第145話 ニーナとアルムフェイル
あけまして、おめでとうございます!
7日後の風属の日がやってきた。
レティコルの養殖もそこそこうまくいき、フローラにいくつか料理を作ってもらうことにも成功した。
これでアルムフェイルにもいい手土産ができたと、竜郎はエーゲリアやイシュタルがやってくるのをカルディナ城の前にある砂浜で待っていた。
今回、アルムフェイルの場所に行くのは竜郎、愛衣、カルディナ、ジャンヌ、奈々、アテナ、天照、月読。
ニーナ、蒼太、楓、菖蒲──というメンバーだ。
カルディナたちは、竜大陸でいつでも竜郎が《人竜神》の称号効果を発揮し竜に至れるようにするために、アルムフェイルや他の竜王たちとの面会時についてきてもらうつもりでいる。
これはイシュタルたちにも勧められたことで、やはり新たな系譜の竜王種たちやニーナの父を名乗る存在が竜ではない他の種であるよりも、同じ竜になれる存在だと知ってもらったほうが、彼らもすんなりと受け入れやすいだろうとのこと。
戦力を整えすぎていくのは逆に失礼じゃないかと思っていたくらいだったが、こちらもそのほうが万が一もめごとがあったときの対処もしやすいと、受け入れた形である。
「そろそろっすかねー」
「時間からして、そのはずですの」
アテナがボーっと海のほうを眺めながら何気なく言った言葉に、奈々が時間を確認し反応する。
それが呼び水になったわけではないのだが、ちょうどそれと同時に空間が揺らぎはじめエーゲリア、イシュタル、レーレイファが姿を現した。
「いらっしゃい、イシュタルちゃん、エーゲリアさん、レーレイファさん」
今回お付きとしてついてきたのは海竜であり、アルムフェイルとも親交が深いレーレイファ。
愛衣の挨拶にイシュタルとエーゲリアが返してから、遅れて小さく頷き返した。
「今日はどうやって行くんですか? 海路ですか?」
「今回は私の転移で全員を運ぶわ」
レーレイファもいたのでてっきり、海を渡って正規ルートで手続きを踏んでいくかと思いきや、今回はそれら全てをすっ飛ばして転移で運んでくれるらしい。
竜大陸内をぽんぽん転移するという行為。それも今から行くのは禁足地ともされている、初代皇帝が眠る霊廟近くの海域へ。
これが竜郎や他の誰かが何らかの方法で行ったのなら大問題になりかねないが、そこはさすが先帝でもあるエーゲリア。
のんびり魔物船──長門での船旅もいいかと思っていたが、それはそれで時間も短縮できていい。
今回はお言葉に甘えてショートカットで、アルムフェイルがいる海域へと転移した。
普段とは違う他人が行使する転移というものに少しばかり不思議な感覚を味わいながら、竜郎が次に目を開けたときには海の上。
そのまま空を飛んで海面にいてもよかったが、せっかくなので竜郎は長門を《強化改造牧場》から呼び出し、蒼太とレーレイファ以外が甲板に乗船した。
「では呼んでまいります」
「ああ、頼んだ。レーレイファ」
イシュタルがそういうと、レーレイファは海に潜って海底にいるアルムフェイルにニーナが来たことを知らせに向かう。
ニーナは広い甲板の上で、6メートルサイズの本来の姿に戻り、大叔父……のような存在が来るのをドキドキしながら待っていた。
「どんな人なんだろー。楽しみだねー、ソータ」
「ア、アア。ソウダナ……」
別の意味でドキドキしている蒼太は、海面にその身を浸けながら顔を出し、ぎこちない表情でニーナの言葉に相槌を打つ。
その少し情けなくも見える光景に、竜郎はひそかに大丈夫なのだろうかと心配になった。
そうこうしていると水面が山のように盛り上がり、レーレイファが顔を出す。
それに続くようにしてイフィゲニア帝国に暮らす竜たちにとっては英雄にして伝説に謳われる、頭部だけでも40メートル以上ある巨大な深緑色の鱗をした龍が姿を現した。
「でっかーい。元のサイズのソータと同じくらいありそうだね」
「………………」
ニーナはニーリナという存在を受け継いだ影響か、初対面のアルムフェイルに対してむしろ親近感すら抱いた。
だが蒼太は強くなったと思っていた自分よりもさらに圧倒的な力をその身に宿す真竜でもない老龍に、ただただ息を呑むことしかできなかった。
以前にも会ったことがある竜郎や愛衣、カルディナたちは『相変わらず凄いな』とその馬鹿げた力に呆れすら抱く余裕もあったが、初見の楓と菖蒲は珍しく恐れを抱き竜郎の足にへばりついた。
それを目ざとく見つけた人化状態のエーゲリアは、小さくため息をつく。
「はぁ……。あのね、アルムフェイル。小さい子もいるのだから、少し興奮を抑えてもらえるかしら?」
「おおっ、これは私としたことが失礼しました。エーゲリア様」
「「あう……」」
前よりも強くなっていたためにそのあたりの感覚が鈍くなっていたが、なるほど言われてみれば前よりも威圧感が強かったなと、今更ながら気が付き竜郎は楓と菖蒲の頭を優しくなでた。
興奮を抑え、龍種の持つ威圧感が薄れていったことも相まって、ようやく楓と菖蒲はアルムフェイルに視線を向けられるようになるも、それでもまだ怖いのか竜郎のズボンの裾は握ったままだ。
とはいえそればかりは仕方がない。竜王種とその亜種とはいえ、まだ幼竜。はるか高みに至った龍は刺激が強すぎるのだ。
イシュタルはこれ以上は抑えようもないといったレベルまでアルムフェイルの状態が落ち着いたのを見計らい、船上から人化した姿のまま声をかけた。
「約束通り、ニーリナを受け継ぎし竜──ニーナを連れてきたぞ」
「イシュタル様およびエーゲリア様にも、老体の私を労わり御身自らご足労をお掛けしたようで申し訳ありませんでした。
そして君たちも、わざわざ私のために足を運ばせて悪かったね。ありがとう」
「いえ、もともとニーナを連れて会いに行ったほうがいいとは思っていたので、気にしないでください」
アルムフェイルといえば、具体的な役職は設けられていないが、竜大陸でも下手をすればイシュタルよりも影響力を持つ存在。
そんな存在が気さくに礼を言ってきたことに少し面喰らいながらも、竜郎もすぐに笑顔で返答した。
老いにより白く濁り何も写さなくなった瞳ではなく、感覚として自分にも恐れない堂々としたその気配を感じ取り、思わずアルムフェイルはふふっと軽く微笑む。
ひそかにニーナの父を名乗る存在というのはどれほどのものなのかと、探りを入れていたのだ。
笑った顔を見たことで、楓と菖蒲の警戒心がまた少しだけ和らぎ、裾を握った指が緩む。
「そういってもらえると、こちらも助かる。それで……もしかしなくとも、そこにいるお嬢さんが?」
「はい、そうです。ニーナ、こっちにおいで」
「はーい」
「──!?」
長門の真横に付いている蒼太と一緒にいたニーナを、竜郎が手招きして近くに呼び寄せる。
そのとき発した言葉が耳に届いた瞬間、アルムフェイルはその大きな体を震わせ海面を波立たせた。
しかし長門がうまく受け流してくれたので、揺れもなくニーナは竜郎の横にのしのしと歩いてやってきて、まっすぐ上を見上げてアルムフェイルの大きな顔に視線を止めた。
「この人が、話していたアルムフェイルさんだ。ほら、ご挨拶して」
「ニーナです。アルムフェイルさん、こんにちは」
「………………」
竜郎に教えてもらったように、行儀よくぺこりとお辞儀しながらニーナが挨拶をする。
しかしなかなか返事がなく、「聞こえてないのかなぁ?」とニーナがもっと大きな声で挨拶をすべく息を吸い込んだタイミングで、ようやくアルムフェイルが口を開いた。
「その体から漏れんばかりの力強い竜力……、声から零れる覇気……、ああ、本当にそうなのだな……」
「アルムフェイルさん?」
「おっと、これは失礼したね。こんにちは、お嬢さん。私はアルムフェイルという老龍だ。
君のその力をもともと持っていたニーリナと存在を同じく……といえるほど私は強くはなれなかったが、それでもイフィゲニア様を支える9体の内の1体として生きたものでもある」
「うん。なんとなく、おばーちゃんと似たものを感じるから、ニーナにも分かるよ」
「ブフォッ──、…………おばーちゃん? それはもしかしてニーリナのことかい?」
ニーナがおばあちゃんといった瞬間に濁った目を見開き、それがニーリナではないかと至ると思わず吹き出し問いかけてしまう。
「そうみたい。エーゲリアお姉ちゃんが──」
「ブハッ──お姉ちゃ──」
ニーナがこの力を受け継いだ時に話したのは、あくまでも『おばあちゃん』と名乗る竜だった。
だからその名前を知らなかったが、のちにそれはエーゲリアからニーリナで間違いないと聞かされていた。
なのでそのことを話そうとしていたのだが、エーゲリアをお姉ちゃんと呼んだ瞬間にまたアルムフェイルは大きく噴き出してしまう。
あなた私と大して歳変わらないですよね!? ──と言わんばかりに。
だがしかし。エーゲリアが片眉を上げながら口は笑うという奇妙な表情で、アルムフェイルに微笑みかけたことで彼の表情は固まってしまう。
こころなしか周囲が寒く感じ、竜郎たちは腕を撫でた。
「なにか、おかしなことをニーナちゃんは言ったかしら?」
「い、いえいえ、なにもありませんよ、エーゲリア様。ええ、ええ、なにもありませんとも」
「そう。なら、いいのだけれど」
今までただただ凄いという印象しかなかったアルムフェイルだったが、ここにきて人間味のある反応をしたことで、楓と菖蒲はすっかり「このおじいちゃんは大丈夫だ」と安心して竜郎のズボンの裾から指を離した。
結果的に場の空気もよくなったとエーゲリアは、それ以上追及することなくアルムフェイルに続きを促した。
こころなしか寒気も収まり、竜郎たちもほっと息をつく。
それはアルムフェイルも同じだったようで、小さく息を漏らしながら意識をニーナに集中させた。
「もっと近くに、そうだな、私の鼻先に触ってもらえないかい?」
ニーナが「いいの?」と無言で竜郎や愛衣、そしてエーゲリアに確認を取ると、それぞれが揃って頷くので翼をはためかせてアルムフェイルの鼻先までやってきた。
目が見えない彼がより強くニーナという姿を認識するには、それが一番手っ取り早いのだ。
ニーナも普通の生物からしたら大きいが、相手が巨大すぎて赤子のように見えてしまう。
近くに来たことで余計にその大きさを感じながらも、ニーナはおっかなびっくりアルムフェイルの鼻先にその手をポンと乗せた。
「これで──って、アルムフェイルさん!?」
これでいいのと聞こうとしたニーナだったが、それよりも前に大きな目からボロボロと涙を流し、それが水面にボタンボタン落ちるものだから思わず驚きの声を上げてしまう。
けれどアルムフェイルはそんなことも気にならないほどに、ただただ嬉しそうに泣きながら笑っていた。
「ああ、ああ……懐かしい……。私と出会った頃よりも若い力しか感じぬが、力強く輝き我々を率いた若かりし頃の彼女の姿が、ありありと思い浮かべることができる……」
「大丈夫なの……?」
「ああ……、大丈夫だよ、お嬢ちゃん。ただセテプエンイフィゲニア様、ニーリナ、エアルベル、トリノラ、ウェルスラース、リュルレア、グエシス、オラリカ、クランジェ、そして私……。
私が誰よりも敬愛した主と誇るべき仲間たち。その全員がまだ一緒にいたあの頃が、懐かしく、決して戻ることのないあの日々が……、突然昨日のことのように脳裏に蘇ってきてしまったんだ……」
「アルムフェイルさんは、寂しいから泣いてるの? 今独りぼっちなの?」
ニーナはそれはなんて悲しいことだろうかと、泣きそうな顔になりながら優しくアルムフェイルの鼻先を撫でつけた。
いつも竜郎がやってくれるように。
「いいや、寂しくはないさ。私も近い未来、あの方たちと同じ場所に逝くことになるのだから。
だからこれは寂しいからなどではない。これはきっと……、嬉しいんだと思う。
もう2度と触れることはないだろうという仲間の力を、死ぬ前にもう一度感じることができたのだから」
「よく、分かんないけど……嬉しいなら、ニーナも嬉しいな」
「君は本当に素直な娘だね。そこはニーリナとは違うのかもしれないな」
「そうなの?」
「ああそうさ。ニーリナが今の私を見ようものなら、イフィゲニア様の眷属たるお前がメソメソ泣くとは情けない! と叱られてしまうだろう」
「あははっ、それはなんとなく分かるかも」
だが厳しい中にも優しさはかならず持っていた。
もし彼女が素直に優しさを表に現していたのなら、今ここで自分を撫でてくれているニーナのようになっていたのかもしれないと、アルムフェイルはなんとなく思う。
「ありがとう。もういいよ、お嬢──いや、ニーナと呼んでもいいかい?」
「いいよ! アルムフェイルさん」
「うーむ……、そのアルムフェイルさんというのは、なんとも硬い。
そうだ。私のことは、おじさんとでも呼ぶといい」
おじさん? おじーさん、おおおじさんではなく? とエーゲリアが自分のことを棚に上げて思うが、あえて口にはしなかった。
「おじさん……おじさん! アルムフェイルさんは、ニーナのおじさんなの!?」
「少し違うが、まあ、そんなものだろう」
「そっか、そっか。ニーナの家族がまた増えちゃった!」
「家族、家族か……。そうだな、私もニーナの家族だ。何か困ったことがあったら、いつでも私に言うのだぞ。
妙なやつがいたら、私が叱りつけてやろう」
「おいおい……アルムフェイルまでもか……」
アルムフェイルの表情は緩み切り、ニーナに向ける感情は可愛い可愛い姪っ子を愛でるただのおじさんだ。
自分の母という竜大陸で最も影響力の高いエーゲリア。そしてその次とも思われるアルムフェイル。
竜大陸でも一二を争う重鎮をニーナが篭絡してしまった事実に、イシュタルは竜郎たちと知り合ってもう何度目かになる頭痛に見舞われるのであった。
次話は10日(金)更新です。今の状況だと水曜は厳しいかもなので……。
金曜からは以前のペースに戻れると思いますので、もうしばらくお待ちください。