第25話 無謀な王の話
イシュタルが帰還し七日ほどの時が過ぎた──のだが、まだ竜郎は新たな食材探しに出かけられないでいた。
「愛衣さんや」
「なあに、たつろー」
まだ朝食には早い時間。同じベッドに寝そべっている竜郎と愛衣。
これまで二人が異世界にいた頃であったのなら、毎夜のように互いを求めあってことにおよび、裸で抱きしめあうようにして眠りにつくのが常だった。
だが今の二人はきっちりとパジャマを着こみ、情事に励んだ形跡は一切ない。
というのも──。
「ぐーぐー……ぎゃう~」「「くーくー」」
「この子たちはいつになったら、自分たちの部屋で寝てくれるのでしょうかっ……。
正直、禁欲生活が長すぎて辛いですっ、うぅ……」
「なんで泣きそうなのさ……。もーしょうがないなぁ」
竜郎と愛衣の間には、生まれたばかりの幼竜……というより幼児竜──魔滅のカレヤル種と呼ばれる竜王種姉妹でもある楓と菖蒲。
そして小さく三十センチほどの大きさになって竜郎に、時には愛衣の上で丸くなって眠るニーナがいた。
愛衣は竜郎の方に手を伸ばして、彼の頭をよしよしと撫でつけながら顔を寄せていき、その唇に自分の唇を押し当てた。
それに対し竜郎は、思わず手を愛衣の胸にのばすが──それは彼女の手によって止められた。
「だめだって、さすがに。この子たちのいるところで、おっぱじめるわけにはいかないでしょー」
「はっ、そうだった……──ん」
今はこれで我慢してねとばかりに、愛衣はくすぐるようなキスを竜郎の唇や頬、額にふらせていく。
竜郎もおかえしだとばかりに、同様に軽いキスを彼女の唇や頬、額にしていった。
「ニーナも幼竜が生まれてからはお姉ちゃんらしくなってきてたんだが、楓や菖蒲が俺にべったりなもんだから同じように甘えるようになったな。
前までは普通に一人で眠れてたのに」
「幼児退行ってやつかな? ほら、妹が生まれたら、お母さんとかの気を引きたくて赤ちゃんみたいになっちゃうってアレ」
「たぶんそうなんだろうな。ニーナはもともと愛情に飢えているところがあったし」
「ぎゃう~♪」
竜郎が自分のお腹の上で丸まっているニーナの頭を撫でると、すやすやと眠ったまま嬉しそうに鳴いた。
その姿に竜郎と愛衣はおもわず顔を見合わせて笑ってしまう。
こっちはどうかなと楓を竜郎が、菖蒲を愛衣が撫でると、声こそでないが顔がふにゃっとほころんだ。
「かわいいね」
「かわいいな」
確かに竜郎としては愛衣となんやかんやできないのは辛いが、こういう一面を見せられてしまうと、しょうがないと思えてしまうのだから不思議なものである。
二人はまた顔を見合わせ微笑みあうと、顔を寄せて軽く唇同士でキスをする。
そして朝食の時間が来るまで、ニーナや楓たちを可愛がった。
「そろそろ起きよっか」
「ああ、そうだな。ニーナ、楓、菖蒲ー。朝だぞー」
「ぎゃう~?」「「…………ぁう?」」
竜郎が生魔法で眠気を覚ましながら揺さぶると、三人とも直ぐに目を覚ました。
それから竜郎と愛衣が準備をしている間も周囲をクルクルと忙しなく歩き回ったり、背中に飛びついてきたりと落ち着きがなかった。
竜郎はそんな三人をあやし体に引っ付けながら、愛衣と手を繋いで部屋をでた。
すると愛衣が握った手をぎゅっと握りしめ、少し恥ずかしそうな顔で竜郎に話しかけてきた。
「あのね。私もね。たつろーと、したくないわけじゃないんだよ。だから──」
「ん?」
愛衣がそっと竜郎の耳元に口を寄せ──。
「二人っきりになれたら、いっぱいしよーね」
「ああっ。そうだな!」
顔を真っ赤にしてすぐに元の位置に戻った愛衣に、今すぐにでもとびかかりたくなる衝動を必死にこらえ、五人仲良くリビングへと向かったのだった。
「おっはよー」
「おお、アイか。相変わらず仲がいいな」
「仲がいいのは当たり前だよー」
リビングに着くと、帰還したはずのイシュタルと、イシュタルの側近眷属である紅鱗の女性竜人──ミーティアがいた。
「なんだか、イシュタルが帰ったっていう実感がないなぁ」
「すいません、タツロウさん。ほぼ毎日お邪魔してしまって」
「いや、来るのは全然いいんですよ。ミーティアさん」
「そうそう。いつでも来てねって言ったんだしさ。いまさら私たちの間に遠慮なんていらないんだから」
あれからイシュタルは帰ったものの、朝食と夜食はリアが渡した転移の魔道具を使ってほぼ毎日カルディナ城にやってきては、竜郎たちと食卓を囲んでいた。
別れを惜しんだ次の朝には普通に食卓に着いていたのだから、感傷もなにもあったものではない。
「ここの食事は美味いからな。ついつい毎日のように来てしまう。
ああ、そういえば、タツロウたちはチキーモとやらを捕まえにいかないのか?」
「あー……それな。本当ならもっと早く行っている予定だったんだが、この子たちを置いていけるようになってからと思って先送りにしていたんだよ」
「確かにいくら竜王種といえど、まだまだ子供。新しい場所に連れていくには不安もあるか」
「ああ、けど離れそうにないし、もういっそ連れていこうかなと思いはじめてるところだ」
ニーナは連れていってもなんの問題もないほど強いのでいいが、園児にしかみえない楓と菖蒲はまだまだ弱い。
なので新天地に行く前に親離れさせて、それから──と思っていたら七日も時が過ぎてしまったというわけである。
だがそろそろ竜郎も新しい食材を手に入れておきたいということもあり、昨日の夜には愛衣と二人でこのまま行ってしまおうかと相談していたのだ。
「タツロウさんやアイさんから離れないのであれば、ある意味安全なのでしょうし、それでもいい気がしますね」
「今のタツロウとアイなら、幼子を抱きかかえたままでも、そこいらの国をちょちょいと滅ぼすことだってできるだろうしな」
「そんな物騒なことしないよー。あっ、ありがとう、フローラちゃん」
「どういたしましてー♪」
フローラが竜郎と愛衣、ニーナ、そして幼児二人の食事を机に置いていってくれたことに礼を言いながら椅子に腰かけた。
そして五人で手を合わせて「いただきます」をしてから、朝食に手を付けはじめた。
朝にニーナたちをかまっていたせいで少し遅くなったため、イシュタルとミーティア以外は既に外出したらしい。リビングは閑散としている。
イシュタルは竜郎たちと同じように自分の朝食を食べながら、話の続きを切りだした。
「そのチキーモだったかは、どこにいるんだ?」
「調べたところによると、ここカサピスティ国のあるイルファン大陸の南西にある、カルラルブ大陸のカルラルブ国ってところにいるらしい」
大陸と言ってもカルラルブ大陸はそれほど大きくなく、地球でいうとオーストラリアのような国だと思っていいだろう。
しかしその国はオーストラリアよりも豊かではなく、大陸のほぼ全てが砂漠化している場所のようだ。
「カルラルブ大陸ですか……」
「知ってるの? ミーティアさん」
「ええ、まあ。私はあまり好きな所ではないですね」
「なにか嫌な思い出でもあるんですか?」
「私のというよりも、その……」
「ああ、あのことか」
少し言い辛そうにミーティアが口ごもっていると、すぐにイシュタルが思い至ったようだ。
「まだ私もミーティアも生まれるずっと昔に、そこの王がイフィゲニア帝国に侵攻して真竜を喰らおうという話があがっていたらしいのだ。
ついでに補足すると、ここでいう真竜は母上のことだ」
「「へー………………………………──はあっ!?」」
竜郎と愛衣はまったく同じリアクションで仰天し、思わず手に持っていた箸を落としてしまう。
どれほど前の話かは知らないが、巨大な竜大陸全てを統べるイフィゲニア帝国の女帝だったエーゲリアに喧嘩を売るということは、この世界にいるほぼ全ての竜を敵に回すのと同義。
今の竜郎たちでさえ落とすのは不可能であっただろう。
その王がどれだけの戦力を有していたかは謎だが、正直イフィゲニア帝国に敵意を向けるなど自殺しにいくのとかわらない。
「よ、よくまだ存在してるね……その国」
「案だけで実際には軍備を整えることもなく、なくなった話だからな。
実際に知っているのは当時の王と重鎮たちくらいで、まだ内々の話であったようだぞ。
ただ母上はその情報を掴んでいたから、少しでも動きがあれば直ぐに叩き潰されていただろう。
そのときはセリュウスが陣頭に立ち、アンタレスに思い切りやっていいと言っていたらしい」
「「うわー……」」
エーゲリアの側近眷属の中で一番の古株セリュウス。
彼は頭脳明晰な上に、あらゆる戦闘技術を身につけたオールラウンダーの完璧超竜。黒い鱗の竜人だ。
そして二番目に古株である紅竜アンタレス。
彼は超火力による広域殲滅に特化しており、何もしないか消し飛ばすかの二択しかないと言われるほど危険な竜。
もしアンタレスが動いていれば、その大陸自体、今地図上に存在しなかったかもしれない。
ちなみに、エーゲリアがその国の人間でもごく少数しか知らない情報を掴めたのは、側近眷属たちの中で情報収集を得意とするものがいるからなのだそう。
情報戦でも大幅に負けている時点で、侵攻をやめたのは英断と言えよう。
落とした箸を拾い、自分で洗ってから再び朝食を再開する二人。
ニーナや楓、菖蒲は話に興味がないのか朝食に夢中な様子だ。
「でもなんだってそんなアホな事を」
「なんでも竜になりたかったそうだ」
「んん? エーゲリアさんを、もぐもぐしちゃっても竜になれないでしょ?
──え? それともなれちゃうの?」
「なれるわけがないだろう。だが当時のカルラルブの王は、それを信じて疑わなかったようだ」
「それまたなんの根拠があってその答えに行き着いたんだ?
ただの思い込みにしては、ぶっ飛びすぎてる気がするが」
「あそこの王の祖先は、もともと砂漠に住まうトカゲの魔物だったのだが──」
その昔、人もまだ誰も住んでいなかったカルラルブ大陸。
その大地で生きる砂漠に適応したトカゲの魔物の突然変異で生まれた個体が、亜竜として生を受けた。
さらにその亜竜の魔物は代を重ねながら高度な知恵を付けていき、最終的に亜竜の爬虫人に至る。
だからこそ、今のカルラルブ王の祖先たちは最終的に自分たちは竜に至れるのではないかと考えた。
竜郎の眷属の中にいるニョロ子と呼ばれるヘビ型の地竜は、もともと亜竜種の蛇の魔物の突然変異個体であることからも、亜竜から竜の子が生まれた事例は確かにあるからだ。
その少ない事例を信じて、かつての王族は色々なことを試した。
血を濃くするために近親婚を繰り返したり、より強い個体の子孫を残すのだと子供たちを殺させあったりと、それは酷い内容から、強い魔物の肉だけを食べて生きればやがて竜になれるのではないかという妄執的なものまで様々に。
だがそのどれも失敗し、種の絶滅の危機にまで瀕したことすらあった。
そこで藁にもすがる思いで考え付いたのが、最初の竜にして最強の竜。あらゆる竜種の生みの親でもある真竜の肉を喰らえば、あるいは……という案だったというわけである。
けれど周囲から猛反発を受け、目を覚ました王は軍を動かす前に諦めた──というのが、この話の全貌だ。
「周りの人グッジョブ!」
「その人たちからしても自分の命もかかわってるだろうし、必死だっただろうなぁ……。
でもそんな無謀な挑戦するくらいなら、代を重ねて生まれる可能性に賭けたほうが、まだよかったんじゃないか?
なれる可能性はゼロじゃないんだろ? イシュタル」
「それがな……。私も聞いてみたのだが母上の見立てでは、どう頑張っても種族的に竜に至れることはないと言っていた。
元が亜竜であったのなら可能性もあっただろうが、原初の姿は爬虫類型の魔物というだけ。
元が亜竜に近い種というわけでもなかったことからも、下級竜になることすらまず無理だと断言していた」
「まじか……」「えー……」
竜郎と愛衣は、遺伝子レベルで無理なことを信じて生き続けた王族たちに憐憫の念を抱いた。
竜郎たちに憐れまれても余計なお世話だろうが、他人からしてもこれはやるせない。
「ところで今はどんな感じなんだ?」
「今もまだ竜になるんだ~って頑張ってるの?」
「今はもう兄弟同士で殺しあうことも、近親婚もとうの昔に廃れた普通の国だ。
大陸の中央付近にある巨大な湖を中心に建てられた国で、人口は爬虫人が七割をしめていて、残り三割が他の種族となっている。
あとは特産品として特殊なガラス細工が有名な所でもある。是非お土産に買ってきてくれると嬉しい」
「さりげなくお土産要求するとは……。まあ、いいや。よさそうなのを見繕ってくるよ」
「特殊なガラス細工かぁ。そっちも楽しみなってきたかも!」
ミーティアはカルラルブ大陸およびカルラルブ国に悪感情を抱いているせいか、イシュタルのお土産発言に少し嫌な顔をしたが、本人が気にしていないのなら別にいいだろう。
竜郎と愛衣は、まだ見ぬ土地に思いをはせながら、旅行気分で本格的な準備に取りかかっていくのであった。
次回、第26話は2月20日(水)更新です。