第128話 悪夢のジャングル
ハジムラド・グルチコフ。
彼は生まれた頃から神童としてもてはやされ、それは成長しても評価が変わらないほどに優秀なまま成長を遂げた。
そんな彼はもっと大きな世界を見たいと、妖精郷から妖精大陸に出て他種族との接し方を学び、さらに外の大陸を渡り歩く冒険者となった。
そうして冒険者になった後もその才能は衰えることを知らず、さらに実力を上げていったすえに、彼は数少ない高ランク冒険者となって数百年前に妖精大陸に戻ってきた。
これまで築いてきた功績から自信と気力に満ち溢れており、新たな冒険を探しに帰ってきたのだ。
そんなときに彼はレティコルという魔物の存在を耳にした。
至上の美味しさとされ、食べたものは感動して涙を流すとまで言われている非常に珍しい魔物。
生息している場所は、危険とされているジャングル──『ラガビエンタ』。
妖精大陸に帰ってくるまでにさまざまな危険だと言われてきた場所を踏破してきた彼は、レティコルを捕獲しその味を確かめてやろうではないかとすぐに行動を開始した。
当時も規制は厳しかったが、当時のラガビエンタ管理機関長の性格もあってか今ほどではなかった。
また高ランク冒険者だったことに加え妖精郷や妖精大陸で暮らしていた頃のコネクションもあったので、それらを駆使し妖精大陸を出た後に結成したパーティメンバー全員での探索許可をもぎ取ることに成功した。
総勢22人。ハジムラドが心から信頼し、世界屈指のチームだと胸を張って言える最高のパーティだった。
この仲間たちさえ共にいれば、何があろうと切り抜けられると信じて疑わなかった。
「ですが結果から言ってしまうと、生き残ったのは私ただ1人だけでした」
「1人……ですか」」
「ええ、様々な種族で構成され、それぞれが特殊な技能を持つまさに精鋭集団だったと今でも思っています。
そんな彼ら、彼女らが、目の前で1人また1人と脱落していく姿を、私は今でも夢に見ます」
表情豊かだとはお世辞にも言えなかった彼の顔から、さらに感情が抜け落ちたように竜郎たちは感じた。
ハジムラドはそのまま、今も昨日のことのように思い出すことができる数百年も前の出来事をぽつりぽつりと語りはじめる。
「最初に異常を感じたのは狼系の獣人、イニィーゴという男でした──」
探索を開始して半刻も経たぬ頃。イニィーゴは周囲の臭いがおかしいことに気が付いた。
彼はパーティ随一の嗅覚の持ち主で、スキルなどの影響もあってその範囲も能力も解魔法使いにも負けないほどのものだった。
そんな彼が、十数メートル先までしか嗅ぎ取れないと言い出したのだ。
だが目の前に広がるのは、どこまでも奥へと伸びていそうな広大なジャングル。さえぎる物一つないのに、それはおかしい。
実際に嗅ぎ取れないと言っていた位置までくれば、そこを起点にしてまた十数メートル先まで嗅ぎ取れるのだから、その場所に臭いがないということもなかったのだから。
それでも近くに来れば魔物の存在には気が付けるし、多少危険が増しはするものの探索できないほどでもないと、より警戒しながら進んでいった。
次に異常を訴えてきたのは魔法使いでエルフの女性。
植物の魔法使いとして非常に優秀で、スキルポイントにも余裕があったことから彼女はマップ機能を取得していた。
竜郎のように最後まで拡張していなくても、普通にただの地図としてなら有能で、このジャングルのマップもちゃんと表示されていた──はずだった。
なのに、そこに表示されている道と今歩いている道がまったく合わないのだ。
それは歩けば歩くほどに顕著になってきて、まだ1時間ほどしか探索していないというのに、ここで引き返そうということになった。
個人の能力が制限されるのなら、まだ分かる。
何かしらそれを阻害するようなものがある、もしくはいるのだろうと思っていた。
けれどマップ機能は神々が創造したシステムを使ったもの。それが狂うなどありえない。
方向感覚が狂うとか、そういう問題ですらない。
幸い神経質なほどに警戒しながら進んできたので、進行速度は遅かった。
探索時間も短かったので、引き返せばすぐにジャングルから出られるであろう位置。
ここは焦らず戻って、さらなる情報収集と態勢を整えたうえで、挑戦するかどうか改めて決めてもいいだろうと判断したからだ。
そうと決まれば早い。不気味なジャングルから撤退だと、来た道を戻っていこうとしたのだが──それはもうできなかった。
「できなかった? ちょっと戻るだけって話じゃなかった? ハジムラドさん」
「我々もそのつもりでしたよ、アイさん。けれど間違いなく来た道に向かって移動していたはずなのに、その先は違う道だったんです。
まるでパズルのピースが取り換えられたかのように……」
別にジャングルから平原に──などという仰天な違いはない。戻った先もここまでの道中にあったジャングルだ。
最初は少し覚え違いをしているだけかと誰もが思うほどの違い程度。
けれどどう考えても木々や蔦、落ちている葉っぱや枝の形などが見覚えのない位置に存在していた。
さらに残してきたはずの目印もどこにもない。それはもう別の道になったとしか言いようがなかった。
『ハジムラドさんとこの皆が、とんでもない方向音痴だった──って落ちはないかなぁ』
さすがに故人を馬鹿にしていると思われては困るので、愛衣がそのようなことを竜郎たちに念話で話しかけてきた。
『それは流石にないと思うな♪ 高ランク冒険者になれる人が、たった1時間程度歩き回っただけのジャングルから、帰れなくなるなんてありえないよ、きっと』
『俺もフローラの意見に賛成かな』
『ヒヒーーン』
ジャンヌも同意の意を示す。
『だよねぇ……。どういうことなんだろ』
違う道と分かっても、周辺を探索すればするほどに頭の中の地図がぐちゃぐちゃになっていく。
仕方なく来た方角をまっすぐ突っ切ってもみたのだが、2時間、3時間歩いてもラガビエンタの出口にはたどり着けない。
どちらに行こうともこれまで通った道に出ることはなく、前後左右どちらに進みなおそうとも新しい道にしかでない。
高ランク冒険者の意地もあり誰もがパニックになることはなかったが、内心では不安な心を少なからず抱いていたことだろう。
「けれど、それでも最初の1日はまだよかったのだと知ることになります」
「と、いいますと?」
「あのジャングルは日が昇るたびに、どんどんと劣悪な環境に変化していくんです」
いってもそこはジャングルだ。植物も生い茂り、川だってある。川があるなら、当然そこで暮らす魚もいる。
もってきた食料を消費することもなく腹を満たすこともできたので、餓死する心配だけはなかった。
サバイバル生活とてお手の物なのだから、何年だってここで生き抜いて見せる自信はあったのだ。
けれど1日、また1日と日が昇るたび、ジャングルの植物、川、魚、出現する魔物たちなどなど。
それら全てが毒やさまざまな理由で食べることができなくなっていき、環境も最終的にはサウナのような高温多湿な場所になり、立っているだけで体力を奪っていく。
突然のスコールも当たり前で、ぬかるんだ地面に足を取られた一瞬に魔物が飛び出し命を奪われることもあった。
仲間の死体が残れば、それを食い漁って飢えをしのぐことすらしなければならなかった。
そしてなにより、それだけ辛い思いをしているのに帰る道筋が一切見えず、夢も希望もない世界。
心身ともにボロボロに甚振られ、心が折れたものから死んでいく。
「あれはもう、地獄としか言いようがない場所でした。
私は妖精という種族であったから魔力の維持さえできれば食べなくとも飢え死ぬことはなかったですが、それでも休まることのない状況に疲弊していってしまいました。
そして最後の1人が無残に魔物に食い荒らされる光景から目をそらし、惨めったらしく逃げおおせた私も死と生のはざまを揺れる、か細い存在に変わり果てていったのです」
だがそれでもハジムラドは生きることを諦めず、方角も分からないままに、どこに向かっているのかも分からないままに、ただひたすらに生還を目指して這いずり回った。
「自分でも無我夢中で、どう進んだかなど一切覚えていません。
けれどそう──そこは美しい場所だったような気がします」
「えっと……それはどういう意味ですか?」
突然の話の切り替わりについていけず、竜郎が思わず聞き返してしまう。
「何度も言っているように、あのときの私はもはや正気ではありませんでした。そこを念頭に置いておいてください。
記憶もほとんどないと言っていいでしょう。けれど最後に行きついた場所だけは、なんとなく覚えている気がするのです」
無我夢中で進んでいった先に、まるで妖精郷に帰ったかのような安らかな風、美しい緑の植物たち、さえずる小鳥の声、澄み切った湖やそこを泳ぐ丸々と太った魚たち。
そんな夢のような安らかな世界に、なんの前触れもなく入り込んだのだ。
今までのジャングルが嘘だったかのような場所に……。
「そこで私は見た……はずなんです。黒い少女を」
「そして、その黒い少女に助けられたと?」
「おそらく……なにか話した? いや、話しかけられたような気がするのですが、それに返事をしたような気もしますし、してない気もします。
ただ最後に少女が嬉しそうに笑った? ように感じた? 瞬間に、私の記憶は完全に途絶えています。
あとはもう、ラガビエンタの外でボロボロになって倒れている私が救護院に搬送され、そこで目が覚めるまで一切なにも覚えていません」
精神的に疲れたのか、ハジムラドは長く息を吐きだすと、そっと机の上に置いてあった冷めたお茶をグイっと飲み干した。
「ではラガビエンタから出た後、救護院で目が覚めた後に、その黒い少女らしき存在と接触した、目撃した──などということはありませんでしたか?」
「ない……と思います。他の生還者が似たような話をしていたということを知って、ようやくあれが幻ではなかったのかもしれないと思えたくらいでしたからね。
たとえ彼女のほうから接触されても、気が付かなかっただけ……というのは十分あり得るのかもしれませんが」
「そうですか……」
たしかにここまでの話を聞く限り、ラガビエンタの異常性は明らかだ。
特殊な力場といえば、アムネリ大森林という竜郎と愛衣がこの世界に落ちてきたときにいた場所が思い浮かぶが、そことも随分と違う謎の環境。
それだけになにかそこで、まずいことが起きているのではないかと不安になってくる。
(まてよ? もしやなにか起こっているからこそ、あの変わった結界のようなものを張っている……?)
立ち入りを禁じるだけなら、もっと強固なものが妖精たちの技術をもってすればできるはずだ。
であるのにかかわらず、出入りの制限とは違うベクトルの結界を張っていたことを竜郎は思い出した。
「あの、実は軽くラガビエンタの結界を調べてしまったのですが、あれはただの結界ではありませんよね?
どんな効果があるのか、教えてもらうことはできませんか?」
「まあ、実力者なら気が付くことですよね……。それ自体を責めるつもりもありませんし、不用意に干渉しなかったのなら問題ありません。
それにあなたたちになら、効果を話して大丈夫でしょう」
ちらりと同意を求めるようにハジムラドが、ここまで竜郎たちを案内していくれたハッサンに視線を向けると、彼は小さくこくりと頷いた。
それに小さく頷き返すと、ハジムラドは改めて竜郎たちに向き直る。
「あれは人の出入りを禁ずる効果もあることにはありますが、あくまでオマケ程度でそこまでの効果はありません。そこまで分かっていますよね?」
「はい」
「実はあの結界の真の目的は、ラガビエンタが広がるのを抑えることなのです」
「広がりを抑える? ってことは、ほっとくとあのジャングルはどんどん広がってっちゃうってこと?」
「その通りです」
この機関はラガビエンタの研究も行っているのだが、年間8~10センチほどラガビエンタが広くなっていることに気が付いた。
その程度なら別にいいじゃないかと思うものもいるかもしれないが、妖精たちは他の種族よりもずっと寿命が長い。
存在が精神体に近いだけあって、そこいらの上位エルフよりも長く生きることもある。
ただ大切な何かを失うなど精神に非常に強い負荷がかかると、体に傷がなくても死んでしまうこともあるという変わった特性はあるが、それでも時間の感じ方が他よりも遅い。
年間10センチなら、千年で100メートル。1万年で1キロメートルにもなってしまう。
そのときに自分も生きているかもしれないし、自分の子たちの世代にはもっと侵攻していることだろう。
とてもではないが、放っておけるようなしろものではない。
そこで特殊な結界を生み出し、ラガビエンタを外から押さえつけることで、逆に年間0.1ミリ程度縮小させられるように成功したのだとか。
ただ縮小効果はあと1メートルも縮めば、拮抗してなくなるだろうとも予測されているらしいが。
「なるほど……あれは侵攻を抑え、さらに縮小を促す効果まであると、そういうことですか」
「はい。非常に繊細なものでもありますので、間違ってもむやみに干渉しないようお願いいたします」
「それはもちろんです」
そもそも竜郎たちがそんなことをするとも思っていなかったのか、ハジムラドは形式的にお礼を言った。
「では、お分かりになっていただけたということですし、この話はもうお終いにいたしましょう。
このあたりにも有名な観光地はありますし、珍しいものというのなら、なにもラガビエンタでなくても思い当たるところがありますので、そちらをお教え──」
「──待ってください。まだ話は終わっていませんよ。僕らはあなたの話を聞いたうえで、行くことを希望します」
「馬鹿なっ!? なぜ分かっていただけないのです!
あなたたちが憎くて、こんなことを言っているわけではないのですよ!」
それは心から、こちらを心配してくれている人の顔だった。
「別に僕らが入るくらいなら、結界に影響はありませんよね?」
「それは……そうですが……。し、しかしっ、絶対に入ることは認められません!」
もう自分と同じような犠牲者は出したくないと、本気で思ってくれているのだろう。
だからこそ、よけいに意固地になって通してくれはしないように竜郎は感じた。
彼の思いやりを踏みにじるようで少し悪い気もしたが、竜郎はここで奥の手を出すことにするのであった。
「ならば仕方がありません。こちらも最終手段を取らせていただきます」
「い、いったいなにを──」
次話は日曜更新です。