第149話 レティコルを使った料理
「タツロウくん。いいものを見せてもらったお礼に、私からもこれを渡しておこう」
「はい? なんでしょうか」
アルムフェイルは明るい帝国の未来に想いを馳せながら、何枚かの紙とインクを取り出した。
そして水魔法でインクを操り、その紙に何かをスラスラと書いていく。
数分もしない間に長ったらしい文章を書き上げると、風を操り紙を3枚竜郎の目の前へと飛ばしてきた。
それを反射的に手に取り、竜郎は書かれている内容に視線を落とす。
「そこに私の意思を書き記した。それさえ持っていれば、このアルムフェイルが竜王種の件、ニーナの件、そして追加でソータの件、それら一切を認めていると示してくれる。
まあ、私の物でなくとも、すでに頂いているであろうイシュタル様やエーゲリア様のもので事足りるだろうがね」
「いえ、とても心強いです」
アルムフェイルが言うようにイシュタル、エーゲリア両名が認めているのだから、誰も逆らうことなどできはしない。
普通の相手ならそこにアルムフェイルが認めている証まで出せば、オーバーキルにオーバーキルを重ねるようなものだ。
しかし星九家。この8つの家は、もちろんエーゲリアやイシュタルのことを心から敬っているし、もし2人に危険が迫れば身命を賭してでも助けてくれるだろうが、それでも九星と呼ばれた者たちに、それに並ぶほどの信奉心を抱いている。
それを超えるとなると、それこそ九星の生みの親であるイフィゲニアくらいだろう。
なのでこと九星本人──今ではアルムフェイルだけだが、そのこととなると多少なりともイシュタルたちに不満を抱くことだって出てくる可能性が高い。
だがここで本人がまだ存命の内に、九星本人からの認可が得られていれば、いざニーナや蒼太などの九星関係の揉め事も、かなり円満に済ますことだってできるだろう。
そういう意味でも、竜郎がここで彼自身の意思をしっかりとした形で示してもらえるのは、のちのちのためにもありがたいことだったりもする。
実は事前にイシュタルとエーゲリアが、認められるのなら渡してあげてほしいと根回ししてくれていたのだ。
なんとなくそうなんだろうと竜郎は、わざわざ言ってこない2人に対して心の中だけでお礼を言っておく。
「さて、これでここに来た要件は全て終わったか」
「この度は、本当にありがとうございました。イシュタル様、エーゲリア様。
そしてタツロウくんや、ニーナたちも」
「アルムフェイルのためなら、このくらいなんということはない。気にするな」
代表してイシュタルがすぐに答えてくれたので、竜郎たちは軽く会釈程度に頭を下げた。
アルムフェイルも恐縮しながら、目礼した。巨大故に頭を動かすと色々と大変だからだ。
「だがこのまま帰るというのも、味気がない。
実はタツロウたちがアルムフェイルに、お土産を用意してくれているようだから、今からそれを皆で頂こうではないか」
「はて、土産でございますか?」
そこでアルムフェイルの意識が竜郎に向けられる。
「はい。実は僕らは美味しい魔物を探して世界中をめぐっていまして、そこで捕らえて養殖したものを使った料理を持ってきました」
「美味しい魔物の料理……?」
「はい。そうですが、なにか嫌いなものとかあったりするのですか?」
「いや、そうではないのだがね……」
これまでの相手なら少なからず興味を示してくれていたのだが、アルムフェイルの反応は薄い。
どうしたのだろうかと聞いてみれば、今はもうほとんど食欲がないのだそう。以前に何か食べ物を口にしたのも、数十年前だとか。
「私も心配していろいろとアルムフェイル様にお持ちすることもあるのだが、手を付けてくださらないのだ」
「レーレイファも、気を使わせてすまないね」
「いえ、謝る必要など……」
今では海水を飲むくらいで満足してしまい、食事を楽しむという気持ちもほとんどなくなってしまったらしい。
「それにだ。私は見ての通りの大きさをしている。君たちがいうほどに美味しい魔物というのなら、貴重なものでもあるのだろう?
食べることに乗り気ではないのに、さらに私のサイズに合わせて消費させるのも申し訳ない」
若かりし頃、もっといえば老いてもまだ動けていた時期ならば体の収縮も人化も軽々とできていた。
けれど今はそれも負担でしかなく、体の形を変えるのは命を削りかねない危険な行為となってしまっている。
けれどそのサイズという分野に関しては、竜郎たちも手を打っていた。
「そのことなら安心して、アルムフェイル。私の力で、あなたを小さくさせるから」
「そんな! 私の食事ごときに、エーゲリア様のお力を使わせるなどできません!」
普通なら他の誰がやっても体への負担は変わらないのだが、エーゲリアの力をもってすれば、一切の負担なくアルムフェイルを小さくも人化させることもできるらしい。
それについては、もともとそこまで量が用意できなかった食材、主にレティコルなどを節約すべく、イシュタルにアルムフェイルは小さくなることはできるのかと聞いたとき、今の彼は小さくなれないこととエーゲリアの万能性について聞いていたのだ。
「いいのよ。あなたにはまだまだ元気でいてほしいし、本当に美味しいものだから、少しは食欲も戻るかもしれないわよ」
「しかしですね、エーゲリア様──」
「問答無用よ」
「むっ」
これ以上の押し問答は時間の無駄だとばかりに、エーゲリアが指をひょいと動かした。
するとアルムフェイルが光に包まれ、今竜郎たちが立っている魔物船──長門の甲板の上に老人の姿となって降ろされた。
ただ老人と言っても肌は年齢にしてはツヤがあり、やせ細ったところもなく引き締まった肉体が西洋風の服装の下からでもうかがえる。
ここだけみれば、一見余命いくばくもない存在とは思えないほどだ。
けれど見る人がちゃんと見れば、肉体以上に中身がぼろぼろになっていることにすぐ気が付くことだろう。
それに目も濁ったままで、そこに何も映していないことも。
「これでいいわね。どうかしら? 負担なんてないわよね?」
「ええ……ありません。そういうたまに強引なところは、イフィゲニア様と似ておられますね」
「あら、私はもう少しおしとやかよ」
「何をおっしゃいますか」
ここまできてはしょうがないと、アルムフェイルも開き直って苦笑する。
そんなやり取りをしている間に、竜郎は甲板の上に椅子と机を用意しイシュタルとエーゲリアが座ったのを見届けるまで決して座ろうとしなかったアルムフェイルも座らせる。
そして全員が席に着いたところで、竜郎はぼんと人間サイズにしては大きな土鍋を取り出した。
すでにフローラが全てやっておいてくれた状態なので、土鍋の中にはぎっしりと具材が煮詰まっている。
ダシのいい香りが、潮風に乗って周囲に漂いはじめる。
「もし食欲がないようなら、このお鍋のスープだけでも召し上がってください」
「ニーナも少しだけお手伝いしたんだよ! アルムフェイルおじさん」
「ええ!? そうなの!?」「なに、そうなのか!」
なぜかエーゲリアまで反応を示すが、そこは華麗にスルーしてイシュタル、エーゲリア、そしてアルムフェイルの順で鍋のスープを掬って器に入れ渡していく。
ニーナが手伝ったと聞き、その匂いだけで食欲がわいてきていたのもあってか、食事に乗り気ではなかったアルムフェイルも興味深げに器の中のスープに意識を向ける。
そして鼻を近づけ、ゆっくりと味わうように香りを楽しむ。
「これは……本当に美味しそうですね」
「ああ、本当に美味そうだ。早くいただこうではないか。せっかくの料理が冷めてしまう」
「そうね。最高の状態で食べるのが、作ってくれた人への最高の礼儀というものよ」
エーゲリアも上品にふるまっているが、食べたいオーラが全身から出ているのは付き合いの短い竜郎たちでもよく分かる。
ここでお預けにする理由もないので、竜郎が「どうぞお食べください」と口にすると、イシュタル、エーゲリアが口をつけてスープをすすり、その後に続いてアルムフェイルもお鍋のスープをごくりと飲み込んだ。
「「「──!?」」」
それを見届けてから、竜郎たちやレーレイファも同じように口にしていく。
「これはっ」
竜郎たちサイドの陣営は味見もかねて事前に少しばかり頂いていたので、そこまでの驚きはなかったが、新しく加わったレティコルを使った鍋料理に、イシュタルもエーゲリアもアルムフェイルも、そしてお付きのレーレイファも、衝撃に目を丸くする。
「これは本当に美味しい……。もっと、もっといただけないだろうか? その……具材も含めて」
「ええ、アルムフェイルさんに食べてもらうために持ってきたものですから、好きなだけ食べてください」
「こんなに腹がすく思いをしたのは、何万年ぶりだろうか」
相変わらず年数のスケールが桁違いだな、と感じながら竜郎自らお玉を取って、物欲し気にしているエーゲリア、イシュタルの器も含めて、スープに具材も入れていく。
「ではお食べください」
竜郎にそう言われ3人が揃って選んだのは、しなしなになり鍋のダシがたっぷりと染み込んだレティコルの葉。
熱でどうにかなる3人でもないので、ためらいなく熱々のスープが滴る葉を口の中に放り込んでくしゃっと噛み締めていく。
「「「ほぉぅ……」」」
幸せそうに湯気が混じった長い息を3人が口からこぼす。
最初にガツンとダシの美味しさが舌の上に乗り、その後にじわじわとレティコル本来の美味しさが追いかけてきて、いつまでも味わっていられるとばかりに咀嚼を続ける。
だがすぐになくなってしまうので、続いて身がプリッと引き締まった、この美味しそうな匂いの元であり、鍋のメイン食材でもあるララネストの切り身に手を伸ばす。
ばくりと豪快にアルムフェイルが、大きな切り身を口に入れれば──。
「──んんんっ!」
ララネストのもつ爆発的なおいしさと、鍋の味が絶妙に混ざり合い、思わずうなり声をあげてしまう。
それから食欲がないと言っていたのが嘘のように、アルムフェイルはどんどんと鍋の具材を腹の中へと収めていく。
「これもっ、これもっ、これもっ、ただ美味しいものを詰め込んでいるのではなく、バランスがしっかりととれている。これを作ったものは天才か?」
「それをメインで作ってくれたフローラも、そのバランスに苦労したみたいです」
今回の鍋には、スープの水はメディク、ダシはララネストをメインに魚介系。
そこへララネストの切り身と葉野菜のレティコルを投入。
さらに妖精郷でしか取れないキノコや山菜、以前の似非ダンジョンでとってきたナマズのような魔物の切り身、レティコルの芽なども入っている。
それらをフローラがバランスよく入れたことで、レティコルやララネストのような超級に美味しい食材を、他の食材がうまく補助し、それら自身も合間に挟むとちょうどいい具合に食が進むよう完璧に調整された鍋ができあがったというわけである。
そんな説明を竜郎がアルムフェイルたちにしていると、ふとアルムフェイルが何かを思い出したかのように一時食事を止めた。
「そうだ。あまりにも美味しいからと思考が飛んでいたが、これはアレと同じくらい美味いのか」
「アレ……ですか?」
「ああ、たしか名前は……ドゥアモスなどと呼ばれていたはずだ」
「ドゥアモスっていったら……」
「たつろー知ってるの?」
「知ってるも何も、絶滅した美味しい魔物シリーズの肉類の内の一体だ。
アルムフェイルさんは、それを食べたことがあるんですね」
「ああ、あまりに美味かったものだから、オラリカ、クランジェと一緒に絶滅させてしまったよ。
いやはや、滅ぼした後に後悔して、あれをもう一度食べたいと思っていたが、それと同じくらい美味しいものが食べられるとは長生きはするものだ」
「──え゛」
オラリカは7番目、クランジェは8番目の九星。
なんと九星3人がかりで、お肉の食材としてチキーモに並ぶ魔物を滅ぼしてしまったらしい。
「あんたらのせいかよっ!」とツッコミを入れなかっただけ、竜郎は自分のことをほめてやりたくなった。
「そんなことしてたの!? なんで私も誘ってくれないのよ! アルムフェイル!」
「無理をおっしゃらないでください、エーゲリア様。
あなた様はイフィゲニア様やニーリナとの訓練で忙しそうにしておいででしたし、とてもではありませんが、誘えるような状況ではありませんでしたよ」
「じゃあ、他の九星を誘わなかったのはなぜなのかしら?」
「そ、それは……」
自分たちの取り分が少なくなるから──ではあるが、それ以上は口ごもって言い出せないアルムフェイル。
しかし何も言わないわけにいかぬと、口から出たのは──。
「他の九星たちも、似たように美味しい魔物を滅ぼしたと自慢していましたし、姉や兄たちにならって同じようにしたまででございますっ」
「ニーリナたちもなの!? ……あら? そういえば、お母様もたしかアレを滅ぼしたと悲しんでいたような……。
それを見ていたから、私はララネストを滅ぼさずにいられたのよねぇ」
「えぇ……」
この日、竜郎は、美味しい魔物の大半の絶滅した理由が、イフィゲニアと九星たちによる乱獲が原因なのだと知るのである。
次話は日曜更新です。