第212話 テスカと竜魂滴
ゴーレム骸骨竜テスカトリポカ──通称テスカが、星のまたたきにも似た光を放つ鉱物の骨格からなる翼をはためかせ竜郎たちの前へと降り立った。
テスカと眷属のパスで繋がっている竜郎が、改めて本人の意思を確認するため、感情やイメージで事細かにここに呼んだ経緯から説明していった。
「──────」
返ってきた感情は「人間になりたい!」といったものはまるでなく、とりあえず竜魂滴を見てみたいというものだった。
テスカは別に人間というものに至るなら至ればいいし、至らなければ至らなくてもいいという、竜郎たちほどそのことに執着しているわけではなさそうだ。
けれど今のテスカは新しいもの、新しいことへの情報には興味があるようで、人間どうこうよりも竜魂滴へ興味が向いたらしい。
見るくらいなんの問題もないのでさっそくと竜郎が振り返ると、イシュタルが蓋を閉じた状態の箱を抱えているのが視界に入った。
「まだ使うなよ!? 使うときは母上を呼んでからにしてくれよ!!」
「お、おう。分かってるって」
ここでエーゲリアを呼ばずに使用してしまったとなれば、美味しい料理を全部食べて持ち帰らなかったことで胃を痛めたどこぞの竜と似た目に遭うに違いない。
イシュタルはしつこいほどに竜郎に確認をしてから、まるで竜魂滴のガードマンのように横に立った。
「そこまでしなくなって大丈夫だって、イシュタルちゃん」
「そうそう、テスカだって人間に至ることに執着しているわけじゃないんだからな」
「それは分かっているが、もしものことがある。私も母上も使われたときのことを人づてに聞いただけ。
ゴーレム竜という存在がどれだけ引かれてしまうのか。またテスカはそのとき使用された竜ともまた違う種。
我々も未知のことだからこそ、一つ一つ警戒するに越したことはないだろう」
「テスカさんにとっては、なにか悪い影響が出ないとも限りませんので……私も微力ながら守護につかせていただきます」
イシュタルやミーティアのいうことも一理ある。
たとえその昔にこれを使い人間に至ったゴーレム竜は大丈夫だったとしても、そうじゃない可能性だってある。
見ただけでどうにかなるかとはイシュタルたちも思えないが、実際にそのときになってみなければ分からないこともあるだろう。
竜郎と愛衣も納得し、イシュタルたちには竜魂滴側をいつでも離せるように。自分たちはテスカにもしものときがあった場合、抑える側に回れるようにそれぞれ武器を手にした。
「では見せるぞ。準備はいいか?」
「────」
「ああ、俺たちもテスカも大丈夫だ。開けてくれ」
イシュタルが警戒しつつミーティアに視線だけで指示を出して、箱のロックを1つ1つ外させていく。
そうして全てのロックを外してから、1拍おいてからミーティアは箱の蓋を開けてテスカに見えるように横にどいた。
「────?」
テスカはその箱にポンと収まっている半液状の物体をいぶかし気に、目の入っていない眼孔を向けて少しかがんで竜魂滴に顔を近づけた──その瞬間。
「──!?!?!?!!?????!?!?!????????!???!!!」
「どうしたっ、テスカ!?」
テスカはガクガクと体中の骨の関節が震えはじめ、地面にドスンと倒れこんでしまう。
倒れこんだ後も関節から震えが全体に行きわたり、壊れたブリキのおもちゃのようにガタガタと砂浜の砂に沈んでいく。
竜郎は明らかに異常だとテスカに眷属のパスを通じて状態を探ろうとするも──。
「──っ!? くっ────────………………なんだこれは」
「大丈夫!? たつろー!」
「ああ、俺は大丈夫だが……」
竜郎に眷属のパスを通じて伝わってきたのは、テスカには希薄なはずの様々な強い感情の渦。喜び、怒り、哀しみ、楽しみが怒涛のように押し寄せてきたのだ。
あまりの勢いに竜郎も耐え切れず、スキルの多重思考によって分散させることで平常を保てるようにした。
ちらりと箱の方を見れば既にミーティアが蓋を閉じてくれている。
けれどテスカは相変わらず震えたまま、砂に埋もれている。どうしたものかと考えあぐねていると、奈々とリアがこちらにやってくるのが視界に入る。
「兄さん、これは────いえ、そういうことですか」
「あいかわらず便利な目ですの」
来たばかりだというのに、《万象解識眼》によってテスカを観てリアは何が起きているのか察したようだ。
「今テスカさんは、あらゆる感情に飲み込まれている状態です。それもただでさえ希薄だった感情の扉を無理やりこじ開けるようにして──ですから、苦しみも多少ありそうですが驚きや戸惑いのほうが大きいのだと思います」
「ねえ、リアちゃん。随分と冷静だけど、このまま放っておいても大丈夫なの?」
「ええ、これで死ぬことはあり得ませんし、そもそもこの感情はテスカさん本体のものでもないので徐々に抜けてきていますよ。現在進行形で」
リアがほらと手のひらをテスカに向け、竜郎たちもその先へと意識を向ければ最初はあんなにもひどかった震えも小さくなっていっていた。
リアの見立てが確かなら、このまま静かにしておくほうがよさそうだ。
その間にとリアはさらにミーティアが持っている箱の方へと歩いていき、その中身を見せてくれるように頼みだす。
「リアさんは竜ではないので、問題ないでしょう。いいでしょうか? イシュタル様」
「ああ、かまわない。むしろ私たちが持っているより安全だろう。見せるとは言わず、箱ごと渡すといい。
それはもうタツロウたちのものなんだからな」
「はっ。では、リアさん。こちらをどうぞ」
「はい」
ミーティアから箱を受け取ると、蓋を開け──る前に箱の方に興味を向けた。
「この箱自体も結構貴重なのでは?」
それは竜魂滴が他の竜をひきつけないように、厳重に封をするためにあつらえた結界を具現化したような箱だった。
これ自体も特殊な素材に製造方法が使われていると、リアは一目で見抜く。
「ええ、ですが返却は結構です。それも含めて詫びとさせてください」
「そうですか。ありがとうございます。では中身を拝け────あぁ……、これは凄い」
「何か分かったの!? リアちゃん。私にも教えて頂戴な!」
「レーラさん。いつの間に」
「名前しか聞いたことのない代物が直に見られるっていうのだから、すっとんできたわよ! それで!?」
ふらっと遠出していたはずのレーラは、竜魂滴がもらえると聞いて文字通り宙を蹴って全力で戻ってきたようだ。
若干ほてっている彼女の頬は、未知の物体への興奮だけではないだろう。
キスすらできそうな距離に迫られたレーラの顔を無理やり押しのけ、リアは今観て分かったことを説明していった。
「これは何というのでしょうね……。例えるのなら植物人間に近いかもしれません。
ああ、ここで言っているのは植物の人間ではなく脳死状態の人間のことです」
「人間……なのか? それは」
「うーん、近いと言うだけでこれは人間ではなく物質といっていい代物ですよ。イシュタルさん」
偶然か奇跡か。長い年月をかけて混ざり合うことになった竜の死体。それらに魂など残っていないが、それでも竜という器だったこともありその残りかすは少しだけ残っていた。
その少しづつが大量の肉体と共に混ざり合い、その過程で散りやすい残りにくい欠片はすり減っていき、一番この世界に執着する生前の純粋な感情だけが綺麗に残った。
だが普通ならば、それすらも時の流れと共に散ってしまうもの。
けれどそれはその前に屍竜へと変化し確固たる存在を手にすることで変質し、物質と化してその肉体に宿った。
竜がひきつけられるのは、その近付く健康な竜の感情に波長を合わせ触りたくなるように波立たせるから。
そのままその竜の感情に混ざりあうことで、自分の肉体と魂を得ようと本能のように求めているから。
──それがこの竜魂滴と呼ばれる代物だ。
「そして今回のこれは、自然発生ではなく世界力溜まりによって生成された根っからの屍竜からとれたもの。より感情の純度は綺麗で濁りがないのでしょうね。
感情が空っぽに近いけれどちゃんと感情を持ちながらも、確固たる体を有しているテスカさんは、普通の竜よりも強く引き付けてくる何かがあったはずです。今回はそのせいもあって、刺激が強かったようですね。だから引かれるうんぬんの前に、波長を合わせようと迫ってくる感情の渦に抗うことができず倒れてしまった」
「ってことは、これをテスカが使うことは?」
「できますよ、兄さん。ただし、これをテスカさんが吸収するとなればもう何度か同じ目にあって感情に慣れていく必要はありそうですが」
「これをあと何度か……」
「そう心配しなくても、次はここまでのことにはならないと思いますよ。テスカさんも慣れるでしょうし──と、どうやら立ち直ったようですね」
リアの話に集中している間に、テスカは突如味わったはじめての強い感情の衝撃から、元のほとんど波立たない感情の状態に戻っていた。
けれど味わったという事実は決して変わらず、テスカはまるで視界が開けたかのように世界が変わって見えた気がして、呆然と広い空を見つめ、海を見つめ、最後にリアが持っている箱へと空っぽの眼孔をむけた。
「────」
「もう少し間を開けたほうがいいですよ、テスカさん。今は先ほどの感情を反芻し、今の自分なりに噛み砕いたほうがいいです」
もう一度あの感覚をとリアに手を伸ばすが、テスカの大きな骨の手は彼女によってするりと躱された。
力づくで奪う──というほど感情の起伏が激しくなったわけもないので暴れることはないが、諦めきれなかったのか竜郎の方へと感情を飛ばす。言葉に変えるとするならば、『あれが欲しい、あれが欲しい』とくり返し。
「この中で今のことを一番理解しているリアがこう言ってるんだ。
また日を置きつつ何度か試して、最終的にテスカのものにしたほうがいい」
「………………────」
テスカにしては珍しく葛藤というものが思考の中に生まれたが、それでも頭が冷えたのか、合理的な思考により自身もそのほうがいいと判断を下したようだ。
数秒後には先ほどのことなどなかったかのように、一歩下がって大人しくなった。
「さてここでですが、この竜魂滴を見て試してみたいことができました」
「試してみたいことですの?」
「ええ、皆さんもご存じのことと思いますが、私には《物質具現化》というスキルがあります。
兄さんの《無限アイテムフィールド》による複製ができないなら、こちらで無から創造できないかと思いまして」
「できるのか!?」「できるのですか!?」「できるの!?」
イシュタル、ミーティア、レーラと、その稀少性を特に分かっているものたちがほぼ同時に驚きの声をあげた。
とくにレーラの頭の中では、既に使い捨て出来るのならどのような実験ができるかと、皮算用が勝手に進んでいた。
しかし──。
「完全な創造は無理でしょうね。このスキルで創造できる物質は、私が完全に理解できている物質だけ。
しかし私はこの世界の魂という分野を完全に理解できません。《万象解識眼》であってもです。これは人の身ではそもそも完全に理解できるような次元ではないのでしょうね」
「そうなのね……。けど完全でないのならできるということかしら? リアちゃん」
「おそらく。どのような結果になるかは不明ですが、何かは創造できるような気がします。ですから兄さん」
「ここで俺を呼ぶということは、今のリアでも創造するのにエネルギーが足りないってことか」
「はい。なので兄さんの分霊神器──ツナグモノで、私だけでは補えない分のエネルギーの補充をお願いします」
「分かった。俺も興味があるからな」
ということでさっそくリアはもう一度箱を開けて竜魂滴を観てから、竜郎とツナグモノでリンクする。
それからこの世界に完全な物質の具現化をするべく、《物質具現化》を発動させ、自分の理解できる範囲で竜魂滴の創造を試みた。
その結果──。
「っはぁ……。何とかできましたね……」
「だな……」
竜郎とリア、そして愛衣や奈々、レーラの分のエネルギーまでほぼ消費してやっと、2センチほどの赤、青、黄、緑などのさまざまな色のまだら模様な石が創造された。
「ふぅ……、とんでもなく消費したものね……。それでできたものは半液状ではなく、完全な固体になってるようだけれど……、リアちゃんそれはどんなもの?」
「……いいですね。魂という情報が不足していたので、これは竜魂滴ではありません。
けれど魔力頭脳の回路と相性がいいかもしれません! 兄さん、とりあえずこれを100個ほど複製して私に送っておいてください」
「100個も!? わ、分かった」
こうしてテスカの人間化計画だけでなく、リアの魔力頭脳の改良がなせそうな素材まで手に入れることになったのであった。
「私も欲しいなぁ……。協力したのだから、一つくらいくれるわよね?」
「はいはい、分かってるよ、レーラさん」
「ふふふ♪」
前後する可能性はありますが、木曜更新予定です。