第142話 残滓を取り込んだ玉藻
6体の魔物が混ざり合ってできたような、『少女』の体が光の粒子となって空へと昇っていく。
「あれ? どっか行っちゃうね」
「私の本体はー、この体じゃありませんからねー」
神の力によって容易く妖精たちの張った結界をすり抜け、大陸を、海を越えて玉藻のダンジョンのある場所へと飛んでいき、吸い込まれた。
それと同時に玉藻の仮の体のほうにも変化が現れる。
「「うー!」」
間違い探しで間違いに気が付いた人のように、楓と菖蒲が指さす先は玉藻の尻尾。
これまで4本生えていたフワフワの尻尾に、5本目の真っ黒な尻尾が追加されていたのだ。
だがそれ以上特に変化はなく、身長も外見も服装も変わりはない。
玉藻は黒い尻尾をフリフリ動かしながら、右手でそっと触れて確かめる。
「融合というよりもー、癒着といった感じですねー」
『できるだけリスクを回避しようと思った結果ね。とはいえ、大元ではちゃんと繋がっているから安心してちょうだい』
基盤だけ配線で繋ぎ本体に張り付けた──というイメージで、今回迷宮神は玉藻と『少女』を繋いだらしい。
『それでどうかしら? なにか異常は出ていたりする?』
「いたって良好ですー。私は私のままですしー、彼女の意思もちゃんと感じられますのでー」
『少しでも違和感を感じたら私を呼びなさい』
「はいー。遠慮なくー」
大抵のダンジョンの個は恐縮してしまうところなのだが、玉藻からは遠慮という気持ちが一切伝わってこない。
今回の件で我慢されても困るのだから、それでいい。迷宮神も別にそれくらいで怒る性格でもない……のだが、その堂々とした態度に呆れすら感じてしまうのは仕方がないことだろう。
『はぁ……。それじゃあ、もう1つ。あなたたちを勝手にあてにしたことへの埋め合わせとして、これをあげるわ』
玉藻の件はこれで終わりだと、今度は竜郎たちに向けて迷宮神が声をかけてくる。
すると竜郎の目の前に30センチほどで、バリオンカットされた美しい空色の宝石──にしか見えない何かの魔石が虚空から突然現れた。
そのまま重力に従って落ちそうになったので、竜郎は思わず手を伸ばしてキャッチする。
「これは?」
『今は亡きレベル10ダンジョンで、ボスとして生きていた竜の魔石よ。
かなり昔に怪神が創造したもので、今は世界のどこを探しても存在していない種のね。
あなたたちの言葉でいうのなら、かなりレアな魔物──魔竜ということになるわ』
「お! やったね、たつろー」
「ああ、魔石はいろいろ使い道があるし、これは特に上質なものみたいだからありがたい。
本当に受け取ってもいいんですね? 受け取ったなら、次はこれをやって──なんてありませんよね?」
『これ以上は特にないから安心して。それは私からのちょっとしたお詫びと、お礼だから』
「では、ちょうだいさせていただきます。ありがとうございます、迷宮神さん」
『こちらこそ、ありがとう。それじゃあ、そろそろ私は──あ、そうだ』
これで話は終わったと迷宮神が会話を切ろうとしていたが、ふいにそれを止め、楓と菖蒲に黒い尻尾を触らせてあげている玉藻に声をかけなおした。
『最後に聞きたいのだけれど、なぜあなたは私が観ていることに気が付いたの?
神が干渉していると思われないように、ちゃんと気配は消していたと思うのだけれど?』
「あーそれですかー。それに関しては、なんとなくそう感じたとしか、言いようがないですねー。ただ──」
『ただ?』
「もし迷宮神さまではなくー、他の神々であったのならー、気がつくことは無かったというのは確かな感覚だと思いますねー」
『私だけ? 他の神より繋がりが深いのは確かだけど、でもこっそり他のダンジョンの個を観ていたときは気が付かれてなんか………………あ──ああ、そういうこと。
確かにあなたなら、という可能性があったのね。こういう影響も出るということが知れたのなら、新しい発見だわ』
玉藻というダンジョンの前世をかき集める際に、迷宮神は人の行動で表現するのなら"直接触れていた"という状態だった。
そのときに他のダンジョンの個よりも強く存在を感じ取ったことで、玉藻の魂の奥深くに迷宮神という存在が刻まれた。
その結果、誰よりも迷宮神の存在に敏感になった──ということなのだろう。
「勝手に納得しないでくださーい。私にも教えてくれませんかー」
『うーん…………ダメ』
「ケチですねー」
『ケチで結構よ。あなたのわがままを聞いてあげたのだから、それを知れないことを対価として貰っておくことにするわ。それじゃあ──』
「あ──あーあー、もう気配が完全に消えちゃいましたねー」
玉藻は少し残念そうに呟き、次元のかなたを見つめるように遠い視線を空へと向ける。
けれどすぐにダンジョン作りに関係なさそうだしと吹っ切って、竜郎たちのほうに向きなおった。
「ではー、新しいお友達をご紹介しますー」
「お友達?」
真っ先に反応した愛衣を含め、他の面々も何のことだと疑問符を浮かべる。
「はいー。ちょっと、離してくださいねー」
「「あっ、うー……」」
玉藻の黒い尻尾を物珍し気に触っていた楓と菖蒲の手から、ひょいとそれを動かして奪い取る。
少しだけ不満げな声を漏らす楓と菖蒲に他の尻尾を渡しながら、黒い尻尾を自分の手で引っ張った。
するとそれは簡単にプチンと千切れた──かと思えば、フワフワと浮いて虚空で形を取りはじめる。
そして最終的に黒い尻尾は、小さな少女の姿に変貌を遂げた。
「あれ? わたしは一体……」
玉藻はキツネ色の髪をしているが、少女の髪は黒く少し短い長髪。
その黒髪の両サイドを赤いリボンで結び、ツインテールにしていた。
さらに頭頂部には玉藻と同じようなキツネの耳、お尻には黒いふさふさの尻尾も生えている。
その点は玉藻と瓜二つと言っていい。
また格好は、小さな少女に似合う子供用の青を主体としたドレス。玉藻のように豪華なものではないが、顔だちも少し似ているので並べば親子でパーティに出掛けていても違和感はないだろう。
そんな少女がまじまじと、握ったり開いたりしている自分の手を見つめ戸惑いの表情を浮かべていた。
「ごのこは、もしがして……?」
「ええー、この子は先ほど取り込んだー、ここのダンジョンの個の残滓ですねー。
こっちの仮の体なら、簡単に切り離せるみたいですー」
「へー、そうなんだー♪」
「ヒヒーーン」
竜郎たちの視線が改めて少女に集まると、そちらもようやくこちらに視線を向けた。
「えっと…………?」
「ほら、ほらー、挨拶ですよー。基本的に、そっちの体は野放しにしてあげますからー」
「野放し? うーん……ま、いっか。よくわかんないけど、よろしくね!」
「よく分からなくてもいいのかよ……」
聞いていた情報通り、恐ろしく愛想はいいが、現状を理解することをすぐに放棄したあたり、ここのダンジョンを運営する予定だったダンジョンの個の残滓で間違いない。
ニコニコと皆に笑いかけ、小さな声で突っ込みを入れている竜郎がむなしくなるほど、あっけなく愛衣たちと親交を深めはじめた。
「切り離すことで、なにかデメリットとかはないのか?」
「デメリットですかー? しいて言うのなら、ちょっとだけ私が弱くなる、維持できる時間が減るってくらいですかねー。
ただあの子を取り込んだことで、もともとの仮の体に保有できるエネルギー量は増えたのでー、切り離した状態でプラスマイナスゼロって感じですがー」
「増えたのか? 分離前の体では、そんなこと感じられなかったが」
「もう一度この体を作り直さないとー、最大の状態には戻れませんからねー」
「なるほど。それであの子はこれから、玉藻と一緒にうちにいることになると」
「はいー。よろしくお願いしますねー」
ならば名前を決めなくてはならない。今や玉藻の一部と言っていい存在だが、ちゃんと玉藻とは別の意志を持っているのだから。それに呼ぶときも困るだろう。
「ということで、今日からあなたは『陽子』ちゃんに決定です!」
「ヨーコね! アイ、素敵な名前をありがとう!」
「喜んでくれて何よりだよー」
色々と奇天烈な名前を経た末にひねり出された『陽子』という名前の由来は、キツネの妖怪の『妖狐』から。
キツネの獣人の姿をしていることから出てきたのだが、"妖怪の狐"という文字はどうかという話になり、太陽のようにニコニコと笑うことから"陽"の字を当て字にした──という安直なもの。
けれど愛衣が必死に考えてくれたことはちゃんと見ていたからか、凄く嬉しそうにその名前を自分のものとして受け入れてくれた。
あまりに喜んでくれるものだから、愛衣も負けないくらい明るい笑顔を浮かべる。
竜郎もそんな愛衣を見てニコニコだ。それに面倒見もいいようで、小さな楓と菖蒲を見ると、すぐにお姉さんぶってかまいはじめた。
言動から少しおバカな気配をひしひしと感じるが、あの体は他のダンジョンの個が持っている仮の体よりもずっとひ弱で、最高の状態でも一般人以下でしかない。
玉藻が仮の体を維持していれば、いつまでも出ていられるという特殊な状態ではあるので、すぐに消えてしまうことはなく何度でも復活はできるが、その程度なら本能のままに暴走したところで可愛いもの。生前と違い人畜無害な存在だ。
これなら竜郎たちと一緒にいても、問題は起こらないだろう。
「そういえば陽子ちゃん。私たち以外にここに来て、生き延びた人たちのことは覚えてる?」
「え? うーん……タマモと繋がったことで、頭はスッキリしたけどあんまり覚えてないかなぁ」
「その人はたぶん、裏道で最後の場所に飛べたんだと思うんだけどね、意識を失う前に陽子ちゃんと話をしたみたいなの。
どんな話をしたかは覚えてない? なんだかすごく嬉しそうだったって言ってたから、実は気になっちゃっててさ」
「確かにそうだな。そのときはろくに意識もなかっただろうに。それで、どうなんだ?」
「うーんと…………タマモは分かる?」
「すぐに諦めないでほしいですねー。頑張れば思い出せるでしょうにー。
本当に頭を働かせることが苦手のようですねー、困ったものですよー」
「ごめんね!」
「まーいいですけどねー」
悪気のない少女の満面の笑みというのは狡いもので、大抵のことは許せてしまえそう。
とはいえ玉藻相手にそんなものは微塵も通用しないのだが、ここで管を巻いていても時間の無駄でしかないと、彼女を取り込んだことで知ることができた情報から、こうだったんだろうということを教えてくれた。
それによれば、ハジムラドをはじめとする挑戦者認定された者たちが最後の場所にたどり着いたとき、裏道とはいえ頑張ってたどり着いてくれた数少ない到達者たちに対して、少しだけ『陽子』としての意識が喜びで戻っていたらしい。
そして陽子は、毎回その疲れ切った中で桃源郷にやってきた挑戦者たちに対して『ここはどう?』といったような短い質問を投げかけた。
当然その意味は、この私の作ったダンジョンはどうだった? というもの。
けれどハジムラドたちは、その質問の意味を捉え間違えた。
彼らはその美しい場所に対して聞かれているのだと思い、『最高だ』と心から答えたのだ。
それは陽子にとって何よりもの誉め言葉。死力を尽くして苦しみぬいてゴールに辿り着いた挑戦者たちが、口をそろえて彼女のダンジョンを『最高』だと評してくれたのだ。
それを夢見たまま死んでいった彼女が嬉しくないわけがない。
その喜びの感情がハジムラドにも伝わった結果、最後に少女が嬉しそうに笑ったように感じた──というのが真相のようだ。
「やっぱり、わたしの考え方は間違ってなかったんだ! 嬉しいなぁ嬉しいよぉ」
「ちゃっかり都合のいい部分だけ受け入れてるなぁ」
「まあ……、どっちも喜んでいるならそれでいいんじゃない?」
「でもでも、お礼を言ってくれって頼まれてたけど、どうするんですか♪ ご主人さま」
「言うべきかどうか微妙なところだよなぁ。助かったのは、ハジムラドさん自身の豪運と根性のおかげだろうし」
迂闊に自分たちの力を過信してラガビエンタに入ったハジムラドにも過失はあっただろうが、場を用意しボロボロにした張本人に助けたお礼を──というのもおかしな話。
故意に起こされた事故の原因になった人に助けてもらってお礼を言う──くらい、微妙な気持ちだ。
約束を交わしはしたが、これは言わないほうが正解なのではないかと、この件に関してはスルーすることに決めた。
その後、陽子にレティコルの情報を求めるが「なにそれ?」状態。
玉藻もそれに関しては分からなかったようで、結局ジャングルに再び踏み出し再捜索を開始した。
けれど多少他の場所とは違ったが、もうあの悪夢と評された『ラガビエンタ』ではない。
結局、何の苦労もすることなく、実に15分程度でレティコルを数体確保することに成功してしまうのであった。
「なんかほんと……、無駄に苦労した気がしてきたな……」
「あはは……。私も……」
次話は金曜更新です。