第250話 一晩明けて
一晩、《強化改造牧場・改》内で優雅に過ごした竜郎たちは、イドラの宝箱へと戻ってきた。
相変わらずの面妖さを見せる風景に未だ慣れない気持ちを引きずりながら、竜郎たちはイドラがいないか見渡してみる。
けれどまだ来ていないのか、動くのは絵の住人しか見当たらない。
ならば周囲の探索でもし直そうか、などと話しているとまた気配も何もなくぎょろっと目が目の前に現れた。
「うわっ、びっくりしたぁ。イドラちゃん、もっと普通に出て来てよ」
愛衣が思わずそう口にしている間に、ずずずっと竜郎が引きずり出すこともなくあちらから出てきてくれた。
けれどその表情……といっていいのか、その輪郭しかない顔の頬が出会ったときと同じようにプクーと膨らみ、怒りの感情が伝わってきた。
なんで?とまったく心当たりのない竜郎たちが互いの顔を見合わせていると、すぐにその答えを口にしてくれた。
「どこいってたの! かってにいなくなっちゃ だめでしょ! いどら びっくりしちゃった!」
「あぁ、そういうことか。といってもちゃんとした寝床が用意できるのに、わざわざ野宿するのもなぁ?」
「ねぇ?」
キャンプごっこを楽しむという手もないわけではないが、正直この風景に囲まれているという状況が落ち着かないのだ。
けれどここはイドラにとって自慢の場所。それを口にするわけにもいかず、曖昧に言葉を濁した。
「ほら、またキャンディーをあげるから、機嫌直してくれよ」
「それ! おいしいやつ! ゆるしてあげるから、はやくちょーだい!」
「はいはい」
あまりの素直さに、だましているわけではないが心が少し痛くなる。
キャンディーをあげると、またどうなっているのかというように消えてなくなり、イドラの機嫌も目に見えて良くなった。
「この子、悪い輩を招き入れて騙されへんか心配になってきたわ」
「基本的にここに近寄れるのは外のスアポポさんたちだけなのでしょうし、その辺りは心配いらないと思うわ。
それで、イドラちゃん? ちょっといいかしら」
「ん? なあに?」
「あなたは、ここで宝箱の住人を増やすこと以外に、何かしていることはある?」
「マスターのおせわ に おひるね に おもしろいこがいないかそとをみたり いっぱい いそがしいの」
「今はそれをしなくてもいいの?」
「いまは おえかきしてるからだいじょうぶ」
「え? 今まさにもうお絵かきの真っ最中なの?」
ただ竜郎から貰ったキャンディーを口に転がしているだけにしか見えない愛衣が、思わずそう口にした。
他の面々もイドラが何かしているようには見えず、目を丸くしている。
「うん。いまは そこのパタパタさん をかいてるとこ。
はねがたくさんあっておもしろいから、いちばんさいしょに かきたかったの!」
「ほう。私が一番最初とは光栄だな!」
いちおうこちらからも全員自己紹介は済んでいるのだが、名前を覚える気はないようだ。パタパタさんと称されたエンターは気にした様子もなく快活な笑みを浮かべた。
「きっと マスターも きにいってくれるはずなの」
「そうなってくれれば、モデルとなった私も嬉しいよ」
ここで話の流れが一度切れたので、竜郎は別の質問を切り出した。
「ところでイドラ。昨日聞きそびれたんだが、ここのどこかに振り掛けるだけで美味しくなる粉があったりしないか?」
「え? なにいってるの?」
「いやな。イドラが前にモデルにした人たちの中で、粉だらけになって帰ってきた人がいたって話を聞いたんだが、何か知っているか?」
「こな? あー! あれね! しってるよ」
「ほんとか!? 俺たちに詳しく教えてくれないか」
「いいよ。えーとねぇ──」
その昔、いつものように宝箱の住人を探していたイドラは、なにやら奇妙なものを発見した。
それはフワフワと毛糸玉のように飛んでいたかと思えば、近くに誰かの気配を察知すると一瞬で周囲に同化して消え失せるというもの。
竜郎たちのときは珍しい存在が束でいるような面白さから、無遠慮に見つめ視線に気が付かれてしまっていたが、本来イドラの住人探しは感知困難な方法で、特殊な〝繋がり〟でもない限りばれるものではない。
そんな方法だからこそ、数ある魔物の中でもトップクラスに高い隠密能力を持ったソレの本来の姿を見ることができたのだ。
さっそくイドラはセミを捕まえる少年のような心持で、ソレを自分の中の宝箱に引き込んだ。
そしてゆっくりと絵を描き上げて、これでもうこの子はいいや。と記憶を貰って外に帰した。
しかしである。見た目こそ本物とは似ても似つかない描かれた存在は、このイドラの宝箱の中においては〝本物〟になる。
本物と同じ機能を持ち、本物と同じように行動するのだ。
ソレは本来の生き方をそのまま実行し、自分の巣をつくる。その巣は自身から巻き散らされる胞子に似た粉のベッドを、小さな穴に敷き詰めるというもの。この時点でイドラはあまりソレに興味を示さなくなっていった。
けれどたまたま招き寄せたスアポポたちの一族の祖先が、その巣をたまたま発見した。土とも違うサラサラした砂のようなそれを、好奇心に駆られてペロリと舐めた。
「おいしいっ!」
そう叫んでしまいたくなるくらいに美味しかったのだ。ならばと食材調達のために狩った魔物にそれを振り掛け食べてみる。
「もっとうまいっ!」
ただそれだけで食べるよりもずっとその味を引き立てるその粉に、その者は魅了されていった。
そしてそんな夢中になっている客人の姿を見て、イドラもこっそり食べてみれば、確かに美味しい。
その美味しさに気が付かせてくれた感謝をこめて、イドラはその者を返すときに全身にその粉をまぶした上で、記憶を貰い元の場所に返却した。
それからイドラはその粉を、ごほうびといった感じで使うようになった。
主にその招き寄せた客人が、招いたときよりさらに面白くなったときに。
「面白くなったって言うのは、どういう状態のことを言っているんだ?」
「いままでできなかった あたらしい おもしろいことができるようになったときだよ」
さらに詳しく聞いてみて、イドラの面白いことを推測するのなら、どうやらここで修行をして何かしらの力やスキルなどを開眼したときのことを指しているようだ。
「でも修行って言ったって、ここの人たちは私たちのこと認識してくれないし、どうやって鍛えたのかなぁ」
「それはかんたん。たたかってくださいって いえば、みんなたたかってくれるから」
「そうなの!?」
試しにここにやってきた○○ポポ一族の偶像に面と向かって対決を希望すると、急にこちらを認識して戦ってくれた。
「面白いって思うような何か個性があった存在というのなら、それなりの実力は持っていたでしょうし、ある意味修行の場としては彼らの一族にとっては最適なのかもしれないわね」
「外のおじちゃんたちが、竜攫いから帰ってきたら強くなってるって言ってたのも、そう言うことだったんだね」
レーラとニーナが言うように、ここには過去に修行に明け暮れた同じ一族の偶像が何体も存在するのだから、実力を伸ばすにはうってつけの場所だったであろう。
「なぁ、イドラ。よかったら、キャンディーのお礼にその粉を俺たちにわけで貰えないか?」
「え? いいよー」
キャンディーをちらつかせれば、いともたやすく件の粉を手に入れることができた。
さっそく一口ペロリと舐めれば確かに美味しい。美味しい魔物シリーズではない肉を出して、それにかけて焼いてみても、匂いもよくなったし味も向上していた。ただ──。
「美味しい魔物シリーズと比べてしまうと、そうでもないような気がしないかな? マスター」
「うーん、確かになぁ。これはもしかして、お目当てのスペルツではないのかもしれない」
「けどさ、たつろー。これってただの巣の材料なんだよね?
なら本体の方も食べてみないと分からないんじゃない?」
「それもそうか。イドラ、今から探しに行ってもいいか? エンターは連れていかないほうがいいのか?」
「え? 別にいいよ」
エンターの絵を描いているというからじっとしていたほうが良いのかとも思ったが、そうでもない様子。
ならばと竜郎たちはそろって粉の本体を探すべく、落書きでできたような森の中へと足を踏み入れていき、イドラはそれを見送りながら、その存在がスッと消えた。
巣の場所はわりと簡単に見つかったのだが、その本体を探し出すのに数時間ほどかかった。
その理由と言えば、この魔物が戦闘や逃走能力を全て捨てて、ひたすらに見つからないことに特化していたからだ。
まさか竜郎とカルディナがタッグを組んでも、これほど手間取るとは本人たちすら思っていなかったであろう。
さてそうして捕らえた魔物は、イドラのお絵かきでしか見た目を知らないので、それだけみると空飛ぶブニョブニョしたキノコとでも形容したくなるよう面妖な代物だった。
それを振るとパラパラと例の美味しくなる粉が落ちるので、ここで探していた物には間違いはずである。
心臓に当たる箇所があったため、念のためそれを素材に魔卵を生み出し、複製して何個か保有しておく。
命を絶つことで急に硬化し粉も落とさなくなるが、その木片のようになったソレからは嗅いだことない不思議な香りが仄かに感じられた。
「こら、どないして食べたらええんかいな?」
「香辛料になるのなら、削って粉にすればいいかもしれないな──って、どうしたエンター、なんかソワソワしてるけど」
「いや、なにかさっきから、ちょくちょくと気になる気配を感じているのだよ」
「気になる気配? 私は別に何も感じないなぁ。それってどんな気配なの?」
「なんというか……、例えるのならイシュタル殿に似たような気配。
ともすれば、この感覚が〝大いなる御意思〟を感じるということなのかもしれない」
「エンターだけ感じるってことは、条件は絵のモデルになっている最中だからって可能性が高そうだな。
しかしイシュタルに近い気配か……。イドラの言う『あの人』ってのはいないらしいし、となると『マスター』のほうか?
もしかしたらイドラのマスターとやらは、真竜になにかしら関係のある何かなのかもしれないな」
「「うーうー」」
「今度は楓と菖蒲か、どうしたんだ?」
楓と菖蒲に袖を引っ張られ、彼女たちの示す方角に視線を向ければ、なにやらニーナが何もない地面をじぃっと見つめていた。
「そこに何かあるの? ニーナちゃん」
「ここ、なんか光ってる。ママたちは見えない?」
「え? 私にはただの地面にしか見えないけど」
「えぇ~? でもここ光って──あ、待って! 光がどっか行っちゃう!」
「お、おいっ、ニーナ!?」
状況がつかめないままに、ニーナがドスドスと走り出す。その下を向いたままの仕草から、何か──おそらく光とやらを追っているのだろう。
しかしそんなものはニーナ以外、誰も見えていなかった。
いったい何が起きているんだと、竜郎は先ほど手に入れた食材候補のことは一先ず脇に置き、皆と一緒に走って行ってしまっているニーナの後ろを慌てて追いかけるのであった。
前後する可能性はありますが、木曜更新予定です。