第251話 過去との邂逅
ニーナだけが見える謎の光を追って移動すること数時間。やってきたのは、イドラの宝箱の最北端。
切り取られたようにその先はなく真っ白で、それ以上前に進むこともできない場所だ。
そしてニーナが追ってきた光は地面から上に移動し、その真っ白壁のようにそびえる空間に一辺20センチほどの四角形に広がっていき点滅しはじめた。
ニーナは一度後ろを振り返り、全員がちゃんといること、何が起こっても対処できるように身構えていてくれることを確認してから、そっとその点滅する光にそっとタッチした。
するとこのときになってようやく竜郎たちの目にもその光が認識できるようになり、50インチのテレビモニターほどの大きさまで広がっていくと、ジワジワとそこに何かの映像が浮かびはじめる。
「なんだろ?」
「録画映像が何かか?」
ニーナは皆にも見やすいように光の画面の真正面から、竜郎たちと同じ位置まで下がりながら静かに見守っていると、一匹の竜の顔がハッキリと移りこんだのが目に入った。
「知らない人だけど、お姉ちゃんに似てるね」
「それはそうでしょうね……。だって、プラチナ色の鱗を持つ竜なんて一種類しかいないんだから」
銀の鱗は若い真竜だけ示し、プラチナの鱗は成熟した真竜だけを示す。それでいくとすると、この画面に映りこんだ竜は間違いなくエーゲリアやイシュタルと同じ真竜ということになる。
だがイシュタルはまだわずかに銀の鱗が残っているから違うと分かるし、エーゲリアと比べると少し野性的な鋭い目をしているように竜郎ですら感じられる程度の違いが見て取れるので、その彼女でもないだろう。
とすれば、普通に考えて考えられる答えは限られてくる。
「ってことはもしかしてこの人って、イフィゲニアさんだったり……するの? レーラさん」
この中で唯一ちゃんと生きているイフィゲニアを見たことがあるレーラに皆の視線が集まると、彼女は古い記憶を呼び起こしながら「まず間違いないわ」と頷いた。
この人が……と誰もがそこに映るイフィゲニアらしき竜に見入っていると、今度はノイズのようなザーザーザザッ──ザザッ──という音が聞こえはじめた。
その不快にすら感じるノイズもだんだんとなくなっていき、画面の向こう側の環境音がクリアに耳に届くようになり、ここでようやく画面に映る竜が声を発した。
『あーあー、もう大丈夫かしら?』
『はい、イフィゲニア様。準備が整いました』
「おばあちゃんの声だ!!」
「間違いないのか? ニーナ」
「うん! 絶対そう! ニーナの体全部がそうだって言ってるもん!!」
ニーナのいう〝おばあちゃん〟とは、真竜を除けば最も古い竜であったイフィゲニア第一の側近眷属〝ニーリナ〟のこと。
白天の座を譲られるときに一度ニーリナと会話をしただけのニーナだが、それでも彼女の声を間違えるわけはないと自信をもって肯定した。
竜郎たちも死んでしまう少し前に老いたニーリナの声を聴いたことくらいはあるが、画面から聞こえる彼女の声は、同一人物とは思えないほどずっと若々しいものだった。
『えーと、これが見られているということは、あなたは少なくとも真竜か、もしくはその側近眷属ということで間違いないのでしょうね。
それなら知っているかもしれないけれど、念のため自己紹介をしておくわ。
私の名前はセテプエンイフィゲニア。エーゲリアの母でもあります』
そもそもここには真竜も、そして側近眷属と呼ばれる存在もいないのだが、この様子からしてニーナが真竜の側近眷属として認識されていた。
『私なんかはここに来るならエーゲリアあたりが一番怪しいと踏んでいると思うのだけど、当たっているかしら?』
「ふふっ、エーゲリアさんなら覗きに来るかもって思われてる」
「彼女が生きていた時代のエーゲリアはもっと好奇心旺盛で、少しだけ落ち着きがなかったから、そう思われていても不思議ではないわね」
レーラも今より若いころのエーゲリアを思い出し、愛衣と一緒に口元をほころばせる。
『けれどそうでなくても私の子孫の誰かか、その眷属であることには変わりないのでしょうね』
「いえ、違います──とは言いにくいなぁ……」
「はっはっは、マスター。もう止め方も分からないのだから仕方がないさ」
「そうそう。しゃあないことやで」
こんな手を使ってくるということは関係者以外には聞かせたくない話をするつもりなのは理解できたが、エンターや千子が言うように止めようもないのだから仕方がないかと割り切った。
ここでやっぱり聞かないように離れようなどと言ったところで、聞く気満々なレーラを止めることもできそうにはないのだから。
『……だからそんな好奇心旺盛な身内のために、少しだけここについて説明を。
わざわざこんなところまで来るくらいなのだから、よほど知りたかったのでしょうからね。
──ここは私のたいせつな存在を外と隔離するために用意した別空間。
そこへの干渉権をイドラ──ここの管理を任せた子に託して、その存在を見守ると同時に、守護してもらっているの。
なにせイドラはここでしかその存在を保てはしないけれど、ここでなら下手をすれば真竜にすら傷をつけられるほどの力を発揮できるから、最後の防衛線としても機能してもらっているのよ。
だから好奇心のままに余計なちょっかいを出して、怒らせちゃだめよ』
「最初の頃、めっちゃ怒らせたよね……? 私ら」
「そこまでの力をまったく感じなかったが、そんなにやばい存在だったのか、イドラは」
今は暇そうに竜郎の足元に座っている楓や菖蒲などの、お子様たちのご機嫌取りように常備しておいただけだったのだが、最上級のキャンディーを用意しておいてよかったと、今更ながらに竜郎は背筋を寒くした。
そして、これからも常時確保しておこうと心に刻んだ。
『それで……まぁ、ここに来たからには、当然この宝物庫に何があるのか──というのが気になっているのでしょう』
「そうね、そこが重要なのよ。初代真竜の皇帝がいったい何を隠し守ろうとしたのかしら」
『──そう、それは』
「それはっ」
『秘密です』
ズザーとコントのようにレーラが地面に転がった。
『あぁ……見える、見えるわ。もしここに来ていたのがエーゲリアなら、きっと面白い反応をしてくれていたであろう光景がっ』
「ギャウ♪ 今面白いのはレーラちゃんだよ!」
「なんというか、思ってたよりイフィゲニアさんってお茶目な人だったのかな?」
「そうかもしれないな」
映像の先では娘がどんなリアクションを取ってくれたのか思い浮かべているのか、イフィゲニアは一人でクスクスと上品に笑っていた。
ひとしきりイフィゲニアが笑い終わったところで、また彼女が話し出す。
『とはいえ、もしもここに来ているのが本当にエーゲリアだったとするのなら、ここに何があるのかを教えてもいいわ。
私が死んでしまったら、ここのことを知るのは将来的に誰もいなくなってしまうでしょうし、ここに自力でこられるくらいに成長したエーゲリアになら、私の後悔や未練を知られても構わない。
だからそこの誰か。あなたがエーゲリアであり、本当にここの真実を知りたいと思うのなら、ここから真っすぐ南側の行き止まりに行きなさい。
そこで全てを見せてあげる。──それじゃあ、さようなら。きっといい未来になっていることを信じているわ』
それだけ言い残して、最後にニコリと笑うイフィゲニアが映る映像は段々とぼやけていき、数秒もすれば完全に消えてなくなった
「これってもしかして、イフィゲニアさんが死ぬ少し前に撮ったのかな……」
「寿命なんてないイフィゲニアさんが、私が死んでしまったら──なんて言っていたくらいだし、そうなんだろうな……」
この世のあらゆる種属たちが手を取り合って生きていける世界のために、人柱となって死んでいったイフィゲニア。
この映像は、それを決意してから撮られたものだったようだ。
「それでどうしまひょか?
さっきの話からすれば、エーゲリアはんがいーひんと結局なんも分からへんみたいやけど」
「うーん……、何も起こらないのかもしれないが、念のため南側に行ってニーナに何かないか探してもらおう」
「はーい。ニーナがんばるね!」
半ば無理だと諦めながらも、今度は真南へと直行する。光を追って右往左往する必要もないので、竜郎たちの速度で行けば数分程度だ。
「ギャウゥ……。なんにも見つからないよ、パパ」
「気にしなくてもいいって、ニーナ。エーゲリアさん以外はダメだってイフィゲニアさんも言っていたんだしな」
しかし分かっていたものの、ニーナでも何も見つけることはできなかった。
意気消沈するニーナを、竜郎と愛衣、そして楓と菖蒲がよしよしと慰めていると、自身も目を皿のようにして情報を探っていたレーラが立ち上がった。
「よしっ、もういっそ、ここにエーゲリアを呼びましょう!」
「ふーむ。確かにここにエーゲリア殿を呼ぶことができれば、それに越したことはないのだろうが……どうやって?
ここからでは、マスターたちの念話も外にいる仲間たちには届かないのではなかったであろうか?」
「タツロウくんの時空魔法とかで、なんとかイシュタルにだけでも念話を届かせたりはできない?」
「うーん……、あんまり無茶なことをしてイドラを怒らせるのは恐いし、力づくでってのはやめておいた方がよくないか? レーラさん」
「そうだけど、そうなんだけどっ! ここまできて諦めるなんて耐えられないわっ。なにか方法は……」
管理権限に干渉できるというイドラならば、エーゲリアにしか見られない映像を見せることもできるのでは──などという意見も出てくるが、そんな裏道でイフィゲニアが仕掛けた認証システムに介入できるとは思えない。
それにおそらくイフィゲニアが語っていた存在こそ、彼女のマスターなのはもはやほぼ確定といっていい状態。
マスターに会わせてくれと言ったときの冷たい拒否感を思い出してみれば、妙な手を使って強引に進めようとすれば、下手をしたら彼女の機嫌すら損ねかねない。
「そうなると……私だけでも外に出してもらえないかしらね。
私ならひとっ走りいって、エーゲリアに話をしに行くこともできるし」
「エーゲリア島に直接転移するとかもまずいだろうし、エーゲリアさんを連れてくるなら、確かにレーラさんが行くのが手っ取り早そうではあるが……、それこそどうやって出してもらうんだ?
今はエンターの絵を描いてるみたいだし、それだって何年かかるか分からないんだから、出して貰えるとは思えないんだが」
「それはあれよ。買収しましょう! キャンディーを山と積んでお願いすれば、きっと行けるわ」
「買収て……。けど機嫌を損ねずに交渉するってなら、それしかなさそうだな。
けどもうキャンディーの新鮮味はないだろうし、なにかもう一押し欲しい気がするな」
「あっ、ならさっき手に入れたスペルツ?かもしれないやつは使えないかな!」
「確かに、振り掛けるだけで美味しくなる粉を出す魔物の本体を使ってなら、さらなる衝撃をイドラに残せるかもしれない。やってみるか」
まずはスペルツだと思われる木片のようになった死骸を複製する。
そしてそれを《無限アイテムフィールド》から取り出した竜郎は、これをどうしようかと首をひねった。
「ここにフローラがいてくれたら、何かいい使い方を思いついてくれそうなんだがなぁ」
「それができるなら、ここで悩む必要はないってね」
結局特殊な使い方など思いつかなかったので摘まんで先端を割り、その破片を指で磨り潰して粉にしてみる。
粉にする過程で、何とも言えない甘辛い不思議な匂いが周囲に広がった。
どこかその香りは食欲を刺激してくるものだから、思わず竜郎は少しだけその粉を舌の上に振り掛けてみる。
「辛っ──いや、甘っ!? なんだこれ!?」
「えっと、美味しくない感じなの? たつろー」
「いや、うまい! なんというか、表現しにくいんだがうまいっ!」
「なら私も少し──すっぱ!?──いのとは少し違うし、辛い? 甘い? でも美味しいっ!!」
愛衣たちも竜郎に続けてその粉を舐めてみれば、たしかに美味しい魔物シリーズの食材たちに引けを取らないほどに美味しいと思えるほどの味が舌の上に広がっていく。
けれどその味は変幻自在で、少し舌を動かすだけで甘かったり酸っぱかったり辛くなったりと忙しない不思議なパウダー。
けれどそのどれもが味覚を刺激し、ヨダレを誘発してくる美味しさで、この時点で竜郎たちはこれこそがスペルツなのだと確信した。
だがそれ故に、もっぱら食べる専門の竜郎たちに特殊な加工法が思いつくことはできなかったので、飴を火魔法で溶かして混ぜる──というひどく単純な加工を試みた。
ただ振り掛けるよりも、こちらのほうが上手くいったからだ。
こうして雑ながらもなんとかイドラに新鮮味を感じさせられる新たなキャンディーを作り上げた竜郎たちは、彼女を買収すべく空に向かって呼びかけることにしたのであった。
前後する可能性はありますが、木曜更新予定です。