第438話 誘惑と彫像
穴の向こう側は暗い暗い洞窟になっていた。
「危ないものはなさそうだな。明かりをつけるぞ」
竜郎の魔法で周囲を照らすが、特に物珍しい物もない普通の洞窟だ。
だというのに、無性に落ち着かない。
「なんか気持ちわりーとこだな」
「ヒヒーーーン?(誰かに見られてる?)」
「分かる。なんか背中がモゾモゾするよね」
「ん、ここあんまり好きじゃないかも」
「探査魔法が通り辛くて情報も集め辛いな……。なんなんだここは。
できるだけ皆離れないように。正直、何があるかさっぱり分からない」
「私にはただの暗い洞窟にしか思えませんが……、皆さんが言うのなら何かがあるのでしょうね……」
竜郎の探査魔法がジャミングされているかのように奥までとどかず、ノイズ混じりの情報ばかりが頭の中に入ってくる。
何か得体のしれないものが上から覗いているような感覚がずっと続き、ジャンヌたちもどこかピリピリとして空気が重い。
一定以下の実力者では何も感じず、オーベロンは何をそんなに警戒しているのかと不思議そうにしている。
実力が高い者ほど敏感に視線を感じるせいか、イェレナも視線を感じてはいるようだが、従魔共にそこまで気持ち悪そうにはしていない。
かといって特に危険な罠や魔物がいるわけでもなく、道中は平和そのもの。
逆にそれが竜郎たちには不気味に思えてならないのだが、ただ不気味というだけで引き返す気にはなれない。
ここはトワイライトを信じて前進していく。
「これはまた……あからさまな誘惑だな」
「でも私たちには効果ないかなぁ」
洞窟をただ真っすぐ進んでいった先に部屋のような、広くくりぬかれたような空間があった。
そこには大量の金塊が無造作に敷き詰められ、多少の小金持ちでも一つくらいはと持ち出してしまいそうな場所。
だが竜郎たちは一切触れずに奥に進んでいく。
竜郎たちはお金はあちこちに寄付したり、芸術家の卵たちのパトロンになったりしてなお増え続けている状況だ。
今更こんなただの金塊を欲しいとは思わない。
オーベロンも小国の元王、超が付くほどの資産家だ。
その金塊が著名な芸術家による金細工だったら危なかったかもしれないが、ただの金塊などには何の興味も示していない。
そのようなメンバーばかりであったため、イェレナもルナも含め全員が「金塊だなぁ」くらいの興味しか持つことはなく素通りできた。
「それでまた洞窟に戻ると。本当に何なんだろうな、ここは」
「とりあえず誘惑部屋は回避成功って感じ?」
「あれを持ち去っていたらどうなっていたのかしらね」
「その……身……は……消え……去る……って……書い……て……あった……」
「ろくなことにならなかったのは確かだろうぜ」
「ん、触らぬ神に祟りなし」
「ヒヒーーンヒヒンヒヒヒヒーーン(このまま全部無視していけばいいだけなら簡単だねー)」
得体のしれない不気味さに反して、本当にそのような空間があるだけだった。
金塊部屋からはじまり、人の欲望を刺激するような宝と呼べるものが敷き詰められた部屋が道中にいくつもあった。
「芸術作品が敷き詰められた部屋がなくて安心いたしました」
「たとえそうでも、ふんじばって手を出させるつもりは無かったけどな」
幸いなことに宝といっても貴金属や宝石など、未加工なままの原始的な宝を敷き詰めているだけ。
それでも中には竜郎たちでも欲しいなと思うような珍しい物もあったが、トワイライトからの忠告もあったため、一切手を出さずに進めている。
おかげで手を出していたら何が起きるのかは分からなかったが、わざわざ危険を犯してまで知ることでもない。
驚くほどその道中は何事もなく、竜郎たちはどこまで続くのかも分からない洞窟の奥底へと潜り込んでいけた。
「道の……雰囲気……変わっ……た……」
「ヒヒーン。ヒヒンヒィーンヒヒン(本当だ。明らかに人工的に作られてるね)」
かなり進んだところで、ただの天然洞窟を少しいじって財宝部屋を作りました──といった様相だった道のりが唐突に終わりを告げる。
まるで磨かれた大理石で作られた神殿のような、綺麗に整備された人工のトンネルになっていた。
明かりも天井と壁に等間隔に設置され視界良好。
少し戸惑いながらも竜郎たちはそのトンネルへと足を踏み入れた。
「空気が変わったな」
「わ、私ですら気づけましたぞ……これはいったい」
その神殿のようなトンネルに入った瞬間、あの得体のしれない視線は消えた。
代わりに息苦しさを覚えるようなプレッシャーを、前の方から感じていた。
思わず竜郎たちも臨戦態勢をとり、楓と菖蒲も体術の構えを無意識に取っている。
オーベロンは逆に戦闘とは無縁なため、プレッシャーは感じていないようだが、なにか空気が重くなったことはさすがに気づいていた。。
「ん、でもこっちの方が分かりやすい」
「得体の知れなさはないから逆に気は楽になったかも」
「私は今の方が落ち着かないのだけど……」
とはいえ何もしてくる様子もなく、それから生き物らしさも感じられない。
どこか機械的な圧だと気づき、すぐに元の楽な姿勢に戻る。
「とりあえず何があっても、いきなり攻撃するとかはやめてくれよ。ガウェイン」
「分かってる。だが気持ちがいいプレッシャーだな。気分が良くなるぜ」
「ヒヒーーンヒヒン(別に気持ちよくはないと思うけどね)」
久しく感じていなかった強者からの圧にガウェインは、すっかり瞳孔が開き闘士が漲っていた。
それでも暴走するようなことはないと信頼しているので、いちおう気にしつつもそのままオーベロンの事は任せ、そのプレッシャーを放つ何かの場所へと行ってみた。
「う。美しい…………。なんと美しい部屋なんだ…………」
「ね、ねぇ。たつろー。この真ん中のやつ、知り合いに似てない?」
「奇遇だな。俺もちょうどそう思ってたところだ……」
そこは緑色の宝石でできた部屋──とでも形容すべき場所で、とても広く天井や床に彫られた装飾も細やか。
部屋そのものが芸術作品かのような場所だ。
その部屋の中で一番目立つのは、やはり中央に堂々と設置してある宝石の彫像。
エメラルドを彫って削って作ったような、煌びやかな龍の彫像だ。
彫像の大きさは高さだけでも8メートル近くあり、空を舞う立派な龍を模している。
「「じーじ!」」
「どうみてもアルムフェイルさんだよねぇ」
「ん、宿してる力までそっくり」
それは初代真竜にして初代竜帝国皇帝、セテプエンイフィゲニアの側近眷属──九星の一柱。緑深──アルムフェイルその人の彫像だった。
しかもその彫像にはどう感じ取ってもアルムフェイルのものとしか思えない、強力な力が宿っている。
「おぉ……まるで今にも動きしそうな躍動感! この彫像も素晴らしいですなぁ」
「オーベロン陛下、絶対に触らないでくださいね。
それ本当に動きますから。触ったくらいじゃ動かないかもしれませんが、念のため言っておきます」
「ひえっ!?」
それはいうなれば宝石ゴーレム。
プレッシャーもこの彫像から漏れ出している。
何か……おそらくこの部屋の物を壊そうとしたりした場合に動くであろう、防衛装置に近い存在と竜郎は解魔法で読み取った。
「俺らが本気だせばただの彫像に負けることはねぇだろうが、戦いになったら壊すしかなくなりそうだ。
その芸術とやらを保存しておきたいってんなら、不用意に触ったり持ってこうとするんじゃねーぞ。爺さん」
「は、はい。では触らなければ、見るくらいなら良いのですか?」
「見るくらいなら大丈夫なはずです」
「なら少しだけ観察させていただきますね……。いやしかしこれは……もしや」
「なにか気になることでもあるのかしら?」
「いえ、私の勘違いということも十分にありえるのでしょうが、もしやこの彫像の制作者はヘスパー・トワイライトではないでしょうか。
これまでの道中でモノリスなどに刻まれていた彫刻の癖といいましょうか、どこか同じものをここから感じてしまうのです」
「この……人の……審美眼……は……馬鹿に……でき……ない……。本当……かも……?」
「確かにな。俺にはさっぱり分からないが……」
「私もー」
ルナの言うように戦闘面ではからきしでも、オーベロンの芸術を見る目は本物だ。
「どれくらい確信を持って言ってます?」
「そうですね。7割ほど……でしょうか。
もう少しトワイライトの彫刻作品が世に出回っていれば、もっと確信をもって鑑定できたと思いますが……こればかりは」
「ヒヒーーーーン(7割でも相当だよね)」
「ん、もうトワイライトが作ったでいいかも」
「でもそうなると、トワイライトはやっぱり竜たちと関係があったんだろうな」
「そうなのですか?」
「だってこれ、このモデルになった龍の協力なしでは絶対に作れませんよ。これも普通の宝石じゃないですし」
その宝石は合成金属ならぬ合成宝石のようなもので、アルムフェイルの体の一部が練り込まれて作られた特殊な宝石だ。
そんなことを許してもらえるとなれば、相当にアルムフェイルと仲の良かった、彼が信頼していた相手というのは間違いない。
「まだ先もあるし、そっちも確かめてみよ。次は何があるのか、ちょっと楽しくなってきちゃったし」
「そうだな。陛下、いきますよ」
「え? もうですか!? う、うーーん、しかし私のわがままで遅らせるわけにもいきませんな。すぐに向かいます!」
その部屋も竜郎たちは見るだけで何もしなかったことで、特にアルムフェイルの像が動くこともなく、あっさりとその先へと抜け出せた。
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