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雪明かりに花咲く(3)


 その後、応接室に戻ってきた兄のエドガーは、カインを遠乗りに誘った。出かけていく二人を見送った後、ロザリーは自分の部屋に戻って、ため息をついた。


「……私は、何を気にしているのかしら」


 自分でも、よく分からなかった。

 家族も、そして相手側の家も、皆この結婚を祝福してくれている。二人の結婚を阻もうとする恋敵のような存在もいない。ロザリーはこのまま流れに身を任せていれば、大好きな人と一緒になれるのだ。


 だけど、心は晴れない。

 ロザリーの心の中に、少しずつ、少しずつ、靄が沸き上がり、カインへの気持ちに影を落としていったのはいつからだったろうか。


 ◇


 数年前――ロザリーが十五くらいの時、カインと二人で、ファリス領の街を馬車で回ったことがある。

 これも嫁ぎ先を知る花嫁修業の一つだったが、ロザリーは心が浮き立っていた。数日前から、お気に入りの花柄のドレスを着るのだと決めて準備していた。


 ファリスは様々な品物が集まる、市場の街だ。自分達の住む街とは違う、洗練された街並み。お洒落な店がたくさん並び、広場では噴水が高く水を吹き上げている。ロザリーはわくわくしながら馬車の窓から外を眺めていた。

 それに何より、今日は憧れの人と一日一緒なのだ。

 

 それにしても人が多い。ロザリーはカインに尋ねた。


「今日は何かのお祭りでしょうか?」

「いいや?」

「そうなのですか? では、どうしてこんなに人が多いのでしょう」


 カインにとっては見知った風景で、いつもと変わらない街の様子だったから、軽く答えた。


「ああ、今の時間は市場をやっているから少し人出があるか。だが、これがいつも通りの街だ」

「まあ!」


 のどかな田舎街に住んでいるロザリーは素直に驚いた。確かに、ファリスの街には、そこに住む人々だけでなく、商売のために集まる人が多いため、昼間の人が多いことは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。

 そんな様子を、カインは微笑ましく思ったのか軽く笑う。途端にロザリーは恥ずかしくなり、慌ててすましてみせた。


 馬車が止まり、ロザリーはカインにエスコートされながら馬車を下りた。エスコートされる側の礼儀作法は、家庭教師によく教わっていたが、支えてくれる手に触れる時、顔が赤くなってしまっていないか、ロザリーは気になってしまう。

 そこに、ファリス家の家紋の描かれた馬車と、カインを見つけた領民の男性が挨拶に来た。


「カイン様。ご無沙汰しております」

「トューダーか、久しいな。店の方はどうだ?」

「はい、お陰様で父から受け継いだ店もどうにか。おや、そちらのご令嬢は……」


 彼はロザリーに目を向ける。ロザリーはドレスの裾をつまんで礼をした。


「ロザリー、彼は昔からこの街で店を構えているトューダーだ。こちら、アーランド伯爵家のご令嬢、ロザリー嬢」

「初めまして。ロザリー・アーランドと申します」

「アーランド伯爵家のご令嬢ということは、カイン様の婚約者の方でしたか。とても可愛らしい方で」


 トューダーは破顔する。ふと、カインは何かを思いついたようにトューダーに言った。


「そうだ、後で店に寄らせてもらおう」

「左様でございますか、ありがとうございます」


 トューダーはお待ちしております、と言って、その場を後にした。カインはロザリーに振り返ると、「彼の店は珍しい品を扱っていてな、気に入るものがあるかもしれない」と言った。どうやら、ロザリーに贈ってくれるつもりのようだった。


 その後も、領主の息子であるカインは、あちこちで声をかけられた。カインは領民に慕われているらしく、特に商人達からは、よくしてくれていることへの感謝が伝わってくる。

 その度に、ロザリーもカインの隣で挨拶を返しながら――ふと、自分は彼らにどう見えているのだろうかと思った。


 最初に声をかけてきた、トューダーという男性もそうだったが、ロザリーのことをカインの婚約者としては見ていない――そんな気がしたのだ。


 無理もないだろう。ロザリーは十五の少女である上に、年よりも幼く見られがちな、丸みを帯びた顔立ちをしていた。対するカインはとうに成人している。次期領主として領地経営に関わる、落ち着きのある立派な大人なのだ。


 もちろん、初めて会った日から、ロザリーも淑女として成長している。そうあるように努力したのだ。

 だが、同時にカインも、先へ行ってしまう。年の差はどれだけ経っても縮まらないのだ。


(……カイン様は)


 丁寧に自分をエスコートするカインは、常に落ち着いた素振りである。内心、そわそわしているロザリーとは大きな違いだ。

 カインが落ち着いているのは、大人だからなのか、それとも――


 ロザリーの胸に、微かな痛みが走った。


 ◇


 夕食の後、カインは何もせずに暖炉の火を見つめていた。珍しいことだ、とロザリーは思う。いつもであれば、エドガーと政治や経済の話を中心に、談笑していたりするのだが、今日は何か考え事をしているらしい。


 話しかけていいものだろうか、とロザリーは一瞬迷った。

 だが、今を逃せば――もう、結婚式の日まで、二度と機会はないかもしれない。


「あの、カイン様……」


 呼ばれたカインはロザリーの方を振り向いたが、そのまま黙っていたので、ロザリーは戸惑う。少し遅れて、カインが口を開く。


「ああ、何だ?」

「少し、お話ししたいことが」


 それを言うには、やはり緊張した。カインはソファーから立ち上がると、ロザリーに別の場所に行くよう促した。


「ああ、俺も話すことがある」


 それを聞き、ロザリーの肩が小さく跳ねた。何だろうか。もしかして、昼間の態度が気に障ってしまったのだろうか。それとも――ロザリーの不安が、的中してしまっているのだろうか。


 他の人に話を聞かれたくなかったので、テラスに出てくれたのはありがたかった。雪が残る庭から吹く風は冷たく、少し体が冷えるが、それよりもロザリーの内では、心臓がとくとくと鳴って、体が熱かった。


「話、とは?」

「……あの、カイン様のお話の方からどうぞ」

「いや、俺の話は後でいい」


 ロザリーは少し息を吸い込み、どうしても、どうしても尋ねたかった言葉を口にした。


 結婚式で初めて口付けるのが怖かったのではなかった。

 結婚式までに、キスをしてほしいかなんて、どうでもよかった。


「カイン様は……」


 キスを――してくれないのは、彼が私を、女性として見てくれていないからでないかと。

 わたしは、あなたがすきなのに。


「カイン様は、私のことを、どう思っていらっしゃいますか?」


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