第414話 順路
菖蒲への称賛が収まったところで、オーベロンは暗幕を上げる紐が垂れさがる壁を軽くノックした。
すると、その裏側にあった隠しボタンが現れる。
「では、お待たせてしました。本物のトワイライトの1枚をどうぞご覧ください」
オーベロンの人差し指が隠しボタンを強く押し込むと、全ての複製画の位置が下段にズレるように下がり、たった1枚だけ壁の裏側から押し出されるように、本物のトワイライトの絵が出てきた。
「「うーっ!」」
芸術にそこまで興味を示してこなかった楓も、興奮した様子で本物の『黄金樹と星闇の天蓋』を菖蒲と一緒に指さし飛び跳ねていた。
「これが本物か……。確かにこう……素人目に見ても貫禄が違うというか……何と言えばいいんだろう」
「何となく、たつろーの言いたいことは分かるかも。
複製画を描いた人も凄い人だったのかもしれないけど、トワイライトさんの絵の方がリアルっていうか、存在感がある気がするもん」
複製画が下に並んでいることもあって本物と見比べやすく、竜郎と愛衣もその違いが感じ取れた。
「ヒヒーーン、ヒヒン(なんか不思議な存在感があるっていうのは、分かる気がするかも)」
「見てると体がうずくような感じがすんだが、何なんだろうな。
これが本物の凄みってやつなのか?」
「ん、これなら私でも見分けられる」
「複製画の出来も決して悪くはないのでしょうけど、こうして並べられると一目瞭然ね」
「こっちの……方が……凄い……気が……する……。
ルマロス……は……実は……そんなに……凄く……なかった……?」
「どっちかというと、トワイライトさんより評価されてるっぽいのにね。ルマロスさんって。
こうして見比べちゃうと、トワイライトさんの方が実は凄かったんじゃないかな?」
「それは違いますぞ、お2人とも!
いかにルマロス・ド・エルシャンテフが描いた複製画とはいえ、まだこれを描いた当時の彼の技術は成熟していなかった。
特に評価されているエルシャンテフの作品は、彼が60歳を過ぎてから描かれたものが多いというのが、それを物語っておりますのでそう考えるのが妥当でしょう。
それに芸術というものは、それを生み出す作家の精神状態にも大きく左右されるもの。
お金のため言われるがままに他者の画風を真似して描いた作品と、自分の情熱のままに、自分の技術を全て駆使して描いた作品では、違いが出るのも当然かと。
私個人の主観だけでいえばトワイライトの作品の方が好ましいと思っていますが、決してエルシャンテフが彼に劣っていたということはあり得ません」
「そう言われると分かりやすいですね」
「ようはエル何某は、自分の土俵ですらないところで戦わされてた──って感じか。確かに俺も理解できたぜ」
竜郎もオーベロンの解説に、なるほどと納得する。
芸術にほとんど興味がないガウェインも、自分の立場に当てはめることで、ここまで素人が見ても差があることに頷いていた。
エルシャンテフの技量に疑問を感じていたルナと愛衣も、同じようにそれはそうだと考えを改めた。
そのままじっくりと本物を見させてもらいつつ、竜郎は作品の圧に圧倒されて忘れかけていた情報を思い出す。
「そういえば、これに使われているのがトワイライトの特殊なインクなんでしたっけ?」
「はい。その通りです。どんな保存状況であろうと傷つかず、どれだけの月日が経とうと色褪せず、未だに再現不可能とされている未知のインクで描かれています。
この本物の『黄金樹と星闇の天蓋』も、例外なくです」
「なるほど。確かに見た目からしても、ちょっと独特な色合いな気がします」
「お分かりになられますか。トワイライトの絵は、この光沢と妙に艶めかしい独特の色合いが特徴的なのです。
むしろこれを普通の画材でよくもここまで色や光沢を再現できたものだと、まだ成長途中のエルシャンテフを称賛したくなりますよ」
「けれどこうして並べて見比べることができる状況なら、その違いもよく分かるわね」
本物を見たことがあるイェレナですら騙すほどの再現度は見事だったが、やはり並べてしまうと非常に分かりやすい。
ぬらぬらと濡れているかのような光沢のある、鮮やかで力強い色気を感じさせる発色。
それを完全には、さすがの歴史に名を残した名画家も再現できてはいなかった。
『製法も分からないんだから、それに近いこともできなかったんだろうしな。無理もないか』
『たつろーでも分かんない?』
『一瞬だけ軽く魔法で解析してみたが、分からなかった。
とはいえ俺が全力で解魔法を使って調べたら、さすがに分かるんじゃないかとは思ってる。
だけどそうすると、この秘密の宝物庫とその周辺のセキュリティ、具体的な座標なんかも、意図しなくても勝手に頭の中に入ってきて、全部丸裸になっちゃうんだよなぁ』
『ん、別に主が泥棒することないから問題ない』
『それはそうなんだが、せっかく信頼してくれてここまで俺たちを入れてくれたんだから、あんまりそれ以上は望みたくはないんだよな』
『ヒヒン、ヒヒヒーーン(ここに入れること自体、かなり特例だっただろうしね)』
『だったらよ。直接調べさせてくれって言ったら、この爺さんならさせてくれんじゃねーか?』
『その技法が知れるのなら、確かに調べること自体は賛成してくれるんじゃないかとは俺も思う。
だけど俺はあまり、ここのセキュリティの情報を知りたくない』
『そりゃまたどーして?』
『オーベロンさんは信頼してくれているとしても、俺たちはもっとずっと未来まで生きるつもりでいる。
その間にシャルォウ国のトップが何度も代わっていって、俺たちとそりの合わない王や代表が現れてもおかしくないか?
もしもそのときにここに盗賊が忍び込んだとしたら、誰かが情報を漏らしたんじゃないかって話にもなってくると思うんだ。
そのときに変な疑いをかけられたくもないし、変にここの情報を知ってしまったという記録をこの国に残したくもない。
さすがに慎重すぎる考えかもしれないけどな』
『ヒヒーーン、ヒヒン、ヒヒヒーーン(この先、人生は長いんだから、それくらい慎重な方がいいかなって私も思うよ)』
『ん、それに別にここで調べる必要もないんだった』
『そういうことだ』
『あぁ、それもそっか。ここで変なリスク背負ってまで調べる必要もないんだっけ』
『妖精郷ならカルディナ城の所の妖精樹から簡単に行けるし、そこで普通に別の本物が見られる。
プリヘーリヤさんなら俺たちの事情も知ってるから、どれだけ全力で調べても問題ない』
『エーゲリアさんも、まだ3枚も本物持ってるらしいしね。
ニーナちゃんが頼めば、島まで行かなくても持ってきてくれそうだし』
『ああ、それにエーゲリアさんなら、わざわざ俺が調べなくてもインクのことは普通に知ってると思う。
あの人でも調べられないものをこの世に生み出すなんてのは、それこそ神でもなければ不可能だろう。
そしてエーゲリアさんに理解できなかったことが、俺に分かるとも思えない』
『ヒヒン、ヒヒーーンヒーン(レーラさん並みに、エーゲリアさんも知的好奇心が高いみたいだしね)』
『未知のものが目の前にあって、調べねーわけがねぇってことだな』
『ちょうどうちに滞在してるし、カルディナ城に帰ったら聞いてみればいいってことだ』
『だねぇ。ぶっちゃけその方が楽だし』
竜郎の考え方はただの杞憂に終わるかもしれないし、シャルォウ王家がどこかの時代で潰れ、この宝物庫のことすら忘れ去れる可能性だってある。
どうしてもここで調べたいというのなら、呪魔法で完全にオーベロンを眠らせるなり操る方法だってあるが、そこまでして調べる必要すら竜郎たちにはもはやない。
そもそもどうしてもインクの秘密を知りたいかと言われれば、分からないなら分からないままでもいいというスタンスでしかないというの大きかった。
ここでは純粋に芸術を楽しみ、後からゆっくりエーゲリアに聞くなり、妖精郷で調べるなりさせてもらえばいいだけ。
竜郎たちが──というより、何故か楓も熱心に見ている本物を菖蒲が見飽きるまで、静かに芸術鑑賞に時間を費やしていった。
やがて楓は不思議そうな顔をしながら飽きて竜郎に抱っこをせがみ、菖蒲もそれから少しして満足したのか愛衣に抱っこしてもらっていた。
菖蒲が満足したならもういいかと、竜郎も思考を切り替えこれからについてオーベロンに問いかけることにする。
「オーベロン陛下。とても貴重な品々を快く見せていただき、ありがとうございました。
この子が将来どんな道を行くかはまだ分かりませんが、きっと菖蒲の感性はさらに磨かれたのだと思います」
「いえいえ、こちらこそ感謝したいくらいです。
思いがけぬ芸術家の卵との邂逅に、年甲斐もなく高揚しておりますよ」
「そう言っていただけると、こちらもありがたいです。
それでは本物を見ることもできましたし、そろそろ本格的に世界災凶絶景七選について話していきましょうか。
ここにはそのイメージになる、豪華な参考資料もありますし」
「それもそうですな」
もともとの目的である世界災凶絶景七選巡りについて、ひとまずここで相談していくことになった。
「ねぇ、王様。この7つの場所って、近かったりするのかな?」
「いえ、まさに世界中の絶景といった感じでして、どれも離れた場所にあるようです」
「けど大よその場所が分かっているのなら、順路を最初に決めて効率的に回っていくのがいいかもしれないわね」
「ん、甘いものもなさそうだし最短距離がいい」
「まぁわざわざ遠回りする必要もねーわな」
イェレナが言うように場所は割れているため、最短効率でまずはここシャルォウ王国から一番近い場所に行ってみる。
それから無事にそこで目的の描かれた場所と同じ地点に辿り着けたら、今度はそこから一番近い所へ。さらにその次は、2番目に行った場所から近い所へ──といった、効率重視のルートが提案された。
けれどオーベロンからは何か言いたげな表情をしながら、必死に自分を抑え込むよう我慢している様子がありありと見受けられた。
竜郎はすぐに自分たちに遠慮しているのだろうと気が付き、とりあえず何か言いたいことはないのかと直接聞いてみることに。
「何か言いたいことがあるんですよね? 僕たちも無理なら無理とハッキリ言いますから、とりあえず今気にしていることを口にしてください。
僕も気になってしまいますから」
「も、申し訳ありません……。この世界災凶絶景七選巡りですら完全に私の我が儘でしかないというのに、これ以上注文を付けるような真似をするのはさすがにいけないと分かっているのですが……どうしても」
「言うだけはタダなんだし、言ってくれていいよ。王様」
「そこまで言って下さるのなら、一つ順路について提案させていただきます。
これから巡ろうとしている順番は、そこに飾られている7つの絵の──正確には8つですが、その左から順番に右の絵に向かっていくような順路が私の理想なのです」
「この……絵……の……順番も……意味……ある……の?」
「はい。その順番にもちゃんと意味を込めて飾っておりますので。
私が調べたところによると、どうやらトワイライトは『白炎が咲き誇る静寂の湖底』、『黄金樹と星闇の天蓋』、『銀雨降る白光の水平線』、『輝砂の嵐と黄金遺跡』、『虹繭に包まれた槍山』、『紅月の氷原』、『黄昏に眠る光滝の大空洞』の順にその地を巡り、絵としてその光景を収めていったようなのです」
「ん、その順番に行きたいってこと? なんで?」
「トワイライトが何を想い、どういう道のりでそれらを見つけ、絵に収めようと思ったのか。
その軌跡を正確にたどることは不可能ですが、せめてその順番通りに辿ることで少しは謎多きヘスパー・トワイライトという画家のことが分かるのではないかと、その人生を感じられるのではないかと思ったのです」
オーベロンは行く日は来ないと思っていても、この絵を見るたびに実際の場所に赴く自分を想像し、自分が最も愛する芸術家──トワイライトの軌跡を辿ることを夢見ていた。
その順番はもはやオーベロンにとって聖地巡礼の辿るべき決められた順序と言ってもいい、とても重要なものとなってしまっていたのだ。
「ただ私もこれ以上、我が儘は言えません。
どんな順番であろうと、今生でその景色を見られたのなら、それだけで満足できますので。
なのでどうか、私の意見など気にしないで頂きたいのです」
「そういうことですか」
転移はさすがに使う気はないため、ジャンヌに空駕籠で連れて行ってもらう予定ではいる。
なので普通に最初の最効率で進むルートが、一番手っ取り早くはあった。
『けどそれを聞いてしまうと、どうせ行くならその順番で行ってみたくはなってくるな』
『ここまで来たら、せっかくだしね。ジャンヌちゃんはどお? 大変かな?』
『ヒヒーーン、ヒン!(全然へーきだよ、マミィ!)』
『ん、ジャンヌおねーちゃんなら、世界の端から端でも一瞬』
『それに俺たちも、そこまで急いでるって訳でもねぇからな。
俺としちゃ早く新しい果物で、酒を仕込みてぇってのが本音だがよ』
念話で会話ができる愛衣やジャンヌ、ヘスティアにガウェインは、順番通りに進むことにも反対はしなかった。
なのでどうせどの順番だろうと一緒についてくる楓と菖蒲はさておき、残りのイェレナとルナの意見を聞いてみれば──。
「私も別にいいわよ。私はただこの旅に相乗りさせてもらっているだけの、オマケでしかないのだし」
「私……も……問題……ない……。ただ……その……景色……を……見てみたい……だけだから……こだわ……りも……ない……」
「ならオーベロン陛下の希望通りの順番で行くとするか」
「本当ですか!? よいのですか!?」
「うん、私もいいと思う。なんかスタンプラリーみたいで、その方が楽しそうだしさ」
「すたんぷらりぃ?」
「あぁ、こちらの話なので気にせずに」
聞き馴染みのない言葉にオーベロンは首をかしげていたが、竜郎が強引に話を元に戻していく。
「では一番最初に行くのは一番左の絵の……えっと、題名は」
「『白炎が咲き誇る静寂の湖底』です」
「それです。その『白炎が咲き誇る静寂の湖底』の絵が描かれた場所を、一番最初に目指すとしましょうか」
「よろじぐお願いじまずっ!!」
また土下座をするような勢いで頭を下げ、泣きながら感謝を示すオーベロンをなんとかなだめ、ようやく旅の最初の目的地が決定した。
次も木曜日更新予定です!