第167話 レタル・ユティリトール
未だ起きる気配もなく寝ている子供たちは部屋に残し、別室に移動した竜郎たち。
そこで大人しく待っていると、王弟のチルグリ自らがスッピーとよく似た、けれど彼よりも眉間にギュッとシワを寄せて固めたような、堅苦しい表情の白い聖竜が頭を低くしながら入ってきた。
周囲には見慣れぬ──幼竜たちとそれを見守るジャンヌ以外の竜郎たちご一行に加え、エーゲリアの側近眷属であるパラフトまでいることもすぐに気が付いたようだが、レタル・ユティリトールは驚きの感情を一瞬でねじ伏せ、マルトゥムの前に膝をつく。
「レタル、よく来てくれたわ。急に呼び出して、ごめんなさいね」
「女王陛下のお呼びとあらば、なにをおいてもはせ参じる所存でござりまする。
それで……緊急の要件とはいったい何事でござりましょう?」
王族周辺の人間関係はほとんど知っているといっても過言ではないユティリトールも知らない謎の一行──竜郎たちが、マルトゥムが信頼した人物しか入れない特別な応接室であるこの客間にいるという未知の事態。
さらに王族よりも立場が上のパラフトまでいるのだから、彼からしたら何が起こっているのだろうかと心中穏やかではないだろう。
それでも何でもないようにふるまえる胆力に素直に感心しつつ、言葉のイントネーションはスッピーと同じなんだなと竜郎たちが変なことを考えていると、マルトゥムの横にいたリーガァが口を開いた。
彼のほうがユティリトールとも親しいので、向こうも会話がしやすいからだろう。
「実はレタルの名の継承について、こちらのタツロウくんたちと話をしてほしいと思ってな」
「は? はぁ? レタルの継承についてで、ござりまするか? それはいったい……」
ことは王国にとって重大ななにかだろうと覚悟を決めていたのに、蓋を開けてみれば見ず知らずの若者たちに、自分の家について語ってくれという訳の分からない内容。
さすがのユティリトールも、こればかりは予想外過ぎて思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ああ、そうだ。タツロウくんたちは、スプレオールと親しいらしくてな」
「スプレオール……と、でござりまするか」
「ああ、それで現状レタルの継承がどうなっているのか、話のついでにと聞いてきたのだ」
「なるほど、それで某に話が回ってきた──ということでござりまするな。ですがその前に……」
「なんだ?」
「お客殿がたの紹介を願えませぬでしょうか」
マルトゥムやリーガァが話せというのなら、ユティリトールも話すことに否はない。
だが彼にとって竜郎たちがどの立場にいるのか分からないので、どう接すればいいのか決めかねていた。
まずリーガァが竜郎のことをタツロウ「くん」と呼んでいる時点で、王配より目下のものではない。
さらにパラフトがいて、全員が超級の実力者であろうことは感じ取れるので、おそらく皇族の関係者ではないか──くらいまでは推測が及ぶが、それはあくまで想像の域を出ない。
対応を間違えマルトゥムたちの印象までも悪くしてしまうことすら、ありえるのだから。
そこでようやくリーガァも言いたいことを理解して、タツロウたちの紹介に移ってくれた。
「こちらはタツロウ・ハサミくんだ。それで……えーあー……なんと説明すればいいか」
「いや、聞かれましても」
彼を呼んだのは、そっちだろうにという意味を込めて返す。
まだ本当に近しい存在しか幼竜たちのことは知らないので、デリエンデスの嫁候補の父親です──とは説明できない。
だがそうなると、この場にいる理由も思いつかず、リーガァは困った顔をするばかり。
その様子にマルトゥムは、小さなため息をついた。
「今のところは、我が国にとって重要な商人と思ってくれていいわ。それでいいかしら? タツロウくん」
「はい。もしくは息子さんの友人として扱ってもらっても構いませんよ」
「は、はあ……」
マルトゥムの口調から、今のところという言葉に悪いものは感じ取れなかったので、ユティリトールは今より近しい関係になる可能性もあるのだろうと察し、ある程度の扱い方が決まってきた。
息子の友人などではなく、間違いなく自分よりも高い立場として扱うようにと。
それから軽く竜郎以外のメンバーの説明もしていったところで、本題に移っていく。
そしておおよそのスッピーとの関係性や、彼の思いについて語っていった。
「では、スプレオールはまったくレタルを継承する気はないと、そういうことでござりまするな」
「はい。彼は彼なりに自分の力で、自分の未来を勝ち取りたいと思っているようですので」
「まだそのような夢物語を言っているのか……。そんな子供が抱くような夢を、いい年になってもまだ」
大げさに言ってしまえば、小学生のころにテレビで颯爽と悪を討つヒーローに憧れていた児童が、成人してもなお同じようにヒーローになれると信じて生きているようなものなのかもしれない。
だがこの世界においては、可能性はゼロとは言い切れない。特にこれからも長く生きていくだろう竜にとっては。
なぜなら竜郎と愛衣がこの世界に落ちたように、神にすら予想できない不測の事態が起きうる世界。
この先、どこかで大きな戦いが起こらないとは断言できない。
……もっとも今の安定した世界では、その可能性は長命であっても遭遇率はゼロに近いのだろうが。
「そんなまず起きえない可能性のために無為に生きていくくらいなら、レタルとして栄えあるラマーレ王国の一軍の将として生きたほうがいいに決まっているでござる。
それともあなたがたも、そのような夢物語が叶うと本気でお思いでござろうか?」
「ですが、それは彼が望んだこと。それにもう彼は子供ではありません。できるかどうかの可能性の低さは、十分に理解しているはずです」
「だから我が子を応援しろと? 友人ではなく、親の身になって考えていただきたいでござる……。
自分の子が、それも大成する道が見える子が、わざわざ可能性の見えぬ暗闇へと進もうとしていたら、止めようとは思いませぬか?」
「それは……」
何と言っていいのか竜郎は言葉に窮する。特殊な子供たちの生みの親ではあるが、まだ実際に自分の血を受け継いだ子はいない。
そんな少年に親の身になってなどと言われても正直困る。こんなことならスッピーの話題を出すべきではなかったとすら思考がよぎるが、それでも今そんなことを言っても意味がない。
なので6種の竜王種の幼竜たちのことを思って、考えてみることにした。
まずあの子たちには、世界最強勢力であるイフィゲニア帝国に属する強大な王国の王の妻か夫になることができる。
それを大成と言わずしてなんとするという、世界的にも影響力の大きい身分を持つことになるはずだ。
だがその道を捨てて、スッピーと同じように英雄になってやる! と放浪の旅に出たとき、果たして竜郎は止めるだろうか。
「…………止めないと思います」
「……教えていただきたい。何故でござろうか」
「それで死ぬわけでもなければ、不幸になるわけでもないから……でしょうか。
確かにレタルという名を継ぐのは名誉あることなのでしょう。ですがそれで必ずしも、幸福だと思える人生を送れるかどうかは分かりません。
あなたには無為な人生を送ることが残念、いいえ、もっと言うのなら可哀そうだと思うのかもしれません。
ですが本人が生きたい人生を送って、それを不幸だと思わないのなら、そこに幸せを見出したのなら、それはそれでいいと思ったからです。
……とはいえ、所詮は若輩者の浅知恵で考えた結論でしかないのかもしれませんが」
「……失礼ながら、某にはその考えのほうが分かりませぬ」
そもそも竜郎たちとは常識や考え方も違う世界で生きているのだ。考えかたを分かり合えなくても、仕方がないことだろう。
だがマルトゥムとリーガァは、今の答えは竜王種の子たちを重ねて答えたのだと察し、改めて6種の竜王の義父という地位には目もくれていないのだと思い知らされ、小さく見えないように苦笑を浮かべた。
「ですが仰りたいことは、なんとなく理解でき申した。
まだお若いように見えまするが、真に誰かを思い浮かべて考えていただけたことも。
某はもしや自身の視野の範囲だけで、倅のことを考えていたのかもしれませぬな」
「なら別の考えも受け入れていただける余地はできたと、考えていいのでしょうか?」
「……某も鬼ではございませぬ故。それにタツロウ殿ほどのお力を持った竜が、倅のことをそうも推すというのなら、あれもそれなりにやるようになったということなのでしょうし」
お? なんだかいい雰囲気になってきたぞ、と竜郎が心の中で笑みを浮かべそうになったところで、急に対面に立つユティリトールの雰囲気ががらりと変わった。
先ほどまでの重々しくもあるがどこか穏やかなものから、戦場のど真ん中で獰猛に暴れ狂う竜のものに。
「なればこそ。スプレオールにお伝え願いたい。
そんな人生にたった一度訪れるかどうかも分からない機会を、確実にものにするだけの力があるということを、この父に見せて認めさせてみろと。
友人の協力を仰ぎこそこそと探っていないで、自分の力で勝ち取って見せろと」
「えーと……、それはスプレオールさんが、あなたと戦って勝てばいいと?」
確実に勝てる相手だというのに、その獰猛な圧に少しだけ気持ちをざわつかせている竜郎がそう言ってみれば、さらにその圧は増していきユティリトールは笑って見せた。
「某にただ勝てる程度で、英雄になれるとは思い上がりも良いところでござりまする。
某が求めるは圧勝。某がどうあがいても勝てぬ高みから、完膚なきまで打倒すことができるというのなら、それはもう認めざるを得ませぬ」
「………………」
竜郎はその言葉を噛み砕きながら、今のスッピーのことを冷静に思い浮かべる。
『なあ、皆。スッピーに、この親父さんを圧倒できる力があると思うか?』
『──。────、──────。(ないと思います。むしろ今のままなら、負けるのが目に見えています)』
竜郎の問いに対し、まっさきに月読が切って捨てた。
そうなのだ。実際にユティリトールは、竜郎たちの目線ではなく、一般的な目線で見るとかなり強い。
今頑張っているスッピーでも、勝つのは難しいほどに。上級竜の中では、トップクラスの実力を持っていると思っていいだろう。
まさにスッピーの種族が、ほぼ極まった力を得た存在と言っていい。
『同じ種族で、スッピーよりずっと長く戦闘を生業にして生きてきたユティリトールに圧勝とは、なかなかに鬼畜な条件ですの』
『竜王種とか、完全に上位種の竜だったら普通にいけそうな条件なんだけどねぇ』
『────。──────、────!(でも分かりやすくはありますね。それにスッピーさんなら──)』
受けて立つ! と言いそうだと、天照が楽しそうに念話を飛ばす。
それに『そうなんだよなぁ』と頷き返すのと同時に、竜郎は大事なことを聞いていないことに気がついた。
「あの、それには期限などはあるのでしょうか?」
「ない──と言いたいところではありまするが、まさか老いぼれた某を倒して勝ったなどと吠えられてはたまりませぬ。
曖昧な答えではございまするが、某が全身全霊で戦えるまでとさせていただけたらと」
「それはまあ、そうですね」
老いた父親をしばきまわしているスッピーを想像し、それはさすがにないなと竜郎も思う。
目の前の竜はまだまだ全盛期。思っていた以上に期限を設けてくれたと、むしろ驚いたくらいだ。
しかし、まだ話には続きがあった。
「ですがこちらも譲歩しているのですから、もし受ける覚悟があるのなら、スプレオールにも譲歩していただきたい所存」
「といいますと?」
「圧勝したら、どう生きようともう止めませぬ。けれども、そうでないのなら、レタルになると誓っていただきたい」
「機会は一度きりでしょうか?」
「何度でもいいとは言えませぬ故、3度までとさせていただきたい」
『2回も負けさせてくれるなんて、意外に優しいっすねー』
竜郎たちに念話を送るアテナの言葉ももっともではあるが、そもそも前提条件が高すぎる。3回のチャレンジ権を貰ったところで、竜郎ならば嬉しいとは思えない数字だ。
「……分かりました。勝負の決め事は、他にありますか?」
「某も自由にやらせてもらいまする。一対一であるのなら、どうぞ好きにしてもらってかまいませぬ」
「なるほど、それでは帰ったらそのようにスプレオールさんに伝えておきますね」
「お手数おかけして申し訳ございませぬ。……ああ、それと」
「まだなにか?」
一体何を言う気だと竜郎が身構えていると、ユティリトールはニィっと口角を上げた。
「恐れをなして逃げるのなら好きにしろ。惨めな敗北者として、某の中に刻んでおくまでよ。と、お伝えして頂ければ幸いでござる」
「わ、分かりました」
あからさまな挑発だ。けれどもしそれをスッピーに伝えたら、彼は絶対に乗るだろう。
数千年離れていたとはいえ、息子の性格をよく理解していると、竜郎は思わず頬を引きつらせるのであった。
次話は日曜更新です。