第237話 ベイカー家
ロレナをキャトルミューティレーションごっこしてから、また数日のこと。
「──っ!? ほいふぃっ!?」
ダークブラウンのロングヘアをした妙齢の女性が、地球が見える宇宙の船の中……のような場所で、娘に勧められた料理を口にして唸っていた。
彼女の名はヘザー・ベイカー。
ロレナと共に宝石狂いの母娘と言われ、世界でも有数の大企業のCEOを務める夫──ディック・ベイカーを持つ上流階級の奥様だ。
そんな彼女は娘に珍しい宝石を見つけたとホイホイそそのかされ、ロレナより少し落ち着いた服装にアクセントとなる程度に宝飾品を添えて家を出たところで連れてこられた。
これについてはロレナがあの連れてこられた当日に立案したことで、父親のことはとりあえず放置して置き、まずは母親から取り込んでみるのはどうかとなったからこその状況である。
さすが親子というべきか、娘とほとんど同じように事が進んでいった。
美味しすぎる料理の衝撃から立ち直るまでしばし待ち、話ができるようになってからまずは娘のロレナの口から改めてスーザンたちライト家が望むベイカー家の立ち位置について説明していく。
最初は半信半疑だったものの、美味しい魔物食材から作られる料理の魔力に捕らわれてしまっては組織化する必要性も彼女は理解できた。
「なるほど。私たちは好きな時にこの食材を食べることができ、私たちが選んだ人たちにだけ料理を提供することもできる。
そしてそんな私たちの元締めとして、ライト家の皆さんは存在していくと」
先ほどまで美味しさに蕩けていたとは思えないほど冷静なヘザーの視線が、また竜郎たちと一緒に来ていたスーザンの方へと向けられる。
そしてそんな視線を向けられた彼女は、苦笑しながらも肯定した。
「元締めと言われてしまうとなんだか悪いことをしているように聞こえてしまうけれど、とくにこちらが上から命令していくことはないと思ってくれていいわ。
変な人を取り込んだ場合は、その限りではないし、周りに迷惑をかけるようなら強制的に抜けてもらうことはあり得るでしょうけど」
「それは当然ね。私だってそんな迷惑な人は追い出すわ」
彼女の中でも引き受けて損のない話だと飲み込めた気配を感じ取ったのか、今度はロレナが焦れたように口を開く。
「それで母さん。母さんはこの話には賛成よね?」
「そうね。私は特に反対する気はないわ。……あんなものを食べてしまったら、もう食べられないなんて考えたくもないもの」
愛衣が「分かるわ~」と小さく頷いているのを横目に、次は竜郎が話しかけた。まだ竜郎たちが見せている外見になれないのか、ビクッと反応しながらもちゃんと目を見て聞いてくれるところには好感を持てると竜郎は感じる。
「それじゃあ、あなたの旦那さん。ディックさんも同じように参加するというのはどう思う?
娘さんの話だと、あまり一緒にいたくないという話だったけど」
「そうねぇ……」
「もういっそのこと、あの人には黙っておいてもいいんじゃない?
私たちが何をしていようと興味ないんだし」
「それはまた話が違ってくるでしょう、ロレナ。私たちに話が来たのは釣りやすいからであって、本当にライト家の人たちが求めている人材は彼なんでしょうから」
「あ……、そっか」
「正直に言ってしまえば、そうね」
スーザンやピーターたちが求めたのは、できるだけ優秀な人材だ。
もちろんヘザーたちが無能だとはいわないが、最も期待しているのは夫のディックの能力や人脈なのだから、彼が参加しないというのはライト家としても受け入れがたい話ではあった。
ただお金がたくさん使える人間を迎え入れられればいい、というわけでもないのだ。ロレナも理解できたのか、嫌そうにしながらも納得の色は見せた。
「それにあなたは嫌っているようだし、実際に私も彼のことは嫌っていたけれど、今はもう嫌いという感情はないの」
「えっ、そうなの!? じゃあ、あんな人が好きってこと?」
「いいえ、好きでもないわ。もう好きだの嫌いだのという感情を持つことすら馬鹿らしいと思ってしまうような相手だと思ってくれればいいわ。
そう割り切ってしまえれば、案外悪い相手でもないしね」
ディックからは結婚してからすぐに自分が必要なときには手を貸してくれるのなら、"自分が"生活に支障のない範囲でならお金も好きに使っていいと言われていた。
若いころはヘザーも自分や娘のことをほぼ無視して生きているような旦那に腹も立ったが、その感情が抜け落ちてからは夫婦という世間体での形を保っていればほぼ何をしていてもいい状態。
ディックに金銭欲もないので、彼の生活に必要なだけのお金さえあればそちらも使いたい放題。
人によってはそちらのほうがいいとすらいう者もいるだろう状況だ。開き直るまでに長い年月と様々な葛藤があったが、娘も大きく元気に育ってからは本当にもうどうでもよくなってしまったようである。
『私はお金よりもたつろーといちゃいちゃできたほうが楽しいけどなぁ』
『俺もどちらか一方しか選べないなら、愛衣といちゃいちゃできるほうを選ぶが……そこはまぁ人それぞれなんだろうな』
竜郎や愛衣には分からない領域であり、そんな人もいるのだと生々しく思う。
「でもそれじゃあ、どうするの?」
「えーと、2人のどちらかに呼び出してもらえれば、エーイリさんたちが今日みたいに説得してくれるんじゃない?
ほら、一度説得できればまず落ちるでしょうし」
「そのくらいならこっちも構わないよ」
スーザンと竜郎の助け舟に対して、ヘザーとロレナはキョトンとした顔をした。
「呼び出す? 私たちが?」
「うん。え? なにかおかしなこと言ってる? 私たち?」
「いや、アンさん。父さんは、私たちの連絡なんてほとんど無視だもの。
家族という体を装う以外のことでは、一切の呼びかけに応じないわ」
「て、徹底してるのね……。ある意味凄いわ……」
夫ともそれなりに良好な仲のスーザンは、そんなあからさまなことをする夫が世にいるのかと呆れすらも通り越してしまったようで、やや顔が引きつってしまう。
「えぇ、だからもう夫が出社してから強制的に拉致したほうが早いと思うの。
あの"説得"を受ければ文句も言わないでしょう。趣味の1つに美食が加わったとすら思うかもしれないわね」
「呼び出すことすらできないし、もうそれくらいしか方法がないだろうしねぇ。それもやむなしかも」
娘も同じ意見のようで、それくらいのことをしなければ彼をまともに席に就けさせることすらできないらしい。
「……だそうだけど、エーイリさん、アンさん。お願いできるかしら?
嫌だと言うなら別の手も考えるし、なんなら別の人を当たってみるのもいいけれど」
「うーん……、こっちとしてはそのくらい大した手間でもないし別にいいよ。いいよね? エーイリ」
「ああ、かまわないよ」
こうしてディック・ベイカーの拉致計画が、身内主導の元に立てられたのだった。
その日も定時に仕事を切り上げ、友人との待ち合わせ場所へと急ぐためディック・ベイカーは自分の車がある駐車場へと歩みを進め出した。
顔立ちは少し神経質そうなものは感じるが年齢が刻まれた渋い顔は良い方であり、佇まいもスマートで目を引く男性だ。
様々なスポーツを楽しんでいるだけあってか、その身も中年太りとは縁遠い均整の取れたバランスのいいスタイルをしている。
そんな彼が車のドアを開け、いつものように運転席へと腰かけようとしたそのとき、落とした腰はそのままストンと地面に、そして視界はまるで違う別世界が広がっていた。
「は?」
床に落ちた腰を持ち上げることもできず、上下左右全てが暗い星空に飲まれている状況に口をあんぐりと開けてしまう。
けれどすぐに正気を取り戻し、見えない床に穴が開いていないかを手で触りながら確認しつつゆっくりと立ち上がると、眉間を押さえてから目を見開いて改めて周囲を見渡してみる。
「わけが分からない……。なんだここは……あれは地球、なのか?」
ここから一番目立つものは、映像でしか見たことのない外から見た地球の姿。
怪訝そうな顔で足元を確かめながらどうしたものかと後ろを何とはなしに振り返ると、先ほどまでいなかったはずのナニかが2人そこに立っていた。
「ハロー、地球人。私はエーイリ」
「私はアン。よろしくね」
「……なんだね、君たちは」
「何と言われれば、宇宙人だと言うしかないね」
「名前も分かりやすくしておいたんだけど」
「エーイリ……アン……エイリアン、なるほど。それで? 私に何の用があってこんな真似を?
他で代替がきくなら、今すぐにでも元の場所に帰してほしいのだが。すまないが、このあと友人と約束があるのでね」
実はこの場にはロレナやヘザーといった彼の家族はもちろん、スーザンにその夫ヘンリーとピーターまで見えない状態で見守っていたのだが、あまりにもすぐに宇宙人という存在を飲み込んだ上に、平然と話しはじめるディックに驚いていた。
竜郎も竜郎でいきなり友人と約束あるから帰せと言葉を返されるとは思っておらず、一瞬言葉がでなかった。
「この間にも私の時間がどんどん失われていくのだが? 連れてきただけなどとでもいうのか?
お遊びがしたいなら、それこそ別の者を呼んだほうが双方のためだと思うぞ」
『取り付く島がないってこういうことをいうのかな。もうこのまま強引に説得に入ったほうがよくない? たつろー』
念話で聞こえた愛衣の言葉に対して一度確認をするような視線を、彼には見えない彼の家族たちに送ってみれば、うんうんと強行の許可があっさりと降りてしまった。
「実は君を連れてきたのには訳があるんだけど……、話を聞く前にまずはこれを食べてほしい」
「断る」
「まあ、そう言わずに」
「むっ、体が動かないっ。むぐっ──」
話していてもらちが明かないので、竜郎は無理やり体の動きを魔法で封じ込め、その口にポイっと虚空から出した皿の上に乗っていた焼き鳥を放り込む。
最初は吐き出してやろうと思っていたようだが、舌に肉が触れた瞬間電撃が走ったように体を震わせたかと思えば、そのまま拘束を解いてもモグモグと口を動かし、無言のまま静かにその場に座り込んで噛み締めはじめる。
これまで美味しい魔物を食べた者たちは、大きなリアクションを取っていたというのにあまりにも地味で、彼の味覚は普通とは違うのではないかと竜郎たちが心配になってきてしまう。
けれど神経質そうな顔が穏やかに微笑を浮かべ、すぅっと零れた涙を見てようやく説得がちゃんと通じていたのだと確信を持つことができた。
「うまい……。エーイリとアンといったか」
「ああ」「うん」
「私の名はディック・ベイカーだ。私のことはディックと呼んでくれ、よろしく頼む」
「あ、はい」「う、うん。よろしくね」
先ほどまでの帰せよオーラは一切消え去り、まるで十年来の友を見るような視線で自己紹介され、拉致した側であるはずの竜郎ですら戸惑いが隠せず思わず素が出てしまう。
「それで、今食べたものは何かの肉だと思うのだが、なんという生き物の肉なのだろうか」
「人よりも大きな鳥──チキーモと我々が呼んでいるものの肉だよ」
「ちきーも……、それだけ聞けばなんとも間抜けな響きだが、その味を知ってしまった今では愛しさすら感じてしまうな……」
「気に入ってくれて何よりだよ」
「今のはもうないのか? エーイリ」
「まだ沢山あるけど……」
「素晴らしい! 是非友好の証に分けてはくれないだろうか。なぁに、地球に帰してくれるなら、私も精一杯もてなしをさせてもらうからな。
まぁ、チキーモの素晴らしさには何も敵わないとは思うがね! あっはっはっ」
「「………………」」
最高のギャグを言ってしまったとばかりに自分で自分の言葉に爆笑するディックに、竜郎はなんと返事を返せばわからず無言でチキーモの焼き鳥を皿に乗せて渡してみた。
すると「ありがとう!」とお礼を言いながらハグをされ、すぐに貪り食うようにチキーモを食べて静かにその美味しさを味わっては、いちいちサムズアップして感謝の気持ちをこちらに伝えはじめる。
さて、そんな姿を見て皆なんだこいつはとばかりに驚いていたのだが、その中でも特に驚いている2人がいた。
「ねぇ、母さん」
「なにかしら、ロレナ」
「あれ、だれ?」
「さ、さぁ? 私も知らない人かもしれないわね……」
家族というほど接してきたわけでもないが、見たこともないほどに明るく軽快な父に、夫に、その娘と妻は不気味なものでも見ているかのように二人そろってディックを見つめていたのであった。
前後する可能性はありますが、木曜更新予定です。




