりくっ付きながらログハウスの入り口の段になっているところに並んで座り、静かに互いの瞳を見つめあう。
そしてどちらからともなく、2人はゆっくりとその唇を塞ぎ合った。
「「──ん」」
楓と菖蒲はフレイヤのお腹を枕に熟睡中。ニーナもリアが相手をしてくれている。
久しぶりにちびっ子が周りにいないという状況に、2人の情欲が燃え上がる。
自然と互いに貪りあうような、深いキスになっていき──そこでようやくここが外だということに気が付く。
「……な、なあ」「……ね、ねえ」
2人同時に声を発する。息が少し荒い。そして作ったばかりのログハウスの入り口を、チラりと横目に見た。
「……ちょっとだけなら、いーよね?」
「……ちょっとだけなら、いいよな?」
楓と菖蒲の方をもう一度確認すれば、まだお休み中。起きる気配は皆無。
ニーナもリアやネロアと、湖の畔で楽しそうに会話を弾ませている。
ガウェインとノワールは……いわずもがな。未だ気ままに酒を飲んでいる。
ごくりと2人の喉が鳴る。
そして竜郎はもう我慢できないと彼女を抱き起すと、愛衣も少し頬を赤く染めながらそっと彼に抱きつき、小さく頷いた。
そしてそのまま2人は、ログハウスの中へと仲睦まじく消えていくのであった。
しばらく経って、2人はなにごともなかった風を装いながら、湖の方までやってきた。
それをリアが目ざとく見つける。その義兄と義姉の妙にすっきりした表情も。分かりやすい2人だなぁと、彼女は思わず笑ってしまう。
「お疲れ様。と言えばいいんでしょうかね?」
「な、なんのことかね。リアくん」「ななななな、なんにもしてないよー」
「はぁ……、今更なにを取り繕う必要があるんですか。
そっちのほうが対応に困ってしまいますので、普通に開き直ってくれていた方がいいですよ」
ほぼ日常にしていたときならまだしも、かなり久しぶりだったので、どうやってバレバレの行為の後に皆に接していたのか竜郎も愛衣も忘れてしまっていた。そのため、少し恥ずかしかったようだ。
互いに顔を赤く染める竜郎と愛衣に、これ以上苛めるのは可哀そうかとリアは話題を変えた。
「カエデさんとアヤメさんは、まだ寝てますが、私が観た限りでは、もうすぐ起きると思います。
だからもう、どこかにコソコソ行かないほうがいいですよ」
「も、もう大丈夫だからっ。あれ、そういえばニーナちゃんは? リアちゃんといたんじゃなかったっけ?」
「ネロアさんと湖に入って遊んでますよ。意外に気が合ったようですね」
湖に視線を向ければ、遠くの方でバシャバシャという音と、ニーナの笑い声が聞こえてきた。
そうこうしている間に魚を足にくっ付けたまま眠っていたフレイヤや、そのお腹を枕に寝ていた楓と菖蒲も起床した。
逆にノワールは完全に酔っぱらい眠ってしまったので、ガウェインがタオルのように肩にぶら下げている。
そこで周囲も薄暗くなってきたので、そろそろ帰ろうかという話になり、ネロアに「またね」と再び会うことを前提にした別れの挨拶を告げ、転移でカルディナ城の地下へと戻ってきた。
「そういえば、ご主人様はもう水神様から何かスキルをもらいましたの?」
「ネロアの件が解決したらってやつか。確かにそんなこと言ってたな。んで、どうなんだ? マスター」
「いや、まだ特に連絡はないな。それとももう取れるように──」
──なっているのかなとシステムを起動しようと矢先に、水神の声が脳内に響いてきた。
竜郎は目線だけで、そのことを周りの皆に伝える。
『ごめんなさいねー。ちょっと待ってくれる?』
(いや、それは別にいいんだが、なにかあったのか?)
『うーん……。ハッキリしたことは言えないんだけど、神様的直観って言うの? まだ終わった気がしないのよ』
(まだ終わっていない? それはいったい……。神様なんだから未来とか分からないのか?)
『未来を観すぎちゃうと、そっちに引っ張られ過ぎちゃうから、逆によくないって統括神様も言ってるから見てないの。だから、これだってのは分からないんだけど、な~んかモヤモヤするのよねぇ』
竜郎はイシュタルの未来を観る力に頼りすぎて、ニーナが重傷を負ったときのことを思いだした。
確かに未来を知ることで、そうなるものだと思いこみ、いざそれが外れた際に大きな痛手となるのかもしれないと納得する。それが神の仕事ならば、なおさらだろう。
『だから、もう少しだけ警戒しててくれないかしら?
命神様も、なにかまだ終わっていない気がするって言っていたし……お願いできる?』
(分かった。ここまでやったのに、今さら足を掬われるのも嫌だしな。
それに神様2柱がそろってそう言うってことは、本当になにかあるのかもしれない)
『ありがとう。ほんとにタツロウくんは、いい子ねぇ』
目の前にいたら頭を撫でられていそうな声に、ほんとに近所のお姉さんみたいな感じになってきたなと苦笑する。
それからその2柱の神様のモヤモヤが取れたとき、改めてスキルを取れるようにするということになった。
そのことを全員に話すと、皆思い当たることがないのか、まだ何か見落としていたことがあっただろうかと首を傾げる。
「とりあえずカルディナとミネルヴァには悪いが、今やってることは中断してもらって、そっちをしばらく警戒してくれるよう頼んでみるか」
「カルディナちゃんとミネルヴァちゃんなら、何かあってもすぐ見つけちゃうだろうしね」
カルディナもミネルヴァも、探索や索敵に関しては最上級のスキルを持っている。この2人が見ていてくれるのなら安心だ。もちろん、竜郎自信も様子をちょくちょく見に行くつもりだ。
善は急げとカルディナとミネルヴァのもとへ、皆で歩いて向かって行くのであった。
次回、第83話は7月19日(金)更新です。