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募る思い、さよなら……

 『何言ってるの、僕はここに居るじゃないか?』


 笑顔を作ろうと思ったけれど、どうしても顔が引きつってしまった。

 冗談にしては性質たちが悪いじゃないか?


 『ほら、もういいだろう?』


 けれど、返事はない。


 『本当に僕がえてないの?』


 彼女は僕のいる方とは逆を向いて、近くにやってきた友達と談笑を始める。

 君を中心に盛り上がる会話。やっぱり君は、明るくて楽しい人だよ。その雰囲気が、僕は大好きだよ。

 でも。

 君の創り出すその世界に、僕はいない。


 始業のチャイムが鳴り響き、彼女たちは解散する。


 担任教師が入って来ていつものようにホームルームを始めた。

 さっきは友人がいたから答えられなかっただけかもしれない。きっと今なら。


 『良かったね、友達ができて』


 少女は教壇に立つ人物に視線を向けたまま、机の上の文字に気が付く様子はない。

 僕はその視線を塞ぐように立ち位置を変えると机を指さす。

 それなのに、彼女は邪魔そうな顔をするどころか、眉一つ動かさない。

 これじゃ、まるで……本当に、僕のことが……。


 『今日はどうしたの?何かあった?』


 すがるような気持ちで文字をつづる。


 『人に言えないようなことでも、僕なら相談に乗れるよ』


 ホームルームが終わって授業に入っても、彼女がこちらを見てくれることはない。

 前に書いた文字を消すのも忘れて立て続けに台詞セリフを刻む。


 『そうだ、またどこかに遊びに行こうよ』『どこが良いかな?君が好きなところに行こう』『試験のことで悩んでるの?』『もう少しで期末だもんね』『また誰かにいじめられてるの?』


 ………………………………。


 どれだけ言葉を並べても、文字が机を真っ黒に染め上げても、彼女は答えてくれない。


 『ねぇ。僕の事、嫌いになっちゃった?』


 何でもいい。「鬱陶しい」でも、「もう来ないで」でも。なんでもいいから。

 ねぇ……答えてよ……。


 結局、一言も言葉を交わさないまま放課後になった。

 帰宅時もあの子は人に囲まれていた。どうしようもないと分かっていて、僕はついて行った。

 友達と別れて、一人になったところで、声を掛けようと思った。文字は視えなくても、空気を震わせて音を伝えれば聞こえるはずだ。存在をすり減らしても良い。たとえここで消えても、最期に彼女に伝えられるなら。

 意を決して、口を開く。


 「ッ……!」


 言葉は出なかった。

 この時ほど、声を出す練習をしてこなかったことを後悔したことはない。こんなにも言葉を伝えたい人が、伝えたいことが出来るなんて…………。

 時間はたっぷりあったのに、どうして伝えなかったんだろう。たった二文字。彼女を困らせても、彼女に嫌われても、ちゃんと伝えておくべきだったんだ。実体のないこの胸が、張り裂けそうなほどの想いを。

 今の僕には、もう。

 横断歩道を渡っていく少女の後ろ姿を、ただ見送ることしかできない。


  *


 また、別の日。彼女に僕が視えなくなって、幾ばくかの月日が過ぎた。

 余計に辛くなるだけだって分かってる。分かってるのに。

 やっぱり今日も帰宅する彼女の後を追ってしまった。

 今日は友達と一緒ではないらしい。彼女は一人校門へと向かう。

 そこに立っていた男子生徒に手を振って、


 「ごめん、ちょっとホームルーム長引いちゃって」

 「大丈夫だよ」


 彼女はその男の横に並ぶと、一緒に歩き出した。

 肩を並べて歩く二人。少女は本当に楽しそうに、今日あったことやこれからのことを話していた。


 そっか。君にも、好きな人が出来たんだね。


 喜ぶべきことのはずだ。暗い顔をしていることが多かった彼女が、こうして笑っているんだから。いじめられっ子だった少女が、立派に青春を謳歌しているんだから。僕はあの子の笑顔が大好きで、彼女が幸せであることが、僕の幸せなんだから。

 その、はずなのに。

 どうしてかな?こんなに胸が痛むのは、どうしてなのかな?

 彼女の隣を歩く少年のことが羨ましくて。その笑顔を向けられているのが僕じゃないことが苦しくて。

 君の隣に居られないことが、こんなにも切ないなんて。


 「じゃあね」

 「うん、また明日」


 二人は別れ、それぞれの帰路に就く。

 僕はまだ、彼女の後ろをついて歩いた。

 君は僕に、本当に色んな事を教えてくれたよね?人間が抱く感情。寂しさも怒りも嬉しい気持ちも。誰かと一緒に居ることの楽しさも。恋も。

 独りになるのがこんなに怖いなんて、知らなかったよ。

 そんな君が、もう僕を視ることはないんだね。その笑顔を僕に向けることはないんだね。

 だったら。

 君の隣に居られないなら。


 気付けば、僕の右手にはナイフが握られている。

 力を使えばきっと彼女を殺すこともできる。彼女を殺して、僕も消えよう。

 そしたらきっとまた、天国で会えるよね?


 彼女が横断歩道に差し掛かったところで、僕は駆け出す。

 光る切っ先を少女の体に向けて。

 と。

 視界の端に入った赤信号。渡っている途中で信号が変わったことに、彼女は気付いていないようだ。

 更に悪いことに、その交差点には猛スピードでトラックが近づいている。


 そう。初めからわかってた。彼女を殺したところで、僕はその『天国』になんて行けっこないことも。君も、僕も、そんな事望んじゃいないことも。

 僕が君を死なせるなんて出来やしないことも。


 考えるより先に、僕は迫る車体の前に飛び出していた。

 鳴り響くクラクション。横断歩道手前で地面を削りながら空回りをするタイヤ。抑えていられるのはせいぜい2、3秒だろう。

 音に驚いた彼女は急いで横断歩道を渡り切った。

 力を使い果たした僕をすり抜けてトラックが通過する。数メートル先で停車して、ドライバーが窓から顔を出す。


 「大丈夫かい、お嬢ちゃん!?」

 「は、はい。大丈夫です」

 「そうか。気ぃ付けな!」


 安堵したように言ってから車は走り去っていった。

 いつもの平穏を取り戻した道路。彼女は一人、虚空へと語り掛ける。


 「そこに、いるの?」


 彼女が取り出したスマホに、ダメ元で文字を浮かび上がらせる。


 『うん』


 今度は、視えてるみたいだ。


 「今、トラックを止めてくれたのって……?」

 『君が無事で良かった』


 顔を上げた彼女と、目が合った。


 「今まで、どこにいたの?」

 『ずっと傍にいたよ』


 その言葉に、彼女は驚きの表情を浮かべる。


 『でももう、駄目みたいだ』

 「そん、な。ごめん、私、あなたの事…視えてなかった」

 『これで良いんだよ。今の君には、現世に沢山の大切なものがある。君にとって僕が必要でなくなったなら、それが一番さ』


 浮かんでは消える文字を眺めて彼女は目に涙を浮かべる。

 彼女の目尻に伸ばした僕の指は、その頬をすり抜ける。


 『泣かないでよ。僕は君の……』


 今度こそ、ちゃんと言おうと思ったんだけどな。


 『君の、笑った顔が好きなんだ。だから、笑顔で見送ってよ』


 最期の最期まで、とんだ弱虫だな。僕は。

 意識が遠のく。


 「もう、行っちゃうんだね」


 彼女は溢れそうになる雫を拭う。


 『大丈夫。言ったでしょ?僕はいなくならない。……きっとまた、会えるよ』

 「うん……」

 『それじゃあね』


 良かった。最後に最高の笑顔を心に刻むことが出来た。



 「本当に、ありがとう。さよなら」



 さようなら。元気でね。


 僕の意識は、綺麗な光の中へ溶けて消えた。


  *


 少女の人生を変えた幽霊がいなくなって、何度か季節がめぐった。

 彼女の高校生活も今日が最後。

 卒業式を終えていつものように帰路に就く。


 「この道を下校するのも、今日が最後かぁ」


 しみじみと呟いて、横断歩道を渡る。渡り切った先で手にした一凛の花を歩行者用信号機の隣辺りにそっと置く。


 「あなたのおかげで、楽しい高校生活だったよ」


 腰を下ろし、手を合わせると呟くように言った。

 顔を上げた少女は、目の前にあるガードレールに、


 『ありがとう』


 そんな文字を見たような気がした。

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