第467話 神と神
暗くなったら夜行性の者たち以外は眠りに入り、夜明けとともに目が覚める。
目が覚めれば狩りに行き、日々の糧を得て、同胞たちと友好を温めたり喧嘩したり──毎日毎日変わらない日常が続いていた。
何年も何年も、そうして亜獣人たちは途方もない時を閉鎖された亜空間の中で過ごし続ける。
そしてその日も亜獣人たちは、いつもと変わらない日常を過ごしていた。
しかしその日は何かが違った。
「ガゥゥッ──なんだ…………?」
誰彼となく戸惑いを示す声を零しはじめる。
その日の夜明けは空気が違った。粘つき喉に絡みつくような嫌な空気。
眠りに入りはじめた夜行性の亜獣人たちも息苦しくなり、すぐ目を覚ます。
最悪の目覚めに誰もが不快な表情を隠そうとせず、イライラしながら地面を叩く。
誰も経験していないこと。誰も伝え聞いたことのないこと。
何度も当たり前の日常を過ごしてきた亜獣人たちにとって、未知の出来事に動揺と苛立ちが広がっていく。
その動揺を待っていたかのように、大地が揺れ動いた。
「アオーーーーーーン!!」
「ギャッギャッギャァア!」
亜空間内に地震などない。生まれ持った能力やモンスターの中には地面を揺らすことができるのもいたが、せいぜいが周囲数メートル程度の規模だ。
そんなちゃちな物ではないと、肌で感じ動物の鳴き声を上げながら大人も子供も関係なく、簡素な家から飛び出した。
眠気などすっかり覚め、周囲は様々な動物の鳴き声で溢れかえる。
恐くないと虚勢を張る者。おびえて丸くなる者。錯乱して動き回る者。などなど大パニック状態だ。
しかし大きな横揺れも五分ほどで止み、静けさが戻ってきた。
「クォーーーーン! ははっ、なんだ大したことなかった」
「ギャグググッ、オマエ、ビビりすぎ。ギャッググググ」
「う、うるせぇっ!!」
はじめての現象にうろたえていたというのに、亜獣人は生来の短絡的な思考ゆえに、もう過ぎ去った。
またいつもの日常に戻るだけだと、その原因を追求しようともせず笑いだす。
未だに粘つく嫌な空気のままだというのに、恐がるのはダサいと思っているようだ。皆が虚勢を張っていた。
「ギャハハハ…………は……?」
そんな笑い声を逆に空が嘲笑うよう次の瞬間、バケツを逆さまにしたような大雨が降りはじめる。
雨くらいは自然の営みとして亜空間でも降るし、土砂降りも稀にあることではあった。
しかし雨粒を感じ反射的に空を一斉に見上げても、そこにあるはずの雨雲がないのだ。太陽も出はじめ、空は気持ちいいほど晴れている。
晴れの日には降らず、かつ雨と雲がセットなことくらいは、さすがに亜獣人たちでも経験として知っている。
子供たちですら晴れの日に降る土砂降りに、言い知れぬ不気味なものを感じていた。
「ニ゛ャァアア!? あ、雨じゃにゃ──雨じゃないわよ!?」
「赤くて、この臭いは…………血? ひやぁああああっ!?」
「ガォオオッ! なんなんだ! なんだってゆーんだよぉおっ!!」
最初は間違いなくただの水だった。しかしだんだんと生臭いものを感じて来たかと思えば、雨粒がだんだんと赤く染まっていく。
魔物を狩れば、解体すれば流れるもので、怪我をしたときにだって見るものであり、亜獣人たちは塩分の補給のためにも日常的に口に入れているものでもあるため、よく知っている。
ただの雨粒は文字通り血の雨になり、むせかえるような血液臭が広がり、亜獣人たちの毛皮に染み込んで体が重くなっていくのを感じた。
「ケケケッ!? 雷!! 雷きてる!!」
だが異常気象はまだ終わらない。晴天の空から降る大量の血の雨を切り裂くように、黒色の雷が降り注ぎ、亜獣人たちの住居に直撃。
不気味な黒い炎を上げながら、家が燃えていく。
「な、なんで燃えてられんだよぉ……」
「け、消せっ! 早く!!」
「消えねぇゾッ!? あつ──……くない?」
「なんだこの火……」
血の雨でも火事の中に降れば消化に役立ってくれるはずだが、黒い炎は当然のように燃え盛り、消える素振りを見せない。
必死に土や水をかけるが、それも意味をなさず家は炭と化していく。
だが不思議なことに、その黒い炎は人間には何の効果も及ぼさなかった。
消火活動の際に触れてしまった亜獣人が何人かいたが、そこに熱さを感じなかった。
服に燃え移り、全身が燃えても生身の肉体と毛皮は一切焼けずに勝手に消える。
ただただ彼らの住む場所を焼き払っているのだ。
「おいジジイ! こういうときはどうすりゃいい!?」
「し──しししし知るか!」
「無駄に長く生きてるだけか! 役立たずが!」
「なんだと!?」
意味の分からないことの連続に、どうしたらいいか分からなくなった亜獣人たちは、不安から逃れるためかあちこちで喧嘩がはじまっていた。
もう無駄だと誰も消火活動を行っていない。簡素なだけに建てるのも簡単なため、そこまで思い入れもなかったというのもあったのかもしれない。
家々が燃えている間も、彼らは黙って血に濡れながら見つめるか、不安と怒りの矛先を他人に向けるしかなかった。
やがて彼らの住んでいた村は、ただの血だまりの泥に塗れた平地に変わった。
何もない。生活に使っていた物は全て焼かれてしまった。
その頃になると血の雨も雷も止んでいた。火も止み、また静けさが戻ってきた。
だが……この常軌を逸してしまった亜空間は、彼らに心の平穏を与えてはくれない。
ようやく落ち着きだしたところで、ドンッ──と大きな爆発音が亜空間中に響き渡る。
「あ…………ああ…………」
「世界の終わりじゃ……終わったんじゃぁ……」
「嘘……だろ……」
遠くで地面からマグマが間欠泉のように噴き出し、空に溶岩柱を立てていた。
一本だけでは終わらない。ドンッ──ドンッ──ドンッ──っと、耳が痛くなるほどの轟音とともに、あちこちで溶岩の柱が立っていく。
彼らの狩場である森は溶岩に飲み込まれ、魔物たちの悲鳴ともいえる鳴き声が聞こえてきた。
そして遠くに見える溶岩は、ゆっくりと取り囲むように亜獣人たちの村に向かって流れてくる。
「あははっ、おわった! おわった! もうおわりだーーー!! ギャブブブウゥゥ!!」
「ワオッワオオーーーン! ワフフフッ──フギュァオオオオオーーーン!」
その光景についに発狂する者まで出はじめる。喧々囂々と、意味の分からない言葉の羅列や鳴き声が木霊する。
まさに地獄絵図。世界の終焉を示唆しているとしか思えない光景に、他種族との共存戦争を勝ち抜き、ここまで生き抜いてきた誇り高き獣人族の終焉が、全亜獣人たちの脳裏に浮かんできてしまう。
けれどそこまで心折ってきてなお、まだ彼らの絶望は終わらない。
「ヒィィィィイイイイッ!?」
「ギャオオーーーーーーン! ギャオーーーーーーーン!」
「ケ──────ケケケケケッ……」
身の毛もよだつ生暖かい風が、亜獣人たちの体を舐めまわす。
あまりの寒気に震えが止まらない。
村で一、二を争っていた亜獣人の中の強者たちですら、自分で自分の体を抱きしめ、震えを止めようとしていた。
「……あれはなに?」
誰かが呟いたことは、とても大きく聞こえた。
空の一部にオーロラのカーテンが出現し、その空間が捩じれるように歪んでいく。
不吉の生暖かい風がさらに強くなっていき、それがいいことではないことを、誰もが悟る。
これ以上何が起きるんだと、誰もが固唾をのんで見守る中、それは現れた。
《しぶとく生き残ってきたあなたたちも、これで終わりです。ケダモノたちへ終焉を届けましょう》
「じゃ、邪神……?」
亜獣人たちにとっては亜獣人、竜郎たちや世間一般的には獣人と呼ばれる者の姿をした、美しくも巨大な女性。
背にはオーロラのカーテンを霞ませるほどの後光が差し、頭には王冠のようなものがついている。
右手は松明を持って上に掲げ、左手に本を持つ、どこかで見たことのあるポーズをしたそれは、どこか竜郎の眷属であるアテナに似た虎の獣人の女神だ。
「間違いねぇ! 邪神の声だ! あの頭に響いてくる、気味の悪い声だ!! ああっ……ああああああああああ…………」
「あれが邪神……」
「ついに本体が来たってことかよ……」
「邪神の名にふさわしい、醜い見た目だ……」
「なんて悍ましい……」
その女神が呟く声は、システムのアナウンスの声とまったく同じで、亜獣人たちはそれだけですぐ、自分たちが邪神と呼んでいた存在だということに気が付いた。
本来であれば敵だ。こんなところでへたり込んでいないで、皆で立ち向かわなければいけない場面だ。
だというのに神の気に当てられ、誰もが立ち向かうどころか、ただその場に立つことすらできなかった。
口では威勢のいいことを言う者もいたが、本当に口だけで、その目からは涙を流している。
《さぁ、仲良く死に絶えるのです》
ゆっくりと迫ってきていたマグマが、大きな波となって速度を増す。
大きな壁のようになって迫ってくるマグマに、誰もが生を諦めた。
あと5秒もすれば、全員があれに呑まれて焼かれ、死に絶えるのだろうと。
4秒──3秒──2秒──1秒──。
マグマはもう目の前だ。自分たちの運命に抗うこともできず、ただ死ぬことを誰もが悟り、目を閉じるか、そのままマグマを静かに見続ける。
0。マグマはその全てを呑み込んだ──かに思えたそのとき、亜獣人たちに奇跡が起きた。
《諦めるのはまだ早い! 立ち上がるのだ! 我が勇猛なる戦士たちよ!》
邪神とは逆の方向から、男の声が聞こえ亜獣人たちはハッとする。
マグマは自分たちにとどく直前で、時間が止まったかのように硬直していた。
そのままマグマは冷え固まっていき、全て砕けて消え去った。
「我らの神だ……」
男の声が聞こえた方角へ亜獣人たちが視線を向けると、そこには邪神と同じくらい大きく、後光が差したライオンの亜獣人の男性が立っていたのだった。
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