第214話 オプスアティ
数日後、フォンフラー王国へ向かう日がやってきた。
今回はいつもの王国行き一行に加え、見送り要員としてリア、レーラ、ニーナ、ミネルヴァもいた。
ニーナは見送りによく来てくれているのでいつも通りとして、リアとレーラは好奇心。
エーゲリアと古い付き合いもあるレーラでさえ見たことがない、側近眷属──オプスアティ。それはいったいどんな存在なのか、直に見るためにやってきたのだ。
そしてミネルヴァは以前感じた謎の、気になって追いかけようとしたら逃げられた反応の正体が来るとあって、次があったのなら絶対に見逃さぬよう見極めるためにここにきていた。
いつもの砂浜でのんびりと海を眺めていると、空間の揺らぎが視線の先に生まれエーゲリアと件の竜がぬっと飛び出し目の前まで飛んできた。
「こんにちは──」
といういつものエーゲリアの挨拶からはじまり、竜郎たちも同じように返答し終えた後。最後のとりにと残していた竜の方へと全員の視線が向けられる。
「…………」
その竜は全体的に真っ黒で、大きさは4メートルほど。胴と首はドラゴンと呼んでいい形態をしているが、頭部はワニに近く平たい。
さらに足はノーマルな竜と違い、カニに酷似した硬そうな甲殻で覆われた細く先端が鋭いものが8本。
また翼も特徴的で、翼というよりも蝶々のような黒に赤さび色の模様が付いた大きな翅となっている。
そして尻尾。こちらはネコのような黒いものが、20本ほどゆらゆら先端を空に向けて揺れていた。
「──、──……?」
「んん? どうしたんだろ」
そんな今まで見たこともないような竜が、口をパクパクと数度動かしてから首を傾げだす。
つられるようにしてオプスアティのちょうど正面にいた愛衣もコテンと首を傾げる。
しばし流れる沈黙の中、その理由が分かっているエーゲリアだけは呆れたような顔をしていた。
「──、ぁ~あ゛ー。あ゛ーあぁーあー。…………声を出すってこんな感じだったっけ?」
「えーと?」
高かったり低かったりだみ声だったり様々な声で「あ」の発声をした後、綺麗な女性な声で最後は定まった。
しかし竜郎たちはなんのこっちゃとよく分からずに、エーゲリアへと自然と説明を求める視線を投げかける。
投げかけられたエーゲリアは、一つ大きなため息をついた。
「はぁ……。その子、もう何千年も自分の喉で声を出していなかったから、発声の仕方を忘れてしまっていたようね……。
こんなことならうちにいる間に挨拶の練習でもさせておくべきだったわ」
「なん……ぜん年? それはまた筋金入りですね」
人種が何度も何度も天寿を全うできる月日の間、いっさい声を出してこなかったらしい。
「けどそれじゃあ、どうやってエーゲリアさんに情報を伝えていたの?」
「この子の場合、文章での提出も多かったし、言葉が必要なときも自分の分身を使って遠隔で話していたから問題はなかったのよ」
「分身……?」
忍者かな?と思いつつも、この世界なら何でもありかと竜郎が納得した。
「けど今回はこの子が勝手にそちらを盗み見しようとしたことについて謝罪もしに来たわけでしょ?
それなのに文章や分身では誠意が伝わらないでしょって、自分の口でちゃんと言うように言っておいたのよ」
「なるほど……それでえーと、オプスアティさん?」
「長いしアティでいいよ。いやぁ、ごめんごめん。欲望には逆らえなかった」
最後には軽くウインクと、およそ人付き合いをしてこなかった人物には見えないほどフランクで真っ正直な謝罪。
悪いと思っているのだろうかと思うほど、彼女は実に軽やかな雰囲気だった。
とはいえ別に異世界人であることも知られている竜郎たちに、いまさらエーゲリアたちに隠すこともない。もうしないだろうし謝っているならそれでもいいかと納得しかけたのだが、それはエーゲリアが許さなかった。
特大の拳骨を叩きこまれ、「ちゃんと謝りなさい!」と怒られてしまった。
それに「むー」と涙目でオプスアティは口をとがらせるが、ここは素直に従っておいた方がいいと悟ったようだ。
実に生真面目な雰囲気で「えーまことに、まことにすいませんでしたー」と謝罪の言葉を口にしながら、頭をがくっと竜郎たちの方へ下げた。
そのときに「もういいかな? もういいかな?」と薄目で、頭を上げるタイミングをエーゲリアを見ながら確認していなければ完璧だっただろう。
けれどこれ以上オプスアティに求めたところでしょうがない。
それに情報を集めるというのは彼女の唯一の趣味であり、そう作ったのはエーゲリア自身でもある。
ここいらが妥協点だろうと、最後にエーゲリア自身も「うちの子がごめんなさいね」と謝ることでこの場は収まった。
「はぁ……、アティももういいわよ」
「ほんとにもうよろしい? タツローくんたちももういい? 許してくれた?」
「ああ、うん。もう気にしていないから大丈夫ですよ」
みんなも、そして彼女の存在に気付いたミネルヴァももう気にしてなさそうだったので、竜郎が代表してそう言うと、オプスアティはがばっと頭を上げた。
「ならもう私と君たちはお友達だよね?」
「え? いやなに──」
何がどうなってそうなった? と竜郎が言い切る前に、それはオプスアティによって遮断された。
「皆まで言わずともわかっているよ! いやぁ、これからよろしく頼むね。というわけで質問なんだけど──」
区切るようにそこで言葉が止まったと思った瞬間、彼女の沢山ある尻尾が一斉にぶるぶると震えだす。
何事かとぎょっとしていると、今度はぽぽぽぽぽぽっと気の抜けるようなポップな効果音と共に尻尾が細切れになって辺りに漂いはじめる。
かと思えばそれはグニグニと粘土のように形を変えて、それぞれ20センチほどの小さいオプスアティとなって地面に着地した。
その数はもはや群れと言っていいほどであり、この場にいる全員ミニオプスアティ──ミニアティに取り囲まれてしまう。
「これはいったい……?」
危害を加えるつもりはまずないだろうと思いながらも、レーラも意図を掴みかねて困惑している。
竜郎たちも何がはじまるんだろうと思わず身構えていると、そのミニアティたちが一斉に体に張り付いて声を発してきた。
「異世界人って本当?」「何が好き?」「どういうところで住んでたの?」「君が私を見つけたんだよね?」「君の目はどこまで観れるの?」「今日の体調は?」「ニーリナさんの力を継いだ時は──」
などなど、それぞれがそれぞれに対して、しかも一体一体違う質問を体にべったり何体も張り付かれた状態で合唱されてしまう。
思わず振り払ってもさらに分裂して、さらに小さくなって、また別の質問を投げかけてくる。嫌なことに声の音量は全く変わらずにだ。
さらにその行為はエスカレートしていき──。
「髪の毛もらっていい?」
「──ちょっ! もう抜いてるじゃないか!」
「唾液を採取させてもらっていい?」
「うっぅー!」
「爪の毒をもらっていい?」
「なにしてるのー!」
もらっていい? といったときにには、もう既に行動に移しているときだ。
竜郎は髪の毛を何本か採取され、楓は口に小さな前足をサッと入れられ唾液を採取され、ニーナは足先の紫色の爪をこすられ──ともうやりたい放題だ。
他のこの場にいるエーゲリア以外の全員が同じような目にあっており、一気にこの場は大混乱に陥ってしまう。
楓や菖蒲、フレイムやアンドレ、イルバにアルバなど年少組は分かりやすく怒りだし、体に張り付くミニアティを容赦なく攻撃して消し飛ばす。
けれど消された分は本体の尻尾としてすぐに再生し、第二陣三陣とキリがない。
これにはさすがに竜郎も堪ったものではないと、彼女の暴走を止められるであろう生みの親に抗議の視線を向ける。
「タツロウくん。この子はこの場で私が言えば止まるわ。けれどまた発作のように一緒にいればまとわりついてくる可能性も十分あるの。だからそのときは──」
「そのときは……?」
「本体を殺さない程度に殴っていいから♪」
「えー……」
それはさすがにどうなんだ? と竜郎は考えるが、彼のパートナーは行動が早かった。
「ちょいやー!」
「ぶへっ!?」
「アイちゃん! ナイスよ!」
「へへ! どういたしまして」
即断即決。愛衣がオプスアティの本体を拳でぶん殴って、砂浜にめり込ませたことで、分身たちが一斉に消えてその場が静けさを取り戻した。
自分の側近眷属が砂浜に埋まっているというのに、エーゲリアは愛衣にサムズアップまでしている。
「「まっま! うー!」」
「「クゥォ~!」」
「「ガァー!」」
さらに、これには幼竜たちもにっこり。愛衣を称えるように楓たちは吠えていた。
ニーナも愛衣がやらなければ自分がやるつもりだったのか、地面を踏みしめていた足の力を抜いた。
「えーと大丈夫なんでしょうかね? 兄さん」
「エーゲリアさんがいいなら、いいんじゃないか? もう」
「そうっすよ、それに本人も元気そうっすし」
「え?」
アテナが呆れたように笑っている視線の先にいるオプスアティに注目してみれば──。
「ふへへっ、これが異世界人の拳……ふへっふへへっ」
──と頭がおかしくなったのかと思ってしまうほどに、気味の悪い声が砂浜ごしに小さく聞こえてきた。
「なんてやつですの……」
「ヒヒーーン……(あの人こわーい……)」
「いやまあ……うん……そうなぁ……」
今からでも別の人に案内役代わってくれないかなぁ──などと考えているのを察してかは知らないが、エーゲリアがご丁寧に暴走したとき用に「暴走を止めるための攻撃を許可します エーゲリア」という、実際にはもっと堅苦しい文章がしたためられた、先帝陛下のありがたい殴るための許可書まで渡され、このまま人員をチェンジする気はなさそうだ。
この時点で不安しかないのだが、それでももうなるようにしかならないと割り切って、竜郎たちはオプスアティ先導のもと、フォンフラー王国へと旅立つ決意をするのであった。
「あれは、ちゃっかり採取したものは手に入れてるわね……。
なるほど、ああやって勢いに任せて手に入れる方法もあるわけね。私もできないかしら」
そんな中、殴られながらも見事ほしいサンプル素材を入手したオプスアティの手腕に感銘を受けているクリアエルフが、氷の人形を作って似たようなことができないか考えていたが……。
「真似をしたら、おそらくああなりますがいいのですか? レーラさん」
「え? い、いやねぇ、そんなことするわけないじゃない、ミネルヴァちゃん」
ミネルヴァが砂浜に埋もれたままのオプスアティを指さすことで、さすがのレーラも、その気持ちが吹き飛んだ。
前後する可能性はありますが、木曜更新予定です。