第35話 一級と二級の違い
そこには、煌びやかなガラス細工が複数並んでいた。
「すごっ。色の数もたくさんあるし、さっきのよりももっと細かいよ」
「ほんとだねー、ママ!」
ヘスティアは食べても甘くなさそうなのでそれほど興味を示していないが、楓や菖蒲も目をまんまるにして、その光景に見入っていた。
壺や皿はもちろん、立体的なガラスの像。同じ色でも濃淡がついていて、これまで見てきたどの品よりも、色彩やかで美しかった。
竜郎は楓と菖蒲が触りたそうにしていたので、しっかり二人と手を繋いでやたらと弄らないようにしつつ、一点一点見学していく。
愛衣やニーナ、ヘスティアも、思い思いの目につく気にいった作品の方へ歩いていった。
しばらく作品を見て歩く中で竜郎は一つ、特に目を引くものを見つけた。
それはこれだけ煌びやかなガラス細工が並ぶ中、一番地味なガラス細工。
造形は木の太い枝に、死んだように寝そべるトカゲ。
大きさも30センチ四方の箱に収まるくらいと、他の生き物をモチーフにした作品と比べると小さい。
色合いも地味で、木は今にも倒れそうなほど生気のない灰色。
枝には生い茂っている葉はあるものの、なぜか透明でぱっと見、裸の木に見える。
トカゲもくすんだ茶色系統で、わざと色彩だけで鱗が何枚か剥げているように見えるようにしてあって、生気も躍動感も感じられない。
もしこれに『死んだ木と死んだトカゲ』という題名が付いていても、誰も疑問に思わないだろう。
地味な作品だからか、これまで目をキラキラして見ていた楓と菖蒲も、まったく関心を示さない。
だがなんだか竜郎はこの作品が気に入って、ひとしきりこの状態を楽しむと、ケースの前にある正面のボタンを押し、後方に設置された照明を点灯した。
「おぉ……」「「うー!」」
興味なさ気に見ていた楓と菖蒲も思わず声をあげる。
照明で照らされた瞬間、枯れ木は若木へ、葉は緑に生い茂り瑞々しい。
そしてトカゲは、鮮やかなコバルトブルーのグラデーションで彩られた鱗。
目は虹彩が燃えるような赤に染まり、まるで生きているかのような力強さを見るものに与えてくれる。
それは照明のボタンを押した竜郎自身が、この作品に命を与えたかのような錯覚を起こさせる──そんな作品だった。
竜郎が思わず見入っていると、ここに連れてきてくれた店員が話しかけてきた。
「お気に召したようでございますね」
「ええ、はい。これは、凄いです。気に入りました」
「実にお目が高い。それは二級ガラス職人の中でも、あと五年以内には一級に昇格するのではないかと言われている職人の作品で、ここにある作品の中で二番目に価値ある作品となっています」
「これでも一級ではないんですね」
「ええ、蓄光は少しだけ再現できるようになったようですが、動色がまだできないようですので」
「ちくこう? どうしょく?」
「蓄光は明かりを消すと、お分りになりますかと」
そう言うので竜郎はガラスのトカゲを照らす照明のボタンをもう一度押して、明かりを消し去った。
するとボゥ──と明かりがないのに光り輝き、しばらくの間、生き生きとしたトカゲの姿を見せてくれ、それからフッと電気を消したかのように元の死んだ木と死んだトカゲに戻ってしまった。
「蓄光とは、しばらく光を取りこんでおく技法といったところですか?」
「はい。そうです。一級ともなると、さらに蓄光の時間、色の変化なども完全に思い描いたように再現できるのです。
本人はそれを成そうとしていたのですが、できず……だからこそ失敗作とおっしゃっていました。
ですが素晴らしいものだったので、どうしてもと無理を言って引き取らせていただいたんです。
そうでないと壊そうとしていたもので……」
「僕には完成品と言ってもいいできに思えますが、失敗作……」
「ええ、そうです。本来はもっと長い時間蓄光し、色も時間と共にゆっくりと抜いて変色させていき、そのトカゲの老いを表現したかったらしいのです」
「なるほど、今みたいに突然元の色彩に戻るという感じでないということですね」
「その通りでございます」
「…………いずれその方は、完成品を作れるでしょうか?」
「ええ、必ず──と私が言うのは無責任なので言えませんが、そうなると信じております」
必ずと言いきれないのは聞くところによれば、国とカルラルブガラス協会が定めている二級ガラス職人までは、死に物狂いで努力すれば凡人でもなれると言われているが、一級ガラス職人は生まれながらの天才しかなれないと言われているからだそう。
実際に現在存命の一級職人は、たったの四人。
カルラルブガラス職人の総数からして、一パーセントにもまるで届かない領域だ。
だからこそ国はその職人たちに『竜』の付く特別な二つ名と、人間国宝の地位を与え手厚い援助をしている。
今竜郎が見ている作品を作ったような、あと少しで一級職人になれるだろうと言われていた人物はそれなりにいるが、その中でもなれた者はほとんどいない。
「ですがこの作者──ロゥタグ・ホピ氏は、その一握りの天才だと私は思っています。
なんというのでしょうかね。お恥ずかしながら言葉では上手く言い表すことはできないのですが、他の二級職人たちとはどこか違う気がするのです」
その言葉はお世辞でも希望的観測でもなく、この男性がカルラルブガラスの販売に携わってきた長年の経験と勘がそうだと言っているように竜郎は感じた。
「これはいくらですか?」
「失敗作とはいえ、一般的な二級ガラス職人の域は超えていますので、六千万シスでお取引させていただいております」
たっか! と竜郎は心の中で叫びながらも、顔は冷静なまま考える。
こちらの通貨シスならば、六千万シスも竜郎の個人的な資産で十分賄える額である。
そして芸術品など興味なかった自分でも、これほど目を引くような作品ならば、妥当な値段なのだろう。
衝動買いにしては高すぎる気もするが、かなり気にいってしまったので欲しいと思ってしまう。
そんな気持ちが店員にも伝わったのか、ニコリといい笑顔をしながら独り言のように呟きはじめる。
「ロゥタグ・ホピ氏は人気の職人でもございますから、今を逃すとおそらく明日にでも売れてしまうでしょうなぁ。
ああ、そういえば、確か明日はお得意様がここに来る予定でしたね。きっとあの方なら、これを気にいるでしょうねぇ」
(おのれタヌキめ!)
売る気満々な店員に悪態をつきながらも──。
「…………これ、買います」
「ありがとうございます」
結局、買ってしまうことにした。
するといつの間にか後ろに来て話を聞いていた愛衣が、少しだけ驚きの声をあげる。
「わお。たつろーにしては珍しく思いきったね」
「まあ、気に入っちゃったからな。買ってもいいか?」
「別に私に了承とらなくてもいーよ。たつろーのお金なんだから。
それにそれ、私も凄くいいと思うし。なんなら半分だそうか?」
「ニーナもおこづかいから出してあげるよ?」
「いや、いいよ。これは俺が買うよ」
「お部屋に飾ってニーナにも見せてねー」
「ああ、いいよ。いつでもおいで」
ニーナの可愛らしい提案に竜郎は微笑みながら、そう言った。
それからシステムを操作し、六千万シスの入った薄青く光る半透明のコインを手の平に出現させた。
そしてそれを親指と人差し指で抓むと、店員の方へと差し出した。
「六千万シスでしたよね。ではこれで」
「は、はい。頂戴いたします」
一目見た時から只者ではないと感じていたので、支払い能力を疑っていたわけではないが、貨幣価値が日本と大差ないこの世界で六千万シスという大金をポンと出す少年に面をくらう男性。
少し反応が遅れながらもしっかりと受け取り、自分のシステムからそのコインに六千万シスが入っていることを確認し、自分のシステムに入金せずに、懐から出した銀色の薄い箱にしまってそれを元の場所に戻した。
「ちょうど頂きました。では、ケースを開けますね」
そして腰元のベルトに下げていた鍵を手に取ると、竜郎が購入した作品のガラスケースの鍵を開けてふたを外し、右手で中を指し示した。
「どうぞ。これはもう、お客様のものでございます」
竜郎は軽く会釈してから、その作品に手をかざし《無限アイテムフィールド》へと収納した。
「そういえば、カルラルブガラスの技法の一つに、蓄光以外のどうしょく? というものがあると言っていましたが、それはどんなものなんですか?」
「それは、実物を見ていただくのが早いかと。ちょうど皆さんお集まりになられたようですし、こちらへどうぞ」
ロゥタグ・ホピの作品を買っている間に、ふらふらと他作品を眺めていたヘスティアも合流したのを見た男性店員は、竜郎たちを引き連れさらに部屋の一番奥へとやってきた。
そこには五メートル四方の四角く非常に頑丈そうな金庫があり、壁と床に杭を打って完全に固定していた。
店員は迷うことなくその金庫の扉の前に立つと、ベルトに付けていた先とは違う鍵を手に取り鍵穴に挿して開錠した。
そして左に五センチ、右に十センチ、左に一センチ──と、何度かガチャガチャ左右にスライドする扉を動かしていく。
すると中からガチャンという音が響き渡る。
表の鍵以外に内鍵があり、決まった動作でスライドさせることで開くようになっているのだ。
ガーっと音を立てながら店員が扉を左側にスライドさせると、中には厚み四十センチ。縦三メートル、横二.五メートルの長方形の作品が、黒い布を被せしっかりと固定した状態で立てて置いてあった。
男性店員は金庫と床の段差部分に横に置いてあったスロープを設置すると、ゆっくりと金庫の中に入っていく。
中に入り、今度はしゃがんで何かをしたかと思えば、作品を固定している底板が一部せり上がった。
その底板にはローラーがついていて、店員の男性が引っ張ると金庫内を滑って移動させることができる。
男性はゆっくりと作品を引っ張りながら外にでて、最初に設置したスロープを通過し竜郎たちの前にまで持ってきた。
次に男性は黒い布についていた南京錠のような鍵を手に取り、これまた別の鍵を腰のベルトから手に取りそれを開け、ようやく布が取れる状態になった。
そこで男性は布を丁寧に取り去っていると、その中から十センチほどのカプセルがコロンと落ちて竜郎たちの足元まで転がってきた。
「これなにかな? もしかして作品の一部? もしかして壊れちゃったとか……?」
「これは失礼いたしました。それは吸魔貝をいれたカプセルでございます」
「きゅうまがい?」
中をのぞいてみると、青白く光る液体の中に砂利石のような小さな物体がぷかぷか複数浮いているのが見えた。
男性の説明によれば、この吸魔貝とは、本来自然界で魔物にくっついて微量の魔力を吸って生きる、魔物でも何でもないただの貝の一種なんだとか。
ただこの貝は魔力を液状化した、この世界においては一般的なエネルギー資源──魔法液に付けておくことで、数十年なにもしなくても生き続けることができるのだそう。
そこを利用し、作品と一緒に入れておくことで、生物が収納できない《アイテムボックス》で簡単に持ち運びできないようにしていたというわけである。
そんな説明をしながらも男性は布をはぎ取る作業を続け、ついに一級ガラス職人が作ったという作品が竜郎たちの目の前に現れた。
「なんか、絵みたい……」
「だが絵とはまた違う不思議な魅力があるな……」
それは大きな額にはまった、ガラスのキャンパスに描かれた絵──という印象を受ける作品だった。
描かれているのは、砂漠の真ん中で怪我をして倒れている少女の前に、白い聖竜が舞い降りていく光景。
絵具で塗ったわけではなく、それは全てガラス自体の色で描かれた物。
かといってよくあるステンドグラスのように、色と色の境界はハッキリと区切られておらず、黒い線で縁取っている部分はどこにもなかった。
また作品としても素晴らしく、砂漠は虫めがねで見れば小さな砂粒が見えてきそうなほど細かい。
少女の表情や服装、竜の目や翼、鱗の一枚一枚にいたるまで、その全てが緻密にして繊細に描かれていた。
竜郎たちはその圧倒的な美麗さに口を開きながらしばらく鑑賞していると、男性店員が額の後ろ側に仕込まれたバックライトを点灯した。
すると──。
「「「「──えっ」」」」「「あぅ!?」」
中のガラスの色が動きはじめ、滑らかなアニメーションのように少女と竜が動きはじめる。
怪我をして倒れ泣いている少女の前に降り立った聖竜は、手をさし伸ばす。
すると少女の傷口の部分が白く光り、傷が癒えていく。
すっかり傷が癒えた少女が土下座するように聖竜にお礼をしていると、聖竜は自分の背中に乗れと言っているような仕草をする。
おそるおそる少女がその背に乗ると、竜は空へと舞い上がる。
場面が砂漠から真っ青な空に切り替わり、少女の顔には笑顔が戻った──と、そこでガラス絵は固定されて動かなくなった。
これで終わりか……と少し寂しく思っていると、男性店員が今度はバックライトを消灯した。
するとまたガラス絵が動きはじめる。
笑顔になった少女は竜の背に乗り大空の旅を楽しんだ。
ときに鳥の魔物が襲ってきたりもしたが、聖竜がすぐに倒してくれた。
だが次第に疲れがでてきたのか、少女がうとうとしはじめる。
そして完全に眠ってしまい、場面は暗転。
少女が目覚めると自分の家のベッドの上だった。
あれは夢だったのかと慌てて飛び起きると、その胸に真っ白い竜の鱗を抱いていた。
そこであれは夢ではなかったのだと少女は微笑み、ガラス絵はフェードアウトするかのように完全な透明になっていった。
「…………って、あれ!? 絵が消えっちゃったよ!? 大丈夫なのこれって……」
「大丈夫でございますよ。この透明な状態も演出の一つですので。数分もすれば、最初の絵に戻りますよ」
「すごいね! パパ!」
「確かにこれは凄い。それで動色というのは、硝子の色を変色し動いているように見せる技法ということだったんですね」
「はい。そのとおりでございます。そしてこれだけ自在に蓄光と動色を操れてはじめて、一級の職人として認められるのです」
ライトをつけてからの蓄えた光の量で色を変化させ、次に蓄えた光が抜けていく光の量でまた色を変化させる。
この動くガラス絵は、この二つの技法を完全に習得していなければ絶対にできない代物なのだ。
そしてその習得方法は、人に説明されたところで理解ができないのだという。
なので蓄光も動色も、カルラルブガラスの加工技術を磨いていった先で、天才だけが自然と自分だけの力で至れる境地とも言えるのだ。
これが天才だけがなれると言われている所以である。
「これは一級カルラルブガラス職人、『紡竜』の二つ名を与えられた──ヒューリット・ヤムカ氏の作品でございまして、お値段は26億シスとなっております」
「26億……、すんごいお値段だね」
「ですが彼女の作品を欲しがる方はいくらでもいらっしゃるので、公に出せば数分もせずに売れてしまうでしょう」
またそうなると、一番多くお金を出せた人のものになるので、26億では買えなくなるらしい。
さらに一級の作品が売りに出されると瞬殺ならぬ瞬買されるので、竜郎たちのような素人がその前に購入できる場所に立てるのは、非常に珍しいことのようだ。
店員の男はそこまで説明すると、黙って竜郎を見つめてきた。
どうしますか? と。
そこで竜郎は顎に手を当て考えるそぶりをしながら、愛衣へと念話を飛ばしてみた。
『どうしますかと見つめられてもなぁ。愛衣は欲しいか?』
『うーん。私たちが持ってても、豚に真珠と言われるのがおちな気がする。
でも買うなら今が一番お得なんだろうし、もう一級の作品を買おうとする機会はないかもしれないんだよねぇ。
あ──! ならさ、イシュタルちゃんのお土産これにしちゃえばどうかな?
イシュタルちゃんなら、身分的にも持ってておかしくないくらい、やんごとない生まれでしょ?』
『に、26億のお土産か……。たしかにイシュタルなら誰も豚に真珠なんて言わないだろうし、むしろ持っていて当たり前って気すらするな。
だが値段的に断られてしまう気もするが……』
値段を言うつもりはないが、それでも見れば高いものだと分かるだろう。
もし竜郎だったらこんな高価そうなものは、もらえないと断っているところだ。
竜郎と愛衣はそれからも議論を交わしていき、これからまた竜王種やニーナの件で世話になるかもしれないし、他にもいろいろと竜大陸ならではの素材なんかがあったら便宜も図ってもらいたい。
さらに以前潜ったダンジョンで稼いだお金、魔王種討伐の際に貰った報奨金、ララネストの売買で得たお金。
それはその時に関わった人と分配してなお、竜郎や愛衣が個人で持っている資金は膨大。
ここいらで少し消費して、世に還元しておくのもいいだろう。
そんな打算も交えていった結果、イシュタルへのお土産として購入することに決まった。
『イシュタルちゃんなら、見たくなったらいつでも見せてもらえるしね』
『ああ。それに絶対にもらってくれないなら、カルディナ城とかのどこかに飾ればいいしな』
そこで念話を打ち切って、黙って静かに見守ってくれていた男性に視線を向ける。
竜郎の顔をみて男性も答えが分かったようだ、ニコリと微笑まれてしまう。
「これも購入したいと思います」
「ありがとうございます。これは本当によい買い物だと思いますよ。
お支払いはどういたいたしますか? 分割も可能となっておりまして、当店の手数料は他店よりもお安く──」
店員の男は分割払いをすすめてくるが、竜郎はその言葉を遮って人差し指をピンと一本立てこう言い切った。
「──いえ、一括で」
「さ、さようでございますか」
竜郎は愛衣と13億ずつだしあって、二枚のコインを男性に渡した。
ずいぶんあっさりと大金を渡すものだから、男性はここにきて本当に何者なんだと好奇心がうずくが、我慢して鉄面皮を貫いた。
それから台車のようになっていた板に固定されていた部分の鍵を外してもらい、額縁とそれに備え付けられている照明魔道具も購入し、竜郎の《無限アイテムフィールド》へと収納したのであった。
余談であるが、ロゥタグ・ホピという二級カルラルブガラス職人は、この約九年後に『活竜』の二つ名と共に一級カルラルブガラス職人に認定された。
それと同時に彼の一級に至る以前の作品の価値も、大幅に上がることとなる。
そしてその中でも、二級と一級の狭間で揺れていた失敗作。
絶対に彼が世に出すはずがなかったが、相手の熱意と懇願に負けて、後にも先にも世界に一つだけ売りに出した物。
──そう。竜郎が購入したトカゲと木の作品は、十数年後に莫大な価値を持つことになる……のだが、このときの竜郎たちはまだ、知る由もないことである。
次回、第36話は3月15日(金)更新です。