第166話 レタル
ラヴェーナとデリエンデスの婚姻話がひとまず流れ、話の区切りがひと段落付いたところで、竜郎は聞くなら今かとスッピーの件を切り出してみることにした。
「そういえばマルトゥムさん。レタルという名を受け継ぐ人が、この国にはいますよね?」
「レタル? というと、レタル・ユティリトールのことかしら?」
スッピーの家はレタルという名を当主が継ぐのが習わしとなっていて、そのレタルこそが武をもって功績をあげた初代とされている。
そしてユティリトールはスッピーが言っていた父の名前とも合致するので、まずマルトゥムが思い浮かべている人物で間違いないだろう。
「はい、間違いないと思います」
だがレタルの名をユティリトールが持っているということは、まだスッピーの弟が継いだという状況ではないことがうかがえる。
「ならよかったわ。もしかして、レタルと何かしらの親交があるのかしら?」
「いえ、レタルさんと親交はないのですが、その息子さんと知り合う機会がありまして」
その息子──という言葉に、リーガァのほうが大きな反応を見せた。
「この国に君たちが入ってきたのは、今日がはじめてだったはずだ。
ということは、もしや息子というのはスプレオールのことか?」
スッピーは帰りたがってはいないので、ここで安易に彼の情報を言うべきかどうか少し悩むが、ここまで確信をもって言われているのにぼかすのも──と考え直し竜郎は正直に頷いた。
「そうです。彼のことをリーガァさんも、ご存じなんですね」
「レタルとは話す機会も多いから、子供たちの話をすることも当然あるのだ。
その中でも長子のスプレオールを後継にと随分押しているようだからな」
「えっと、それは今現在もということですか?」
「ん? ああ、この前会ったときもそう言っていたぞ」
そこで竜郎はチラリと愛衣たちのほうへと視線を飛ばす。
『ってことは、まだスッピーさんに継がせる気まんまんってことだよね』
『スッピーたちの種族もかなり長命なほうの竜とは聞いているが、それでもスッピーが出ていってかなりの年月が経っているはずなんだがなぁ』
『それほど次子が頼りないってことなんすかねぇ』
『そうかもしれませんの。おとーさま、そのことについても聞いてみたほうがいい気がしますの』
『ヒヒーン、ヒヒン、ヒヒーンヒヒーン(後天的に問題が出っちゃったってことも、あるかもだしねー)』
例えば今ジャンヌが念話で語ったように、スッピーが出て行った後に次子に何かしら問題が出てしまった──などのことがあり、さらにそれ以外に後継に該当する人物がいないのなら、確かにスッピーだけに固執する理由にはなるだろう。
「あの……、彼は長らく帰っていないうえに音信不通だったはずです。
それにスプレオールには兄弟もいるという話を聞いていたのですが、そちらに継がせようという話にはなっていないのでしょうか」
「なっていないな」
「それはまたどうして?」
「うーん……、タツロウくん? レタルは私の国の中では、重要な位置にいる忠臣なのよ。
信用していないわけではないけれど、それでもタツロウくんたちの事情も知らないままに、彼らのことを私たちが気軽に話すことはできないわ。
まあ、親戚になることが確定しているのなら、話すくらい問題はないのだけれどね」
「それは……そうですね」
ようは何を探りたいのか知らないが、話してほしければ事情を話せということらしい。
どうせここまで彼の存在を出してしまったのなら、黙っていてもいつか情報は勝手に出ていってしまうだろう。
ならば先に話せる範囲で話してしまったほうが、こちらで制御できるだろう。
「実は今──」
そこで竜郎は、自分たちの領地内でスッピーと一緒に暮らしていること。
その中で竜郎たちの仲間と特訓したり、魔物のよく出る場所で心身ともに鍛えていることなどを伝えた。
するとこちらも、マルトゥムよりリーガァのほうが興味を示した。その瞳を少年のように輝かせながら。
「なんとっ、それは素晴らしい! 君たちのような強者にいつでも挑める環境で、さらに屋根すら求めず泥臭く生活し、美味しいものが近くにあっても目もくれず、自然の中で己を苛め続ける精神力っ。まさに、まさにっ、レタルの名を継ぐに相応しい!!
この国に、この時代に、そこまで骨のある若者がいるとは…………俺は、俺は……感動した!!」
『あれぇ……? ねぇ、たつろー。これ、火に油を注いでない?』
『く、雲行きが怪しくなってきたな……』
「あの滅多に人を褒めぬユティリトールが珍しく息子を褒めるようなことを言うものだから、俺はてっきり親馬鹿なところもあるのだと思っていた。
……だが、今はそれが恥ずかしい! アレの目を、もっと信じるべきだった!!」
涙すら流しそうな勢いで1人ぺらぺらと大声で話すリーガァに、竜郎たちは若干引き気味になりながら後ずさる。
それと同時に、王配までもスッピーにレタルを継がせる気まんまんになってしまったことに冷や汗すら流れてきた。
夫のこの暑苦しさには慣れているマルトゥムは、そちらは華麗にスルーにしながら竜郎たちのそんな様子にすぐに気が付いた。
おや、これはなにかおかしいぞ──と。
「違っていたのなら申し訳ないのだけれど、もしかしてスプレオールはレタルの名を継ぎたくないのかしら?」
「は? マルトゥム、いったい何を言っているんだ。そこまで気合の入っている男がまさか──」
軽く探りをいれる程度で終わるはずだったのに、思っていた以上にえらいことになったと竜郎は頭を抱えそうになるも、いざとなったら自分が防波堤なればいいと開き直ることにした。
「──そのまさか、です」
「はぁ!? 何を言っているんだ! では何のために、そこまで己を鍛えているというのだ!?」
「落ち着きなさい。リーガァ」
「──っ、す、すまない。思ってもみなかったことだったから、つい取り乱してしまった……」
「いいのよ、分かってくれれば」
さすがというべきか。マルトゥムは熱くなっていたリーガァを、たったの一言で黙らせた。
そしてゆっくりと、こちらは冷静に竜郎へと問いかけてきた。
「それでタツロウくん。私としても、有望な青年がレタルを継いでくれるというのなら願ってもないことなのよね。
だからせめて、なぜ継ぐ気がないのか聞かせてもらうことはできないかしら?」
「そう……ですね。僕らも最近知ったことなのですが──」
竜郎はスッピーが、自分の力で自分の未来を掴み取りたいこと。
黙っていても手に入る地位には、なんの魅力も感じていないこと。
イシュタルたちイフィゲニア帝国、そして竜王国全てを決してないがしろにしているわけではないこと。
などなど彼が竜郎たちに語ってくれた思いを、できるだけ誤解が生まれないよう丁寧に話していった。
一体どういうことだと先ほど怒りすら覚えていたリーガァは、話を聞くにつれて目を閉じ難しい顔をしたまま、眉間にシワを寄せてウンウン1人で唸りだす。
その一方でマルトゥムは、始終表情すら変えずに黙って聞いていてくれた。
「……そう。なかなかにいい青年のようね、スプレオールは。
正直、気に入ってしまったわ。よけいにレタルとして、我が国に仕えてほしくなるほどに。
ねえ、リーガァ、あなたはどう思った?」
「う、うーむ…………。王配としての立場から言わせてもらえれば、是非ともレタルになってほしい逸材だとしか言いようがない。
まさに初代を想起させる、レタルの生まれ変わりとも思えるほどの適合者だろう。
ユティリトールがなぜ帰ってこない息子に執着するのか、今ならよく分かる」
リーガァが生まれる前から存在する古い名家。物を知らない若者だった彼であっても、名前くらいは知っていたほどの。
この国に婿として迎え入れられたときには、どういう由来の家なのかも詳しく知れた。
その由来に謳われるレタルという竜も、生前は少し夢見がちだが努力を惜しまず、イフィゲニアのためとあらばどんな死地にも飛び込む勇猛な男。
竜郎から語られたスッピー像と、思わず重ねてしまいそうになる男だとリーガァは感じてしまったようだ。
けれどそれでも、リーガァはその答えに納得した様子はない。そこで改めてマルトゥムが問いを重ねた。
「では、あなた個人としてはどうかしら?」
「俺個人としては、ただのリーガァとしての意見を言わせてもらうのであれば、是非とも己が道を貫いてほしい──とも思う」
リーガァ自身も、己が道を貫いたからこそ今の幸せな自分がある。
もし自分がスッピーと同じ立場であったのなら、間違いなく彼と同じ道をたどるだろうと、血気盛んだった若かりし頃の自分と重ねて応援したくもなった。
そんな気持ちを竜郎も感じ取り、これはリーガァは押せばこちら側につかせられるか──と思ったのもつかの間、すぐにいやいやと首を振られる。
「だが……時代が悪い。この平安なご時世に、たまたま功を上げられる戦が起きて、たまたまその場にスプレオールがいるなどという可能性は、正直皆無と言わざるを得ない。
それならば1人、誰も知らぬ無冠の男として生涯生き続けるよりは、この国でレタルとして日の目を浴びてほしい。
ユティリトールも、同じ気持ちなのではないだろうか」
「私も、そう思うわ。ユティリトールは、息子だからといって理不尽を振りかざすような男ではないもの」
「それは…………」
親の心子知らずともいうが、ユティリトールも意地悪で継がせようとは思っていなかった。
才能も有り、自分の夢のために努力し続けることも惜しまない。その心根もまっすぐだ。
時代が時代なら、必ず何かを残してくれるだろうという期待すら与えてくれる息子だった。
だがその夢は現代では、ほぼ叶わざるもの。
ならばせめて一番いい形で、その努力が報われるようにと願う親は間違っているだろうか。
「せめて俺と同じ時代に生まれていれば……な」
もし世界がまだ不安定で、あちこちで強力な魔物たちが出没した戦乱の時代に今生きていたのなら、リーガァとしてもその意志を尊重していたかもしれない。
そんな思いで残念そうに、彼は言葉を締めくくった。
『スッピーさんの気持ちが最優先! って考えてたけど、そう言われちゃうと一方的に肩を持ち辛くなっちゃった……』
『それがお前の定めだからとか、そういう形にだけこだわる人だとばかり考えてたが、俺たちの考えが浅かったみたいだな……』
スッピーの話だけを聞いていた竜郎たちにとって、ユティリトールはひどく理不尽な男のように思えていた。
けれど彼自身をよく知る人物から、別の角度で話を聞いてみれば、そのような男ではないそうだ。
リーガァの言葉が全て正しいとは言い切れないが、それでも彼とマルトゥムの目は節穴ではないだろう。
竜郎たちよりもずっと長く生きてきた存在が、そう断言できるユティリトール。こちらが思っていた以上に、子を思う父とみて間違いないと言えるのかもしれない。
けれども言いたいことは分かるが、竜郎たちが支持したいのはスッピーの気持ちだ。
それを知っても知らずとも、彼ならばたとえ無冠の人生を送り路傍で野垂れ死んだとしても、その生き方に後悔なく死んでいくだろう。
そのことをマルトゥムたちに伝えると、竜郎たちの話を聞いている限りでは、スッピーはそう答えるに違いないとそちらも思ったようだ。
けれどラマーレ王国側からしたら、スッピーはもう是が非でもほしい人材となっていた。
それはもちろん優秀な竜という側面もあるが、なにより竜郎たちと親しい仲でもあるという点も捨て置けない。
今後の王国、ひいては帝国の繁栄にとって、その関係性は必ず利をもたらすはずなのだから。
竜郎もここまでくれば向こうが打算も考えての悩みだと気が付くが、スッピーの気持ちを考えてくれていないわけでもなさそうなので、やはり強く突っぱねられない。
双方どういう落としどころがいいかを考えた結果──。
「ならタツロウくん。一度ユティリトールと会って話をしてみてくれないかしら。
あなたたちにも、当事者の1人である彼の話も聞いてもらいたいの。スプレオール側の話だけじゃなくてね」
「それは……一理ありますね。ここまで来たら、途中で放り出すなんてできませんし。
それで、それはいつごろになりますか? 今後も他の竜王のところへ行くでしょうし、しばらく先に──」
「今から呼ぶわ。少し待っていて」
「え?」
竜郎の予想を超えた展開へと、転がっていくのであった。
次話は金曜更新です。