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プロローグ(終わり)

  1(終) 童貞、死ぬ。


 寺田耕哉という男性は、取り立てて特徴の無い日本人だ。

 見た目はやせ型で、丸顔。物持ちが良いので、高校生になっても、小学生の頃に買った似合わない眼鏡をまだつけていた。

 性格は温厚で、口下手で、人付き合いよりも、機械やパソコンや、細かい作業に手を動かすのが好きだ。友達は特に仲の良い二人を中心に数名だけ。その中に女性はおらず、彼自身、異性に話しかけるのは最も苦手とするところであり、当然ーー童貞だ。

 家庭には母親と姉。父方の祖母と、飼い犬がいる、単身赴任中の父が居ないので、家族の中ただ一人の男性として、肩身の狭い思いをしている。模型や機械工作好きな彼が趣味から日々生み出すものは、女性たちにとっては処分に困る面倒なゴミでしかなく、また思春期の青臭さも同様であり、彼は次第に家に居ずらくなっていった。

 ーー帰りたかった。

 父が居て、祖父がまだ存命の頃は、沢山の人が祖父か父に会いに来て、客足の途絶えない賑やかな家だった。姉も祖母もやさしく、彼を邪険になどしなかった。それが今では火が消えたように重苦しい。空気が圧し掛かってくる。先日など、姉の進学のことで、何の関係もないのに強くあたられた。

 「あんたはウチのお金では大学にやれないからね」

 彼の不愛想で興味なさげな返事が気に入らなかったのか、母親は唐突にそんな言葉を彼に投げかけた。母の日にすれば軽い腹いせだったのだろうが、彼は、工業系の高校に行き、好きな勉強をして、早く社会人になりたかったところを、母の意向で今の普通科校に入れられたので、裏切られたように感じた。

 帰りたかった。彼はすべてに嫌気がさしていた。

 高校では野球部に所属していた。特に上手い訳でも無いのだが、単純に友人と野球をするのが好きだった。

 日野武史は彼の二人居る幼馴染の一人で、体が大きく、バッターの才能があった。才能があると耕哉が言うと、武史は謙遜して「耕哉みたいに足が速く無いからなぁ」と頭を掻いた。週末になるとキャッチボールがてら良く相談に乗ってくれていた。ちなみにもう一人の幼馴染は頭が良く、県外の進学校へ入学してしまった為、入学以来あまり会っていない。

 その日も当然のように耕哉は彼に、一緒に帰ろうと声をかけた。しかし、そうはならなかった。

 「悪いコウヤ。俺、バイト始めたんだ」

 彼の家は片親で、耕哉の家よりも家計が厳しい。

 「バイト!?凄いな。高校生みたいじゃないか」

 「馬鹿。高校生だろ俺たち」

 高校生がアルバイトをするなんて漫画やドラマの中だけだと思っていた耕哉は軽く衝撃を受け、薄暗い帰り道に消えていく親友を見送ると、世界にただ一人取り残されたような気持ちになった。


 その日。

 帰りたくなかった。

 その日。


 何年経っても、ありありと思い描くことが出来る一日というのが、誰の心の中にでもあるだろう。きっとそういう日......じっとりとした6月末の、雨なのか曇りなのかはっきりしない、そのくせ気温だけ無駄に高くて、その熱は籠ったままで......

 だから何もしなくても、シャツが肌に貼りつく。気持ち悪い。

 練習に疲れて、ぼぅっとしていたのだろう。ふと気が付くと自分が乗る筈だったバスが去っていくのが見える。しまった。テールランプは無情にもカーブの向こうへ消えた。


 すると、それと同時に、世界の照明が消えた。

 

 足元さえ見えない。何もかもが見えない。不自然な暗闇に包まれた。

 だというのに、何故かコウヤの心は落ち着いていた。

 乗る筈だったバスを見送って。どうするつもりだったのか。今でも良く分からない。今思えば、その時はまだ引き返せた。

 なのに、何かに誘われるように、いや、何か不思議な力に誘われて、歩きだした。頭ではおかしいと解っているのに、言い知れぬ不安が警告の声を張り上げるのに、じっとりとした闇がその口を塞いでしまう。一体足元も見えないのに何処へ歩こうとしたのか。一体、どうやって歩いたのかーー

 歩いた

 歩いた

 歩いた

 景色の喪失した街を......そしてふと、我に帰る......

 気が付くと東の空が白み、夜は終わろうとしていた。それを見て、不思議な気持ちになる。体感的にはまだ、夜明けには程遠いはずなのだが......

 「......」

 振り返る。という選択肢が頭を掠めーー

 立ち止まる。

 しかし、首はピクリとも動かない。

 警報が鳴っている。

 それは頭蓋の内に反響して五月蠅く、致命的なエラーを告げている。だから首が動かない。動かしてはならない。

 解っている。確信している。

 振り向けば、まだ尽きぬ暗闇が、遠い夜明けに続いているのだろう。それを見てしまうのが、怖い。そして見てしまったら、もう、何処へも帰れない気がする。

 あのひたすら広大な暗闇を、何にも導かれることなく、永遠に彷徨うとしたら……

 確信に満ちた妄想が、前へ前へと足を進めた。もう帰れない道を、もう帰れないことを知りながら歩いた。

 気が付くと彼は、見知らぬ街に居た。

 煉瓦が、何処までもどこまでも続く、迷路のような街――何処か懐かしい街。

 しかしそんな街は、この世界の何処にもない。

 その街はルべリア。

 日本では無く、その他の地球上のどの国でもない。

 ーーその世界はまだ、特定の名前を持たない。あえて言えばそれは『世界』であり、そうでなければ8つの大陸名がそれにあたり、国、宗教毎にそれぞれつけた名前がある。ルべリアにおいてそれは、カレルという国。シラートという大陸であり、カルド盤と呼ばれ広く認識される構造をもつーー

 ーーつまり、異世界だ。

 異世界。ここではないどこか。

 それが一つ目の彼への罰だった。

 彼は彷徨い、程なく好機の目にさらされ、捕らえられる。

 カレルはおとぎ話のエルフに似た美しい人たちの住む国で、コウヤは、人間だとは思われなかったのだ。

 人のような何か。

 加えてこの世界には、ロールプレイングゲームのように、モンスターと呼ばれる猛獣が存在し、一部のモンスターは低い個体生存力と引き換えに強力な繁殖能力を備えており、高い確率ではないが、遺伝情報のかなり異なるこの世界の人間との交配すら可能であった。

 これをオークやコボルトと呼び、モンスターとして忌避するのは、この世界においても自らを万物の霊長とのたまう人間文化において自然な流れである。

 コウヤは捕らえられ、首輪をつけられ、コボルトとして捕獲された。この世界に、モンスターに服を着せる習慣は無かったので、誰か変態趣味の貴族の所有物ではないか?という勘繰りをするものも居たが、その声は小さかった。それよりも、野生のモンスターが人を襲って手に入れた可能性が高い。すると、彼はすぐに服を取り上げられ、人間を殺した化け物として、殺されることになった。

 人間の処刑ではないのだが、娯楽の少ないこの世界では、獣を殺すのも貴重な祭りごとだ。彼は処分される日までをモンスター用の鉄の檻の中で過ごした。といっても、それは3日間でしかない。食べ物や水を与えることをしないので、それ以上置いておくことはあまり無いのだ。空腹に弱ったモンスターを人間のそれとは別に用意された処刑台のに吊り下げ、街の人々に与えられた棒やナイフで、死なないように傷つけていくのが、一番盛り上がるイベントだった。

 彼も、壇上で老若男女問わず、意味のわからない罵声を浴びながら叩かれ、切り刻まれ、血を吐きながら悲鳴を上げ、身をよじり、許しを請い、絶望に塗り染められた。

 その身体に、街で一番の巨躯を持つ男が最後の一撃を与えてこの祭りは終わる。男にしか扱えない巨大な刃。男であっても一振り、二振りが限界という、鉄の塊。それが横なぎにモンスターの上半身と下半身を切り離す瞬間を、街の全ての人が願った。

 その時、空から一匹の飛竜が舞い降りなければ、コウヤはこの時に、誰一人彼を知ることの無いこの街で死んでいた。飛竜は彼を咥え、飛び立った。

 ルべリアから遥か西。ルべリアから商船で10日。そこからさらに馬車で二週間という距離に、カレルの首都、神国アベニスがある。飛竜はこの地に城を構えるカレルの国王が『勇者』を選出する為に様々な奇跡を用いて生み出させたものであり、その飛竜が連れて来たということは、つまり『勇者』であることを意味した。

 だが、連れて来たのは死にかけのコボルト一匹。王は激怒し、この飛竜に奇跡を施した40名もの神官を追放した。コウヤも殺されるところだったが、この飛竜『ウリクル』と、当時の神官長の直弟子イリアスによって護られる。イリアスは逃亡中に死亡。ウリクルと旅をしている途中、隣国ボルキアの選出した勇者『クレス』の一行に保護される。

 『世界の敵』『魔王』様々な呼び名があるが、クレス一行はそれを打倒すべく旅を続け、そしてとうとう、奇跡の飛竜ウリクルの犠牲を経て、魔王の軍勢をせん滅。その居城へ乗り込んだ。星をも砕く魔王との戦いは熾烈を極め、仲間達は次々と倒れていった。

 黒騎士オルデンバーグ、魔宰相キリストとの闘いで勇者クレスすら崩れ落ち、最後に残ったのは、コウヤだけだ。

 魔王との闘い。その呼吸が大気を震わせ、身じろぎが天候を揺さぶり、手を振れば竜巻が起こり、一歩踏み出せば国がつぶれ、一撃が万軍を屠り、その声は神をも怯えさせる魔王との闘いは、果たしてーー互角であった。三日三晩休みなく続いた攻防において、コウヤの槍は魔王の一撃を悉く弾き、傷つきながらも一歩一歩その巨体に近づいていく。鎧が砕け、槍が砕け、身体を魔王の呪いに焼かれながらもその歩みは止まらず、とうとう、魔王の身体を貫いた。

 しかし代償は大きく、身体の火傷は耐えることの無い痛みと恐怖となって彼を苛み、魔王を貫いた腕は腐って落ちた。その死に際を目の当たりにした眼球も呪われ、あまりの痛みにその場で取り出してしまいそうになるほどだ。

 コウヤは瀕死だった。

 倒れたコウヤに、後から勇者の一行が追いついた。彼らは三日の内に装備を整え、兵を率いてやってきたが、魔王は既に死んでいた。クレスはコウヤを連れて国に戻った。

 戻ったコウヤを国はなんとしても秘匿しなければならなかった。

 幸い、コウヤも百を超える呪いに苛まれ「殺してくれ」と繰り返している。

 処刑が密やかに行われたのも幸いだった。というのも、失敗したのだ。

 勇者の神剣イスカンダルによる絶技『終末』をもってしても、大陸最強の神官エレボラーニの放つ極大の雷光『神罰』をもってしても、その肌には傷一つつけることが出来なかった。

 恐怖した王はコウヤを次元の狭間に封印しようと考えたが、彼は牢から忽然と姿を消した。

 コウヤを連れ出すよう命じたのは夜魔の王女カレンディア。元は魔王軍に仕えていたが、今は人間の欲望に取り入ってなんとか一族の存在を留めている、狡猾な夜魔達をまとめ上げる夜の支配者。

 変化、夢魔術、幻術、読心術。かの種族は人間を手玉に取るのに酷く特化していた。魔族の間では「人間使い」などとも呼ばれる種族。その最も特異な能力が、吸魔術。それこそ、夜魔を、夜魔たらしめる力。

 魔力を生み出すもの、それ自体を奪うことのできる、法外の力。

 それをもって、魔王すら滅ぼす勇者の魔力を......

 手を貸したのはすっかり魔力を吸われて夜魔の虜となった勇者クレスと、同じく、共に魔王城へ挑み、英雄となった光王バルケル。

 王女は彼らの情報と協力を元に牢獄への侵入ルートを選定。

 精鋭を送り込んだ。そして、コウヤは夜魔達と出会う。

 ーー彼の身を覆い尽くすのは、世界中の草木を枯らし、大海全てを毒沼に変えて余りある呪詛と、弱りきってなおその呪詛と拮抗するほどの、魔力。

 彼の強大な魔力は、死んだ魔王を含め、どのような魔族よりも大きいのだ。

 その身に僅かでも魔を帯びたものであれば、近づいただけで、絶望を感じずにはいられない。同じ空気を吸った瞬間、肌に触れた瞬間、その体験はそのままトラウマとなる。

 存在そのものが呪い。

 超常の化け物を前に夜魔達は、龍の寝床に入り込んだ幼い少女のように生きること全てを諦めた。連れ帰るという王女の命令など、一瞬で消し飛んだ。

 と、同時に、彼女達の中に一つの疑問が生まれる。

 これほどの、身じろぎ一つで国を粉微塵に吹き飛ばしかねない化け物が、檻に大人しく留まっているのは何故なのだろう。

 そんな疑問。そして、そこに付け入る隙がある。という、確信。


 ーー果たしてそれは当たった。

 この世界に忌み嫌われ、最初から最後まで人として扱われることのなかった彼の精神は、長くを共にした飛竜の絶命と共に、こわれてしまったのだ。

 孤独、そしてーー帰りたいーーという願いが、その心を支配していた。

 そして、そんな孤独へ付け入ることは、夜魔達にとっては、最も得意な分野であった。彼の身を苛む呪いの苦しみを労り、彼を人として扱い、尽くし、愛を与え、育み、人々の営みの中に心安らげる居場所をあたえ、友を与え、親を与え、恋人を与え......そうやって身の回り全てを嘘偽りで塗りかためてメクラにしてしまうことなど、赤子の手を捻るより簡単なことだった。

 結局コウヤはすべての魔力を彼女らに貢いでも、自分の居場所はなくならないと疑いもしなかった。そして最後はあっけなく......消え去った。

 彼の魔力は全ての夜魔に与えられ、その勢力は瞬く間に世界を覆い尽くし、この世界にはじめて、魔王すらなし得なかった、全世界統一国家が建国された。

 当然、その国では、『人間』は食料に過ぎず、家畜として飼育されることになった......

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