出会い、そして……
僕は、恋をした。
それは、決して許されない恋。
それは、決して叶うはずのない恋。
分かってはいたんだ。
分かってはいるんだ。
けれど、どうしようもなく、抗いようもなく、一目惚れだった。
好きになってしまったから。
だって彼女が、僕を見つけてくれたから。
*
「……あの。何か、探してるんですか?」
彼女が僕にかけた最初の言葉は、そんな言葉だった。初めは、それが僕に向けられた物だとは思わなかった。
「あ、あの!聞こえてますか……?」
僕がこの部屋に来た時には誰もいなかった。ほかに人がいるんだろうか?
教室の窓から部活で賑わうグラウンドを見下ろしていた僕は、気になって声のする方を振り向く。
振り向いて、息を飲んだ。
彼女が、こちらを見ていた。間違いなく、目が合った。
「大丈夫、ですか?」
目の前の少女は心配そうな表情を浮かべて、押し黙ったままの僕に言葉を重ねた。
何か、言わなくては。
そう思って近くにあった机を指さす。
「?」
首を傾げながらも、彼女はその机の天板に目を移す。そこに、黒い文字が浮かび上がった。
『僕が、視えてるの?』
その文字を見て、
「え……っ?」
驚いた様子で口元を抑える。
まぁ、それはそうだろう。目の前には知らない男。そして机に浮かび上がる文字。これで平静でいられる方がむしろ異常だ。
僕だって初めて自分を視ることが出来る人間を前にして驚いているんだから。
「あなた、は」
こちらを見た彼女に対して頷いてから、視線を再び机に向ける。さっきの文字と入れ替わりに新しい台詞をそこに綴る。
『僕は、人間じゃない』
「幽霊、なの?」
『少し、違うかな』
理解できていない様子の少女に、僕は続ける。
『人間だったころは僕にはない。僕は生まれた時からこの状態だったんだ』
「死んだ人じゃ、ないの……?」
『うん。人に使われたものには多かれ少なかれ意思が宿るんだ。そして、捨てられた時にそれに宿った意志は行き場を失う。そんなものの集合体が、僕なんだと思う』
自分自身、誰かに説明を受けたことがあるわけではないから正確にはわからないのだけど、と付け足した。
「そう、なんだ……」
彼女は懸命に僕の言葉を咀嚼して理解しようと努めているらしい。
『とりあえず、幽霊みたいなものだと思ってくれればそれでいいよ』
難しい顔の彼女にそう伝えると、それで納得したのかしてないのか、彼女は話題を変えた。
「あなたは、喋れないの?」
『出来ないことはないけど、ちょっと疲れるんだよね』
僕みたいな存在が現実の世界に干渉するのは簡単なことじゃない。空気中に声を伝播させることも、物を持ち上げたりすることも不可能ではないが、存在をすり減らす。
それに僕は、声の出し方を知らない。当たり前と言えばそうだが、僕は生まれてこの方、人と話したことが無いんだから。
「『存在をすり減らす』……いつかは消えちゃうってこと?」
『少しくらいなら消費しても、回復するけどね。僕を形作るのは「捨てられたものに宿る意志」だから。物が捨て続けられる限り、僕が消えることはないと思うよ』
僕が産まれたのも、こんな大量生産大量廃棄の時代だからなのかもしれない。
「そうなんだ」
段々と僕の存在に慣れてきたらしい彼女に問う。
『僕が怖くないの?』
その言葉に、少し考えるような素振りを見せて、口を開く。
「うーん、どうかな。確かに、最初は色々びっくりしたけど、こうして話してみてきっとあなたは悪い人じゃないって思ったし。それに……」
言って、ふっと微笑んだ。
「えへへ、自分でもよくわからないや」
夕日を浴びて輝く彼女の笑顔が、僕にはひどく眩しく思えた。
*
それが、彼女と僕の出会いだった。
あの日以降、僕は彼女に会うために時々この教室に来るようになった。
生まれてからずっと、誰かに視られたことは無かった。僕の姿を視ることのできる人は一人もいなかった。
それなのに。
彼女は僕を見つけてくれた。
その瞬間、僕は恋に落ちていたんだ。
『おはよう』
朝の教室。席に着いた彼女に、僕は机を通して挨拶をする。この文字も僕の一部のようなもので、僕が視える人にしかこの文字も視えない。
「おはよう」
周りには聞こえない程度の声で言うと、彼女は僕の顔を見るとクスリと笑った。
こんなこと、恥ずかしくてとても言えやしないけど、僕は君のその笑った顔が大好きだ。
誰にも望まれず生まれて、誰にも気づかれないままに生きて、誰も知らないうちに消えていくんだと思っていた。僕が視える人が現れるなんて思いもしなかった。恋をする日が来るなんて予想もしていなかった。ここに居るだけで、好きな人がそこに居てくれるだけで、とても幸せだと感じられた。
『本当に、他の人には視えてないんだね』
授業中、ノートの端に彼女はそんなことを書いた。
ずっと彼女の隣に立っている僕に、注意を払う人は他にいない。
『そうだよ。現世の人には普通は視えないんだ』
『寂しくはない?』
記された文字に、僕は一瞬返答に困る。僕は人間の感情をあまり理解していない。
言われてみれば確かに僕は寂しかったのかもしれない。家族や友達が欲しかったのかもしれない。一緒に笑いあったり、切磋琢磨しあう仲間が欲しかったのかもしれない。あの日、僕が校庭を眺めていたのは『寂しかったから』なのかもしれない。
そうか、あれが『寂しい』と言う感情なのか。
意思を持ってからずっと胸の奥にわだかまっていた物の正体は、きっとそれだったんだ。
『寂しかった、のかもしれない』
机に映された言葉を見て、彼女は少し悲し気な表情を浮かべた。僕は続ける。
『でも、今は寂しくないよ』
「え?」
思わず、と言った感じで呟く。慌てて口を塞いで周りを窺う。彼女の様子に気付いた者はいないらしい。
『ごめんね、続けて』
促されて、さらに台詞を紡ぐ。
『今は、君がいてくれる。だから寂しくなんかないよ』
『そっか』
ノートの上にシャーペンを走らせて、こちらに目をやると、
「良かった」
小さく呟いて、ニッと笑った。
上目づかいで向けられた笑みに、ありもしない僕の心臓が跳ね上がる。
「……じゃあ、次の問題を」
教室の前に立つ教師の告げた名前に彼女が立ち上がる。
「あ、はい!」
「いや、立たなくていいから。……この問題の答えは?」
「え、ええっと」
「授業聞いてなかったのか?」
「はは、すみません」
「ったく、呆っとしてるんじゃない」
「……へへ」
「とりあえず座れ」
「はーい」
教室が軽く笑いに包まれる中、彼女は椅子に座る。
『ごめん。僕のせいで怒られちゃったね』
「てへっ」
彼女は僕の顔を見上げると、ペロッと舌を出してウィンクして見せた。
もちろん、そんな彼女の仕草に、今度もしっかりと心を鷲掴みにされてしまった。




