第221話 商談準備
今年もよろしくお願いします。
イシュタルはただでさえ忙しくなってきたところで、さらにバカの不始末に追われますます慌ただしい毎日を送ることになってしまったようだが、もはや対岸の火事と化した竜郎たちはひと段落が付いた気分であった。
「ってことで、そろそろ一回地球に戻ろうと思うんだが、父さんたちもそれでいいか?」
「ああ、久しぶりにのんびり時間を忘れて遊んだしな。そろそろ仕事が恋しくなってきたところだ」
「僕もいい加減仕事に戻らないと、いろいろ忘れちゃいそうだったから助かるよ」
仁と正和をはじめとして、母親たちもおおむね同じような意見を返してくれた。
ちなみに最近ではこの世界に慣れてきたということもあり、両親たちは仁の従魔に乗って異世界を少しだけ観光したりもして羽を伸ばしていたらしい。
だが異世界にきて、もう約60日ほどの時が過ぎていた。いい加減一度帰らないと、仕事に復帰し辛くなると感じていたようだ。
なにせ長期休暇を取ってきたわけでもなく、地球に帰れば異世界に来る前と変わらない時間帯に戻ってしまうのだから。
ならばと竜郎も帰る準備を整えることにする。
「さしあたって必要なものは、ピーターさんたちとの商談材料だな」
「商談材料って言うと、食材以外も含めるの?」
「今後こういうものを取り扱いますよって感じにもっていきたいのと、こちらの美術品にどういう反応を示すのか──てのも確認したいしな」
地球で死の淵に瀕した孫を魔法で救ったことによって、アメリカでも屈指の大富豪ピーター・ライトとの繋がりができた。
今回竜郎たちが帰還したらそれを生かし、地球での資金を稼ごうという計画を推進していくつもりなのだ。
というわけで両親たちにも帰る準備──持ち帰りたいものなどの選別などを進めてもらっている間に、竜郎もこちらの世界で蒔いてきた種を少しだけ回収することにした。
まずはスポンサーとなった若き芸術家たちに依頼していた作品を受け取りに、リアの故郷でもあるヘルダムド国ホルムズ領、領都ホルムズへと急いで向かう。
今回竜郎と一緒に向かうのは、愛衣、リア、楓と菖蒲の5人。ニーナも行きたいかと誘ったが、彼女はとある理由で行かないと拒否をしたので今回はついてはこない。
時間ももったいないと転移でヘルダムドの国境に寄って、正規の手続きを踏んで入国し通過した後、すぐにホルムズへと転移して、こちらでも正規の手続きで町へと入っていく。
今回向かうのはホルムズの職人協同組合。パトロンとなっている若い職人たちの作品を受け取り、目利きにも定評のある組合長──ホルスト・ザイフェルト自らが評価、査定までして竜郎たちのために保管しておいてくれているからである。
それなりの人数と契約したこともあって、1人1人竜郎たちが回るのも手間だろうと組合側から打診してくれたのだ。
職人協同組合の何度見ても美しいドーム状の屋内へと足を踏み入れると、受付に立っていた数人がすぐに竜郎たちに気が付いた。
彼ら彼女らはいつ竜郎たちが来てもいいようにと、上司から顔を覚えておくように言われていたのだ。
知らない者たちからすれば、なぜあのような子供にそれほど丁寧に接すのだろうかという視線を投げかけられるほど、最上級の対応をされ以前組合長と話した時と同じ部屋へとすぐ通された。
「いやいや、お久しぶりです。壮健そうでなによりですな」
「組合長もお元気そうで何よりです。今日は──」
互いに軽く挨拶を交わすと、無駄話もなしにと竜郎は今回来た要件を告げる。
すると向こうはそれを見越していたようで、ほとんど待つことなくパトロンとなっていた若き職人たちの成果物が番号札が付けられた場所へと並べられていった。
「こちらが組合として付けたそれぞれの評価と査定額です。また未だ未提出の者と、その理由についてまとめた表がこちらでございます」
組合長の補佐──ジョーダン・ハトソンが、分かりやすくまとめられたリストを竜郎に渡してきたので、素直受け取り目を通す。
そして軽く見た後、竜郎たちの中で一番審美眼があるリアへと回した。
『さすがはこの町の職人たちをまとめている組合長ですね。評価も言われてみれば──と思ってしまう細かい点までしっかりとされていて、とても信頼度の高いリストだと思います』
リアですら見逃してしまうようなところまで作品の1つ1つを事細かく評価しており、彼女も組合長の技量に感心するほどだ。
だがそれと同時に非常にわかりやすいがゆえに、厳しい目を向けることもできてしまうようで──。
『3番と8番、9番の作品を作った職人さんの工房には、それぞれ追加で資金を出してもいいと思います。こちらの期待を大きく上回るできですので。
しかし1番と7番の方は少し期待を下回っているので、これが続くようなら減額も視野に入れていいかもしれません。
それとこちらの未提出者の中で、この上から4番目の方の未提出理由は少し納得しかねます。
このような理由でこの期間中に作品が提出できないというのであれば、今後の契約継続についても考え直す必要も出てくるかもしれませんね』
『……そうなのか。俺にはそのあたりのことがよくわからないから、そういう助言は本当に助かるよ。あれこれ任せて、ごめんなリア』
『いいえ、これくらいお安い御用ですよ、兄さん』
『けど、芸術の世界は厳しいねぇ……』
慈善事業ではないので組合推薦の期待のホープたちといえど、締めるところは締め、その分多少実力が劣ると判断されている者であっても、もっとやる気がある若者へ資金を回した方がこちらのためにもなるだろう。
けれどまだ契約してさほど時は経っていない。もう少し経過を見て判断してもいいだろうと念話で相談したうえで、今回は増額対象に対応するだけにとどめた。
下げるよりも作品の出来によっては増額もあり得ると分かりやすい形で示したほうが、職人たちのやる気も出るのでないかと判断したからである。
増額の手続きをする中で、まさにリアが指摘した職人たちに対して減額も考えていいかもしれないと組合側からも言われたが、ひとまずはと先ほど決めたまま押し通した。
それと同時に、向こうも誠実に竜郎たちへと対応してくれているのがよく分かる会談であった。
作品を受け取り組合を後にした竜郎たちは、今度はもう一つの目的地にしてニーナが今回の同行を断る元となった場所へと足を向ける。
そこは町の端、出入り口からも遠い場所に建つ、小さなピラミッドのような質素なお店。
勝手知ったる仲だとばかりに店の中へと踏み入れると、竜郎たちの顔を見るやバツが悪そうな表情を見せる獣人の女性──ヨランダ・ジャマスと目が合った。
その対応も竜郎たちも思わず苦笑しながら、作品を買いに来たと来訪の理由を告げた。
竜郎たちが怒っているわけではないとそれで悟ったヨランダは、彼らをこの店の主にして絵画の芸術家の地下工房へと案内してくれた。
「おお! タツロウさんたち! よく来てくれました!!」
「……以前お会いした時よりも随分と元気そうで何よりです、ラロさん」
ヨランダの父──ラロ・ジャマス。おどろおどろしい魔物の絵画を描くこと知られる芸術家だったが、竜を偶然見かけたことでスランプに陥ることになった獣人の男性である。
しかしニーナがモデルを務めることで、そのスランプから抜け出し、陥る前よりも作品のキレが増し、本人の気力も満ち溢れ、すっかりと元気を取り戻していた。
しかしそれに比例するようにして、彼はニーナに嫌われてしまう。
その理由が──。
「見てください! タツロウさんの愛娘、ニーナさんをモデルにした絵です! 未だかつてないほどに会心の出来だと胸を張って言えますよ!!」
「「「うわぁ」」」「うー?」「うー!」
ここでの「うわぁ」は感嘆から出たことではない。なぜあの子をモデルにしてこの絵ができたのかという疑問と、その絵に対しての純粋な感想が込められている「うわぁ」である。
また楓は「これのどこがニーナお姉ちゃん」とでも言いたげな声を出す一方で、菖蒲は大興奮で「なにこの絵! すごい」とばかりに齧りつくようにして見入っていた。
その絵は彼のこれまでの作品よりも、竜郎や愛衣のような素人ですら圧倒されるような力強さに満ち溢れており、絵画作品としてみれば間違いなく一級品であるのは間違いないと言えるもの。
しかしその絵の内容は、ニーナという竜を知っているほどに何とも言えないものとなっていた。
中心にニーナの本来の姿が描かれてはいるのだが、その表情は凶悪そのもの。
壮絶な表情を浮かべる生きた人間の腹を咥え血を滴らせ、足元にもバラバラになった魔物や人間たちの死体の悲惨な姿と苦悶の表情が添えられている。
ニーナの手の爪には人間や魔物の頭が刺し貫かれ、まるで自身を着飾る装飾品のように描かれている。
それでいて背景は明るく神々しさすら放つほどに美しい色彩で塗り固められているのに、モチーフとなったニーナの凶悪な姿によって、それすらより一層な不気味さを演出していた。
ニーナは期待していたのだ。すごい画家らしいから、きっと可愛い私を描いてくれると。それでなくても、カッコよく描いてくれるだろうと。
しかし結果はこれである。ニーナはその出来上がった絵を見た瞬間に頬を膨らませ、「こんなのニーナじゃない!」と竜郎たちの元へと涙目で戻ってきたのだ。
それ以来、ニーナはラロを毛嫌いし、彼の店には近づこうとすらしなくなった──というのが、事の真相である。
『まぁ、そう言いたくなる気持ちは分かりますけどね。けれど作品としては、先ほど買い取ってきた若者たちの作品など霞むほど素晴らしい物となっているのは間違いないです』
『うん、それは素人の私でも分かるよ。菖蒲ちゃんなんて何故かあの絵を見て大興奮だし』
『いい作品であっても、これは教育上よくないのでは……。いやしかし、魔物を狩るときにスプラッタな光景なんていくらでも見てるんだし、今更か?』
などと竜郎たちが念話で感想を言い合っている間に、ラロはランランと輝く目で描きかけの作品までもってきて見せてきた。
「ニーナさんのおかげで、私は新しい扉を開くことができました! その第二弾がこちらです! どうですか? まだ未完成ではありますが、その作品すら凌駕する逸品ができるのではと私は思っているのですが?」
「「「おぉ……」」」「うー」「あー!うー!」
未完成でも伝わってくる化け物竜の壮絶な姿。どういうフィルターで見れば、ここまでニーナを凶悪に描けるのだろうかと感心してしまうほどの出来である。
素晴らしいものだとは分かるが、ニーナのことを思えば何といえばいいか困るところ。
しかし相変わらず菖蒲だけは大興奮で飛び跳ねているのだが……。竜郎は少しだけ菖蒲の将来が心配になった。
結局、竜郎たちにこそ買ってほしい、それ以外の人には売らないとまで断言されてしまったので、ラロ・ジャマスがはじめて竜を題材にして描いた作品を、この出来と彼の知名度的にはあり得ないほど安価な値段で買い取ることになった。
もっと出すと言っても、彼が頑として受け取ってくれなかったのだ。娘の方にもさりげなく悪いからと渡そうとしたが──「ばれると私が怒られてしまうので」とあっさり断られてしまった。
どっと疲れた精神のまま、最後に軽くリアの師匠でもあるルドルフに顔を見せたせいで、彼に心配させてしまったりもしてから、最後にもう一つの目的地へと転移する。
そこはヘルダムド国が誇る塩の町オブスル。遅咲きながら芸術家に転身したヤメイト・ゴレースムこと、おっさんがいる町。
さっそく入町審査を済ませて、おっさんの元へ──行く前に、竜郎と愛衣の友人でもある老人ゼンドーの元へと歩みを進めた。
「おお! よく来たな! タツロウ、アイ!」
「こんにちは、ゼンドーさん」
「遊びに来ちゃった」
「お前たちなら大歓迎だ! ほら入った入った」
相変わらず高齢だというのに元気で豪快な姿に、竜郎と愛衣の口元にも思わず笑みがこぼれてしまう。
「これ、お土産です。また新しい美味しい魔物が手に入ったんで、おすそ分けです」
「まぁまぁ! これはご丁寧に。嬉しいわぁ」
ゼンドーの妻も竜郎たちの持ってくるお土産に目を輝かせ、代わりにとこの町の特産品でもある最高級の塩をたくさん持たせてくれた。
まだ在庫はあるが、ここの塩はとんでもなく上質なので大歓迎である。
それからゼンドーたちとたわいもない話をしながら、生魔法で体調を整え治したり──なんてことまでし、お昼ご飯まで彼のお宅でお世話になってたっぷりとホルムズで負った精神的な疲労を癒した一行は、今度こそヤメイトの元へと行くことに。
「また来るからね! 絶対に元気でいてね!」
「がははっ、俺がそうそうくたばるかよ! それに竜郎に生魔法までかけてもらったしな。心配すんな」
「ええ、次もガハハッて笑いながら迎えてくれるのが目に浮かぶようですよ。それでは、また」
「おう、タツロウやアイたちも、また顔を見せに来な! じゃあな!」
大きく元気な別れの挨拶を背に浴びて、たどり着いたのはヤメイトの家兼工房。
外の庭は雑草だらけで、家も少し汚れてきている。しかし中から人の気配はするので、彼がいるのは間違いない。
相変わらずだと竜郎たちは扉を叩き、ボサボサの髪に無精ひげを生やした70そこそこの男性が出てきた。
未だに出会った頃の姿が先に出てきてしまう竜郎と愛衣は一瞬だけ目を丸くするが、すぐに挨拶を交わして中へと入れてもらう。
「よく来たな。えーと茶は………………どこにやったっけか?」
「お茶ならこちらで用意するので大丈夫ですよ、ヤメイトさん」
いちおう妹弟子ということになっているリアがいるので、良いところを見せようとするが失敗しバツが悪そうにヤメイトだったが、作品の話になると真面目な顔になった。
「とりあえず、これだけ作ってみたんだが……どうだ?」
「「ほぉ……」」「うー!」「あう!」
未だに自分が信じられないのか、自信なさげに並べられたのはネックレスが一点、指輪が一点、ブローチが一点の計三点の作品。
そのどれもが竜郎たちが持ち込んだ宝石や貴金属などが使用され、見事に芸術作品へと昇華されていた。
ネックレスは以前、竜郎たちが才能を見るためにヤメイトに描いてもらったデザイン画に、少しだけアレンジを加えたもので、曼荼羅模様に近い印象を受ける作品だ。
他の指輪やブローチも細かな細工に至るまで、同じような発想ながらそれでも違った感情を観る者に与える素晴らしい作品。
思わず竜郎や愛衣、リアはうっとりとため息をつき、楓は「なんか綺麗!」と目を輝かせ、菖蒲は「これが一番いい!」とブローチを指さしていた。
「……それで、どうなんだ? 俺の作品は売れそうか?」
「売れそうかって、私が欲しいくらいだよ! やっぱすごいよ、おっちゃん!」
「ほんとにな。宝飾品なんて興味ない俺でも、目を引かれる作品だ」
「このような作品を作り出せる兄弟子がいて、私も鼻が高いです!」
「おいおいおい、まじかよ! 俺すげーな! さすが俺! やればできるできる男──その名はヤメイト! いやっふー!」
べた褒めする竜郎たちに、見事に調子に乗るヤメイト。
しかしこれは調子に乗ってもいいレベルの代物だけに、竜郎たちも突っ込むことができない。
もうこのままでいいやと、竜郎はさっそく商談に入った。
「ぜひ買い取らせてほしい。そんでもって、これからも作品を作ってくれるとありがたい」
「おうおう、もちろん売らせてもらうし、これからもよろしく頼むぜ! んで……あれは?」
お金の話よりもそっちの方が大事だとばかりに、竜郎へと鋭い視線を投げかけてくるヤメイトに、分かっているとばかりに《無限アイテムフィールド》から熱々の料理を作品を避けてから数点机の上に並べていく。
もちろん全て、美味しい魔物シリーズが使用された料理である。
「うめぇええええええええ! これよ、これ! これさえあれば一生ただ働きでもいいぜ!」
「じゃあ、ただでいいのか?」
竜郎が冗談交じりにそういうが、ヤメイトの目がクワッと見開き手に持ったスプーンが止まる。
「んなわきゃねーだろ! 金も貰う! ハグハグハグハグッ──」
「どっちなのさ……。まったく、おっちゃんはいくつにもなってもおっちゃんだねぇ」
「あふぁりまえだ! 俺は俺! 他の何ものでもねぇ! くぅーーーーー、うめぇええええ! もう一杯!!」
「はいよ。腹いっぱい食って、これからもいい作品を作ってくれな」
「まふぁせとふぇ!」
「うぅ……、作品はあんなに素晴らしかったのに……」
口に物をいっぱい詰め込み笑う姿に、作品を見て感動していたリアがどこかやるせなさそうな表情をしたのだが、ヤメイトはそれに最後まで気づくことはなかったのであった。
前後する可能性はありますが、木曜更新予定です。