第76話 ネロアの存在理由
とにもかくにも、まずは落ち着かせ話をしようとネロアを引き留めようとするが、彼はなかなか冷静さを取り戻そうとしない。
これはもう封印と捕縛魔法で一時的な拘束もやむなしかと思われたところで、急にネロアの背筋がピーンと伸び、烈火の如く揺らいでいた水の体も氷漬けにされたかのように微動だにしなくなった。
「えーと、どったの? ネロアさんは」
「さあ? 俺にもさっぱり」
これはこれでどうすればいいのか分からず、竜郎たちは静かに様子をうかがう。
それが数分ほど続いた後、ようやくネロアの体が動きだし、憤懣遣る方無しといった態度はありありとみられるが、それでも湖面に胡坐をかくようにして──といってもスライムのような下半身なので実際には違うのだが、座りこんだ。
「ということで、兄弟。一時預ける」
「えっと……はい?」
なにが「ということで」なのか、なにを「一時預ける」というのか、まったく会話が成り立たない状況に竜郎は首を傾げるばかり。
しかしその疑問に答える声が、竜郎だけに直接脳内に響くようにして話しかけられた。
『急にごめんなさいね、タツロウくん』
(えっと……失礼ですが、あなたは?)
『この世界では水神と呼ばれている、水を司っている精霊よ。よろしくね。魔神様の系譜にも入っているのだから、気軽に話してくれて構わないわ』
その声はどこか落ち着きと威厳を感じながらも、少女のように可憐な可愛らしさを持っていた。
本人も気楽に話してくれと言うので、竜郎は愛衣たちに神様通信が入ったことをそれとなくアイコンタクトで伝えると、そのまま遠慮なく会話を続けることにした。
(よろしくお願いします。……それで水神さんが、ネロアを止めてくれたと思っていいんですか?)
『少し話しかたが堅いわねぇ。近所のお姉さんに話す感じでいいのよ?』
(はぁ、分かりまし──分かったよ、水神さん。それでさっきの答えは?)
『うんうん、そんな感じでいいわ。それで答えは、その通り。
いくら怒りに我を忘れていたとしても、私の声は届くと思ったから、そのまま介入させてもらったの』
(正直、助かった。このままじゃ、本当にこの大陸の人間が滅ぼされかねない状況だったし……。ありがとう)
『どういたしまして。──と言っても、私的にはそうすることでネロアが納得いくというのなら、別にこの大陸の人間など殺してしまってもいいと思っているのだけれどね』
(──それはっ)
最初の朗らかな雰囲気とは一変して、最後の言葉は氷のように冷たかった。
昔、水神に属するクリアエルフが故意に殺されてしまったとき、烈火の如く怒り狂ったという話を迷宮神から聞いたことがあったが、この水神という神はことさら身内を大事にする性格なのかもしれないと竜郎は感じる。
そう思えば、ネロアとは似たもの親子なのかもしれない。
『安心して。それは最後の手段であって、そうしないでタツロウくんたちが、この子が納得いく形で収められるというのなら、それにこしたことはないもの。
わざわざ世界力を消費してくれる知的生物を減らすのは、神としても喜ぶべきことではないしね』
(そう……だろうな。でもそこまでネロアを大切に思っているのなら、水神さんのほうで三国の王に干渉することはできないのか?
そうすれば誰であろうと、あっさり解決しそうだが)
『うーん……。私たちが直接干渉するのは世界力関連のことだったり、真竜やクリアエルフといった、特にこの世界の調整への貢献度が高い人間相手のためだったら比較的にやりやすいのだけど、ネロアの場合は個人的にはやってあげたいけれど、立場的には難しいのよ』
(ネロアは何万年も、この世界の調整のために働いてくれていたんじゃないのか? それでもダメなのか?)
『そもそも精神体による世界力の調整は…………ここから先はネロアに言ってはダメよ? 約束してくれる?』
(言ってほしくないなら、わざわざ吹聴することはしないと約束する)
『ありがとう。でね、実はネロアたちのような存在を創ったはいいけれど、いざ実働してみるとほとんどこの子たちのやっていることは意味がないって分かってしまってね……』
(……それはどういう?)
結論から言ってしまえば、精神体を生みだし世界力循環補助させるという計画は、神たちにとっては失敗に終わった計画だった。
だからもうネロアと同じような存在を、神々は一体たりとて生み出しておらず、第二世代以上の精神体は存在しない。
『最小限の干渉で、最大限の結果が得られるんじゃないかって、最初の内はかなり皆、乗り気だったんだけどね』
常に溢れかえり、爆発しそうなほどに発生し続ける世界力の消費を目的に創られた人間たちが存在する次元。
一から緻密な計算の元、神たちでさえ四苦八苦しながら創りあげたからこそ、そこへの直接的な干渉も軽々にはできない。
むやみやたらに完成品に後から手を入れてしまえば、その完全な箱庭に亀裂を入れてしまいかねないからだ。
だからこそ真竜やクリアエルフといった神の代理とも呼べる、高干渉の存在を直接ぽんぽんと生みだすのは推奨されない。
けれど、もっと効率的にできないものかと神たちは頭を悩ませた。
そこで考えられたのが精神体による補助計画。
初代真竜やクリアエルフといった、血肉の一片にいたるまで全てを神自らが創造したものとは違い、もともとその次元にあった自然物──水や土、風や光などを元に少しだけ手を入れることで神の眷属として完成させた特別な精神体。それがネロアたちだ。
『だからクリアエルフたちと違って、神の子を示す『セテプエン』は名前についていないでしょ?』
(ああ、そういえば)
『私たちが創った子に間違いはないけど、それでも元はこの次元にあったものだから、厳密にはクリアエルフたちと同一的な神の子ではないの。
だからこそ、私たちも比較的大量に生みだしやすい存在ではあるんだけどね』
(なるほど……それで最小限の干渉って言っていたというわけか)
そんな生み出しやすい存在に真竜たちのサポートをしてもらうことができれば、管理もよりしやすくなるだろう──と思われた。
『けど実際に働いてもらったら、その子たちでは思っていた効果を得られることはなかったの。
こちらが求めていた範囲での最小限の干渉で創られた精神体では、想定以下の世界力循環補助能力しかつけられなかったのよ。
想像して、毎日一回だけ砂漠に指先ほどの小さなじょうろで水をあげたところで、その地は潤うと思う?』
(すぐに乾燥するだけで、焼け石に水でしょうね。ということは、その程度のことしかネロアたちはできなかったということですか……)
『そうなのよ……。でも、あなたを生んでみたけど無駄だったわ──なんて、口が裂けても言えないわ。この子だって私の子には変わりないんですもの』
ネロアに対して、まぎれもない母の愛情があるのが竜郎にも伝わってきた。
確かに可愛い我が子に、竜郎で言えば眷属たちに、お前の存在は無駄だったなどとは絶対に言えない。
『だからね、お役目のことは気が向いたらでいいわ。好きに自由に生きてって言っているのよ。
他の土神や風神たちなんかのネロアと同じような理由で生まれた子たちは、そう言ったおかげで、ほとんどが自由にこの世界のどこかでのんびり暮らしているわ。
けどこの子ったら、なんで私からこんな真面目な子が生まれたの? ってビックリするくらい融通が利かないの。
いえ、水神様に任されたお役目。一秒たりとも忘れることなどあり得ませぬ! ってね』
(まだ会ってそれほど経ってないけど、不思議とネロアがそう言うところが想像できるな)
『でしょう。でもだからこそ、そこまで一途に私のために尽くしてくれているからこそ、私はこの子がとってもとっても愛おしいの。
だからね。お願い。私は直接役に立つことはできないけれど、タツロウくんが手を貸してあげてくれないかしら?
もちろん、タダとは言わないわ。また私のスキルを一つ取れるようにしてあげるわ』
(俺としてもなんとか手を貸せないかと思っていたし、その報酬はとても魅力なんだが……命神さんもそうだったけど、俺にほいほいスキルをあげてて大丈夫なのか?
さっきまで散々干渉がどうのこうの言っていたのに)
竜郎のほうが本当にそれで大丈夫なのか心配になってくるほど、神たちはスキルを簡単に渡してくれる。
それは竜郎からしても別にかまわないのだが、後から何かあっても責任は取れない。ここはしっかり聞いておくべきだろう。
そう考えての本気めの質問だったのが、受けた水神はあっけらかんとしていた。
『あら? 前にどこかの神に言われなかった?
あなたのシステムに色んなスキルを入れることで、完璧なシステムだと思われていたものの、思わぬ穴をみつけていこうって。
あなたたちの世界でいうデバッカー? てやつに任命されたでしょ?』
(なんとなくそんな話をした覚えはあるが、完全に任命されていたとは思わなかった……)
『あらそうなの? もう統括神さまも乗り気よ? 統括神様が本気で取り組んでるプロジェクトだから、調整も完璧なの。
だから他の神も、何か困ったらスキルを報酬にタツロウくんに頼もうぜ! って空気になってるのよ? 知らなかった?』
(知らないよ! 初耳だよ、そんなこと! どうりでホイホイくれると思ったよ!!)
デバッカー云々に関してはなんとなく了承した覚えはあったが、神様の便利屋に正式に任命されていたことについては、ここではじめて知る。予想外のことに思わず動揺して、心の中だが大声で叫んでしまった。
『あらら~。じゃあ、そういういことなの。よろしくね♪
でも嫌だっていうのなら、私から皆に言っておくけど?』
(嫌……ではない。別に神様に頼まれたからといって、絶対にやらなくちゃいけないってことではないんだろ?)
『ええ、もちろんよ。強制的に頼もうというのなら、少なくとも等級神様や魔神様が黙っていないわ。それに私を含めた他の属性の神もね。
あとはそうね。タツロウくんとアイちゃんはいつもセットだし、武神様も盾になってくれるんじゃないかしら?』
(なんかめちゃくちゃ、愛衣って武神さんに好かれてるよな)
『フィーリングが合うっていうのかしらね。異様に気に入ってるわね。
武神様が可愛い可愛いって言ってるから、その下の体神やら剣神なんかもべた甘だし。
まあ、そのせいで他の神はアイちゃんに干渉し辛くなってるんだけどね。うちの子はうちで面倒みるから、求められなければ手を出さないで! って感じで』
(じゃあ、武神さんやその下の神様関連で何かあったときは愛衣経由での話になりそうだな)
『ええ、たぶんそうなるでしょうね。──っと、少し話は脱線してしまったけど、そういうわけで実質的な貢献度はそれほど高くはないから、私たち神の名を使ってネロアに直接的な手助けはできないの。
だからね。改めて聞くけどネロアの件、任せてしまってもいい?』
(乗りかかった船だ。できる限りやらせてもらうよ。まだできるかどうかは微妙だけど)
『もしものときは、ドッカンとこの大陸から人が減るだけだから気にしないで』
(気にするよ!)
どこまでそれが本気なのかは定かではないが、竜郎はこの一件に手を出すことを決めた。
水神との話も終わり、愛衣たちにもどうかと聞いたら、手伝ってくれると快諾してくれた。
「ということで、俺たちでなんとかやってみるのはいいんだが、ネロアはどこまで人に入ってきてほしくないんだ?
この場所だけなのか、それとも洞窟の入り口付近までなのか、はたまたもっと広範囲でなのか。そこをまずハッキリさせてほしい」
「この辺一帯にある湖は我の縄張りであり住居だ。そこにも近づいてほしくない」
「ありゃりゃ、湖もダメなんだ。じゃあ、たとえば荒らさずに湖を含めた一帯を公園みたいにして、ただ自然を楽しむ場所──みたいにするのはダメ?」
「あやつらの汚い足がこの地に近づくだけで虫唾が走る。もし湖に近寄ったところを見たのなら、我はそやつを殺すだろう」
「あー、そっかぁ。殺しちゃうかぁ」
「すまぬな。これだけは抑えられる自信がないのだ。アイよ」
ここで愛衣に謝れることができる時点で、ネロアもそれがいいことだと思っていないのだろう。
「ん? でも俺たちが来たときは問答無用で攻撃はしてこなかったぞ? それはどうしてなんだい?」
「あそこにあったのが分体であったこと、あの地を自分の手で荒らしたくなかった事、そしてこれを言うのは恥ずかしいのだが、恐らく我では勝てぬだろうと思ったからこそ、すぐには手を出せなかった。
我もあそこで引き返してくれるのなら、死なずに済むと思ったからな」
あの状態でも竜郎たちの実力を何となく察していたようだ。
「しかし思っていた以上に、人を嫌っているんですのね。これは根が深いですわ」
「当たり前だ。兄弟たちや今は亡き友たちと同じ苦しみを知る同胞、あるいは神々に認められた存在なら別だが、その他の人はクズだと思っている。
そうじゃないやつもいるのかもしれないが、我はあやつらを信用することは一生できない」
ここまで逃げ延びた融鉱人から聞いた話が、それほどまでに想像を絶するほど酷かったのだろう。
友として長い間、共に生きてきた種たちの怨嗟の心を、そのまま受け継いでしまったのかもしれない。
当時の人間などとうの昔に死んでいるだろうが、そんなことはネロアには関係ないようだ。
「湖っていうのは、このお山にある全部なの?」
「そう思ってもらって構わぬよ、ニーナ」
「そうなると開拓されねーようにする範囲は、結構広いんじゃねーか? 大丈夫かよ? マスター」
竜郎たちの現在持っている領地からしたらゴマ粒のように小さく感じるが、辺境の小国からしたら、それでもそれなりの大きさだろう。
「うーん……大丈夫かと言われてもなぁ。僕らにあそこを任せないと、あなたたちの命の危機ですよ。水神様の御使い殿が激オコですよ。なんて言っても、本人は人間たちには会いたくないよな?」
「うむ。会えば殺すだろう」
「……ということはだ。俺たちは諸国の王様に、れっきとした証拠は見せられないということになる。
また水神さんからの助力は得られないから、神様経由で信じてもらうこともできない。
いくら冒険者として世界最高ランクを持っていたからと言っても、果たしてどこまで俺たちの言葉を信じてもらえるか」
他にはクリアエルフたるレーラが表に出てくれれば信じてもらえそうだが、本人はあまりその存在を公にしたくはないだろうから、その案も却下した方がいい。
また竜郎は自分たちが魔神や武神の御使いだと周りから噂されだしているのを何となく気づきはじめているので、そちらを自分たちで公言して実力を見せ、「我こそは神の御使いなり!」とかなんとか言いくるめてしまえば発言の信憑性は増す。
けれどその部分もできるだけ言質を取らせず、「そう思いたいのなら、そうかもしれませんね」という状況を維持した方が竜郎としては動きやすい。
なのでこちらも大っぴらに、自分たちから言いたくはない。
竜郎たちはああでもない、こうでもないと話しあう。
「もうさ、冒険者の世界最高ランクの威光をぴっかぴかに借りに借りて、最後は賄賂で落とす! これっきゃないっしょ」
「賄賂って……それは人聞きが悪いですわ。別に不正をしているわけではないのですから。なので、ここは"心づけ"といったほうがいいですの」
「そっちのほうがなんだか胡散臭いねぇ」
そう言いながら「だはは」とノワールがおじさんくさく笑うのが面白かったのか、暇そうにしていた楓と菖蒲がその笑い方を真似しだす。
竜郎はこの笑い方が癖になったらいやだなぁと思いながらその2人の頭を撫でると、ニーナがこそこそとやってきて、そこに頭を差し入れてくるので3人の頭を撫でることに。
愛衣は竜郎の左手を勝手に持って、自分の頭にちゃっかり当てて片手を独占した。
「だが心づけか……。将来的に土地があるのにこしたことはないからこその開拓なんだろうが、それでもまだ絵に描いた餅だ。
それでいて、こう言ってはなんだが、爪に火をともしながら開拓しきる数百年後までに、その国がまだ地図上に存在するかも微妙な貧乏小国たち。
ましてや山岳部の開拓なんて、普通に平地を開拓するより大変だろう。
だったらその土地を放棄させる代わりに、今すぐ手に入る大きな実利を提示すればいけるかもしれない」
「ほうほう、といいますと?」
相変わらず竜郎の左手を独占しながら、幸せそうな顔をする愛衣が悪戯っ子な視線を向けてくる。
「まずは俺たちにとってはそれほど価値はなくても、普通のこの世界の住人からしたらとんでもないお宝で、さらにどこから調達してきたかと言い訳が付けられる代物」
「ニーナ分かったよ! リアちゃんの暇つぶしシリーズでしょ?」
「正解だ。どこで手に入れたかと聞かれたらダンジョンだとハッキリ言えるし、いずれダンジョンの町の噂が流れれば、そのダンジョンがどこかも察するだろう。そうすれば、おのずと宣伝にもなって一石二鳥だ。そしてもう一つ」
竜郎は指を1本立てたかったが、両手とも愛衣とニーナとちびっ子に囚われたままなので諦める。
その諦めるまでの時間で言葉が止まってしまったので、フレイヤが水を向けてくれる。
「もう一つは、いったいなんですの?」
「それはもう決まってる。俺たちと言ったらこれだろう」
「俺たちと言ったら?」
繰り返すようにそう口にするガウェインをはじめ、竜郎と黙って湖面に胡坐をかいているネロア以外の面々が首を傾げる。
そこで竜郎は少しもったいぶって溜めてから、二つ目の三国への実利を口にするのであった。
「美味しいもので国王の胃袋を陥落させ、この大陸内での優先販売権をちらつかせるんだ」
「「「「「あー!」」」」」「「あぅ?」」
次回、第77話は7月5日(金)更新です。