第440話 イェレナの憧れ
少し疑問が浮かんだグエシスをイメージして作られたであろう、灰色の宝石部屋を過ぎた後に辿り着いたのは、サファイアで作られたかのような、鮮やかな青で彩られた宝石部屋。
凍えるほど涼し気な青の輝きに、思わず竜郎も凍り付いたように立ち止まってしまう。
「なんと、なんという……凍えるような氷雪のなかで、首筋に押し当てられた刃に震えるような寒々しさを感じます。
けれどその冷たさの奥底には、深い愛情と包み込むような母性すら感じさせる暖かさも垣間見える。
ただただ冷たいだけでない、人の内面の奥深さをこの部屋一面で表現する……なんと豊かな発想でしょう…………素晴らしすぎる!
ほらガウェイン様、見てください。あちらの装飾で表現しているのはおそらく──」
「へーーーへーーーへーー」
押したら「へー」と鳴くだけの生き物のようになってしまったガウェインに、オーベロンのお守は任せ、竜郎たちは奥まで入って中心辺りから全体を見渡していく。
「また凄い部屋だな…」
「氷の中にいるみたいだよね。寒くないはずなのに、鳥肌がたっちゃいそうな」
一つ前の灰色の宝石部屋の主張がかなり抑えめだったことによるギャップで、余計にそう感じてしまうというのはあるのだろうが、それを抜きにしてもこの部屋はとても寒く冷たい氷の中にいるような錯覚を覚える──そんな青色の宝石部屋だ。
「ヒヒンヒヒヒーーン、ヒヒンヒヒヒヒーンヒン(でもなんか、寒いのに凍っちゃいそうとは思わないんだよね)」
「ん、かまくらの中で、あったかいおしるこ食べてるみたい」
「そ、その表現はちょっと私には分からないけれど、この部屋の題材になっている人物の暖かさが、ちゃんと反映されいるからこそ──なんでしょうね」
「こう……いう……の……好き……かも……」
本当にぱっと見は絶対零度の極寒の地を連想させる装飾と色合いを織り交ぜた芸術なのだが、その寒々しさの中でじっとして部屋を眺め続けると、不思議と心の中に暖かさと安らぎが宿ってくる。
それを言葉ではなく造形で見る者に訴えかけ伝えてくるのだから、並みの芸術家では到達できない領域というものを、竜郎は素人ながらに感じ取っていた。
「「あうあ!」」
「うん、色じゃなくても見ればリュルレアさんってわかるよね」
「あら、リュルレア様は知っているのね」
「まあ、ちょっと縁があってな。確か九星としての二つ名は──」
「明青ね。光をまとったときの青い輝きが、本当に星のように輝いていたと聞いたことがあるわ」
「ああ……確かにそうだったかもしれない」
リュルレアは神たちによる頼まれごとで、過去に行ったとき直接話をしたこともある、数少ない九星の一人である。
楓と菖蒲も見知った知人の像を指差し、きゃっきゃとはしゃいでいた。
「まさにそのままって感じだな」
「ほんとだね」
体全体に鋭利な氷刃の鎧を彷彿とさせる外殻を身にまとった、鮮やかな青色の竜の彫像。
過去に出会った彼女そのままで、生きていた頃の彼女を知っているからこそ、余計にその彫像の出来に竜郎も愛衣も目を奪われる。
「ん、ちなみにこれはちゃんと作られてるの?」
「え? ええ、そうですね。こちらには何の違和感もありません。私の目には、完璧なトワイライトの作品として映っておりますよ」
「ヒッヒヒーーーン?(やっぱ灰色の人だけなのかな?)」
「九星全員分あると仮定するなら、残りはあと四部屋。そこを見ればはっきりするかもな」
素人でもその作品の表面だけでなく、その奥深くの込められた感情まで垣間見させるという、竜郎にとっても面白い体験を味わわせてもらいながら、見学と撮影を終えその部屋を後にした。
このまま大人しく鑑賞だけしていれば安心だと、すっかり気が緩みそうではあったが、それでも竜郎たちは警戒だけは一応しながら進んでいく。
そうして次に辿り着いたのは、まさに漆黒。
黒曜石を切り出して作りあげたような、黒一色の部屋。
だがどういう構造なのかちゃんと明かりは保たれている。
暗い部屋にしか見えないのに明るい部屋。
頭と目がバグりそうな場所だった。
だが頭と目がその色に慣れてくると、まるで浮かび上がって来るかのように一面の黒の中から、彫刻の装飾が見えてくる。
「うっ……うぅっ……なんと神秘的な仕掛けでしょう……。私は感動で前が見えません……」
「いや、見ろよ」
「でもきっと、この目の錯覚のような効果も狙っていそうね。
これだけの技術があるのなら、当然のようにできるでしょうし」
「でしょうな! これと似たような技術を使った作品をいくつか知っていますが、これはそれらを超えていると言わざるをえません。
しかしその技法はただのオマケにしか過ぎないのでしょう。
この部屋の題材となった方は、少し性格が変わった人物だったのでしょうか。
神秘的な魅力の中に、子供のような遊び心やいたずら心、無邪気さを感じますが、深い考えを持った大人の思慮深さという二面性のようなものも感じられます。
孤独を好むように見えて、多くの繋がりを求めているような……なんと複雑な作品でしょうか……。
あと一週間はここに居座り続けられそうです」
「ちゃんと見えてんじゃねーかよ……。というか、そんなにいるつもりはねーからな」
「でしょうなぁ……残念です。今この瞬間の光景を、私の脳と目に焼き付けます。
もはや皆さんお気づきでしょうか、ここで一番注目すべきはあそこの──」
またなにやら語り出したので、面白そうな解説だけはつまみ聞きし、竜郎たちは竜郎たちで自由に見学させてもらう。
「こっちもなんか不思議だよな」
「黒の中で黒く光ってる? 浮かび上がってる? うーん、自分でも何いってるかよく分かんなくなってきた」
「ん、言いたいことはなんか分かる」
「見てい……ると……落ち着く……気が……する……」
中央に飾られていた黒い宝石の彫像は、漆黒の部屋の中で同じ黒なのに、何故かハッキリと見え、とても目立っているようにも感じる不思議な黒竜の彫像。
なんとも中二心をくすぐられるデザインに、竜郎も内心興奮していた。
修学旅行生に爆売れしそうなドラゴンだと。
「黒ということは、『黒点』と謳われたウェルスラース様ね。
この方に関しては、あまり逸話を聞かないから、私もよく知らないのよね。
九星の方たちの話を見聞きしていても、一番謎の多い方のようだったから」
「ヒヒーーン、ヒヒンヒヒンヒヒーン(ミステリアスって感じが、部屋のイメージに合ってるね)」
「んで、じいさん。こっちの彫像はどう思うよ」
「そうですね。これも一切の手抜かりもない、最高の彫像だと断言いたします」
やはりこちらも完璧な出来。
そうなると余計にグエシスの彫像がそうなった理由が気になってくるが、時間は限られているので鑑賞と撮影を優先し、竜郎たちは次の部屋へと続く下りのトンネルを進んでいく。
「どんどん地下に行ってるね。どこまで深いところに目的地があるんだろ」
「探査魔法の効きが悪いから、そういうのも調べ辛いんだよなぁ」
「そういや、この彫像巡りがメインじゃなかったんだよな。
じいさんのテンションのせいで、忘れそうになるぜ」
黒の宝石部屋を出てしばらく道なりに下っていくと、次の部屋も見えてきた。
「おお……これは見事……としかいいようがないですな……。
豪華絢爛でありながら、楚々とした優雅な美しさが内包しているような……それでいて──」
「確かにすげぇな、ここは。見ごたえがあるっつーかよぉ」
次の部屋は鮮やかな黄色いトパーズを削りだして作ったような宝石部屋。
「さっきの部屋とは別の意味で、目がおかしくなりそうだ」
「なんていうか、ゴージャスって感じ?」
一つ前が暗幕を垂らしたように暗い色の宝石部屋だったため、この絢爛な空間に目がくらみそうになってしまう。
「ヒヒヒーーンヒンヒン、ヒヒーンヒンヒッ(でもここまでキラッキラなのに、全然下品じゃないの凄いよね)」
「ん、むしろ品がある気がする」
「絶妙なバランスで保たれている美しさと言えるでしょうね。作り手の優れた感性を感じさせられるわ。
私じゃただただ美しく見えるものを寄せ集めた結果、結局自分が何を表現したかったのか分からない作品にしてしまいそうだもの」
「派手……なの……に……それが……自然……みたい……な……。おも……しろい……かも……」
見る者に衝撃を与えるほどの、部屋の隅の隅に至るまで余白を一切作らず、びっしりと装飾が彫られた豪華絢爛な圧を感じさせる部屋。
けれどそれだけゴチャゴチャと隙間なく飾り立てられているというのに、虚飾ではなく、その全てが必要なんだと受け手に思わせる説得力。
むしろそうすることで内面の品性の美しさを表現していると、素人の感性にすら訴えかけてくる。
まさにこれぞ芸術。
素人にこそこの部屋を見せることで、本当の美と芸術に目覚めさせてくれそうな場所だった。
「こっちも豪華だねー」
「「あーうー……」」
「圧倒されるものがあるよな」
黄色というより、もはや黄金にすら見えてくる絢爛な女性の竜の彫像。
威風堂々と座り、少しすましたように伸びる鼻筋が、育ちの良いお嬢様のような印象を与えてくれる。
「黄色とくればこの人しかいないわよね。
『黄玉』の名で謳われた傑物──『トリノラ』様。
この方の物語は祖国にも沢山あって、私も子供の頃は憧れていたものよ。
強く可憐で美しく、知的で優雅に問題を解決していく。
ああ、トリノラ様。こういう形でもお会いできて嬉しいわ……」
まるで祈るように胸の前で手を組んで、イェレナは彫像の前で感動していた。
「ん、まさかのイェレナちゃん憧れの人だった」
「聞いてる……だけ……で……なんだ……か……すご……そう……な……人……」
「ええ、だからとても目を引く方だったそうよ。
九星の方々全ての像がある可能性が高いと知ってから、密かにずっとワクワクしていたの」
「ヒヒーーンヒヒン、ヒッヒヒーーン(それならイェレナさんにも、写真を上げるねー)」
「ええ、是非!」
「じいさん、像の判定を頼む」
「素晴らしい! の一言ですな。文句なしに全身全霊で魂を込めて作られた作品と言えましょう」
素人にも分かりやすく芸術を感じさせてくれる部屋だったのと、イェレナが非常にテンション高く堪能していたため、竜郎たちも心なしか長めに時間を取ってから、その部屋を後にした。
次も木曜日更新予定です!