第165話 マルトゥムの不安
泣いてしまった我が子にマルトゥムとリーガァは、分かりきっていた結果だっただけに、さもありなんと目を閉じる。
「しかし泣けるということは、悔しがる気持ちは持っていたということだ。それだけは少し、安心したな」
「そうね。さすがに負けてケロッとしていたら、私も焦っていたところよ。
…………ほら、デリエンデス。いつまで、お客人に情けない姿を見せているのです。泣き止みなさい」
「うぅ……」
少し間を置いたことで感情が落ち着いてきたのか、母の声がちゃんと届きメソメソしながらも口をつぐみ泣き止んだ。
しかし、どうしても噛み砕けない感情があふれ出してくる。
「うぐっうっ……お母さま。僕は、なぜ赤ちゃんに負けたのでしょうか?
今までお母さまの教えを守り、自分なりに頑張ってきたつもりでした」
「そうね。あなたが頑張っていたことは、私もリーガァもよく知っているわ」
ラヴェーナにあっさり負けたとはいえ、デリエンデスも遊んで暮らしていたわけではない。
むしろ現代の一般的な竜たちの中では、頑張っているほうだろう。
本人も学ぶことに旺盛で、決して身分に驕ることなく努力してきたのだ。
「では、もしかして僕は、ラマーレ種の竜王として相応しい、お母さまのように強い竜にはなれないのでしょうか?」
「──っ」
「それは違うぞ、デリエンデス。お前とあの子では育った環境が違ったというだけで、お前が種の中で劣っているわけではない」
「そう……なのですか?」
父──リーガァはその武力をもって神格を得て、王配についた生粋の武辺者。それはデリエンデスもよく理解しているし、戦士としての父を尊敬している。
だからこそ彼は、そんな父が言うのならと耳を傾ける。
「ああ、そうだ。お前は生まれたときから、この王国を背負うという尊き宿命をもっていた。
そして俺が生まれた時代のように、戦いがあちこちで起こっていたわけでもない。
だからこそ今の時世、王族として武力よりも先に身につけさせておいたほうがいいことをマルトゥムは優先してきた。
だがラヴェーナ嬢たちは自由だ。周りには自分と同じ世代の、自分と同じだけの力を持った種族たち。俺やマルトゥムすら凌駕する父親や匹敵する周りの人間たち。
何をどうしたらそんな勢力がいきなり現れることができるのかはさっぱり分からないが、それなりに込み入った理由があることは必定。
そんな特殊な環境で強者たちに囲まれ自由に育ったというのなら、武力が先に身についてもおかしくはあるまい」
「……えっと、お母様や、お父様を凌駕するとはいったい」
父親の言いたいことは彼もなんとなく理解できたが、デリエンデスは母に勝る存在など、皇族とその側近たちしかいないというのが当然と思って生きてきた。
なのにぽっと出の竜郎のほうが強いと断言する父に、思わず反論の言葉がこぼれてしまう。
「力を隠すのが随分自然なようだからな。今の状態では、お前にはまだ分からないだろう」
「そうね……。でも、ちょうどいいかもしれないわ。
ねぇ、タツロウくん。あなたの本当の姿をグレウスたちにも見せたように、私たちに見せてもらえないかしら?
聞いていた通りなら、この子でもはっきりと竜王の父という存在がダテではないことを理解してくれるでしょうし」
「見たいというのなら、かまいませんよ。──それじゃあ」
どうせ言われると思っていたので、もはや一発芸を見せるような感覚で竜郎はすでに取り込んでいるカルディナに加えて、ジャンヌたちも取り込んだ姿をマルトゥムたちに見せた。
どの程度なのか既に聞いていたマルトゥムは、新たに生まれた強者の存在をしっかりと感じ取り受け止める。
リーガァも既に聞いていたのだが、こちらは背筋が凍るほどの圧を前にして口角が上がっていた。
久しくない自分を容易く殺せる存在の誕生に、恐怖よりも武人としての血が騒いでしまったようだ。
そして息子デリエンデスは、呼吸すらできないほどに硬直し、目を見開いたまま水の中に沈んでいく。
思わず大丈夫かと竜郎が無意識的に状態を確認するが、腐っても水に属する竜王種、それでも体の状態には全く問題なさそうだ。
だがそのままというのも体裁も悪かろうと、すぐにカルディナだけを残してジャンヌたちを解放した。
するとその数秒後にようやくデリエンデスが浮上し、竜郎に向かって幽霊でも見るような視線を向けてきた。
『恐がらせちゃったのかな?』
『というより、未知の存在過ぎて理解できないって感じじゃないっすかね』
『さすがに、ちびっ子には刺激が強かったようですの』
『ちびっ子って言っても、俺たちより何倍も生きてるんだけどな』
静まり返った大きな部屋の中で、デリエンデスが落ち着くまで竜郎たちは好き勝手に念話で会話してすごした。
しばらく水面をプカプカ漂っていたデリエンデスが我に返ると、幾分か竜郎に向ける奇異の視線も和らいでいた。
「お父様の言いたいことが、ちゃんと分かったような気がします。
でもだとすると、僕はこれから成長していけば強くなれるということでいいのですよね?」
「もちろんよ。でもそうね、もう少し戦いについて学ぶ機会を増やすのもいいかもしれません」
「そういうことなら、俺にも任せてくれ。座学のほうは、あまり力にはなれぬでな。頑張れるか? デリエンデス」
「はい! いつか、あの子に勝てるくらい強くなります!」
「そうか。ではあの子に勝てるよう頑張ろう」
最低限の教養くらいはパラフトに仕えていたこともあり知っていたが、それでも戦いに明け暮れていたリーガァには王として知っておかなければならない細かなところまで教えることはできなかった。
しかし戦闘についてなら、実戦の経験はマルトゥム以上に豊富。息子のためにできることが増えたと、彼も嬉しそうに笑みを浮かべた。
けれどマルトゥムは張り切る息子と夫を前に、嫁になるかもしれない子をライバル認定してどうするのだろうかと密かに思うのであった。
落ち着いたところで、子供たちは子供たちで同じ区画に集まって遊んでいてもらいながら、竜郎たちは大人の話へ。
デリエンデスは気軽に接してくる相手が珍しいのか、おっかなびっくりとだが幼竜たちの輪の中に入って楽しそうにしていた。
一部──ラヴェーナに関しては、少しだけ苦手意識を植えつけられてしまったようで、一定距離を開けるようになったところが少し気になるが。
竜郎たち側が竜王との婚姻についてどのように考えているのか、どのようなことをして普段は過ごしているのか。
ラマーレ王国はどういう国なのか、どういうものが流行っているのか──などなど、答えられる範囲でお互いの意見を交換した。
その中では当然、ヴィント王国と同じように特有の鉱石と食材の相互貿易についても含まれていて、そのまま試食の流れになっていく。
グレウスたちと同じものを提供すると、こちらもかなり好評で、食事など食べられればそれでいいとすら思っていたリーガァでさえ、また食べたいと絶賛していた。
またパラフトのほうにも試食品を渡したのだが、全てを食べることはなく──。
「少し意地汚いようではあるが、残りは包んで持ち帰ってもいいだろうか」
「ええ、別にいいですよ」
「ありがとう、タツロウくん。…………これでウィルアラーデの二の舞にならずに済む」
「はい?」
「いや、こちらの話だ。気にしないでくれ」
実は以前案内してくれたウィルアラーデは、1人で全部新しい素材を使った料理を食べてしまったことでエーゲリアを少しだけ拗ねさせてしまっていた。
それを間近で見ていたパラフトは同じ轍は踏むまいと、気力で食べる分をセーブしてお土産をゲットすることに成功した──というわけである。
そんなことまで聞いているわけもない竜郎たちは、よく分からないがパラフトが大きなミッションを達成したかのような爽やかな笑みを浮かべていたので、それ以上追及するのはやめた。
その後もヴィントと同じようにお礼と称して巨大なラマーレ鉱石を使った装飾品を貰ったり、パラフトを立会人にした契約を交わしたりとしていると、いつの間にか美味しいもので満足した子供たちが寝息を立てて床で寝てしまっていた。
その中にはデリエンデスもいて、だいぶ幼竜たちにも、少し距離を置いていたラヴェーナにも慣れてくれたようだ。
マルトゥムもこのまま最有力嫁候補に対して、苦手意識を持ったまま成長してしまったらどうしようと懸念していたので、ほっと胸をなでおろした。
そして息子が完全に寝ているのならと、少し小さな声で竜郎に向かって話しかけてきた。
「あのね、タツロウくん」
「はい。なんでしょうか」
「さっきあなたはラヴェーナちゃんの気持ちが最優先と言っていたのは、もちろん覚えているわ。
けれどそれをおしてでも、あの子とデリエンデスの婚約を今すぐにでも了承してもらうことはできないかしら。
もしそうしてくれるのなら、できる限りの便宜は図らせてもらうつもりよ」
「おい、よさないか。あまり無理を言うなとイシュタル様にも言われていただろう」
リーガァですら寝耳に水の発言だったらしく、珍しく慌てた様子で妻を止めに入る。
しかしマルトゥムは引かなかった。
「これはあくまでお願いであり、交渉よ。当然、そちらに断る権利はあるわ。
それとも、聞いてみることすらいけないのでしょうか? パラフト様」
「それくらいなら当人同士の問題だろう。好きにしてくれ。私はあまり口を出すつもりはない。
だがどんな答えが返ってくるかは、想像がつくがな。
それでタツロウくん。今のマルトゥムの要求に対して、君はどう返す?」
「もちろん、答えは変わりませんよ。どんな便宜を図ってもらおうとも、ラヴェーナの気持ちが最優先ですから。
というより、先ほどもここまではっきりではありませんでしたが、言いましたよね? なぜまた、そのようなことを?」
マルトゥムとて蒸し返したところで答えは変わらないだろうことは、これまでの竜郎との会話からも分かりきっていた。
竜郎もそれくらい分かってくれていたと思っていただけに、突然のマルトゥムの要求に疑問すら抱いてしまった。
時間の感覚が竜郎たちとは比べ物にならないほど長いマルトゥムが、デリエンデスとてまだ幼い今、なぜそれほど急いで決めたがるのかと。
その質問に対し、マルトゥムは少しだけ悲しそうな雰囲気を漂わせ、竜郎に向かって口を開く。
「私はね。ラマーレ種の竜王の血を、もっと濃くしたいのよ」
「血を濃く……ですか?」
「ええ。というのも──」
マルトゥムの親となった2人は、子供を産む相手として相性がいいとは言えなかった。
それゆえに王弟であっても、かなり亜種として劣っていたのは記憶に新しい。
そしてマルトゥムは、そのことが小さなころから気になって仕方がなかった。
決して両親が嫌いなわけではない。むしろマルトゥムは父も母も愛している。
だが他の竜王たちと比べても最も相性が良くない2人だっただけに、自分はなんとか竜王という体裁を取り繕っただけの存在なのではないかと不安に駆られていた。
そんな幼少期もあって人並み以上に努力を続け、結果的にはどの竜王にも引けをとらない女王として君臨できている。
夫として迎え入れたリーガァも、婚期を遅らせてでも相手にこだわっただけに、かなり相性もいい。
だが先の息子とラヴェーナの試合を見てしまった後に、デリエンデスが言った「ラマーレ種の竜王として相応しい、お母さまのように強くなれないのでしょうか?」という言葉を聞いた途端、思わず息を呑むほどに不安になってしまったのだ。
もしかして自分の息子は、私の血のせいでラマーレ種としての血統が薄れてしまったのではないかと。
もちろんそんなことはないと、頭では分かっている。
間近で息子の成長を見てきたマルトゥムからしても、自分と変わらないほどに完全なラマーレ種だとはっきり言える。
だがしかし幼少期に根付いてしまった不安は、今もなお心の奥底に居座って離れてはくれなかった。
息子は大丈夫だとしよう。けれどその先は──そのまた先は──と。
そんな中で現れたのが、竜郎によって1から生み出された完全に純粋なラマーレ種のラヴェーナ。
亜種であるアマリアも、羨ましいほどに種として濃い存在だった。
「だからこそ、あの子にはラヴェーナちゃんとの間に子をもうけてほしいの。
そうすればきっと、私のこの気持ちは消えてくれるから」
それはただの我儘にも聞こえる。
だが竜王たちにとって、イフィゲニアが生み出した特別な竜王種という存在を完全な状態で保つというのは、命よりも重要な使命とすら感じていた。
それが自分をきっかけに崩れ去るかもしれないなど、とても耐えられるものではない。
あまりにも赤裸々に語られる内容からしても、その本気度は間違いないだろう。
竜郎もそれが、ただのマルトゥムのエゴだとは言えないほどに。
だがそれでも答えは変わらない。竜郎は決まった答えで否定した。
「そうよね……。分かったわ、今のは忘れてちょうだい」
「はい。忘れました」
「ありがとう」
残念そうにしながらも、はっきりと断られたことで逆にすっきりしたのかもしれない。
先ほどまでまとっていた陰鬱な空気はどこかへといき、優し気な視線を息子と一緒に眠っている幼竜たちへと向けるのであった。
(あの子が大きくなって自分で決めた子が、きっと正解──よね)
次話は水曜更新です。