第422話 洗浄の間
驚きながらも冷静に、竜郎は周囲を解析していく。
すると見た目のインパクト以上に、かなり危険な場所なのだと判明する。
「魔法で障壁を作っておいてよかったな。
じゃなきゃ俺たちでも、なんらかの記憶障害が出てた可能性もゼロじゃない」
「なにそれこわっ」
「どうやら記憶の洗浄効果がある力場が、この空間内で渦巻いてるらしい」
「記憶の洗浄? どういうこった」
「そのままの意味だよ。記憶を服についた染みを抜くように、洗い流してしまうんだ。
なんの対処もせずにここにいれば、全ての記憶が持っていかれるぞ」
「な、ならば早く出ませんとっ!」
竜郎の言葉に慌てふためくオーベロンだったが、ガウェインがこずいて冷静さを取り戻させる。
お前の側には、誰がいてやってると思ってるんだとばかりに。
「落ち着けじいさん。その対処してっから、あんたも平気でいられてるんだろうが」
「あ、ああ……。そうでした……何度も申し訳ない……」
「まぁ一人だけ一般人……王様ですけど、力量的にはそれよりも下ですからね。
危険が近くにあって冷静でいられない気持ちも分かりますよ」
「は、はぁ」
オーベロンからすれば、超人集団の纏め役のような竜郎に気持ちが分かるものなのかと疑問を抱いたが、竜郎とて生まれて十数年はただの男子高校生だったのだ。一般人の気持ちだってよく分かる。
「けど魔力や気力なんかで抵抗できるので、俺の障壁で何重にも守っている陛下に、この空間の力が及ぶことはないのでご安心を」
「それはあなた方でも危ないのですか?」
「俺たちの場合は無意識に垂れ流される魔力や気力でレジストできる……とは思います。
ただそれを試してみようとは思いませんが。
万が一空間の力がちょっとでも抜けて干渉されたら、何かの記憶は消えてしまうかもしれませんし」
「忘れたり封じられるのでもなく、消える。なのね……」
「それはもう綺麗さっぱりに。そうなったらもう、二度とその記憶は思い出せないと思っていい」
ただルナだけは本体ではないため、その限りではない。
ここのルナの記憶が消えたところで、本体にまで届かないだろう。
ちらりとルナの方に視線を向けると、彼女もそれが分かっているのかコクンと小さく頷いていた。
「記憶を失うのは嫌だなぁ。でもなんでそんな空間に私たちはいるのかな? いきなりだったよね?」
「ああ、俺もまったく分からなかった。なんというか世界の仕組みとして、こうなっているって感じだな。
だから誰も気づけなかった。ここでは、そうなるのが当たり前って感じでさ」
「んじゃあ、この周りの気色わりぃやつらは記憶がぶっ飛んじまった奴らのなれの果てってか?」
「……そうだと思う。それ以外に説明がつかないしな。こんな大量になんて。
ただそこにあるのは肉体だけで、その中には記憶どころか魂の欠片すらない。全部ミイラ状態になった死体だ。
この祈るような動きも自分の意思というよりは、そういう仕組みの人形にされたっていうのが正しいかもな。
悪霊とかゾンビですらない。本当にただの空っぽの人形だ」
「記憶を奪われた挙句、死体までこんなことに使われるなんて、趣味が悪すぎるわね……」
イェレナはゾッとするように自分の肩を抱いて、周りの祈り続けるミイラたちを眺めた。
『これって、いざとなったらたつろーの転移で元いた場所に帰れる?』
『いや、さっきからそれを確かめているんだが、何故かここだとそれができない』
『ん、ちょっとやばい?』
『食料も水も魔法や《強化改造牧場・改》で永続的に確保できるから、今すぐどうなるってわけではない。
俺なら全員分の障壁を張り続けても、回復量の方が多いしな。
けどさすがに脱出法くらいは、早めに確保しておきたいところではある』
『なぁ、外にいた奴らはここで記憶を取られてたから、あんな風になっちまってたんじゃねぇか?』
『だろうな……となると、記憶を失っても──ここに入ってからもちゃんと出る方法がある。もしくは記憶を失うことで外に出られる……のか?
自分たちで試すわけにはいかないし、そうだな。ちょっとかわいそうな気もするが、実験してみるか』
悪戯に傷つけたいわけではないが、このまま見渡す限り白い空間で何もせずにいるわけにもいかない。
死体たちが両サイドにズラリと並ぶ、嫌な道がずっと伸びている。まるでこの先に行けとばかりに。
だがその道を進み続ける以外の選択肢も、念のため今のうちに確保しておきたい。
そこで竜郎は《強化改造牧場・改》で飼っている、ネズミに似た小型の魔物──パルミネを一体呼びだした。
「急に魔物が……」
「こっちで呼びだした魔物なので気にしなくて大丈夫ですよ。
可哀そうですが、今回はこの子に実験台になってもらいます」
「ごめんね、パルミネくん」
「「あうー」」
成仏してくださいと祈る愛衣の真似をするように、楓と菖蒲も自分たちのために犠牲になるパルミネに手を合わせた。
パルミネは知っての通り、生態系を変えてしまうほどの繁殖力の高さを持ち、人間にとっては三大悪食に数えられるほどとてつもなく不味いが、魔物にとっては大の御馳走になる魔物だ。
竜郎の養殖業や魔物園で主に消費されている魔物フードの原材料として、パルミネは毎日量産され大活躍している。
そのため《強化改造牧場・改》内部には、このパルミネが数えきれないほどいる。
さらに魔物としては最弱レベルの弱さなので、必要以上に外部からの干渉に抵抗する力もない。素直な反応を確かめることができる。
そういう意味でも、こういった生物実験をするモルモット役としてうってつけなのだ。
「じゃあ障壁を取っていこうか。お前の犠牲、無駄にしないからな」
生まれたばかりなうえに、知能レベルは魔物の中でも低い方なので大した記憶はなさそうだが、それでも犠牲になってくれることには変わらない。
偽善でしかないかもしれないが、それでも感謝しながらパルミネを覆っていた竜郎の魔法障壁を少しずつ剥がしていく。
どれくらいで影響が出るのかも、今ここで調べているのだ。
「力場の流れの干渉は、イメージ的には体全体にやすり掛けしてくるって感じか。
そうして体を覆っている無意識に出てる魔力なんかを削り取っていき、本体に干渉していくと」
パルミネの微弱な魔力だけでは一秒も抗うこともできず、竜郎の障壁による守りが消えればあっという間に全ての記憶を洗浄されてしまった。
「なるほど……そういうことか」
「何がそう言うことなの?」
「洗浄し終わった先の段階もあったんだ──あっ」
「ん、消えちゃった。実験失敗?」
「いや、この犠牲はちゃんと活かせそうだ」
外で見た無気力な魔物と同じようになったパルミネは、竜郎が《強化改造牧場・改》に還したわけでもないのに、勝手に白い空間からいなくなった。
「あのパルミネを解析して、その仮定をずっと観察していたんだが、洗浄されたら今度は人形になるための……なんていえばいいんだろうな。〝意志〟みたいなものを植え付けられていた」
「意志だぁ?」
「ああ、綺麗な人形になるために徐々に栄養をしぼって衰弱させながら、胃の中を空っぽにしていく仮定として木の実なんかを食べるように、洗浄されてまっさらな記憶に意志を植え付けられていた。
最終的には木の実すら食べさせずに完全な断食をさせて、死ぬときになったら自然にここに帰ってくるようになっている──って感じだ。まるで即身仏だな」
「でも自主的にやってるわけじゃないから、ただの自動ミイラ製造装置って感じだね。余計に嫌なとこって思えてきちゃったよ」
「少なくともいいところではないわね。それでタツロウくん、外に出る方法なんかは分かったりした?」
「ああ、それなら──この通り」
「おおっ、もといた森ですな!」
竜郎がパルミネがいた辺りに人差し指を向けると、その空間にぽっかり穴が空き、元いた森に繋がった。
そこには先ほど記憶を消され、ミイラになるために活動しはじめたパルミネがのそのそと動いている姿も確認できる。
そのパルミネは《強化改造牧場・改》でぬくぬく育っていたため、かなり肉付きがいい。ここからミイラになるまでに、それなりに時間がかかりそうだ。
「あのパルミネに印をつけていたから、この場所と、もといた森の間で移動したときに管を通してみた」
「器用なことするわね……。でもこれでいつでも帰ろうと思えば、帰れるようにはなった……のね?」
「ああ、あのパルミネにはしばらく目印として、あそこにいてもらえばいい。ちょうど襲ってくる魔物もいないしな」
「ほんとだ。いつもならすぐ他の魔物に食べられちゃうのに、無視されてる」
開けた空間の穴の先ではパルミネの近くを別の魔物が通り抜けたが、なんの反応も示していなかった。
ここなら襲われる心配はなく、放置していても問題はない。
襲う側も頭の中身が空っぽになってしまっているのだから。
そのまま管を髪の毛ほどの細さに戻し、竜郎はその場に固定する管と、自分に繋ぎっぱなしにする管の二つ、Y字路のように先端を分化して三点を結びつけておいた。
これで途中で帰ることもできるし、どれだけ進んでもここに戻ることもできる。
「よし、保険もかけることができたし、このままこの気味の悪い道を進んでみよう」
「どれくらい歩けばいいんだろ」
「まぁ、とりあえず進もうぜ。こんなところで突っ立ってても暇だしよ」
「ん、しゅっぱーつ」
「しゅ……ぱ……つ…………」
「「うっうー!」」
ミイラ人形を掻き分けて横道に逸れる気にはなれず、竜郎たちは綺麗に何もいない空いた一本道。おそらく正規ルートであろう道を、ゆっくりと進みはじめた。
次話も木曜日更新です!