第430話 銀の雨
最後の場所に到着すると、下に潜ってトワイライトの痕跡を確認しに向かう。
竜郎の精確なナビゲーションのおかげで、ちゃんと真下に最後のモノリスを確認できた。
最後ということもあり海の地図のようなものもなく、「おめでとう。そのまま静かに雲を待て。バレずに来れたのなら、必ず向こうからやってくる。楽しむといい」とお決まりの文言に添えて、この場での最後の助言が書き記されていた。
「雲を待てか。必ず来るっていうなら、のんびりここで待ってみよう」
「もうここまできたら、何時間だって待つよ!」
「あの絵の光景を見るまでは、私も戻れません」
そもそも今更帰るなんていう選択肢はないが、『銀雨降る白光の水平線』に描かれていた雲海は今のところ空に流れていない。
荒れた海に反して青々とした空が広がっているだけ。
これは持久戦になるかもしれないと、竜郎たちは海に浸かったまましばらく待機することとなった。
とはいえ竜郎の障壁で作った空間でのんびり待っているだけだったため、実際に濡れているわけでもなく、それほど苦でもなくそのときがやってきた。
「きたよっ」
「ヒヒーーン(どこどこ?)」
「あっちの方角から、明らかに普通じゃない雲が流れてきてるぞ」
「確かに普通じゃねぇな」
「なんだ……か……重……そう……な……雲……」
「むぅ、まだ見えませんな…………」
水平線の向こう側、愛衣が真っ先にその優れた視力で見つけ出す。
絵で見るより輝きは薄く、雲海というには小さい気がしたが、明らかにそれらしき雲がこちらに流れてくる。
その雲は淡く輝きながら、普通の雲よりもずっとゆっくり風に流されている。
それを見て、ルナは重そうだと思ったようだ。
「ん、急にでっかくなってきてる?」
「ほんとね。この辺りに、そうする何かがあるということかしら?」
その雲はこちらに近付くほど急速的に大きく膨らんでいき、だんだんと絵で見た姿に変化していく。
それはまるで誰かが絵筆で描き足しているかのようだった。
距離はまだかなり離れているが、広がっていく雲海はそれを感じさせないほど巨大なものになっていく。
そこまでくると、オーベロンの視力でもハッキリとそれが見えてくる。
「あぁ…………まさしくこれぞ『銀雨降る白光の水平線』……」
どこまでも続いていそうな海と空、銀色の雨が白く輝く美しい雲海から海面へ降り注ぐ。
日の光が雨粒に反射して、キラキラとした得も言われぬ景色を竜郎たちに見せてくれる。
今くらいはいいだろうと竜郎は、皆を覆っていた障壁を海上に浮上させ、視界を邪魔する波の上でしっかりとその光景を目に収めていく。
「本当に絵の中に入りこんじゃったみたい……」
現実にあるのに現実味のないその光景は、竜郎たちの目を奪って離さぬままどんどん気流に流され、絵で見たときよりもっと近くまでやってくる。
それと一緒に海に落ちた銀色の雨粒も波と共にこちらに流れてきた。
海面は銀色の薄い膜に覆われ、それが波を押さえつけるように穏やかにしていく。
竜郎たちの周りで荒れていた波もシン──と静まり返り、銀色の膜で覆われた海はまるで鏡のように、均一に平坦と化す。
海の鏡に空と輝く雲が映し出され、竜郎たちは美しい天上の雲の上に乗っているかのような不思議な光景に息をのむ。
だが段々と海の波を抑えきれずに膜は引き延ばされていき、鏡面のあちこちがヒビ割れ散っていく。
それがどこか儚さを感じさせ、壊れいく様にまた違った趣きと美しさをみた。
ゆっくりと雲海は竜郎たちの上をそのまま通過していき、徐々に雲が小さくしぼんで、最後には銀色の霧となって風にさらわれ消えていった。
「…………………………」
それを竜郎たちは静かに見守り、何とも言えない切ない余韻にしばらく浸った。
「なんていうか……前二つのよりも派手さはなかったけど、ジンと心に来る景色だったね」
「ん、ちょっと寂しいけど、とっても綺麗だった」
「派手に輝いて最後は楚々と散っていく。儚い花のような光景でした……」
これまでと違いずっと派手さが続くようなものでもなく、気付けばあっという間に消えてなくなっていた。
それでもオーベロンはうっとりするように、瞼の裏に焼きつけた光景を思い浮かべながら目を閉じ、一人まだ先の光景に浸っていた。
「ヒヒンヒヒーン。ヒヒンヒヒーン?(不思議な雨だったね。なんでここだけ、あんな雨が降るんだろ?)」
「ああ、それは多分これまでに見てきた魔物たちが原因なんだと思う」
「魔物たちが? どういうこったよ」
「正確には魔物たちの生態と、この海の環境が偶然噛み合ってできたんだろうな。
というのもまずあの雨の主成分は、サンゴと胞子と水だったんだ」
「サンゴと胞子と水……? なるほど、私も少し読めてきたわ」
「え、全然分かんないよ。たつろー、もったいぶってないで、はやく教えて教えて!」
「はいはい。まずここに来るまでに見たサンゴがあっただろ?」
「宝石魚……に……齧られ……てた……サン……ゴ……?」
「そう。それであってる。実は──」
まずはじまりの1つは、宝石魚の生態。
宝石魚は自分の鱗をより美しく輝かせるために、あの特殊なサンゴ礁を齧っていた。
そのサンゴの成分の影響で、鱗に影響が出ていたということは、その鱗の一枚一枚にはサンゴの成分が多く含まれている。
そしてサンゴの成分を多く含んだ宝石魚は、この海域を群れとなって不規則にみえて、その実、決まった海路を巡回するよう泳ぎ回る。
そんな宝石魚を今度は、シャチとワニを足して割ったような巨大魔物が大量に捕食。
捕食したときに歯に蓄積される砕けた鱗などのゴミを体外に出すために、潮吹きとともに残骸粒子を海上の大気中に散布する。
そして2つ目は、キノコに寄生された亜竜。
亜竜はキノコに寄生されたまま、海上を飛行し胞子をばら撒く手伝いをさせられていた。
本来はその胞子が海水に混じり、小さな水棲魔物に根付いてどんどんより大きな魔物に食べさせ寄生先を入れ変え成長していき、頃合いになったら亜竜に食べさせ最後の寄生先と決め、そのまま空からの広範囲による増殖行動をとるようになる。
しかしその特殊な胞子と特殊なサンゴの成分が、この海域の独特な気流と魔物を介して運ばれたことによって互いに混ざり合う。
酸素と炭素が結びつくように、その2種も強く結びつく性質をたまたま有していたからだ。
さらにその2種と大気中の水分も混ざっていくことで、まるで雲のような水蒸気が海上に発生するようになる。
「つまりそれが、あの雲の正体ってわけだな」
この辺りの気流を計算していくと、ちょうど竜郎たちいる場所が一番見ごたえの場所になるように雲は集まっていき──雲海となる。
魔物に入っていた期間で魔力を帯びたことにより、化学反応ならぬ魔法反応のようなものが起きて発光。
雲海が大きくなればなるほど、その反応は激しくなるため輝いて見えるのだ。
「そして水分が一定量を超えると、それらの成分もくっつけたまま一緒に落ちてくる。
胞子とサンゴの成分が結びつくと、銀色になるんだろうな。
だからそれが混ざって、銀色の水分を雨として降らせた。
それがこの現象の根本になっているんだと思う。
他にも別の生態や気象なんかの要素も、どこかで混ざり合ってるかもしれないけどな。さすがにそこまでは俺にも分からない」
「うーん、なんかフクザツなカンケーがあれやこれやで、できてたんだねぇ。うんうん」
「ほんとに分かったのかしら……?」
なんだか分かった風に頷く愛衣だが、何とも言えない開き直ったような表情に、イェレナは疑いの視線を向けていた。
「でもだったら、隠れてここまで来させられた理由はなんだったんだ?
別に見つかっても関係ねぇように思えるけどな」
「それは……そうだな。ただの素人の推測でしかないが、基本的な行動範囲や縄張りが決まっている魔物ばかりだが、ここの魔物は外部の存在に敏感で、俺たちみたいなイレギュラーが入り込むと行動にズレが生じるとか……か?」
「でも……きっと……意味……は……あった……と……思う……」
「だろうな。わざわざトワイライトが忠告していたわけだし。
風が吹けば桶屋が儲かるというが、少しの行動のズレが積もり積もって、あの光景が見れなくなる原因になったりとかなんだろうさ。きっと」
「ん、普通はもっとここに来るのにも時間かかる」
「ヒヒーーン、ヒヒーーンヒン(だったらそのズレのせいで、見れなくなる日もあるかもだしね)」
「最悪なのは、そのズレが二度と戻らなくなって、あの光景が失われることもあったかもしれないってことよね」
「なにそれこわっ。私たちのせいで、あの光景が見れなくなるなんて絶対にやだよ」
「なら慎重に来て大正解ってことだな。
なんにしても、これにて『銀雨降る白光の水平線』もコンプリートってことで、戻るとしよう。
生態系の動きに影響がない範囲で、魔物の素材集めとかもしたいしな。
ガウェインは未だに夢見心地な陛下を見ててくれ」
「あいよ」
この海域は見た目が美しい魔物も多かったため、それらの素材をこっそり回収しつつ、来た道をまた隠れて戻っていく。
あの場でジャンヌに乗らなかったのは、そうしてもいいのか判断がつかなったからだ。
そうして最初の地点に戻ってきた竜郎たち一行は、次の目的地──『輝砂の嵐と黄金遺跡』の絵の景色を目指し、『銀雨降る白光の水平線』の海域を後にした。
次も木曜日更新予定です!




